春ある国に生まれ来て-14》
賑やかにさえずる雀の声で、サンジは目を覚ました。
障子紙を通した朝の光は四方に拡散して、柔らかく室内を満たしている。
昨夜の熱の名残は霧散して、しんと冷えた空気がぴたりと自分たちを包んでいた。
そっと隣に眠る人を見る。
深い呼吸はそのまま眠りの深さをあらわしていて、昨日の女医が指摘したとおりなら、幾日振り目かの安らかな眠りだ。
紅く涙の後が残る目尻を見れば、それを誇る気にはなれなかったが、それでも愛おしい人がこうして気負わずに側にいてくれるのは、嬉しい。
そのまま寝顔を見ていたかったが、一度目が覚めてしまうと、どうにも煙草が欲しくなった。朝、起き抜けの煙草が一番おいしい、と言い出したらニコチン中毒もかなり進行している、と聞いたことがあるが、サンジに言わせれば「何を今更」としか思えない。
とはいえ、ゾロを起こすのは本意ではないし、まだ当分目を覚ましそうもないから、サンジは細心の注意を払って布団から抜け出した。
身じろぎもしないゾロはよほど深く眠っているらしい。気の済むまで寝かせてやろうと、サンジは部屋を後にした。
庭に下りれば、まだ春とは言いきれない気温に、ぶるりと身を震わせる。
それでも、静かな空気の中に確かな緑の息吹を感じてサンジは天を仰いだ。
どこからか、朝食の準備をしている香りが流れてくる。
思いがけないほど近くに迫る山々は、ゆっくりと、しかし確実な力強さで季節の目覚めの準備をしているかのようだった。
サンジは、煙ではない白い息を吐いて、一度取りだした煙草の箱をポケットに戻した。
「サンジ君、おはよう」
「うわっ」
いきなり背後から声をかけられて、サンジは飛び上がった。
柔和な顔に笑みを浮かべて、コウシロウが立っていた。その手には引き綱が握られていて、足元では茶色の犬がじゃれついている。
「あ……お、おはようございます。お散歩ですか」
「うん、朝の散歩は私の役目でね。サンジ君、早いですね」
「雀に起こされました」
慣れない人には賑やかでしたか、と言ってコウシロウは笑みを深くした。
「ゾロは?まだ寝てるの?」
「あ、はい。起こさなくてもいいかと思って……」
知られるはずもないのに、何だか後ろめたいような気になって、サンジはどぎまぎと目を伏せた。
「そう、ちゃんと眠れているのなら良かった。元々あの子はよく寝る子だから」
そう言って何度もうなずくさまに、くれはが何かを伝えたのかも知れないと思った。そういえば、この温厚な人は、昨日もゾロの不調を気づかっていた。
「──君が来てくれて良かったですよ。ありがとう」
優しげな笑顔を向けられて、良心がちくちくと痛みを訴える。
いや、別に、と口の中でだけもぞりと答えた。
「あ。あの、昨日は草もちありがとうございました。くいなちゃんに、わざわざ届けてもらっちゃって……」
「何か失礼はしませんでしたか?」
生意気盛りと言うんでしょうか、近ごろなかなか手に負えないんですよ、と、コウシロウは一介の父親の顔でそう言った。
「いいえ、さすがにしっかりしてますよね。ゾロのことをとても心配してましたよ」
「ああ……あの子はゾロに懐いてますからねえ。あの子たち、と言うべきかもしれませんが」
「ええ、オレにもよくわかります」
ゾロ先生を連れていかないで、と真摯な瞳で訴えた少女を思いだした。
指切りを交わしたあの約束をどうするか、まだゾロには話していない。
過去を振り切ることで頭が一杯で、これからのことは、何一つ考えてもいず、言葉にもしなかった。
ゾロは本当にここを離れるつもりなのだろうか。
彼を慕う子供たちも、彼を受け入れた人たちもを置いて──?
もちろん、それはゾロの決めることであって、サンジが口を挟む筋ではないが、「あの子らはどうするんだよ」くらいのことは言ってみてもいいだろう。
──と、思う。
多分。

