笠井潔さん
『バイバイ、エンジェル』 笠井潔 角川書店 1979/3 ♪:☆☆☆★★
作品紹介 ラルース家殺人事件
冬枯れのパリ、天使は堕ちた。
美少女ナディアと、謎の日本人青年カケルが挑む、緋色に呪われた連続殺人事件とは・・・。
〜文庫版より〜
感想 死と殺人、テロリズムの哲学
ミステリ本格の代表でもあり、マニア?受けするネタも多いる笠井潔さんの作品を読んだのは、 これが初めてというわけではないのですが 最初に名作だと誉れ高い・・・が、ある意味で敷居の高い『哲学者の密室』 に手をつけたところ見事に挫折したという経緯があるので 今まで読まなかったのですが、再びなんとなく手をつけ。
デビュー作から読んでいこうと思いましたが、結構入手にてこずりました。

序盤は独特の世界感や人物にに戸惑うも、中盤あたりから読ませる展開に。
推理的にも王道でしょうか。スタンダードだけど展開を裏切らない。
ただ人物像が定型としていて記号のように感じたり、 またはその逆で人物として捉えずらいような印象も感じるのですが、 これは味の好みの違い、もしくは単に読解力の不足なのかもしれませんが。

それでもやはり多少気になるのが「嫌味」だといわれるのも納得しますということ。
フランスが舞台なのはテロリズム(日本じゃね)がバックテーマとして作品の大きな流れになっているからだとしても。 ・・・とはいえ「嫌味」というものが「苦味」になってこの作品に大きな印象を与えて、 魅力として構成されているのも確かだと思います。
ブラックのコーヒー。 私はミルクとクリームをいれたコーヒーが好きなのですが、 時にブラックのコーヒーを飲んでこそ、ミルクとクリームの味も引き立つ・・・のだろうかと。

駆自身、探偵というよりは求道者。名探偵の多くが求道者にして哲学者なのですが。
とはいえ、物語の牽引役・ナディアなんですが、こんな人物に描いていいのでしょうかね。 まーまだ続編とかみないとわからないけども。

個人的には、後半のテロの哲学や、駆の言葉。真実の一面ではあろうけども、 決して全体的な真実だとは思えないような(そんなものがあれば)・・・辺りがBM。
エンターティメント性を持ちながらも、書いてあることは相当な深さと洞察を受けました。

次巻も少し読んだのですが、内容的に専門すぎるきらいはある、確かに。 いちおー次巻に関しては『秘密結社の手帳』(渋沢龍彦著)なんかを片手にだらだらと読む予定。
KeyWord:矢吹駆 美化
「君たちは血の海と血の一滴にどんな違いがあると思っているんだ。
 殺人も拷問も、現にあるという現実からのみ承認されなければならない。それは、人間の鏡だからだ。
 一人死のうが百人死のうが同じことだ。人間の犯罪の歴史は君たちが考えるものの百倍も深い。
 人間は歴史の初めから殺し合ってきた。これからも殺し合い続けるだろう。

 しかし、誰も汚れた手を気にしながら殺しはしない。選択で殺したり、その責任を引き受けようなどと思いこんだりしない。
  人間たちは、人間である限り逃れることのできない必然性に巻きこまれて殺し合うのだ。
   パンのために殺し、殺されないために殺す。それだけだ。

 しかし、君たち善良で愚かな坊やたちは違う。サルトルでなければカミュだ。
 ちゃちな哲学をかつぎまわって大見得を切ろうというんだ。殺すことにたいした意味があると思いこんでいる。
  殺した自分に大層な意味があると思いこんでいる。なんという馬鹿馬鹿しさだ。
 君たちの殺人など、有史以来の血の大海に新たに一滴の血を加えたに過ぎないんだ。

 いいか、人間の生存が殺人と暴力を生む。また、人間の観念が虐殺と拷問を生む。
 君達の殺人は、人間であるということのどうしようもない事実に強いられて実行されたものではないが故に、真に犯罪的なのだ。
血と汚穢にまみれた生存と観念の総体を浄化するための<究極の幻視>もなく、ありふれたちゃちな哲学をかつぎまわって殺し・・・」
KeyWord:『人民』 xxxx
「<人民>とは、人間が蟲けらのように生物的にのみ存在することの別名です。
 日々薄汚い口いっぱいに押し込むための食物、食物を得るためのいやいやながらの労働。
  いやな労働を相互の監視と強制によって保証するための集団、
  集団の自己目的であるその存続に不可欠な生殖、生殖に男たちと女たちを誘いこむ愚鈍で卑しげな薄笑いに似た欲情.....
 この円環に閉じ込められ、いやむしろこの円環のぬくぬくした生温かい暗がりから 一歩でも出ようとしない生存のかたちこそ
<人民>と呼ばれるものなのです。つまり人民とは人間の自然状態です」



