大宮盆栽村


盆栽村80年のあゆみ
(大宮盆栽村開村80周年記念行事展示パネルおよび『記念誌』をもとに,加筆・修正して作成 )
最終更新日:2014.5.29

大正12(1923)年

9月 関東大震災 東京都内の被害甚大
当時,駒込,巣鴨,本郷などで盆栽業を営んでいた人々も被災。

清水利太郎(団子坂)
加藤留吉(神明町)
蔵石篤夫(団子坂)
鈴木重太郎(神明町)
盆栽に適した土質・水に恵まれた広大な土地を探して移住しようと話し合う。

東京周辺,神奈川,千葉などを歩いた結果,当時,大宮町から離れ,広い松林だった現在地が候補にあがる。
(村田久造が生前語ったところによると,武蔵一宮(むさしいちのみや)の氷川神社がある大宮の地が選ばれた理由の一つに,清水利太郎の氷川信仰があるという。)

  • 移住先の条件であった「盆栽に適した土質」については,地面を掘ることで関東ローム層の赤土を入手できた。
    現在では盆栽用の赤玉土は袋詰めの市販品を購入するのが当たり前であるが,昔は地面を掘って得た赤土を篩にかけて使用しており,九霞園の園内にもかつては赤土を掘った跡のトンネルが残されていた。
  • 「水」については,地下水が豊富で井戸を掘る事が容易であった。

13(1924)年

鈴木重太郎(号・楽三道)・西村勝蔵(鈴木の娘婿)
大宮の通称「源太郎山」を訪ねて,大黒天神宮司・斎藤佐吉と会い,大地主・小島善作代議士を紹介される。清水・加藤・小島代議士を訪問。
土地賃借を話し合う。

7月 土地賃借契約書交わされる。

大工・日下部金一郎移住。家屋建築始まる。

14(1925)年

4月 清水利太郎移住 「清大園」開園。
5月 蔵石篤夫 「薫風園」開園。
8月 加藤留吉移住 「蔓青園」開園。
ひきつづき,「内海華園」(内海源之丞)
「好石園」(米津梅次郎)
「古松園」(石田新次郎)
「雲樹園」(有賀仙吉)
が開園し,「盆栽村」発足。
(村田久造が生前語ったところによると,村づくりにあたっては,東京都文京区の大和郷(やまとむら)を手本にしたという。)

15・昭和元(1926)年

大正天皇崩御。
年号,「昭和」となる。

12月 電気が通じ,電灯ともる。

村内に桜を植樹,桜並木をつくる。

3(1928)年

3月「盆栽村組合」結成。
組合員は全住民で,20名。
初代組合長は清水利太郎。

「住民協約」ともいうべき規約作成。
・盆栽を十鉢以上持つ。
・二階家は建てない。
・垣根は生垣とする。
・門戸を開放する。
などの居住の条件を定める。


浜野元介「藤樹園」開園。

第1次世界大戦おこる。
日本の産業界は空前の好況。

昭和天皇ご即位記念奉祝事業として,
全日本盆栽大会開催〈日比谷〉。

4(1929)年

10月 東武鉄道開通(大宮〜岩槻)
大宮公園駅できる。

村田久造「九霞園」開園。

5(1930)年

大宮公園駅上り線ホームに,
盆栽陳列所を設ける。
乗降客に大変な人気となった。
6(1931)年

満州事変おこる。

第1回国風展開催。

7(1932)年 大宮〜横浜に国電開通。
8(1933)年 見沼田圃で陸軍特別大演習。
天皇陛下盆栽村へ立ち寄る。
加藤留吉の蝦夷松の盆栽献上。
10(1935)年