思案顔で黙り込んだサンジに、コウシロウはふ、と息をついた。
「どうやらうちの子は、サンジさんを困らせるようなことをしたらしいですね?」
「え?いえっ、そういうわけじゃ……」
「聞かれたのかも知れない、とは思ってましたが」
やっぱりそうだったんですねえ、と、頭を掻いたコウシロウは、くいながサンジに何を言ったのか、正確に察しているようだった。
「──すいません」
「いえいえ、君が謝ることじゃありませんよ」
元はと言えば、私たちの方が迂闊だったんです。
そう言って、コウシロウはうーん、とまゆ根を寄せた。もしも本当にそうなったら、あのはね返りたちをどうやって説き伏せればいいのかを考え、それが不可能であることに改めて思い至って困っているように見えた。
「あの、コウシロウさんは……コウシロウさんも、ゾロを引き止めてたって、くいなちゃんが言ってましたけど……」
──でも、ゾロ先生が本気で決めたことなら、パパは止めたりしないんだ。
「ええ、それはもちろん。私たちは皆、彼に残っていて欲しいと思っています。でも、ここに残ってゾロが辛い思いをするのなら、彼に無理強いすることはできません」
あの子には、あまりいい思い出はないでしょうしね。
そう言って、コウシロウは、どしりと重量感のある瓦屋根を見上げた。
足元では茶色の犬が、ひもの届く範囲内をうろうろと歩き回っている。
遠くの方で目覚ましらしき音が鳴っているのが、微かに聞こえてきた。

「君には話しておいた方がいいかと思うんですが」
「──はい?」
改まった様子のコウシロウに、つられてサンジも居住まいを正す。コウシロウは少し迷うように小首を傾げた後、大きく息をを吸い込んだ。
「ミホークのことです」
「……はい」
予想外の名前に驚きながら、サンジはまじまじと師範を見つめた。
もちろん、彼らに面識があるのは当然だろうし、くいなも昨日そんなことを言っていた。でも、だからと言って『部外者』であるはずの自分に、彼の話題をふってくる理由がわからない。
一体何を言われるのか、とサンジは身を硬くして次の言葉を待った。
「…………彼はね、私の弟なんですよ」
「え────っ?」
地球は三角だった、と言われたよりも驚愕して、サンジはぽかん、と口を開けた。煙草をくわえていたら確実に落していただろう。
聞き間違いかと思ったが、コウシロウは穏やかな表情のまま、一度うなずいて見せた。
「本当です。……血のつながりはありませんけどね」
似てないでしょう、と笑う相手は、あやふやな記憶の中の、ぼやけた父親像とすら何一つ共通点が見つからず、サンジはこくりと首を縦に振った。



両親の再婚によって彼らが兄弟になると決まったとき、周りの人間はこぞって心配をした。あまりに性格が違う、うまくやっていけるのか、と。
けれども、大人しく穏やかな気性の兄と、激しく頑固な面を見せる弟は、その性質の違いの故に、生まれついての家族のように仲良くなった。
何かにつけて兄の後を追いかけていた弟は、当然の成り行きとして、間もなく兄と共に義父の道場に出入りをするようになった。
そして、そこでもまた、彼らは実の兄弟のようにいずれ劣らぬ才能を見せたのである。
「本当に強かったですよ、彼は。無駄な動きは一切無くてね。何のためらいもなく、相手の急所を深く捉えるような剣でした」
猛禽類の爪のような、とコウシロウは評した。
「ですから、この家やここの土地は、彼には少し狭かったのかも知れません」
17歳になってすぐ、彼はコウシロウだけに告げてこの土地を出た。
両親はもちろん悲しんだが、彼がこの地に収まりかねていることを、母は母の愛でもって、父は同じ剣士として、薄々は感じ取っていたようだ。
時折、コウシロウあてに送られてくる、差出人の住所だけを記した葉書の意味もわかっていただろう。
葉書が届くたびに、コウシロウは丁寧な手紙を書いた。
どうしている、とも戻って来い、とも書かず、ただ家族の生活の有り様と、自分の身体を気遣うだけの兄の返信を、ミホークはきちんと受け取っていた。
疎ましいと思うなら一方的に断ち切れる状態にありながら、結局最期まで彼らの絆は切れることはなかったのだ。
「彼からの手紙に住所以外のことが記されていたのは二度だけです。――君が生まれた時と、二年前、ここへ帰ってくる直前と」
「……俺が誰だか、知っていたんですね?」
「名前を聞いてね。ゾロが君のところへ行くことはありそうなことだったし……」
数年ぶりに届けられた義弟からの連絡は葉書ではなく封書で、見慣れない筆跡で宛名のかかれた真っ白な封筒は、不安を煽るに充分だった。
中には義弟の筆で、病に罹っていることと、もう治る見込みはないこと、最期の地に故郷を選んでもいいだろうか、ということが綴ってあった。
慌てて駆け付けたコウシロウを迎えたのはゾロで、この真直ぐな瞳をした青年は、戸惑ったような安堵したような表情でミホークの義兄を招き入れた。
「……あの子はあの子なりに不安だったんでしょう。先のない病人を一人で抱えていたわけですし。ここへ来るように言うと、ゾロの方が安心したようでした」
そうして、彼に付き添って、彼を看取って、今、行くべき先もわからずにここに取り残されている。──思い出以外は何もない場所で。
「サンジ君。君はきっと『勝手なことを言う』と思うでしょうが……私は君がゾロと来てくれたことも、君に会えたことも、嬉しかったんですよ」
「コウシロウさん」
「君や、君のお母さんを傷つけたことは確かですから、そのことに関して言い訳をするわけではないのだけれども」
でも、彼は。
確かに君たちを愛していたのですよ。
それは、分りにくい、ある種独り善がりな愛ではあったかもしれないけれど。
メガネの奥の柔和な瞳が申し訳なさそうにしばたいた。
「ええ、わかります。──今なら、ですけど」
昨日までの自分なら、ふざけるな、勝手なことを、と切り捨てたかも知れない。
けれど今、コウシロウの言葉を──少なくともそこに込められた思いは真実だと、そう素直に受け止めることが出来た。
「オレも、コウシロウさんに会えて嬉しかったです。話を聞かせてくれたことも、ここに来られたことも。……そう言えることが出来て良かったと思います」
「サンジ君」
「ゾロのおかげです。あいつに会えて──良かった」
「…………」
本意を推し量るようなコウシロウの視線を真正面から見つめ返す。
「そうですか」
コウシロウはそれだけを言って、にこりと笑った。


