夏恋。2 〜冬の二人〜 1
   〈1〉

「クリスマス?」
 ジェンセンは、反射的に壁のカレンダーを見上げて日付を確認した。十一月も残すところ後一週、つまり、今年も残り五週間、ということだ。しかし近ごろは小春日和が続いていて、季節よりも暖かい。ジャレッドなど、夜になっても長袖Tシャツ一枚でけろりとしている。
 三連休真ん中の日曜日は、心理的には余裕たっぷりだが、給料日前という事情を考えると財布の中身は心もとない。あいにくの空模様だったこともあって、二人はほぼ丸一日、ジェンセンの部屋でごろごろしながらテレビを見たりゲームをしたり、ロハスではなくロハを目当てに無為な休日を過ごした。よく働いたテレビは「今日のスポーツニューストピックス」で、バスケやアメフトやシーズンの近いスケートの話題などを賑やかに映し出している。
 もちろんだからと言って「つまらない一日」と同義ではなく、でもさすがに明日は出かけよう、でないとエネルギーの無駄にあまってるジャレッドがこの部屋で暴れたら困る、などと思っていたところだ。
「うん。……えっと……先生、何か予定ある?」
 四歳年下の恋人は、はにかむようにえくぼを作ってそう訊いた。
 八月の思いがけない再会の後、なしくずしに(というとジャレッドは怒るのだが)に付き合い始めてから、三ヶ月ほどになる。もっとも、初めて知り合ったのは五年以上も前の話だ。まだ二人ともが学生で、どちらも成年していなかった。ジャレッドなど義務教育中であったのだから、ジェンセンは彼の、若いというより幼いころを知っている。
 でかい奴、と思っていたが、今から思えば、可愛いものだ。縦にも横にも奥行き的にもひとまわり大きく成長したゴジラは、しかし恐ろしいことに未だ発育中であるらしい。再会したとき身長を訪ねたジェンセンに、「春には一九一センチだったけど、もっと伸びてると思う」と言っていたのは事実だったようで、「この間測ったら、一九三センチだった」とけろりとしていた。できれば二メートルになる前に止まって欲しいものだ──と、冗談でなくけっこう切実に思うのは、恋人の立場からするともっともでもある。
 何故なら、ジャレッドの場合、成長期と食べ盛りが完全にイコールの関係だからだ。一袋分のパスタが一気に(しかもぺろりと)たいらげられるものだなんて、ジェンセンはジャレッドと食事するようになるまで知らなかった。M&Msの大袋チョコレートは何日かにわけて食べるものだと思っていたし、パイントのアイスクリームはファミリーサイズだと信じていた。
 とりあえず二倍、とジェンセンは近頃そう考えることにしている。ジェンセンが想像する食事の量を最低限二倍にして、なんとかジャレッドの胃袋を落ち着けることが出来る、ということだ。
 幸い、ジェンセンもジャレッドもグルメなたちではないので、外食するときは学生向けの安い店や食べ放題のところもどんどん利用する。ああいうのはたいがい、安く思えても元がとれないようになっているものだが、ジャレッドの場合は、下手をすると店に損失が出てやしないかと心配になるほどだ。
 あれだけもりもり食べてもちっとも太らないのには感心するが、その分、栄養は縦に使っているのだろうか。
 ジャレッドが頻繁に出入りするようになって以来、ジェンセンの部屋には食料品の備蓄が増えた。パスタだとか、冷凍のピザだとか、インスタントのラーメンだとか、その他スナック菓子、チョコレート、あれやこれや、ジャンクでチープな、とりあえず腹の足しになりそうなものが色々。これまでは、すぐそばにコンビニがあるせいもあって、そんなに買いだめする必要性を感じなかった。しかし、深夜二時に突然「あ、何かお腹空いた」などとエネルギー補給を要求する怪獣がそばにいると、歩いて三分の距離すら面倒になるものだ。