『サマー・アポカリプス』 笠井潔 角川書店 1981/10 ♪:☆☆☆★★
作品紹介 ロシュフォール家殺人事件
あの事件の熱も冷めやらぬナディア達。南仏一帯を、異常とも思える熱い夏の日々が訪れる。
銃撃され警告を受ける駆、大戦とナチズムの陰謀、キリスト教異端カタリ派が残した秘宝。
・・・財界の帝王の元を訪れたナディアと駆に「黙示録の夏」が訪れる。
感想 夏が合う本
序盤から、いきなり駆のテンションは高く、多少戸惑いをおぼえる。
朝の電車内で読んだりするには合わない本。正直、最初にこの本から読んだらたぶん読まなかったと思いますが、 エンジェルから読んだら案外すんなり入れます。
宗教や神話、結社や歴史、ましてやカタリ派やグノーシス主義のことなんて、あたりさわりないことしか知りませんが、 「わからなくても読ませる」力に引きこまれます。
他の部分におされがちですが、推理作品として丁寧なので自然に読んでいけるのだと納得。

前作が意地悪ではなくきちんと筋道がたって推理できそうな作品だと、読み終わってから(笑) 気がついたので今回は最初から多少(あくまでも多少)思索を巡らしながら読み、ながら読み、ながらで読んでるせいか、 当然からぶり。「たぶん、ナディアの推理は間違っているパターンだから」程度の駄目っぷり。ナディアにぼろ糞にけなされている 某警部も真っ青のていたらくぶりですが、後半になると犯人は「推理」としてではなく「像」として掴めました( 何時もこんなんばっか)。それでも最後までページを何度か戻りながら(^^;読み。

この物語中でもっとも引きこまれる部分『バイバイ、エンジェル』の時もそうだったのですが、 考証や哲学のような部分。うーんと・・・善悪についてなのでしょうか。 結論として捉えれば、それほど特殊な事をいっているとも思えないのですが、 読んでいて引きこまれる感覚は圧巻です。鳥肌たちます。
たとえ小説だとしても、こんな話方や文法を使って会話する人物に当初はどうしても抵抗を 感じてしまっていたのですが、何時しか流れるように自然に・・・。だんだん慣れてきたな。次もあるし、あれまで先は長い(謎)
KeyWord:<すべてよし>トゥー・テ・ビアン すげー中略とかの嵐、ごめんなさい
「・・・虐げられた者はどうなるのです。惨めな難民たちはどうなるのです。 収容所群島で呻き声を上げている無実の囚人はどうなるのです、 飢えで下腹を膨らませた、今世界のいたるところで死にかけている子供たちはどうなるのです。
 あなたは、それも運命だ、<すべてよし>と呟くだけでこれらの悲惨の一切を、
  暴力と蛮行の一斉を承認していくのですか。ほんとうにそれで済むのですか」

「無神論者で唯物論者だったはずのあなたが、始めて教会堂の床にひざまずいた時、その神秘な瞬間に、他人は存在しましたか、世界は存在しましたか。 ・・・・・・すべてを承認することだ。
 無辜の子供たちが限りなく虐殺されて行くこの世界のすべてを、肯定することだ。
  ほんとうは善も悪もありはしない。百五十億年を貫いて流れ行く轟々たる原子の大河だけがある。
  この流れだけを疑視するその時、人は、歓びと安らぎに満ちて呟くだろう。<すべてよし>と」

「どうして、どうして、眼前の悪を見過ごして魂の安らぎが保たれるでしょう。不可能です。
  あなたのいうようなことはまるで不可能なことです。カタリ派についてもあなたは根本的に誤解して・・・」



『薔薇の女』 笠井潔 角川書店 1983/3 ♪:☆☆☆★
作品紹介 アンドロギュヌス殺人事件
冬の訪れたパリの街。残された今年もあと僅か・・・そんなあたりまえを消し去る連続殺人事件。
現場に残された<両性具有>のメッセージ、切り刻まれ死体、肉人形。

