森奈津子さん 01
『東京異端者日記』 森奈津子 廣済堂 1999/8 ♪:☆☆☆★
作品紹介 精神の貴族(笑)
森奈津子さんのHPにて掲載されていた日記を出版したもの。
専門用語の解説や、イニシャルのみで明かされなかった人物も本名で掲載。
日々の生活の中から、あやしい出来事や、あやしい人々との交流を拾い上げ、書き綴ってゆきます。 〜著者のことば

毎度、過激に偏屈におちゃらけたことを綴ってきた『東京異端者日記』 だが、実はこの日記の真のテーマは、「現実と幻想」である 〜後書きより
感想 異端とは黄昏ではないでしょうか(謎)
最近精神を病んでいる(いつもという説は却下)私が手にした本は自然とこういう本になります。 こういう「狙ってないのに、読む本の系統が同じ」という現象は過去にも何度も経験があります。
余談なんですが、今年のSFで二位だというので借りた「レキオス」も、 コスプレしてノーパン主義で、下着勝負(なんじゃそりゃ)で縄を装備するような 変態博士サマンサが出てくる辺り、偶然とは恐ろしいです。まともな、私の心を......。

まったく仕事をしてるように思えない日記で、飲んでいるか妄想しているか..... などと書くと失礼ですが、独特の感性から来る心地よいツッコミが好きです。 『「好き」といってもコクってるわけじゃないんだよ!』と読後は暫くツッコミが自然挿入される心理 になります。笑える本ともいう。

知人にゲイがいた事があるし、ゲイバーにも入ったことがあるので、そもそも性嗜好の違いを異端などと思ってはいないのですが、 まあ異端といえば異端なんでしょう。私はヘテロなんでゲイに興味はないんですが (レズピアンは勿体ないと思っている、ただ男性の体より女性の体のが神秘的で美しいという彼女らの 意見には多いに頷く。だいたいヤロウは匂いが臭い。私も臭い、香らない、芳しくない。) まあ、案外と自然にこういう人ってのはいるものなのでしょう。
私の高校の頃も、U君という男は「バイ」を主張してR君という男子を狙っていました。 たしかにR君は一瞬女子にも見えないこともない、サラサラヘアーが綺麗だったが..... 男では意味がない。自分が気づかない、知らないだけで、こういう人って案外廻りにいるのかも知れません。 本来、誰もが異端なのかも。

ところで専門用語が全て理解できるのは、若き日に誰もが経験した、その手の 専門図書(世間一般的にはエロ本という)の読書量のたまものでしょうね....。嬉しいやらなんのやら。

森さんが「夢の中でNHK連続TVの天うららのヒロイン役、須藤理彩ちゃんに告白される夢をみた」や、 「ウォーターも言えなかった三重苦の少女が大きくなってえらい看護婦さんになってクリミア戦争の 後、ラジウムを発見する」などと歴史についても言及し(違)、 「解剖ビデオとか、処刑ビデオ、反堕胎キャンペーンのえぐいビデオとか、 そういうビデオってみんな見てるでしょ。普通じゃないかなー」などいった大胆な仮説など満載。
さらには吸血ハンターDの著者として名高い菊地秀行さんが「ある風俗店では、 使用済みタンポンを酒の中に入れてくれる(入れてくれる、と言ってるのが味噌だと思う。くれなくていいと思うが....。)」 .....など、変な読み応えのある本でした。
感想(ではない) 黄昏の空想
文中で語られている渋沢龍彦さんのお言葉、
<誘惑を恐れないこと>
<一匹オオカミも辞さぬこと>
<精神の貴族たること>
<本能のおもむくまま行動すること>
が感動しました.....うん、ここは感動してもいい筈だ(汗)

・・・炭焼き小屋の件なんですが、私のテーマ(なんだそりゃ)である、
「帰省した田舎の神社(別に旅行でも構わない、ようは短期間の滞在で ノスタルジイなら)、麦わら帽子に草色(水色でも可)の ワンピースの美少女(長髪短髪可・色白黒可・清潔感を望む・素直小悪魔両方可・ まーよするに色々ある)」
....は確かに赤子が笑い飛ばすような稚拙なものでしょうが、 しかしそれでいてこれこそまた王道でもあるとも認識するにいたりました。炭焼き小屋も王道でしょうが。
尚、性行為はあってはならない。手を触れるのとキスくらいだろう、しかも小鳥のキスだ。 しかし.....キスをしてその先に進まないのは不可能ではないか? 彼という人物は、初キスで舌を入れたらしい、エロ本とAVを見すぎたせいだろうが舌をいれないキ(略) ・・・まあ、キスは天ぷらにしろ何にしろ、あっさりしてるようで油っこいものなのだろう。

次点として彼が推している
「川の流れの聞こえる(海の波音でも可)場所で、少女のお腹の上で泣く。」
....もやはり捨てがたくはある。最近は年のせいかこちらの比重が高い。

なんか誰かが「男を腹で泣かせられれば一人前」とか言ってたが、そうではない。 何も知らない人間の、純で素朴な慰めという優しさこそが、真に人の心、魂を癒すのだ。
そうでない優しさに価値がないとはいわないが。
まともな人間なら優しさの上に計算がないなどと主張しない。 仮に意識しなくても、必ず第三者からみてある。そしてそれは意識してないだけで、 無意識に脳が判断している、無償だと思われる優しさにさえ.....悲しい。
....母の愛は全く別のものなのだが、 あんな汚い腹の上でなくのは嫌だ。でこぼこしてるし。

尚、この「少女の腹の上で泣く」エピソードは、村上もとかの漫画『私説昭和文学』 の梶井基次郎の章で見事に再現されている。これは連載時に読んでいて泣いた。
.......ただ、泣いて心が癒えるなら、いくらでも泣いても可なのだが、 残念ながら泣いたくらいで癒える心ではないのが残念だ。心は単純が理想。
なお↑にちゃんと「感想(ではない)」と書いてある。
KeyWord:森奈津子さん ポリシーあるならいいとも思うけど
「両者の合意のもとでのプレイであり、第三者に迷惑をかけないのならば、
 何をやってもよいと私は考えるが。ただ、私から見て「醜悪だ」と思わせるセックスはある。
  つまり「ヤメロ」とは言わないが、それを「醜悪だ」と評しているということではある。
 たとえば「みんなやってるから」という理由で援助交際に走る女子高生や、
 団体で海外に女を買いに行くオヤジでも。
 一人では判断できないたわけ者どもが。
 連れションみたいなセックスをして、なにが楽しいのやら。
 ああいう輩と比べたら、おのれの欲望に忠実に、
 人知れずアナルセックスをしているほうが、ずっと美しいというものである。」

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