 もっとも、決してそればかりが理由なのではなく、お前のだよ、食っていいよ、と何かを差し出したときにジャレッドが見せる、心底嬉しそうな笑顔を見るのが楽しい──と思っていたからでもある。本当は。
 それと同じように、ジェンセンの部屋の中に、ちょっとずつジャレッドのための物が増えていく。彼のサイズの着替えだとか、彼が持ち込んで置いていった雑誌だとか、初めて泊まっていった日に買った歯ブラシだとか、そういう、とてもありふれた生活用品の類だ。
 ひとつひとつはこまごまとした物で、特にスペースを取るほどのものでもない(空間占有率でいうなら持ち主が一番邪魔だ)が、そうした品物に象徴されているのは、ジャレッドという存在がジェンセンの生活の中にとても自然に入り込んで来て、収まっている、ということだった。
 顔を合わせていた期間より、離れていた期間のほうがずっと長いのに、二人は、二人で過ごす時間をまるで当たり前のように融通して、分かち合っている。
 ジャレッドはともかく、ジェンセンはあまり誰にでも気を許すような性質ではなく、どちらかと言えば人づきあいには慎重なタイプだ。自分のテリトリーに気安く他人を受け入れるようなことはしない。
 それはたとえば、これまでのガールフレンドでも同じことだ。ずいぶんきれいな顔立ちをしているジェンセンは、何もアピールしなくとも向こうから言い寄ってくる女の子には事欠かなかったが、好意を持って付き合った相手でも、こんなふうに日常生活に入り込ませてもいい、と思った恋人はこれまで一人もいなかった。別れ話でこじれたことがない、などと言えば、何か勘違いした自慢話のように聞こえるかもしれないが、要するにうやむやしてるうちに自然消滅しているだけに過ぎない。それは、こうした自分の態度が女性には冷たく感じられたり、物足りなく思えたりするからだろう、とジェンセンは思っている。
 なのにジャレッドと来たら。
 大学生の気安さで(と言うのは偏見だろうか)、日に何度もメールを寄こすし、電話は頻繁にかかってくるし、平日の夜に突然会いに来たりもする。
 ただ、そのどれもこれもにリアクションを期待していないところが、ジャレッド独特だ。
 メールの末尾はたいがい「返事はいいよ」だし、電話だって「今いい?」で始まって五分か十分程度で終わる。会いに来たときは「顔が見たかったんだよー」と玄関先で帰ろうとした。文字通り「顔を見た」だけだ。
 お前は何がしたいんだ、と呆れたジェンセンが引き止めて部屋に入れてやった。
 あ、じゃあせめてコーヒー淹れマス、と恐縮したふうに立ち働く広い背中を見ながら、ジェンセンはこの距離感について考えたものだ。元々ジャレッドはパーソナルスペースの狭い人間だとわかっていた。不可解なのは、それを当たり前のように受け入れている自分のほうだ。毎日のメールも、けっこうな頻度の電話も、こうして会いに来られたことさえ嫌ではないし、面倒だとも思わない。全然。この自然な感じは、出来たての恋人同士というよりも、しばらく離れていただけの兄弟みたいに親かった。
 二つのカップ──特に意図なく買いそろえたもののうち、鮮やかなオレンジ色のをジャレッドが気に入ったので、そっちは彼専用になっている──を手に戻ってきたジャレッドは、えへへとはにかみながら、ジェンセンの隣に腰を降ろした。
 夏のバイトで「おいしいコーヒーの淹れ方スキル」を手に入れたジャレッドは、ジェンセンが喜ぶので、仕事をやめた今でも、丁寧に、店で習ったままの淹れ方を遵守している。同じ豆を使ってるはずなのに、やっぱり香りからして違うな、とジェンセンは感心した。