謎の男ニコライ・イリイチを追う矢吹駆と、駆を慕うナディア=モーガン。第三の事件。
感想だぶん 余るのではなくたすのか
今回、推理色が強い・・・毎回ミステリとしての芯もガッチシ感じるので、そんなわけでもないのでしょうがそう感じました受けました。 アゾートかな?とか余計なことは思いますが。

あまり適切な言い方じゃないでしょうが、文学作品とかー思想本。みたいな部分が少なめで抑え気味だったのが、 かえって物足りなさすら感じを受けた。満足したんだけれでも「こんなに食べたのに、満腹感がない。でもお腹一杯」 みたいなアレが。だから食い物で例えるなよ。

蛇足ですが、次は以前挫折したアレを読もうと思っていたのに、この本でやたらと紅茶にマドレーヌのくだんの小説 があるせいか、連休前にどちらを読むか悩む。あれもエライことになってるし。



『哲学者の密室』 笠井潔 光文社 1992/8 ♪:☆☆☆★★
作品紹介 死の哲学、刻を越えた密室殺人事件
ブローニュの森にそびえたつ、ユダヤ人資産家の邸宅で起きた不可解な密室殺人事件。
事件を捜るうちに朧げに浮かぶ、関係者たちが口を閉ざす過去。
ナチス支配下のフランス。コフカの収容所で出会ったユダヤ人の彼らと、ナチスのエリートたち。
・・・歴史の影に隠れてしまってはいたが、50年前のコフカ収容所でも、三重密室殺人が起きていた。

世紀末のフランス。ナチスとハイデガー。現象学と「死」そのものについて。
何かを追い求める謎の日本人青年・矢吹駆と美少女ナディアが、刻を越えた二つの密室の真実に辿りつく。
感想(テキトウ) 雑多なこと
・・・重い。重厚感がある。色んな意味で。
以前に挫折した原因はハードカバー版(ブリタニア百科辞典のよう)にあったのではないかと思い、 今回はノベルズ版(上・下)で読むことに。個人的には「上・中・下」にして出版してもいいな、などと思う。話の流れとしても。

それでまあ、思ったことをズラズラと書いていくと・・・
自分でも書いといてなんだけど、ナディアって美少女って感じしないな(笑)
『バイバイ、エンジェル』で「ナディアってこんな・・・」みたいに感じたのですが、あれは私の理解不足でした。 なんだかある意味で身も蓋もないような人物に描かれているような感じを受けたのですが、 心の中でこの程度のこと、普通思いますよね。彼女にはワトソン役といういい方は あまり適当ではないと思うのですが、その竹を割ったような性格(多少皮肉もこめて) は、駆の友人兼パートナー(自称)として、無くてはならない資質なのかな、とか。
駆自身、ナディアには感謝の言葉をかけてますしね(^^;

抵抗がある抵抗があると連呼した、矢吹駆という人物にもだいぶ慣れてきた。 慣れたという表現はおかしいかも知れないですが・・・。わかったともいえない部分は多いので。 まあ慣れたと。

『哲学者の密室』を読んで、以前私がいきなりこいつから読んで挫折したのも納得。 このシリーズは最初から読まないといけないシリーズ。
物語の重厚さとは別に、過去を振り返る場面が多いので。勿論、読んでなくても読めますが、 恐らく読んでいたほうが何倍も物語に入りこめる。 同時に、過去のシリーズで与えられた命題のようなものが、 今もまだ終わったわけではなく、その考察が続いている・・・のようにも感じてみたり。 これこそ『哲学者の密室』たる所以では、違うかな?
哲学者は、自己との対話や世界に対しての論理的追求を試みるあまり、 自ら密室に納まってしまうのでは。
自ら作られたような密室トリックを用いた本作品になんとなくそんなことを、ぼーっとして感じました。

しかし、厚いですよ・・・一日で読むつもりが、 内容の濃さなどからいって、三日もかかったよ(笑)
「今日は、これ読んだら寝るかー」などと、私のお気楽読書体制が通じない作品です。
『ノートゥングの魔剣』『ワルキューレの悲鳴』『ジークフリートの死』の三篇からなるのですが、 それぞれが「上・中・下」で出そう。『哲学者の密室』のハードカバーは実際、インテリア(断言)。 読みズラさに加え「ブ厚いハードカバー、ボロボロページ落ち出す」の理屈によって愛蔵にも向かない。 装丁に文句をつけるのが好きな私。
感想(マジメ)
この作品内で語られる「死」についてですが、率直にいえば、私にはわかりません。
読み取り能力の問題もあるでしょうが、 流されやすい私は読んでいて、そういわれれば、そうかもしれないし。なんとなく違うような気もする。 ・・・私にとっての哲学は結論を出さずにふらふらすることにあるのかも(笑)

