ERIK SATIEの墓参り


1866-1925

その昔、パリ郊外にあるアルクイユという小さな街へ、風変わりな作曲家SATIEの墓参りに
行った。駅を出ると大きな水道橋が見えた。ここからモンマルトルにあるカフェ「黒猫」まで、
毎日歩いて通ったといわれているが随分遠い道程だ。



坂を降りて行くと、テレビ等でよく見かける、SATIEが最後に住んでいた部屋が有る、三角の
建物が現れた。一階の正面は、何かの雑誌で見た時は眼鏡屋だった様な気がしたが、
行った当時は汚いCafeになっていた。飲んだ紅茶が80円ぐらいだった。パリ市内では、
400円ぐらいはしていたと思うが。トイレが凄く変だった!20年も前の事なので、
今は、どうなっていることやら。


向かって左側の二階にSATIEは住んでいたようだ。
窓の下に、SATIEが住んでいたというようなことが書いてある
プレートが付いていた。当時、部屋にはSATIE家とは、無関係の人が
住んでいるということだった。住人はSATIEマニアなのか?それとも、
そんな人物が住んでいたという事も知らないような人なのか?



実は、駅を出てすぐに、墓地があったのだが、この場所ではないらしい。
そこにいた老婆に、SATIEの墓はここかと尋ねたが、それは、
誰だと言われてしまった。あまり地元では盛り上がってないらしい。

ぶらぶらと歩きながら探していると、東洋系の顔立ちの人が設計事務所
のような所で仕事をしているのを見つけたので、もしや日本人では、
と話し掛けてみたが違った様だ、しかし、その人物はとても親切で、
事務所に一旦戻ると、近辺の地図をコピーして来てくれた。
やはり、もう一つ墓地があるようだ。地図の通り進んで行くと、とうとう見つけた。
ほんとうは、写真を撮ってはいけないらしいが、駅前で買った花を、備え付けの
花入れに投げ入れて記念撮影した。



一説には、SATIEと親交のあった彫刻家、ブランクーシの作といわれている
墓であるが、特に変わった処は無い様に見えた。が、何かミニマルな意匠
が施されているのかも知れない。


1984年秋

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