 ただ、当の本人は砂糖もミルクも淹れてしまうので、ジェンセンほどコーヒーそのものの味にはこだわらないのだが。……ああ、そう言えば、ミルクのパックも、ジャレッドが出入りするようになってから、欠かさず買い足すくせがついた品物の一つだ。
 やれやれ、とため息をついたら、誤解したらしいジャレッドが、ごめんなさい、としょぼくれた。
「ああいや、そうじゃなくて……それよりジャレッド、何かあったわけじゃないのか?」
「え? あ、ううん、違うよ、ほんとのほんとに、顔見たかっただけ。──でもごめんなさい、先生明日も仕事なのにね」
「それは、いいけど」
 隠し事をさぐるように、灰青色の瞳を覗き込んだら、ぱっと赤くなって、それから照れたみたいな笑みが浮かんだ。先生の顔ってキレイすぎて迫力あんだもん、などと大真面目に言ってのける男なので、そうした反応にももうだいぶ慣れた。とりあえず、本当に「会いたかったから」という以外の理由はなさそうなので安心した。
「来るのはいいけど、事前にメールの一本も入れたらどうだ? 邪魔だって言ってるんじゃなくてさ、俺がいないってこともあるだろ?」
 入社二年目の新米社員は、何だかんだと忙しく、そうそう定時に上がれるとは限らないのだ。
「いるかいないかは、外から見ればわかるから」
「だから、ここまでやってくる前に……待て、お前、うちまで来たのは初めてじゃないんだな?」
「あ」
 正直に「しまった」という顔をするので、ジェンセンはしばし無言になったあと、結局小さく吹き出した。
「ジャレ」
「う……だって、」
 会いたくなんだもん、と消え入りそうな声で言った。
「…………」
 ジャレッドのそういうストレートな愛情表現は、いつもジェンセンにとって、くすぐったいような落ち着かなさを感じさせる。ジェンセンは、そんなふうに、あけっぴろげに表現するのは苦手だからだ。若いな、と思うけれど、実のところはパーソナリティの差だと言っていい。
 ごめんなさい、でもほら、俺のバイト先からの通り道だし、ついでに、ちょっと、などとあわあわ言い訳をしているが、わざわざ十分も余分に歩く道を「通り道」とは普通は言わない。
「待ってろ」
「先生……?」
 ジャレッドをその場に残して、ジェンセンはベッドルーム(と言っても、ダイニングとの境目はほとんどないが)にあるクローゼットの引き出しをかき回した。
 入居した日以来使ってないけれども、確かここに。
 奥の方で忘れられていたそれを取り出すと、ジェンセンはジャレッドの手のひらにぽとりと落とした。
「やる」
「え、これ、」
「スペアはそれしかないんだ。なくすなよ」
 一度も使われたことはないのだろう。まだ新品の輝きを保ったままの鍵を見つめ、ジャレッドはぽかん、と間抜けな顔をした。
 これって。
「……先生んちの鍵? この部屋の?」
「……当たり前だろ」
 他所の家の鍵を渡してどうするって言うんだ。
「も、もらってもいいの? ほんとに?」
「ああ。──でもだからって、俺んちに入り浸っていい、ってわけじゃないぞ。学校優先だ。成績下がったら取り返すからな」
「──はい……」
 さすが、元・家庭教師。
 でも、早口でそう言うジェンセンの耳のあたりが、うっすら赤く染まっていることに、ジャレッドはちゃんと気づいていた。賢い教え子は、それを口にするような真似はしなかったけれど。
「…………嬉しい、ほんとに。ありがとう、先生」
 ジャレッドは、とてもとても貴重な宝石を与えられたかのように手の中のちいさな金属を見つめた。傷ひとつなく光るそれは、これまで誰にも渡されたことがないのに違いない。それは、彼のテリトリーに自由に入ってもいい、という許可を得られたのと同じくらいの喜びをジャレッドに与えた。
