2003年1月3日 未(ひつじ)の年のはじめに
 今年は未年ということで、年の始めのラジオ番組で羊がテーマの曲をかけるべく探しまくったが、思うように見つからない。午年の昨年は馬がテーマの曲を特集したが、いい曲がありすぎて困ったのとは大違いである。キューバの曲にヤギがテーマの有名曲がいくつかあって、きっと羊の曲もありそうと勢い込んで探したが、見つけられなくてがっかりした。アンデス高原地方やアルゼンチンのパンパあたりのフォルクローレなら羊の曲がありそうと気を取り直して調べたが、リャマの曲はあっても羊のほうはいっこうに見つからない。曲目の提出日が迫るにつれ、だんだんナーヴァスになってきて、いっそのこと「メリーさんの羊」のレゲエ・ヴァージョンでもないかと探したが、これもダメ。“羊の曲やーい”と博識の友人たちに協力を求め、羊飼いや子羊がテーマの曲をご教示いただいたものの、肝心の羊の曲はノー。むろん羊飼いの曲もいいのだが、ずばり羊の曲が出てこないのでは締まらない。それにしても羊飼いの曲が少なからずあるのに、羊の曲がないのはどういうわけか。不審に思っていたのが、クリスマス・イブにその疑問が少し解けた。その日の夕方、友人に誘われてある教会の「クリスマス聖歌の夕べ」に顔を出し、入口でいただいたプログラムを見ているうちに意外な発見をしたのだ。主任牧師の英訳がSenior Pastor、牧師のほうがPastorとなっているではないか。帰宅してさっそく辞書を引くとキリスト教の用語で“牧師”とあった。それで子羊の曲が多いことにも納得がいった。要するに子羊は“迷える子羊”、すなわち人間のことで、牧師は彼らを導く存在=羊飼いなのである。
 ところで元旦の毎日新聞をみていたら、未年の未という字はもともと象形文字で“木に若い枝が伸びた状態”とあった。さらに未熟という意味と未来への可能性もふくんでいるとも。その未の子ともなれば、なお未熟だろうから羊飼いが必要ということか。
 結局1月7日の放送では、アリエル・ラミレス作曲の「ミサ・クリオージャ」から“神の子羊”が出てくる第5曲「アニュス・デイ」とブラジルのオス・チンコアンスの「ナナンの子羊」、メキシコのオスカル・チャベスの「羊飼いの若者たち」とキューバのアルセニオ・ロドリゲスの「女羊飼いの時計」の4曲を未年にちなんでかける予定でいる。いささか苦し紛れの感じもないではないが、ともあれ聴いていただければ幸いである。
 話は前後するが、未という字には未来への可能性という意味もあるというのならば、今年はそれに賭けて挑戦の年にしたいし、またそうする以外にこの国にとっても人にとっても活路は拓けないのではないか。政治も経済も社会もいまやほとんど無政府状態といって過言でない混乱状態にある。その昔、アナーキストとよばれた無政府主義者たちが国の既存体制の転覆を謀ろうとして暗躍した時代があった。よく言えば、根元から体制をかえて国を再生させようというわけだろう。しからばお国のほうから与えてくれた無政府状態というこのチャンスを活かさない手はあるまい。それには新しいリーダーが不可欠である。
 日本人は明治維新と太平洋戦争敗北後の2度にわたって改革を体験した。だが明治維新はお上から、戦後の改革も米軍を中心とする占領軍から与えられたもので、自分たちでかち取った革命ではなかったことを思い起こす必要があるだろう。さらに言うなら豊臣秀吉の“百姓は生かさず殺さず”という施策に懐柔されて身についた温厚な羊的な性格もこれまでの為政者たちを助けてはこなかったか?!そんな根性はいさぎよく捨て、いまこそ国民が自分たちの意志で真の独立をかち取り、みずからを解放するべき好機が到来していることを肝に銘じ、新しいリーダーを立てるべきだろう。核や爆弾や銃の力を借りずとも、まずは自身の意識を改革し、新しい価値観を持って立ち向かえば、それは可能なはずだ。