死を完全な定義として捉えることは難しい。時代もそうですが、 環境や年齢、もちろん個人の資質などによって、死ってのは色々あるのではないでしょうか。 一個の確立した存在としての死が、過去から論じられながらも、 万人がうんというある程度の結論さえ導けない理由ですし。
駆もたしか以前「結局は死ってのは消えるだけ」のようなことを(うろ憶え)いっていましたが。
その中にあって、この本で述べられる幾つかの死の定義、個人其々の。 もしくは、結論できないままの死。なんというか、結論が出ない、物語の中では一応の 区切りのようなものをつけていますが・・・

駆が善悪や本質といったものを求め、ナディアが現実といった紐を握りしめながらも、 結局二人の共通点として、この死があるのではないでしょうか。 人は何故死ぬのか?生きているのか?あたりまえで出られない哲学者の密室。 竜でもジークでもいいけど。
ナディアも駆も、それぞれこの命題に答えのようなものを持っているのですが、確信、それを得ていない。
駆がアントワーヌに言ったように、そんな確信なんてまやかしで存在しないのかもしれませんが、それでもやはり 追い続けるのでしょうね・・・。
普通は、生活の中でふとそんな事に思いを馳せる、ふりをしていくだけでいけるのですが・・・単純が理想。 でももしかしたら、駆という人間は実は物凄く単純なのかもしれない(^^;


・・・当然、この本読んだらばナチスについても感想かかなきゃいけないのかな・・・と。
ユダヤ人についてもアレなんですが、お気楽日本人の私にはどーもこの流浪の民ってのがいまいち直感できないです。
島国根性なんですが、どっかの政治家じゃないですが、単一民族とか主張するのもわかならいではないし。天皇は朝鮮系だけど。 交流とか混じりが少なかったって意味の単一なら。あまし自慢できることではない。

ユダヤ人ってのはそのままユダヤ教だとも思うのですが、 よくある「ユダヤ系○○人」とか聞くと、やはり島国で育つ私などには、頭で理解しても 根底では理解できない部分が多いし、してないと思う。
宗教という概念も薄い(日本は多神教。八百万の伝統で、なんでもいいとこどりでMIXする)、違うような気もするので、 正確にこの辺りを真剣に考えてない私が、触れてはいけない部分だとも思うのですが・・・

物語中のヴェルナーの行為や(どーでもいが、この名前はややこしい)エーデルワイス海賊団のように、 ナチスの中にもユダヤ人迫害を代表とする、様々な行為を良しとしない勢力があったのは事実でしょうが、 何か大きな組織があって、そこに反抗勢力が内部に生まれるの善悪を超えた必然だと思うので、 これは良心とかそういうものでは無い・・・といいつつも、根本にあったのは良心だとも思うのですが。 ただ、良心ってなんじゃそりゃ、とも思うので複雑なところです。

ヒムラーが時代と環境が違えば、能臣として貢献した可能性もありますし、 ヒトラーが画の道で地味ながらも一生を暮らした可能性だってないこともないでしょうし。

この作品の中では、こういった多分岐的な可能性といったものではなく現実に即して、 死を正面から捉え、真摯に生きる人々、勿論そうでない人もいますが。 彼らはあまりにも頑なとでもいうのでしょうか、そんな印象、思いを感じてしまうのも事実・・・。 「物語だよ」まあそうなんですが(汗)

えーと、別にエーデルワイス団の尊厳を踏みにじるつもりもありませんし、 ナチスを肯定など当然しません。ユダヤ人はイスラエルをぶん取って(と思ってます。 土地の権利を一千年近く得て主張するのは国際的に合憲?)も、 今だ祖国を得られぬまま流浪の民を続けるロム・・・まー小さく育った私にはわからない世界です。
ヨーロッパってのは、ホントに色んな色を得てきた大陸なんだなぁ、と思う。
『バイバイ、エンジェル』の感想で書いた「嫌味」だとか。 外国小説を比較的苦手(翻訳物が駄目なんですが)とする私の、勝手な思いこみでした。 この舞台、土地でなければ映せないもの、ってのがあるのでしょうね・・・ 「外国語喋れない」「あと、雑誌高い(日本の)」の理由で海外にいきたがらない私の盲をはらってもらいました。

