スペシャルウィーク
−王道を歩み続けた強さ−

生まれと血統)


1995年5月2日・日高大洋牧場(沙流郡門別町)生まれ、牡馬・黒鹿毛。
父:サンデーサイレンス(Hail to Reason系)
母:キャンペンガール
母の父:マルゼンスキー(Nijinsky系)

父のサンデーサイレンスは言うまでもない、日本競馬史上最強の種牡馬。
母のキャンペンガールは父にマルゼンスキーを持ち、また母系を遡ると1907年に日本に輸入された、日本3大牝系の祖・フロリースカップへとたどり着く、文字どおりの「日本馬産史の正当な継承者」。
ちょうど、彼の血統的意味合いとしては、これまた日本の古い牝系を継ぐ1993年ダービー馬・ウイニングチケット(父:トニービン)のサンデーサイレンス版とも言えるのである。


生い立ち)


母・キャンペンガールは出産の1ヶ月前から疝痛(せんつう:腹痛のこと)に見舞われ、彼を産んで程なくこの世を去った。
以後、スペシャルウィークの背景にはどこかしら悲壮感がついてまわることになろうとは・・・。

母を亡くした彼は農耕馬の乳母のもとで育てられることになるが、この過程で面白いことが起こる。
サンデーサイレンスについては言うまでもないのだが、キャンペンガールも気性の荒い馬だったという。その2頭の仔だけに、どんな気性難が産まれるかとも危惧されたのだが、彼の気性は穏健。乳母に預けられたのが影響を及ぼしたのだろうか。


育成)


社台ファームグループの一大育成拠点・ノーザンファーム空港で3歳の5月から調教が始まった。
そして入厩先は’95年オークス馬・ダンスパートナーで既に実績のある白井厩舎。そこで後に主戦騎手になる武豊騎手に出会う。 その秘めた実力は名ジョッキーを興奮させるものだった。
デビュー戦1週間前の追い切り後、未出走の彼について、
「どこまでも止まらない感じがする」
「(ダンスパートナーの全弟で’96年菊花賞馬)ダンスインザダークの雰囲気に本当によく似ている」
と、報道陣に語っている。
ちなみにその新馬戦だが、もちろん勝利でデビューを飾った。


順風満帆)


きさらぎ賞・弥生賞と重賞レースを連勝し、実績的にも実力的にもその年の4歳馬の中では抜けた存在だった。
しかし、クラシックの第1冠・皐月賞ではいささか勝手が違った。
馬場の悪いところを通らざるを得ず、最後の追い込みも届かずセイウンスカイ・キングヘイローに続く3着。見せ場だけに終わった。98年クラシック3強の戦いの序章はこうして幕を閉じた。
それでも、距離が伸びて2400mで争われる東京優駿では1番人気になる。
最終コーナーで外に持ち出し、残り200mあたりで先頭に立つ。
最後は2着・ボールドエンペラーに5馬身の差をつけて、ついに1995年生まれの国産サラブレッド9049頭の頂点を極めた。

余談になるが、同年9月27日、ナリタブライアンがわずか8歳で急逝してしまったのだが、
「これまで乗った中でもブライアンが最高の馬」
と弔辞を述べた武豊騎手が、
「ナリタブライアンを超えるかもしれないすごい能力を、スペシャルウィークはまだ秘めているような気がする」
とも、この時点で語っていることは注目すべきであろう。


惜敗、そして再びの悲劇)


秋の復帰第1戦・京都新聞杯こそ勝ったものの、菊花賞はセイウンスカイの逃げを許し、2着に破れた。

それから中2週という、苦しいローテーション、おまけにアドマイヤべガ(1999年ダービー馬)の斜行により主戦・武豊騎手は騎乗停止、岡部幸雄騎手の代打騎乗(一般に代打騎乗は騎乗する騎手がいくら名手でも、必ずしも良いとは言い切れません)ではあったが、ジャパンカップではエルコンドルパサー・エアグルーヴに続く3着と善戦。

さすがに疲労の色は隠せず、有馬記念を回避した矢先の1998年12月15日、生まれ故郷の日高大洋牧場の厩舎が炎に包まれ、その中にいた20頭中19頭の繁殖牝馬が犠牲となった。その中には、姉・オースミキャンディも含まれていた・・・。
これを知ってかどうかは知る由もないが、復帰戦であるアメリカジョッキークラブカップから、再び彼はターフを席巻する。