2003年1月31日 もはや銀行は庶民の敵というべきか。
 担保ない銀行に貸すノー天気。毎日新聞の人気欄「仲畑流万能川柳」の2003年1月9日付けで載った“さいたま 貸話屋”さんの佳句である。
 早朝ポストからとり出した新聞を持ってベッドに逆戻り。ねむけ眼で紙面を眺めていてこの句に出会い、目が覚めたというか、目からウロコというか、その指摘の鋭さに思わず唸った。長い間、銀行は潰れたりしないもの、家に置いておくと危険度が高いから大事な金品を預かってもらうところ。そんな認識を持ってきたが、最近の銀行にそんなイメージは全く当てはまらない。これではかねてから巷間で囁かれていたように、“ネクタイを締めた強盗”という過激な言い回しが真実味を帯びてくる。
 数年前にA銀行のキャッシュ・カードにひびが入ったので取り扱い銀行だった四谷支店に出向くと、消費税込みで1,050円いただきます、と言われてびっくりした。カードを紛失するとか、落ち度が自分にあるならいざ知らず、ひびが入ったのなら無料で取り替えるのがスジだと思うから納得できず解約した。それから1年ちょっとでめでたくその銀行の四谷支店が閉鎖になったときはさもありなん!と思ったものである。そしてつい先日のこと、今度はいま付き合っている銀行の法人用キャッシュ・カードにひびが入り、スタッフに銀行に行ってもらったら今度は消費税込みで2,100円也。もう文句を言う気にもならない。たかがキャッシュ・カードの再発行にそんなに手数料を取るというなら、少々寒いぐらいでヒビが入るようなシロモノは作るなよ。それにどこをどう押したら2,100円になるのか情報開示してもらいたいものである。
 それにつけても、いままで銀行はお金を預けるところだと思っていたが、そんな古い価値観は一日も早く改めないとひどい目にあうことになりかねない。公的資金などと分かりづらいことを言って、つまりは国から税金を投入してもらっておきながら、ペイオフとやらになったら元金1,000万円までしか保証しないなどと、盗人猛々しいことをほざいているヤカラの集団である。本来中小企業に回すべき数兆円だかの資金を貸ししぶったり貸しはがしたり当局の指導を受けている不届きな銀行もある。要するに、銀行側はいわゆる小中規模の利用者など顧客とはまるで思っていないわけだ。まさに冒頭の句のように、ぼくたちは「担保ない銀行に貸すノー天気」をやっていることを肝に銘じるべきであろう。
 先日もある人が某銀行のことをかってに「ウンコふんじゃった銀行」と呼んでいるという書き出しで、その悪徳ぶりを書いていて、ぼくは共感した。なんでも休日にどこかへ送金したそうだが、いったんは「お引き受けした」と器械の画面に出たのに、休日明けに銀行から電話があって相手の振込先が不明確で送金できないと言われたそうだ。ところが送金手数料と送れなかったお金の返金料をとられて、大憤慨というわけである。彼氏いわく、送れなかった金はそのまま器械のなかで休日を過ごしたわけだから送金も返金もヘッタクレもないというわけである。これは正しい、じつに完璧な指摘である。こんなことをやっているウンコふんじゃった銀行は早晩潰れるに相違ない、と予言しておこう。ぼくから2100円もふんだくった不届き銀行から「カードが出来ました」という通知が来たが、文面に勝手ながら1月31日を過ぎると破棄しますとあって唖然とした。金融庁はそんな銀行の馬鹿どもに一からサービスとはなにかを教えてやる必要があるよと言いたい。それに銀行&信金ウオッチャーのようなボランティア組織を立ち上げ、年に2度ほど各銀行&信金のサービス度・信頼度・不快度などを調査し、「預けては行けない銀行&信金」とか「出入りしない方がいい銀行&信金」を公表するというのはどうだろう。どこかの週間誌さん、この企画に乗りませんか?!

2003年5月1日 いよいよ5月20日、『ラテン音楽パラダイス』が文庫で復活!