 そうして、彼自身の家の鍵と一緒に、大事そうにキーチェーンに通したジャレッドは、時々、あるじのいない部屋に立ち寄っては、ジェンセンの帰りを待つようになった。
 まだ遠慮があるのか、それとも学業優先、と釘を刺されたことを律儀に守るつもりなのか、頻度はそれほど高くない。でも、このところ、ジェンセンはアパートに入る前に、自分の部屋の窓を見上げる癖がついた。灯りがついているのが見えると、ちょっとそわそわしながらエレベータに乗る。ドアを開けるとたいがい「お帰り」と「来てたのか」の声が重なって、二人して笑ってしまう。まだ、「ただいま」と素直に言えたことがない。一度、単に電気の消し忘れだったことがあって、ジェンセンは誰もいない室内に、ひどく落胆した。
 そんなふうに、ジャレッドの来訪を楽しみにするようになってから、たぶん二ヶ月くらいになる。
 週末はほぼ一緒にいる。出かけることもあるし、ただジェンセンの部屋でだらだらとDVDを見たり、ゲームをしたりして篭っていることもある。
 一度、月曜日にレポートの〆切があって、というジャレッドのために半日図書館にいたこともあった。それなら帰ってレポート書けよ、と追い返そうとしたら、ジャレッドが「ええ〜、でも〜」と、実に情けない顔をしたので、仕方なく付きあうことにした。たぶん、誰かに知られたら、お前はいつの時代の人間だ、と痛ましい目で見られてしまうほど健全なデートである。
 しかし、図書館は静かだし、読みたかった本を借りられたし、そうして内容に目を通しながら、熱心にページを繰っているジャレッドを見ているのはなかなか楽しかった。彼の目が時々ジェンセンを探して本から離れるのや、目が合った瞬間に申し訳なさそうに微笑むさまや、彼が静かに席を立ち、資料をコピーに行ったり、また新しく本を抱えて戻ってきたり、ため息をついたりしているのを黙って観察する。遠くで子どものはしゃぐ声と、それをたしなめる母親の声が聞こえていて、のどかきわまりない。
 その静かな空気の中、おやつの時間になった途端にジャレッドの腹がぐう、と正直に音を立てたので、ジェンセンは笑いをこらえるのに苦労した。
 もちろん、そんな清く正しいお付き合い、みたいなことばかりしているわけではなくて、それなりに恋人らしい時間を過ごしてもいて、だから、ジャレッドがクリスマスの話を持ちだしたのは、当たり前と言えばあまりに当たり前だった。
 二十歳で恋人のいる人間がクリスマス、というイベントを無視するはずがないからだ。
 なので、悪い、と反射的に謝罪の言葉が飛びだした。
「あ、ダメ?」
「ダメっていうか……クリスマスは、社員の半分くらいが休むんだ。だもんで、その分の仕事が回ってくる」
 クリスマスに休暇が欲しければ、半年くらい前から事前の根回しが必要だ。しかも、どうしても家族持ちのほうが立場は強い。子どもと一緒にクリスマスを過ごしたいんだ、頼む、と言われると、独り身としては反発しにくい。
「ああ……そっか。そうだよね、子どもがいたら、休みたいよねえ」
 がっかりするだろうか、と思ったジャレッドはしかし、気にしたふうもなく、親も大変だよね、などとうなずいている。ジェンセンは、拍子抜けしたような気持ちで、ふ、と短く息を吐いた。
 ジャレッドといると、ちょくちょくこういうことがある。こっちは世間一般での反応を想像して身構えているのに、半歩だけ脇にずれたようなリアクションが返ってくるのだ。
 もっとも、それは全然悪いことではない。今だって「せっかくのクリスマスなのに」なんて不機嫌になられたら、ジェンセンはどうしていいかわからなくなってしまう。
「先生、いくつくらいまでサンタ信じてた?」
「え? あー、覚えてないけど……学校に行き始めるころには、知ってたと思う」