開村10周年を迎える(業者24軒)。
大宮公園内のホテルで,盆栽大交換会開催。
参加業者は200余名,大盛況で翌日未明近くまでつづいた。

このころ,政・財界人の間で盆栽は大人気。
「今や大宮の盆栽村ではなく,天下の盆栽村である」と雑誌の記事になり,知名人がよく訪れた。

11(1936)年 11月 稲荷神社境内に,清大園・清水瀞庵(利太郎)の紀功碑建立。
盛大な除幕式が行われた。
12(1937)年

2月 2・26事件。
7月 日華事変はじまる。
世情は落ち着かない不安なものになる。

パリ万国博覧会に盆栽が出品され,大変な人気。

「組合規約」改正。組合長・加藤留吉。

13(1938)年 「日本盆栽大観」(全3巻)出版される。

九霞園,盆栽園として始めて定休日を設定する(当初は毎月9日)。
14(1939)年 竹山房造「芙蓉園」開園。
中村五三郎「寛楽園」開園。
15(1940)年

11月 大宮市市制施行。
大宮町・宮原村・大砂土村・三橋村・日進村が合併して,「大宮市」となる。

県下中等学校ならびに青年学校連合特別野外大演習に際し,台臨の朝香宮殿下に九霞園の蝦夷松の盆栽献上。

盆栽愛好家として有名で,盆栽村隆盛の恩人だった頼母木桂吉(元・東京市長/逓信大臣)逝去。
債務整理のため,大宮市大和田の邸宅とともに,愛蔵の蝦夷松など膨大な数の盆栽が売却された。

16(1941)年 12月 太平洋戦争勃発。
17(1942)年 「盆栽村」,行政町名「大宮市盆栽町」となる。(戸数60/人口約300)

住民の招集はじまる。
農業用薬品は統制になり入手困難となる。
盆栽,庭木,苗木など対象に物品税。
「ぜいたく禁止令」発令。
盆栽は時局に適さぬ趣味と非難される。
また盆栽に必要な針金が統制品になり,使用できなくなった。
18(1943)年 山田釜次郎,都内から戦争を逃れて移住し「清香園」開園。
19(1944)年

住民の召集・徴用つづく。
一方で東京から疎開家族がふえる。

手入れをする人がなく,盆栽村はまったく火の消えた状態となり,廃業もつづいた。
「この時世に盆栽をやるなんて非国民」という非難に抵抗し,加藤留吉(蔓青園),村田久造(九霞園)が盆栽村を戦火から守り,維持するために必死の努力を続けた。

20(1945)年

8月 終戦。
住民の復員はつづいたが,まだ世情は混乱。食糧不足の日々。桜並木,燃料不足解消の一助に払い下げられ,伐採,炭に焼かれた。
組合員の家族5軒が,進駐軍(当時)に接収される(24年まで)。

10月 アメリカの爆撃調査団,来村。
ボール中尉,盆栽を「平和の芸術」と賞賛。

21(1946)年

盆栽村陳列会復活(参加はわずか10軒)。

9月 組合長・加藤留吉死去。

22(1947)年

業者を対象に「大宮盆栽組合」発足。
初代組合長は村田久造

5月 盆栽復興祭挙行。
「大宮盆栽郷同好会」が陳列会開催(盆栽園・愛好家20軒参加)。

アメリカの雑誌「LIFE」が写真をふくめ2ページにわたって,盆栽の美について掲載したのをはじめ,海外のマスコミに盆栽の紹介記事が載るようになる。

加藤秀男「八雲蔓青園」開園。

23(1948)年 小笠原伸二「青風園」開園。
25(1950)年

終戦後,盆栽村の別荘に居を移した盆栽愛好家・大塚八楽荘が,自宅茶室で,第1回「枯れ木供養」開催。

盆栽村への来訪者ふえる。
都内有名ホテルからの「はとバス」による外国人客多く,九霞園の芳名帳には,世界各国の見学者のサインが残されている。

26(1951)年 6月 埼玉県観光連盟結成記念に,盆栽村の盆栽を天皇陛下とマシュー・リッジウェイGHQ最高司令官に献上。
30(1955)年 2月 清水利太郎死去。
吉田茂(元首相),九霞園来訪。
31(1956)年 清水利太郎・加藤留吉追善陳列会開催。
33(1958)年 開村30周年。
36(1961)年 ニューヨーク・ブルックリン植物園に,盆栽村から高級品の盆栽十三鉢輸出。
38(1963)年