 1992年3月にNHK出版から上梓された拙著『ラテン音楽パラダイス』は一時池袋リブロでベスト・セラーになるなど大好評。94年11月の第3版で14,500部にも達し、それをすべてを売り切ったのだから、入門書とはいえ音楽専門書の部類に入る本としては異例の好成績をおさめたことになる。それが入手困難になって久しい。
 そこで文庫化してもらえまいかと、99年10月に出版された『ラテン音楽 名曲名演名唱ベスト100』を手がけていただいた講談社の林重見さんに持ちかけたところ、快く引き受けてくださった。だが「新刊のベスト100」と平行して売りたいから、すぐにもリライトを!」という条件付き。しかし1冊完成させたばかりのぼくは疲れきっていて、仕事は進まず、やっと原稿がそろったのは1年後の2000年9月だった。ところが今度はゴー・サインがでないまま、いたずらに時は流れ、もうあきらめ始めていた矢先の今年2月半ばに、「ようやくゴーです」という吉報をいただいた。
 それからは2年半前にいったん完了した原稿にふたたび手を入れる作業に明け暮れる毎日。各章のアタマにおいたエッセイ部分はさほどいじらなかったが、データは新しいデータと差し替えたり、状況の変化に応じてかなり加筆したり。もっとも変えたのは各章の最後に載せた推薦アルバムの紹介欄である。NHK出版のときは163タイトルだった推薦アルバムが234タイトルと、約70点ふえた。しかも163点のCDにしても必ずしも当初のものと同じではなく、かなりのアルバムを新たに紹介することになった。
 ワールド・ミュージックも一時のブームはどこへやら。それにともないレコード会社が廃盤にしたアルバムが多い。しかしそんなメージャーに代わってインディペンデントが健闘。10年前とは比較にならないほどタイトル数が増えていたこともその要因である。それと文庫化にあたって“アルバム・バイ・ガイド”を売りにしたいという、ぼく自身の意向も強かった。そのためにぼう大な数のCDを聞き直し、ほとんど書斎にこもりっきりで一歩も外へ出ない日が幾日もある始末。体にいいわけがない。
 それに続いた校正がまた大変。色いろあったが、めでたく校了となったのが4月30日。やれやれ...というのが、いまの心境ながら、5月20日に書店に並ぶのが待ち遠しいという気持もある。書店だけでなく、ぼくがパラグアイから招く気鋭のアルパ奏者マルセーロ・ロハスとルシア塩満トリオのジョイント・コンサートの会場ロビーでも販売し、ご希望の方にはサインをするつもりなので、よろしくお願いします。ちなみに5月22日が東京王子(北とぴあ・つつじホール/19時開演)、5月23日が京都(パビリオン・コート/18時30分開演)、5月24日豊橋(カリオンホール/18時30分開演)、5月28日はつくば(カピオホール/18時30分開演)、5月30日が名古屋(熱田文化小劇場/18時30分開演)の各コンサートには、ぼくも同行します。そうそう、5月26日午前11時からマルセーロともどもNHK名古屋のテレビ番組「さらさらサラダ」に生出演しますので、中部地方の方はこちらもよろしく!
 それから6月22日午後2時から『ラテン音楽パラダイス』文庫化記念トーク&ライブ・スペシャルを東京銀座の十字屋ホールで開催します。元トリオ・デルフィネスのリーダーでいまは日本で大活躍のチューチョ・デ・メヒコを中心に、これまでぼくがプロデュースに関わったことがあるクリスティーナ三田、エルネスト河本、レイ・アルフォンソ正田のお三方にもして集まっていただき、ふだんはめったにお目にかかれない組み合わせで、ラテン音楽の名曲名演唱をたっぷり楽しんでいただこうという次第。
こちらにも乞うご期待!

2003年12月25日 激動の2003年も終わりが近づいて...
