『ラテン音楽 名曲 名演 名唱 ベスト100 』から
             
ィ.なんでもありの超私的な10曲
                 
Iチャン・チャン
    齢90をこえて現役バリバリ、永遠の青年コンパイ・セグンドの名演名唱
                                       (キューバ)
 あれは97年2月半ばのことだった。キューバの首都ラ・アバナで音楽 関係者に会うと、いきなり「コンパイ・セグンドを知ってるかい?」と訊かれた。「 もちろん。フランシスコ・レピラードのことだろう。彼がどうかしたの?」と思わず 聞き返した。「会いたければ会えるぜ。これから行こうか」「ぜひ!」といったやり とりがあって、その10分後にはぼくたちはもうラ・アバナのチャイナタウンから程近 い彼の自宅を訪れていた。
 でもコンパイ・セグンドを前にして、ぼくはまるで彼の亡霊に会っている ような気分だった。というのも、彼が健在であることはサンチアゴ・デ・クーバのバ レラ・ミランダ家の人たちからきかされていたが、これほどピンピンしているとは夢 にも思っていなかったからである。一般にキューバのお爺さんたちはやせているが、 元気でかくしゃく、そしてダンディな人が多い。だいたい人間は飢餓には対応できる 体になっているが、飽食には弱いという。そんな説をぼくに教えてくれたのは、エジ プト考古学の権威である吉村作治早大教授だが、キューバの老人をみるといつも教授 の言葉を思いだすのだ。米国主導の経済封鎖の影響で慢性的な食糧不足になやむキュ ーバだが、それでも餓死者がでたという話は聞いたことがない。この事実をもってし ても吉村教授の説は正しそうだが、それに加えて過食からくる肥満ゆえに様ざまな病 気に苦しんでいる米国人が多いとなると、これはかえって皮肉な話である。   
 それにしても赤い粋なシャツに、筋がばっちりついたクリーム色のパンツ 、そのパンツとコーディネートさせた同色のソフト帽、それにいかにも仕立てのいい ブーツというコンパイ・セグンドのいでたちはなんともあか抜けている。若いころに はさぞかし大勢の女性を泣かせたのでは、と余計なことを勘ぐりたくなるほどである 。あとで調べてたら、1907年11月18日にキューバ第2の都市サンチアゴ・デ・クーバ に生まれたというから、あと数カ月で満90歳になるわけだが、どうみても70代半ばに しか見えなかったのは驚異だった。それでいて節制しているふうもなく、葉巻を旨そ うにくゆらし、強いラムをストレートで飲む。生来頑健な体なのだろう。「きみはい くつだ」と尋ねるので、「もうすぐ、あと2週間で60歳です」と答えると、「まだま だ若い。これからだ。男は強くなくちゃいかん。上だけでなく(と頭を指さし)、下 も」といって某所をさして、カラカラと笑う彼に、ぼくは文字どおり圧倒された。や がて「もう年だから、座らせてもらうよ」と断って、折りよく練習にきた4人のメン バーとともに、ぼくのために小一時間ほど演奏して楽しませてくれたが、その声の若 々しさといったらなかった。「もう60年は使っているよ」というギターも健在なら、 その腕前もいまだ衰えずどころか、じつに味わい深かった。 
 「チャンチャン」「ルーラ」「サルード・コンパイ」「マクーサ」といっ た彼の代表作に、ぼくのリクエストに応えてやってくれた「ビセンタ」などを聴かせ てくれたが、どの演唱にもよき時代のキューバ音楽の味わいが濃厚にあって、ぼくは 1950年代のラ・アバナで聴いているような錯覚をおぼえたほどだった。ふたりで愛し あう関係にありながら、男がちょっと離れたすきに他の男と駆け落ちしてしまった女 への恨み節「マクーサ」がとくによかったが、いちばん素晴らしかったのは「チャン チャン」だった。「アルト・セドロからマルカネーへ向かう/クエトに着いたらマヤ リーに行く/きみに抱いている愛は否定しようがない...」という出だしで始まるこの 曲は、ファニカという娘に恋する若者チャンチャンの気持ちを唄った素朴な曲ながら 、いかにもサンチアゴ・デ・クーバらしい生活感がにじみでた歌で、トップ・ボイス のウーゴ・ガルソーンとコンパイ・セグンドのセカンド・ボイスの掛け合いも絶品な ら、コンパイのギターがまた秀逸でぼくは心の底から聞きほれた。演唱もすばらしか ったが、キューバ音楽の生き証人である彼が回想しながら聞かせてくれた昔話にも興 味つきないものがあった。郷里サンチアゴの大先輩で、トローバの巨人シンド・ガラ イ(1867〜1968)からコーヒーをふるまってもらいながらギターを習った話、偉大な ミゲル・マタモロス(1894〜1971)がトリオ・マタモロスを1925年に結成したころの 話やコンフント・マタモロスにコンパイも参加させてもらってクラリネットを吹いて いた話など、どれもこれもぼくには驚きの連続だった。                  
 日本では長い間、ロス・コンパドーレスの初代メンバーとして、また数か ずの名曲の作者として知られてきたコンパイ・セグンドだが、じつはその頃からいつ もセカンド・ボイスの担当だったことからセグンド(セカンド)のコンパイ(仲間) というニックネームがついたそうだ。その彼にぼくが会った97年に、ワールド・ミュ ージック好きの米国のロック系アーティスト、ライ・クーダーがキューバのミュージ シャンたちを集めてつくった『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ワーナーミュ ージック・ジャパン WPCR-5594)にフィーチュアされて一気にブレイクした。その モテモテぶりを、このところコンパイとの共演が多い歌手のオマーラ・ポルトゥオン ドが話してくれたが、98年だけでもヨーロッパに6回ものツアーに出かけ、マイアミ にも行ったというから、半端なもてかたではない。満90歳にして現役バリバリなのだ から、なんともすごい話である。こんなこともあるのだから、ほんとうに人生とは不 思議である。       
 それやこれやで、往年の録音のベスト集やら新録音やらが出るわ出るわ。 日本のレコード店にも彼のCDがあふれているが、ぼくがもっとも気に入っているの は彼の家を訪ねた日にサインを入れてプレゼントしてくれた96年録音のアルバムで、 これはぼくのお宝になっている。

・チャンチャン/Chan Chan
 『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(ワーナーミュージック・ジャパ ン WPCR-5594)の冒頭にも入っているが、そこでリード・ボーカルを取っているエ リアデス・オチョアがぼくの好みではない。サンチアゴ・デ・クーバの名所トローバ の家でオチョアの唄はなんどか聴いたが巧くないし尊大な態度が気になって、ぼくは 苦手なのだ。コンパイ・セグンドの最新録音『カジェ・サルー』(GASA=ワーナーミ ュージック・ジャパン WPCR-19015)には、クラリネット入りの演唱で入っているが、これは可もなし不可も なし。決定的名演名唱となると、96年録音の2枚組CD“Antologia de Compay Segundo”に収録の演唱をおいてない。

 

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