強いダービー馬・再び)


アメリカジョッキークラブカップでは、代打騎乗のオリビエ・ペリエ騎手に
「Lazy(ズブい)」
と調教で評されながらも3馬身差の楽勝。
阪神大賞典では前年の天皇賞(春)の勝ち馬・メジロブライトを2着に破り、ついに古馬最高の栄冠、天皇賞(春)に挑む。
行きたがるところもあったが結局は他馬を圧倒、皇帝・シンボリルドルフ以来久々のダービー馬の天皇賞・春制覇だった。
ダービー後にGI勝利を収めたダービー馬ということでもナリタブライアンまで、5歳以上でのGI勝利となるとさらにトウカイテイオーまで遡る必要があり、久々の
「強いダービー馬」
をファンに見せつけた。
そして、奇しくもこの日は5月2日。満4歳の誕生日でもあった。


誰かに似ている?)


ズブい。調教と実戦がなかなか結びつかない。
古馬になってからの彼はなかなか調教駆けしない馬だった。
そんな特徴を持つ架空の馬に覚えがないだろうか。
そう、「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」に出てくるステイヤー・ストライクイーグルである!
さて、これを皆様はどう見るだろうか・・・。


暗雲)


ファン投票1位で出走した宝塚記念。相手は前年の有馬記念の勝ち馬・グラスワンダー。
それまでの春のレース3戦と同様、先行して相手を制するレース運びに出たが、結果はグラスワンダーに3馬身差をつけられての完敗。
この完敗で、レースの前に持ちあがっていた凱旋門賞遠征・フランスでエルコンドルパサーとの日本馬頂上対決という話は夢と潰えてしまった。

休養のためノーザンファーム空港に放牧に出されたが、1999年の夏は北海道ですら異常な暑さだった。その暑さが多くの馬を苦しめた。スペシャルウィークすら例外ではない。
暑さを嫌って予定より早く栗東トレーニングセンターに帰厩したが、体調はすぐには改善しなかった。

関西での最終レースとなる京都大賞典、連対(1・2着に入ること)しないはずのないメンバーではあったが、まさかの7着。
これまで入着率(3位以内の入線確率)100%を守ってきた優等生最大の汚点。
天皇賞(秋)に向けて体調の回復が図られたが、なかなか回復の兆しは見られない。
直前追い切りでも格下の馬・アラームコールの先着を許し、ピークは去ったと思われた・・・。


復活)


そして天皇賞(秋)当日。
スペシャルウィークの馬体重はなんとマイナス16kgの470kg。普通の馬であればこれは致命的な体調不良を意味する。必然的に人気は下落、最終オッズでは4番人気であった。
不調説が圧倒的の中、これまで先行して最後伸びを欠いたという敗因から、鞍上の武豊騎手は最後の直線での末脚勝負に賭けていた。

作戦は見事功を奏し、大方の不安を吹き飛ばしてのレコード勝ち。
1988年のタマモクロス以来2頭目となる、同一年度春秋天皇賞連覇。
ダービー馬がこのレースを勝つのは三冠馬・ミスターシービー以来である。

天皇賞(秋)でのウィニングラン


結局のところ、マイナス16kgは賢い馬のみが行う、馬自らによる調整だったのだ・・・としか言いようがない。
もちろん、白井調教師以下スタッフの減量策もあったのだが。


世界の頂点へ)


この年は同期の外国産馬・エルコンドルパサーの海外挑戦が注目を集めていた。
そして、ジャパンカップには、そのエルコンドルパサーを破って凱旋門賞を制したモンジューらが挑戦してきたのである。宝塚記念での完敗で夢と散ってしまった海外遠征だったが、海外馬に挑戦する機会が相手側から転がり込んできた。前走、天皇賞(秋)激走の反動も全くなく、体調も万全。

一方ライバルはというと、グラスワンダーは脚に不調をきたして出走回避、セイウンスカイも天皇賞(秋)でゲート入りを嫌ったことによりペナルティーを課されて出馬できなくなり、エルコンドルパサーもその日に引退式。海外馬をただ1頭で迎え撃つ、そんな構図になっていった。