 もうひと月前のことになるが、11月23日(祭)のこと、ギターの佐藤正美さんのライブに顔を出してお喋りをするというイベントが久里浜であって、三浦半島まで出かけた。京浜地方に住む人でないとなじみがないだろうが、都心から行くと久里浜は横須賀の少し先に位置している。東京のチベットの麓に住むぼくは、八王子からJR横浜線、横浜から京浜急行へ乗り継いで1時間半ほどの行程である。電車にゆられながら、横須賀といえば目下の日本国首相である小泉純一郎の地盤だったっけなどと考えるともなく思いを馳せたり、うとうとしているうちに目的地についた。
 このイベントはヤジマレコードの篠原元彦さんの肝いりで実現したのだが、佐藤さんとも久しぶりにお会いできて素晴らしいギターもたっぷり聴けたし、ぼくがDJを担当しているNHK-FMラジオの番組をいつも楽しみに聴いてくださっている方がたも大勢会いに来てくださったりしてとても嬉しかった。なかにはわざわざ大阪から駆けつけてくださった人もおられて感動した。そのイベントの途中、いわずもがなとは思いつつも、「ここは日本州知事の小泉さんの地盤でしたよね。本当に困ったもんです。日本の国民のことは省みず、米国大統領への友情とやらで、イラクへ自衛隊を派遣しようというんですから...」とつい口をついて出た。一瞬ヤバイかなと思ったが、これが案外受けた。彼の選挙地盤だから、内心思っていても言えない。それをよくぞ言ってくれた!そんな雰囲気をぼくは感じて、自民党は次ぎの参院選挙を小泉では戦えなくなるだろうと思ったりもした。
 ところで、イラクを巡るニュースで、テロという言葉をひんぱんに耳にし目にするが、あれをテロだと思っているようでは情勢分析を間違う。NYCの貿易センタービルへ飛行機で突っ込んだ行為は間違いなくテロだが、イラク国内で頻発する自爆行為はテロなんかでなく歴然たるレジスタンスと見るべきであろう。フセイン大統領が捕まった後も、自爆や奇襲作戦でイラクの人たちが回復しようとしているのは、侵された主権であり尊厳である。いまだに発見されることのない、つまりありもしない大量破壊兵器なるものを見つけるためだと言いつのり、たとえ相手が独裁国家だとしても、イラクを不法に侵略することは国際法上も許される行為ではない。米国が世界のポリスを自任するのは勝手だが、彼らの学習能力の欠如には唖然とさせられる。ベトナムで蚊トンボのようなホー・チン・ミン率いる北ベトナムを倒せなかったのはなぜか。そのことを米国人はいま一度思い起こすべきである。ブッシュ大統領は早ばやと戦争終結宣言を出したが、その後にイラク国民のレジスタンスゆえに亡くなった米兵の数はそれ以前をはるかに越え、今も増え続けている。この事実は戦争は終わってなんかいないことを如実に物語っている。イラクは確実にベトナム化し、米兵や協力国の兵隊も民間人はますます狙い撃ちされ、死者は増え続け、やがて厭戦気分が世界をおおうことだろう。米国の若い兵士たちには気の毒だが、テキサスの石油マフィアの傀儡のような大統領を選んだのは、他でもない米国の民なのだから、そんなブッシュが嫌なら彼を大統領の座から引きずり降ろすのは米国の民をおいてない。同様にそんなブッシュにひたすら追従するしか能のない小泉にやりたい放題やらせておくと、冗談ではなく日本は確実に米国の州と化すこと必至である。そんな小泉を後生のためにもその座から引きずり降ろさなければならないときが来ているとして、それを実行しなければならないのは、彼や自民党を長年のさばらせてきたわれわれ日本国民であることは自明である。いよいよ決断の時が近づいていることを万人が自覚すべきである。2003.12.25.
 

2004年4月26日 音楽にとってグローバライゼーションは最悪の事態
 (いろんなことがあって、この半年ほどの間、「言いたい邦題」を休んでいましたが、大勢のかたがたから新原稿を期待しているとのメールをいただき、なんとか頑張ろうという気持ちが湧いてきました。そこで再開です。どうぞよろしく。敬白 )

 去る2月半ばから久しぶりに国外に出た。1年8か月ぶりのメキシコと5年ぶりのペルーへの旅だった。いつもならLA経由でメキシコに入るのだが、今回は米国へのささやかな抵抗を示すべく米国へ寄る便をさけ、カナダ経由でメキシコまで直行するJAL便を選択。成田からヴァンクーヴァーまで約11時間、そこで1時間半ほどのトランジット。さらに5時間ほどのフライトでメキシコ市に入ったが、体は思ったよりラクだった。
 トランジットの間、ガラス張りの大部屋に“隔離状態”で、免税店を覗くこともままならない。例のセプテンバー11の後さえ、これほど神経質ではなかったと思うが、今回のイラク侵略以後はテロを恐れてか、この有様で、不自由ったらありゃしない。