からり、からりとあちらこちらで雨戸を開ける音がする。そろそろ、地域全体が目を覚まし始めたらしい。
足元では焦れてきたらしい犬が、鼻を鳴らしながらコウシロウにじゃれつきだした。
「……あれ?」
サンジの目の前を、ひらりと白いものが舞った。一瞬雪かと間違えたが、それは確かにひとひらの花弁だった。
「……桜?」
まだ、桜の季節には少し早いはずだけれど。
「ああ、山桜ですね」
遠くの山を透かすようにして、コウシロウが言った。
「本当の名前は別にあるんでしょうが、私たちはそう呼んでます。他の桜より、少し早く咲くんですよ」
それとは別に、山の中腹に桜を植樹したところがあって、季節になれば煙るような桜の花を見ることができるのだと言う。
指さされた辺りに目を向けると、確かに何本かの木が行儀良く並んでいる。
まだ蕾しかつけていないにも関わらず、桜の木々は全体をうっすらと紅に染めて、あえかな彩りを添えていた。
「皆でね、お花見に行くんですよ」
大人も子供も連れ立って、わあわあと騒ぎながら花を楽しむのが毎年の春の行事なのだそうだ。
「弁当を持ってですか?」
「──ええ、そう、お弁当を持って」
「子供たちは沢山食べるでしょうね?」
「そうですね、食べ盛りですから」
「じゃあ、お弁当要員が増えても問題ないですよね」
「皆大喜びするでしょう」
「でも、沢山作ったら運ぶのが大変ですね」
「そうですねえ、大変でしょうねえ」

コウシロウがくすくすと笑う。
サンジも笑った。
「じゃあ、そう伝えておきます」
もう我慢がならないとばかりに、主人を急かす犬に引張られるコウシロウを見送って、サンジは縁側から家へと戻った。
──結局、煙草は吸わなかった。

ゾロはまだ眠っているだろう。


あいつが目を覚ましたら、朝飯を一緒に食おう。
ああでも、昨日の頂き物も片づけなきゃいけないから、控えめにしないと。
あとでくいなちゃんのママにお礼に行こう。
そうそう、コウシロウさんに会ったぜ、と伝えないと。
花が咲いたら花見に行くんだって?
オレも弁当作るって約束しちゃったよ、お前、運ぶの手伝えよな。
あの子たち、今日も来るかな、でもさすがに無理だよな、大丈夫、オレが巧いこと言っとくからさ。

それから。

それから、もっと未来の話をしよう。
聞きたいことは沢山あって、聞いて欲しいことも沢山あって、例えば次に会えるのはいつになる?とか、そんな些細で重大な話をいっぱいしよう。

静かにコンロの上に鍋を置くと、サンジは腕まくりをした。

何か結構色々問題もある気がするけど、でもきっと大丈夫。
きっと何とかなるだろう。

大丈夫。
────まだ、オレ達は生きているんだから。



―終―

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お……おわ………っ……………。
ぎりぎり4月中でした!
北海道なら桜も咲いてますか……。

ええと、某兄弟のことですが、ミホしゃんとゾロの関係がそうだったように、これも最初から決めてた設定でした。
決して今兄弟萌えしてるからじゃあないですから(笑)。
弟くんについて色々捏造してしまいましたが、彼についても一通り言及しておかないとどうしても終わることができませんでした。
触れずにいられるなら、それにこしたことはないやー、と思ってたんですけど。

最後なのに、ゾロ全然出てこないよ……!(汗)
サンジが昨日無茶させたからです。
なので、苦情がありましたらサンジにお願いします(逃げ腰)

長々と……本当に長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました!