旧山邑太左衛門邸(ヨドコウ迎賓館)

旧山邑太左衛門(やまむら たざえもん)邸は、帝国ホテル建設のために来日していたライトが1918年に設計し、
5年後の1923年に着工、翌1924年に竣工したものです。
しかしライトは建築に立ち会っておらず、その点では、後を引き継いだ遠藤新や南信らの功績は大きいと思います。

 ところで、この日本では帝国ホテルがあまりにも有名であり、
その陰で彼の住宅設計においての業績は一般的に広く知られていないと思います。
これはグッゲンハイム美術館が彼の代表作にあげられているのと同じようなことでしょうか。
しかし、これぞライトと呼べる彼の真髄は、住宅設計の中にあるのです。




旧山邑太左衛門邸訪問記

2000年1月16日
「明日はあの阪神淡路大震災から数えて5年になります。
曇り時々あめ、
あの悲劇を思い出させるような忌まわしい空模様でした。
犠牲者6千人以上も出したあの憎き天災は、
当然ながらこの地区一帯の建築物にも甚大な被害をもたらしました。
築70年以上も経つこの山邑邸も例外なく、また予想以上に深刻であったようです。
しかし、芦屋を中心とした多くの人々の協力と、
3年にも及ぶ調査と修復を経て見事に復活を遂げたのです。
このことは単にフランク・ロイド・ライトのファンとしてだけでなく、
復興を願う一人の人間として、とても喜ばしく思います。
またこれからも引き続き、この丘の上から芦屋の人々を見守ってくれる事でしょう。」

南西側からの撮影です。
きれいに撮れませんでしたが、
芦屋の小高い丘の上、
木々に埋もれるように建っています。
この建物が如何に傾斜のきつい土地に
造られているのかお分かりでしょうか。


向かう坂の途中、
ひょっこりと玄関部分が見えてきました。
土地の性質上、
プレーリーハウススタイルではなく、
バーンズダール邸のような、
西海岸系の住宅に属するタイプになると思います。
入り口へはもう少し歩きます。
車道からの入り口に掲げられた
淀川製鋼所迎賓館のプレート。
鉄筋コンクリート造の建築物としては、
我が国初めての重要文化財です。


敷地内へ入り、
建物の東側面を眺めつつ
玄関へ至る坂を上っていきます。
もうこのあたりからすでに
ライト・マジックの雰囲気が漂っています。
外観の意匠は、同時期に設計された名建築、
「立葵の家(バーンズドール邸)」に似ています。
大谷石で創られた
大きなフラワー・ベースが現れました。
これだけでも芸術作品ですね。
柔らかくて加工しやすい大谷石は、
細かな装飾を必要とする
ライトの建材にはぴったりです。
室内にまでふんだんに使われていて
非常に驚きました。


ピロティのようになっている部分が車寄せです。
中へ入って右へ曲がると玄関があります。
玄関に到着です。
しかしこの扉の先、
建物内部の写真撮影は禁止されています。
ご紹介できなくて残念です。



4階建ての建物ですが、
平坦な地面から立ち上がっていないので、
外観においての見上げによる威圧感は感じさせません。
連続する2階建てといった印象です。
2階へあがると、光がたくさん射し込む工夫がなされた素晴らしい応接室があります。
3階には施主の強い要望で実現した和室もあります。
設計した遠藤新はインチと寸尺法の誤差を壁の厚さを変えて調整したそうです。



4階には礼拝堂のモチーフでデザインされた、
ライトならではという食堂があります。
その食堂からは、
芦屋を一望できるバルコニーが南へのびています。
写真で見たときは、
「バード・ウォーク」のような
細長い形状を想像してましたが、
実際にはテーブルと椅子をおいても
ゆったりできるほどの幅がありました。
バルコニーへ出て振り返れば、
4階の塔状の部分を間近に見ることができます。





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