 メキシコでもペルーでもレコード店が閉店したり、レコード会社が倒産したりといった暗いニュースが多くて、暗澹たる気持ちになった。昨年末にはヴァージン・レコードの新宿店・八王子店・福岡店が閉店。また旅に出る前にはレコード量販店の元祖のような米国タワー・レコードが倒産の報にも接していたので、予期しないではなかった。だがメキシコ市で大きく17店を展開していたメルカード・デ・ディスコ(レコード市場、の意)の閉店に直面しショックを受けた。その数日後、ペルーのリマでは、イスパノス社についでインデペンディエンテ社が倒産したことを聞かされ愕然とした。
 なぜそんなことになるのか。答えは簡単である。CDを発売しても、コピーされてしまうため、売上はかつての50から70%減にとどまっているのだ。リマあたりではコピー屋があって、このCDからこれとこれ、こっちのCDの1曲目と3曲目、といった具合に希望のソフトにダビングしてくれるのだ。これではまともなCDが売れるわけがない。著作権やクリエーターの知的財産権などまったく無視して利益を上げる行為は泥棒なのだが、奴らにも利用者にもそんな自覚はない。でも、そのような短絡した方法で音楽を聴いていると、リスナーにも確実にしっぺ返しがくることを声を大にして言っておきたい。たとえば倒産したインデペンディエンテ社を代表する人気歌手だったエバ・アイジョンは国際資本の某社に拾ってもらえたが、大半のアーティストは引き取ってもらえる先もなく、今後アルバムを発表できるチャンスはまずないだろう。ということはCDを購入する側にとっても選択肢はぐんと限られてくることになる。いっぽう国際資本のメジャーのレコード各社はいずれも熱心な利益追求集団でしかないから、売れる(あるいは売れると思われる)ものはリリースするが、そうでないものは切って捨てる。つまり彼らの世界的な販売戦略にみあうアーティストやグループのアルバムだけが発売されるというわけである。
 そんな事態になれば、どこの家でも、マスセールされる音源しか聞けなくなること必至である。そのような状況になれば、あなたはどうしますか!? いつも言うことだが、いい音楽はそのバックグラウンドに地方性や民族性をしっかりと内在させているものである。その意味ではグロバライゼーションとは正反対の立場にあるわけで、音楽のグローバル化などというものは唾棄すべきものだとぼくは思っている。それにつけても、一人ひとりがさしたる罪の意識もなく安易にコピーして音楽を聴くという行為は、そのグローバル化をうながし、多くのアーティストの首を絞め、さらに音楽愛好家自身の首をも真綿でゆっくりと締め付けていることを認識すべきだと思うのだが、どうだろう。(2004.04.26.)

2004年5月12日 輸入盤制限にもの申す
    時代に逆行する“音楽鎖国”... 輸入盤制限に絶対反対!
 なんとも不可解な話である。農産物であれ、鉄製品であれ、自動車であれ、自由貿易が主潮になりつつある時代に、日本は音楽CDなどの輸入権の禁止ないしは制限をおこなうべく国会で審議が進んでいるという。「それ、なんのこっちゃ?」といぶかる向きも多いだろう。要するに外国からの音楽CDややレコードの輸入をほぼ禁止しようというのである。なにゆえに?!
 日本で制作される売れ線の音源や映像を持ち出し、台湾や香港などで低価格でコピー製品を製造し、それを日本に逆輸入してオリジナルと較べて破格に安く売る。そんな不届き千万なことが横行していることはご存知のかたも多いと思う。これではお金をかけて音楽CDやDVDを制作販売している側はたまったものじゃない。その印税を受け取れない歌手もそうだが、著作権にかかわる作曲家・作詞家たちもその権利を踏みにじられるのだからやっていられない。そこで、そうした不法な音楽CDやDVDの輸入を制限ないしは禁止しようということで、その法制化が検討されるようになったと聴く。これは理解できる。
 ところが、いつの間にか話はすり替えられたか、拡大解釈され、いわゆる輸入盤はまかりならぬという方向へ行っていたのである。たしかにメジャーとよばれる大規模のレコード会社が海外の同系列会社の音源をもとに邦盤をリリースするとき、その数ヶ月前にその米国盤が輸入され輸入盤を手広く扱う大型レコード店の店頭に並ぶことは日常茶飯事である。解説などさして必要のないアルバムの場合など、日本盤の登場を待つまでもなく輸入盤を買う人は少なくない。早く聞ける上に、邦盤よりやすいのだから、ファンが飛びつくのも無理もない。だが遅れて邦盤をだすことになる日本のメジャーは面白くないわけで、しかるべき筋に働きかけて、不法なコピーCD同様に、すべて輸入禁止に持っていこうとしたと想像できる。ぼくはこの問題を回送されてきた音楽ライターの小野島大さんの一文で知ったのだが、その一部を引用したい。
 >「著作権法の一部を改正する法律案」(閣第九一号)を巡る問題に関してです。すでにネットあるいは一部マスコミ報道などで話題になっているのでご存知の方も多いと存じます。簡単に言ってしまうと、そもそもアジア生産の安価な邦楽CDの環流阻止のための法案が、文化庁によって本来の趣旨がすりかえられ、洋楽CD、アナログ盤の並行輸入の禁止もしくは制限にも適用される危険性がある、というものです。これは日本の音楽文化の活性化を妨げかねない事態だと考えます。
