スペシャルウィークと私
−編集後記−

こうして全ての写真を並べて見て思ったのは、
「ああ、もう競馬場でスペシャルウィークを見ることはないのだな・・・」
という寂しさと、このような歴史に名を残す馬を直に見ることが出来てよかったという嬉しさです。

私がスペシャルウィークの存在を知ったのは確か皐月賞で3着になった頃かと思います。そして、東京優駿の入場券が手に入ったので観に行った、それが彼との出会いでした。
あの5馬身差という圧倒的な強さに、競馬を生で観戦することがなかった私はすっかり魅了されてしまいました。

そして菊花賞、あのサイレンススズカの悲劇の翌週ということもあって、鞍上が同じ武豊騎手、そして父も同じサンデーサイレンスという組み合わせに、
「サイレンススズカへのはなむけに、ひょっとしたらやってくれるのではなかろうか・・・」
と、根拠のない思い込みをしてしまいました。結果は惜しくも2着でしたが、惨敗でなくて良かったとも当時は思ってました。

打って変わって明け5歳のAJCC、調教駆けしなかったくせに楽に勝ってしまい、おまけにペリエ騎手に
「Lazy(ズブい)」
と言われていたのを知って、なぜかストライクイーグルのマネをしたようで笑えたものです。

私に初めて馬券を取らせてくれたのもスペシャルウィークのおかげでした。
天皇賞(春)、セイウンスカイ・メジロブライトとの3強対決とあって、
「これは3強のボックス買い以外はない!」
と確信していたんですが、本当にそのとおりになり、おまけにその3頭の中でも特に応援していたスペシャルウィークが勝ったのが何よりの配当でした。
ちなみに、私と単勝馬券の相性は最悪と教えてくれたのもスペシャルウィークだったというのも事実です。
私は過去に菊花賞・宝塚記念と2回スペシャルウィークの単勝を勝って応援していましたが2回とも2着に完敗したのを見て、本当に好きな馬の単勝は買えないなと思い知ったものです。

海外遠征ですが、これだけの馬なのだから宝塚記念の結果にかかわらず行くべきだったと私は思ってます。
その後の天皇賞春秋連覇や、ジャパンカップ勝利による世界の賞金王戴冠というシナリオが国内で展開されたことで溜飲が下がる思いでしたが、これでもしジャパンカップにモンジューなど有力外国馬が出てこなかったらその思いはもっと強かったでしょう。

天皇賞(秋)ほどレース前最悪の気分で観戦したレースはありませんでした。
西村真悟(私はこの人物を心底侮蔑しています)の国会議員にあるまじき「核武装・強姦魔」発言に激怒し、某大生の女子中学生強姦事件にさらに怒りを強くし、そしてとどめがスペシャルウィークのピークは去ったという推測。
「どうせ負けるならスペシャルウィークと一緒に馬券も惨敗(ちゅど〜ん)してやる!」
とやけを起こしてスペシャルウィークから流したのですが、結果はレコード勝ち。
惨敗したのは私だけ(?)でしたが、このレースほど、競馬で気分がすきっとしたことはありませんでした。ひょっとしたら今後こういう体験は一生出来ないかもしれません。

これほど熱くさせてくれる馬、つまり私にとっての第2・第3のスペシャルウィークを探し求めるのが、これからの私の競馬観戦のあり方になることでしょう。

この場を借りて、スペシャルウィークの生産・育成・調教・出走にかかわった全ての方に厚く御礼申し上げ、締めくくりとさせていただきます。


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