1番人気こそモンジューに譲って自らは2番人気だったものの、道中は楽に走った挙句最後の直線で抜け出し、結果はモンジューらの追随を許さない圧勝。

ジャパンカップ・ゴール前50m付近


この時点でナリタブライアンの有していた最多獲得賞金のJRA記録を破り、賞金王の座も獲得。
円・ドルの通貨レート次第で世界一の賞金王・アメリカのシガー(999万9815米ドル)をも超えることも出来る位置に立った。 (シガーが現役の頃のレートは$1=¥115、スペシャルウィークがジャパンカップを勝った時は$1=¥102です)


東京競馬場と万馬券)


東京での戦績は4戦3勝、3着1回。
その全てがGI、おまけに勝ったレースは3戦とも皆万馬券であった!
スペシャルウィークが不人気の馬であったということは決してない。もちろん上位人気である。しかし、なぜか決まって人気薄の馬が2着に食いこんできたのだ。これはいったいどういうことだったのだろうか・・・。
いずれにせよ、「事実は小説よりも奇なり」ということだろう(笑)。


最後の舞台)


ジャパンカップを圧勝したあとも体調はいたって良好。そして引退レースの有馬記念に挑む。
ファン投票はグラスワンダーを7000票弱の差で抑えて堂々の1位。調教においても、天皇賞(秋)、ジャパンカップと激走してきた反動は見られなかったどころか、好タイムをたたき出す有様。
そして迎えた12月26日。
超スローペースの中、ライバル・グラスワンダーをマークしながら最後方からの競馬。そして3コーナーからの得意のロングスパート。
ゴール前でグラスワンダーを差しきったかに見えたが、首の上げ下げで惜しくもハナ差(わずか4cm)2着。

有馬記念ゴールの瞬間


引退レースを優勝で飾ることは出来なかったものの、内容的には最後の3ハロン(600m)のタイムはメンバー中最速の34秒5と、非のつけどころのない走りっぷりであった。いや、むしろ勝ちにも等しいものだった。事実、グラスワンダーの鞍上・的場均騎手も負けたと思ったそうだ。
武豊騎手の「競馬に勝って勝負に負けた」というこの時のセリフは、けだし名言であろう。


2場所で引退式)


かつて、シンザン、オグリキャップ、スーパークリーク、ナリタブライアンの4頭が東西2場所での引退式を行った。そして、スペシャルウィークもその2場所引退式の栄誉に浴することになった。
京都競馬場では1月5日、中山競馬場で1月6日という駆け足日程、しかも平日ではあったが、多数のファンが引退を惜しんだ。
特筆すべきは中山での引退式当日の天候。その日は朝から雲が垂れ込めていたのだが、式を前にパドックでの周回が始まる頃になって突然晴れ間が大きく広がり出し、式が終わってしばらくしたらまた曇ってきたのだ。

ファンとしては、東での引退式はGI勝ちのない中山ではなく、GI3勝をあげた東京競馬場でやってくれれば・・・というのが偽らざる本音だったのだが、早く社台スタリオンステーションに落ちつかせたいという馬主側の希望には逆らえない。


データ)


馬主)
臼田浩義氏(後に吉田照哉氏などが加わっての共同所有)
厩舎)
白井寿昭厩舎(栗東)
騎手)
武豊、岡部幸雄、オリビエ・ペリエ

戦績)
17戦10勝、2着4回、3着2回

収得賞金)
10億9262万3000円  (¥28088/m)

重賞勝利)
きさらぎ賞  (GIII:1800m)
弥生賞  (GII:2000m)
東京優駿  (GI:2400m)
京都新聞杯  (GII:2200m)
アメリカジョッキークラブカップ  (GII:2200m)
阪神大賞典  (GII:3000m)
天皇賞(春)  (GI:3200m)
天皇賞(秋)  (GI:2000m)
ジャパンカップ  (GI:2400m)


そして未来へ)


天皇賞(春)勝利後から既に総額12億円の種付けシンジケートが組まれるほど、種牡馬候補としての期待は高かった。 その後天皇賞(秋)・ジャパンカップと史上初の連勝、有馬記念も好走したことにより、期待はますます高まるばかりである。特に天皇賞(秋)をレコード勝ちしたことは、良質のスタミナのみならずスピードも兼ね備えていることの証明として、彼の価値を高めている。
生産者側も、ファンも、サンデーサイレンスの後継として、内国産種牡馬の期待の星として、「特別な週」の続きを見たいというのが共通かつ最大の願いであるといえよう。産駒のデビューは2003年。そう・・・、

「特別な週」は2003年、第2幕が開く。


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