 同感である。もともと世界のメジャーが製造販売する音源にさほど興味深いものがあるわけではないが、メジャーが商業路線を突っ走るようになってからは益ますこの傾向が強い。いつの時代でもそんな現状に飽きたりないアーティストが現れては、試行錯誤のなかからアルゴ・ヌエボ(新しいなにか)生み出そうとし、いわゆるインディペンデント(独立系)のレコード会社も、お金のないぶん知恵を絞って、そうした動きをサポートしてきたのである。したがって玉石混淆であるにしろ、後の時代をリードするような新しい音楽の潮流のゆりかごになってきたといっても過言ではない。メジャーが文化庁の関係各所に働きかけるのは勝手だが、彼らと無関係の海外のインディペンデント(独立系)のレコード会社のCDまでも輸入禁止にしようというのは僭越であり、だいたい独占禁止法にもふれるのではないか。その悪法「レコード輸入権」の衆院通過が6月に迫っているという。時代に逆行する“音楽鎖国”の道を歩むことになりかねない動きはなんとしても阻止しなくては、先進文化国家などという看板が泣くというものである。(2004.05.12.)

2004年5月15日 責任者たちが地獄に堕ちても、死者は浮かばれない
  三菱自動車の先行きがきわめて不透明になってきた。いわゆる存亡の危機である。ことが顕在化しはじめたのは2年4ヶ月前に遡る。同社製の大型トレー ラーの車輪がはずれ、それに直撃された横浜市の岡本紫穂さんとその子供2人が死傷した。それは整備不良のせいだと三菱側は言い逃ようとしてきたが、設 計・製造段階からの不首尾のだったことをどうやら隠しきれなくなったというわけだ。その事故の前からも、その後にも、同じことに起因する60件近い車輪 脱落事故があったというから、これはもう犯罪以外のなにものでもない。それも確信犯である。クレームが相次いでリコール騒ぎとなると、いうまでもなく莫 大な経費がかかる。だからそれを回避するための事実隠蔽だったわけだ。
 神奈川県警は、同社の大型自動車部門の最高責任者で三菱ふそうトラック・バスの前会長だった宇佐美隆氏らを逮捕した。連行される同氏の顔をテレビで見 たが、あまりにも人間離れした醜怪なその容貌にぼくは吐き気をもよおした。その後、新聞で彼が「豪胆な性格」で「辛辣な物の言い方をし、部下を遠慮なく大声で怒鳴り飛ばした」りし、彼がトップにたって以来「社内自由な議論ができなくなった」という批判も陰でささやかれていたらしいこを知った。こういう人間として不出来なヤカラはめずらしい存在ではない。ぼくも13年足らず会社勤めの経験があるが、程度の差こそあれ、そんな手合がいたことを思い出す。そんなヤツに権力のある上司になられたら、これはもう「オー・人事、オー・人事」とばかりに、転職先を見つけるっきゃないだろう。ともあれ宇佐美氏ととも に、三菱自動車の元常務の花輪亮男氏が道路運送車両法違反(虚偽報告)の容疑で逮捕され、さらに5人が同容疑、そのうち2人は業務上過失致死傷容疑でも 逮捕された。
 現代社会にとって車は不可欠であることは言うまでもない。だが車に不首尾があれば乗っている者はその命をも落としかねない。周囲を走行する車に被 害が及ぶこともあれば、前述の横浜の母子のように死傷事故に巻き込まれるような事態を招くこともある。したがって三菱の場合も速やかにリコールをかける のが社会的責任であるのに、そうはせずにごまかして逃げおおせようとしたのだから、断罪されてしかるべきである。今回の逮捕劇に先だって、同社の大株主 であるドイツのダイムラー社はいったん検討していた増資を引き受けないことを表明。いまにして思えば、ドイツ側は早晩捜査の手が伸びて真実が明るみに出 ることになれば、もはやどうしようもなくなることを察知し、手を引いたに違いない。それによって生じる増資の不足分は主力銀行や三菱グループが穴埋めす るだろうという見方もあったが、ここまで腐りきった内情が明るみに出た以上、もはやそれさえむずかしいのではないか。
 パリ〜ダカールの自動車ラリーで、三菱のパジェロは何年にもわたって華々しい成果をおさめ、三菱の名声は世界に轟くことになった。だが長い間かかって 築き上げた名声も一夜にして失墜というわけだ。逮捕された連中が先行き地獄に堕ちよう一向にかまわないが、とは言ってヤツらのせいで命を落とした人たちが報 いられるわけではない。せめて願わくは会社の存続ができなくなり、5万人近い従業員が路頭に迷いかねないような事態だけはなんとしても食い止めてもらい たいと思うこと切である。(2004.05.015. )

2004年12月15日 "ブッシュのポチ”の国では、なんとトマトが1個260円ですぜ!