「そっか。俺、遅いほうでさあ、八つか九つくらいまで信じてたんだよね。そしたらクラスの女の子に『まだサンタ信じてるなんてバッカじゃないの? あれはパパとママよ』って言われて」
 本当は、薄々はわかっていたのだが、同じ子どもにはっきりと引導を渡されたことが余計にショックだった。
「もうその日は半泣きだよ」
 彼女、頭が良い分、きついとこあったからさあ、とジャレッドは子ども時代の自分たちに目を細めた。ちっちゃなジャレッド(今のサイズを見るとそんな形容詞が当てはまる頃があったなんて思えないというのに)が勝ち気な女の子に言い負かされてしょんぼりしている姿がたやすく想像できて、ジェンセンの口元も自然に弛んだ。
「そりゃそりゃお気の毒だったな、ジャレ坊や」
「そうさ。あれは今思っても、俺のターニング・ポイントだったね! 『さらば、我がうるわしの子ども時代』って感じ」
 片手を胸に当て、片手を伸ばしたジャレッドは、今にも「ららら〜」などと歌い出しそうだ。ジャレッドと再会してから、自分は笑ってばかりいるような気がする、とジェンセンは今も吹き出しそうになりながらそう思った。
「……クリスマス、な」
「うん?」
「当日は無理だけど、その翌日なら休める、かも」
 二十五日出勤の代償だと言えば強くは反対されないはずだ。現にクリスマス戦線(?)に負けた社員の何人かは、次の日に休暇を取る。
「ほんと?」
「たぶん」
 訊いてみないと確約はできないけれども。
「じゃあさ、じゃあさ、もし先生が休めたら、俺たちだけ二十六日にクリスマスしようよ。一日遅れだけど、どうせサンタクロースは来てくれないんだしさ」
「いいけど……何するんだ? ツリーは飾らないぞ」
「え、ツリーなし? まあいいや、じゃあ一日遅れでケーキ食べて、安くなってるクリスマスブーツ買ってきて、『三十四丁目の奇跡』見るのは?」
 クリスマスはあれ見なきゃね、と、ジャレッドは古き良き映画のタイトルを挙げた。安くなってるクリスマスブーツ、というのが妙にリアルで笑ってしまう。子どもの頃、ジャレッドは絶対に、お菓子を食べた後のアレに足を突っ込んでみたに違いない。
「イギリス風だな」
「何で」
「ボクシング・デイだろ? 使用人の休日──だったかな」
 クリスマスに休めない使用人たちへ、翌日に主人がプレゼントを贈った、とかなんとか、そんな由来があったように思う。
「先生のくせに、生徒にそんな適当なこと教えていいの」
「もうお前は俺の生徒じゃないだろ。そうだ、先生って呼ぶのもやめろって言ってるのに」
 ジェンセンは、何度言っても言いつけを守らない元・教え子に向かって顔をしかめて見せた。
 ジャレッドを教えていたのはもう五年も前のことなのに、ジャレッドは未だにジェンセンを「先生」と呼ぶ。名前を呼ぶこともあるが、割合で言うなら、圧倒的に少ない。「だって、先生が先生だったときに好きになったんだもん」、というのが元・生徒の主張だが、人ごみの中で四歳(しか、とジェンセンはこっそり強調する)違わない相手に「先生!」などと大声で呼ばわれた日には、自分がひどく悪目立ちしているようで身の置き場に困ってしまう。
「……まさかとは思うけど、お前さ、」
 ジェンセンは、何だかひどく言いにくそうに、一度自分の口元を手のひらで覆った。
「──何?」
「…………変なシチュエーションプレイが好きなんじゃないんだろうな?」
「え」
 ぽかん、と口を開けたジャレッドから目を逸らし、ジェンセンは、不機嫌そうに唇を歪めた。ふっくらした下唇をちょっと突き出したりして、「怒っている」というより「すねている」といった感じである。
 シチュエーションプレイって。