有山三郎「有明園」開園。

1月 村田久造,池田勇人首相の依頼により,コンラート・アデナウアー元西独首相に盆栽5鉢送付。
11月 ハインリッヒ・リュプケ大統領(旧西ドイツ)来県の折り,九霞園を訪問。盆栽に魅了される。

39(1964)年 東京オリンピック開催。
オリンピック協賛「盆栽・水石展」(東京都主催)に協力・出品する。
40(1965)年

「日本盆栽協会」発足。(初代会長は吉田茂・元首相)

村内の道路に「やなぎ通り」「さくら通り」「かえで通り」「けやき通り」「もみじ通り」など名前がつけられる。

41(1966)年 盆栽村の画家・北沢楽天旧住居に「大宮市立漫画会館」開館。
45(1970)年 万国博開かれる(大阪)。
日本庭園迎賓館で,全国の盆栽・水石の名品陳列。
盆栽村からも多数の出品があった。
自治体会館では,埼玉県のイメージで,県木のけやきの盆栽による展示は最高の人気を得た。
46(1971)年 万国博を機に,外国人の来訪がどっとふえた。
世界各国から,愛好者の弟子入り志願急増。
49(1974)年

盆栽村開村50周年記念式典挙行。

このころから,各出版社発行の英和辞典に「Bonsai」が入る。

小室覚太郎「松涛園」開園。
金子昇「一青園」開園。

52(1977)年 黒須輝夫「松雪園」開園。
59(1984)年

盆栽村開村60周年記念事業として,第1回「大宮大盆栽祭り」開催。

大野雅「盆栽大野」開園。

「盆栽四季の家」開館。

61(1986)年 フェリペ・ゴンザレス首相(スペイン)来村。
平成元(1989)年 大宮市内で第1回世界盆栽大会開催。
5(1993)年 クリントン大統領(アメリカ)に盆栽贈呈。
9(1997)年 盆栽町が「都市景観100選」に選ばれる。
12(2000)年

郵政省,絵入り官製はがき「四季の盆栽」発行。

大宮市市制60周年。

13(2001)年 5月 浦和・与野・大宮3市が合併し「さいたま市」誕生。行政町名「さいたま市盆栽町」
14(2002)年

郵政省,「ふるさと切手 大宮盆栽村」発行。

盆栽村開村80周年記念行事開催。

15(2003)年 4月 さいたま市政令指定都市移行に伴い区制施行。行政町名「さいたま市北区盆栽町」
19(2007)年 12月 さいたま市,高木盆栽美術館から盆栽,盆器,および関連美術工芸品を購入。
20(2008)年

3月 大宮盆栽組合を大宮盆栽協同組合に改組。

4月 さいたま市,「大宮の盆栽」をさいたま市伝統産業に指定。

22(2010)年 3月28日,さいたま市北区土呂町内に「さいたま市大宮盆栽美術館」開館(10月29日,来館者数5万人突破)。

10月 大宮盆栽美術館において企画展「錦秋 盆栽村の美と歴史」開催。

12月 さいたま市大宮盆栽美術館,第10回さいたま市景観表彰受賞。

「さいたま市大宮盆栽美術館を含む盆栽村の景観」第24回公共の色彩賞環境色彩10選に入選。
23(2011)年
4月 iPhoneアプリ「つい,盆栽。」リリース。

5月 さいたま市のご当地サイダー「大宮盆栽だー!」発売。
   中小企業海外展開支援事業費補助金(JAPANブランド育成支援事業)による「大宮の盆栽」JAPANブランド化プロジェクト採択決定。
29(2017)年
第8回世界盆栽大会,さいたま市で開催予定。

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