 クリスマスや年末年始が近くなると、食品や食材が値上がりするのは毎度のことだが、それにしてもトマト1個が260円也の値札を見たときは仰天した。つい先日のレタス1個が600円というのも異常だったが、あのときは風水害の影響があったというから理解できなくない。去年あたりからのトマトの高値安定にはなにか策略めいたものを感じるのだが、実際のところはわからない。そのくせイタリアントマトの水煮缶詰400gはおおむね80円前後で、安いときは70円を切ることもある。以前にも書いたことだが、桃太郎などという甘くてまずいトマトが幅を利かすようになってからトマトのサラダを食べる習慣もほとんどない。ぼくはトマトはもっぱら煮込みに使うだけなので、安いトマ缶で充分なのだが、それにしても1個260円也のトマトを買う人がいることに驚く。
 メキシコなども物価は上がってはいるが、それでも大抵のものは日本の10分の1程度の値段である。つまり日本で100gのものが同じ代金で1kg買えるということである。そのメキシコからアボカド(ラ米では abocadoというのは弁護士のことで、aguacateが日本で言うところのアボカド)が大量に輸入されてスパーマーケットの目玉商品になっていることが多い。それとて1個が100円前後だというと言うとメキシコ人は信じられないという顔をする。トマトが1個米ドルで2ドル超だぜなどと言おうものならメキシコの庶民は仰天のあまり失神するのではないか。
 日本国の借金は途方もない額になっているというが、聞いた話だと年収400万の家庭が800万の借金を背負っていて、その額はますます増えているのだという。それでいて、1個250円の一瞬トマトにたじろぎつつも、「ま、いかか」と手にとってかごに入れる人が少なからず存在することが不思議だし、そんなものは買わないとぞと日本の主婦は不買運動をなぜ展開しないのだろうと思う。
 この季節、必需品となっている灯油にしろ、一時は55米ドルを越えたがゆえに「今年は高いですよ」ということになっているのだが、ニューヨークの相場は40米ドルを切るかもというところまで下落しているのだ。そもそも以前のオイル・ショックに懲りて備蓄だってしているわけだし、ニューヨークの相場を種にして「スワッ!千載一遇のチャンス」と値上げしたような気がしてならない。
 まっとうな政治家がこの世から姿を消して久しい。蔓延(はびこ)ってるのは政治屋ばかりである。橋本“一億円”兄弟の例を持ち出せばよく分かるように、やつらが国益や国民のためを思ったり、県益や県民のためを思って、政治をやっているなどと、いまや誰一人として思わないだろう。それにしても、可哀想な日本であり、日本国民である。
 政治技量のほどはいまだよくわからないが、かのオバサン議員は、もしコピーライターになっていたら、おそらくその業界を制していたに違いいないと、最近いたく感心した。かの“ブッシュのポチ”発言である。森喜朗“宴会”前総理のことを“シンキロウ”と読んでみせたのもそのオバサン議員だった。森前総理が首相職を辞したとき、ぼくは「回想録ムリでも、書けるかな東京料亭ガイド」などという字余りの一句を餞(はなむけ)に作ったのだが、どこにも発表せずじまい。そんなぼくだから「米国の51番目の州知事」などと回りくどいことを言っていたのだが、“ブッシュのポチ”には「いやぁ、参った」である。ともあれ、“ブッシュのポチ”にうんざりしながら、「でも、代わりがいないからなー」と嘆息するしか能がないなんて。マジギレして一度民主党に国の舵をとらせるようにしてみたらとも思うのだが、どんなもんだろうか。(2004.12.15.)
 

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