 そんなつもりは毛頭なかったジャレッドだったが、それまで気にも止めてなかったことを指摘されたがゆえに意識する、ということは日常生活でもよくあることだ。
 ましてや、そんな、年上の恋人の口から「シチュエーションプレイ」なんて言葉が出てきた日には。
「せ……せんせ……」
 二十歳の青少年らしく、もやもやとした桃色の妄想がぶわっと膨らんで、ジャレッドは顔中どころか、頭の中まで真っ赤になった。その表情を見て、感染したかのようにジェンセンも赤くなる。
「おま、ジャレ、今何考えた!」
「か、考えさせたの先生じゃん!」
 俺が悪いの? とジャレッドはがっくり両手をつく。
「……だいたい、そんな疑いかけられてたなんて……」
「あ……や、俺は別に、」
 本気だったわけではないけれども──ただちょっとばかり。あまりにもジャレッドが、先生、先生と連呼するので。
「先生って呼ぶの、そんなにイヤだった……?」
「そうじゃないけどさ……何でかな、って思うだろ」
「だって………………もん………」
 ごにょごにょと下を向いたまま、ジャレッドが何事かを呟いたが、小声すぎて聞き取れない。何だって? と聞き返すと、へにゃ、と眉の下がった困り顔のジャレッドがこちらを振り仰いだ。
「だからさ、……名前呼ぶの……、何か緊張すんだもん」
 愛しいひとに告白するには、あまりに情けない内容だが、事実なのだからしょうがない。大切なひとで、尊敬してて、憧れてもいたから、ジェンセン、と対等な相手のように呼ぶことにまだ慣れない。上手に呼ばなきゃ、と無駄に力が入る気がする。
「ジャレ、お前って……」
 その先を黙ってしまったのは、何を言ったらいいのかわからなかったからだ。たかだか名前ひとつに、そんなに力みかえることはないと思う。ジャレッドはでかい図体に似合わない、恨めしそうな目つきをした。
「バカだと思ってるんでしょ」
「え、っと、──あー、何て言うか、」
 まあ、正直に言えばちょっとばかり。
「わーもう、とにかく、まだ慣れないの! もうちょっと待って、ちゃんと呼べるようになるから!」
「……………」
 大きなボールのように膝を抱えて丸まっているジャレッドの姿は笑いを誘うけれど、彼の示すてらいない愛情はあまりに真っ直ぐで、ジェンセンはきちんと受け止められるか心配になる。
 バカだと言うなら、そんなふうに夢見がちなまでに自分を大切にしようとするところが一番バカだ。お前は俺が、分厚い布団の下にあった豆粒で痣ができるような、おとぎの国のプリンセスにでも見えるんじゃないだろうな、と時々本気で確認したくなる。
 もっとも、ジャレッドが言葉や表情や指先で伝えてくる、「あなたが大事なんだよ」という読み間違えようもない合図に、くすぐったい思いをしながらも喜んでいる自分も、バカさ加減では変わらないけれども。
 バカだバカだ、とうんざりしながら、胸の裡にわいてくる温かい感情に突き動かされて、ジェンセンはそっと手を伸ばした。
 今は目の下にある、くしゃくしゃの癖毛(ごろごろしながらテレビなんか見てたせいだ)を両手に包み込んで、その渦巻きの中心に、ちゅ、とわざと音を立ててキスをした。明日は休みで、今晩もジャレッドは泊まっていくことになっている。自分の膝を抱えるよりも、他にやることがあるはずだ。
「せんせ……」
 ちょっと目を丸くした後で、ジャレッドは、うっすら赤くなりながらも、いそいそ、というのがぴったりの仕草でジェンセンに覆いかぶさってきた。大きな身体はいつもジェンセンよりも温かい。
「チョロいぞ、お前」
 誘っておいて、そんなことを言う。けれどそれが年上のひとの照れ隠しだと知っているから、ジャレッドは全然気にしない。
 先生限定だもん、と言いながら、うっすら開いている唇に引き込まれるようにキスをした。
   
2010.12.25