で、死に戻って。
もっとも単純な「殺せない」という概念。これは理念ではないと思います。
それは教育によって変化するもの、同時に自己を守るべき資産として、古来より培われた人間の暗黙のルール。
自殺についてはともかく、他者を殺すということにおいては、 本来は人間が行ってきた狩猟、本能に基づくものだと思っているので、 私がこの作品でいう他者に与える死には多少違和感を感じますが、 それでもその鎖を外したときに、人々が行った行為、大量殺戮。
恐らく、全ての人がそれを望んだのでは決してないとしても、その結果が齎したもの。

なんなんでしょうか?ハルバッハが戦慄したもの。
哲学者、それはその事実から何かを考察して、迷いのみを未来に残す、呪われた存在なのかもしれないし・・・
それでも、その密室にはこれからも出入りが盛んに。
・・・時代の恐怖かな。場所とか環境の。
流れの中で抗えるものなんてそうはいないでしょう。 フーテンベルグやハインリッヒの言葉に思う。
ジークフリードにも竜にもなれない、抗えば死んでしまうなら。
抗うことをしなかった者は、不安をかかえて生きていく。 この作品に登場する人物で、幸福ってのはアレなんで、安寧を手に入れられる事ができた人が少なすぎる・・・・ 駆やナディアにはわかりませんが。せめて、ナディア=モーガンには、それに値する何かを。ヴェルナーなどとは違うものを。

無駄だとわかっても問い続けること。自己という「密室」の中で生き続ける人間が...
わけわかんないな(^^;
なんだか、偉そうなことを書きましたが、許してください。

まー密室だと換気が悪いので、窓を開け放ちましょう。
などと昔よく日曜の朝に母上がいっておりましたが、それはその通りなのでしょうね?・・・。
KeyWord:エマニュエル=ガドネス パリ大学哲学教授
「心底では信じていない哲学や思想や信念を、決断した以上は最後まで演じきるだけの力感を欠いていた・・・」
KeyWord:ハインリヒ=ヴェルナー 武装親衛隊(SS)少佐
「最終的解決。それこそが度しがたい欺瞞の産物だ。
 最終的解決の最高責任者であるヒムラーが、殺戮の現場を目撃して貧血で倒れかけたのを、あんたは知っているのか」
KeyWord:ナディア=モガール 駆を慕う、ルネ警視の娘。推理好き
「哲学者という人種は、どうしてこんなに簡単なことがわからないのだろう」

「不安は死から生じるのではない。
 人間の可能性の中心点が破壊され、奪われる可能性が、ひとを不安にさせる。
 でも、もう不安ではない。わたしはもう、ちゃんと理解できたから。
  死の可能性に直面して生きることに、人間的な意味なんかありはしない」



『熾天使の夏』 笠井潔 講談社 1997/7 ♪:☆☆☆
感想 セラフィック・サマー
シリーズ#0ということでしょうか?
後書きを見ると納得できますが、異色といえば異色かなぁ・・・ちなみにミステリではないです、これは。

うーん難しい、ってのとは違うのですが、なんか読みズライのは確かで、 エンターティメントのコーナーにあるのはおかしいだろ、って本。
哲学的なネタなんかはともかくとしても、人物とか物語はなんかパッとしないような。 「パっとする」という言い方もおかしいのでしょうが、良くいえば地味。悪くいえばFANを選ぶ。 シリーズのFANなら必読の価値はあるのでしょうが、これ一冊だけで「面白いか、どうか」 と聞かれると「あまり面白くはない」と思うかな。否定的な意味合いにとらないでくださいね(謎)
KeyWord:風視 ーーー
「あなたのいうことは正しいのかもしれない。博愛家を嘲笑する時、たぶんあなたは正しい。
 でもね、あなたは思想としての愛他主義を否定することはできても、 肉が肉を呼ぶような愛おしみ、優しさ、いたわりの気持ちで微妙に篩える魂が、 あなたの中に事実までを否定することは決してできない。

 これから何億年もして、ようやく出遇うことができるかもしれないという神は、もうあなたの中に棲んでいる。
  わたしたちの魂には、たとえ砂粒のように小さくても、なにか神秘的なものの破片が宿っているんだわ」

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