Pas de Chat
  〈1〉

 ──長らくオカルトハンターを生業としている以上、大概の超常現象には慣れているつもりだ。
 幽霊は元よりヴァンパイアやワーウルフ、ウェンディゴ、シェイプシフターと言ったクリーチャー類とも対峙したし、 精霊 ジン やカカシに宿ってアメリカまでやって来た他国の土着神、死神、トリックスターみたいな、ある人々にとっては神である存在とも戦った。悪魔に至ってはむしろ顔なじみと言ってもいいようなものだ。人外の魔物だけではない。この仕事は妙な人間たちとの関わりも多く、魔術を操る人間もいれば、超常の力を持つ人間もいたし、サディストな殺人一家と出会ってあやうく殺されそうになったこともある。
 しかし。
 年齢の割に百戦錬磨のサム・ウィンチェスターとしても、ある日突然、自分の泊まっているモーテルを訪ねてきた男が、頭の上に動物の耳(たぶんネコ)を付けていて、しかも、「お前に惚れたから、俺と結婚してくれ」と朗らかにプロポーズしてきた──などという目にあったのは生涯初めての経験だった。
 ***
「……それで、その耳は何」
 あまりにも青年の笑顔があけっぴろげで裏のないものだったので、サムはとっさに塩も銃も構えそこねた。ハンターとしては完全に失格だ。
 しかし、ネコ耳男のほうも、突如豹変して襲いかかってきたりはしなかった。サムの答えをキラキラした眼で待っている姿は、恋に落ちた、というより、お菓子をねだる子どものほうに近い気がする。しかし、彼のいでたちが季節外れのハロウィンなどではないことは、ちゃんとEMFで確かめた。ピーピー鳴る機械を物珍しそうに眺め回している姿には危機感などまるでなく、これは人でないモノに反応するんだ、と言い聞かせても「すげえな、お前が作ったのか」と感心されて終わりだった。
 もっとも、彼自身、ネコ耳を大っぴらにしているあたり、人でないことを隠すつもりはないようだから、今更小さな機械に正体を暴かれたところで痛くもかゆくもないのだろうが。
「何って?」
 わからない、というふうに首をかしげている男は、よくよく見れば、ずいぶんときれいな顔立ちをしていた。モデルか俳優、と言われても信じたかもしれない。俺、実は俳優なんだ、この頭についてるネコ耳は、今撮影してる映画の関係で、とでも説明されたほうがよほど真実味があるだろう。──少なくとも、「俺、 人猫 ワーキャット だから、耳があるんだけど」などと大真面目に説明されるよりは。
「ワーキャット?」
  人狼 ワーウルフ なら知っている。彼らの引き起こした事件に遭遇したこともあるし、何よりメジャーなモンスターだ。たぶん、ヴァンパイアと同格で有名な存在であるに違いない。ホラーやオカルトにまったく興味のないひとだって、名前くらいは聞いたことがあるだろう。
 また、ネコはその神秘性からか、悪魔や幽霊、その他超常現象と相性がいい。魔女の使い魔であるとか、幽霊を感じることができるとか、あるいはポーの黒猫や、日本のナベシマのように、猫そのものが超常の力を持っている、という話は世界中にあるし、黒猫が前を横切ると不吉だとか、逆に幸運の証だと言われることもある。希少な雄の三毛猫は船の守り神だとされていた。さらに言うなら、「人+人でないもの(動物等)」の混合体は神話や伝説にはいくらでも出てくる。牧羊神だとか、ミノタウルスだとか、人魚、鮫人、ハーピー、中国神話に出てくる三皇は人面蛇身や牛首人身だったと言うし、もしかするとティンカー・ベルのような妖精もこのカテゴリに属するかもしれない。よく見る「悪魔像」だって、考えてみれば、黒ヤギと人の融合体だし、天使は天使で背中に大きな翼を持っている。
 だから、確かに「人猫」がいても、おかしくはないのかもしれないけれど。
「……でも何か違う。絶対違う」
 ミュージカル「キャッツ」のネコだって、もうちょっとネコ部分が多いはずだ。耳だけネコって、何だその中途半端さ。
「何言ってんだよ、耳だけじゃねえよ」
 尻尾もあるぜ、とジーンズのボタンを外そうとしたので、大慌てで止めた。何が哀しくて男のストリップなんか。
 ちなみに、人間の耳は人間の耳で顔の両側についている。
 これはむしろ。
「バニーガールとかに近くない?」
「バニーガールって?」
「いや何でもない。独り言だから」
 バニーガールならぬキャットマンは、ふうん、と素直にうなずいた。そして相変わらず無駄にきらきらした顔をサムに向けてくる。臆面もなく向けられる好意の感情に、サムは少しばかり居心地の悪い思いで目をそらした。うさんくさい職業のせいだけでなく、元々あまり人付き合いの上手いほうではない。仕事のときは、上っ面だけ愛想良くして、他人とペースを合わせることもできるけれど、プライベートではごくわずかな知り合い以外とは積極的に付き合わない。女の子とのデートさえ、本当にどうしようもなくなったときだけだ。
 同じくハンターであり、今は二人目の父のようにも思っているボビーは、サムの数少ない理解者だけれど、その彼にさえ「真面目なのはいいが、若いくせに枯れすぎじゃないか」と時々心配される。そう言う彼とて、超常現象に巻き込まれた妻を亡くして以来の男やもめなのだが(彼が隙を見て女遊びにうつつを抜かしているとは思えない)、幼い頃からサムを知っているだけに、いろいろ擬似親心が働くらしい。ちなみに実の父であるジョンは、息子の性生活になんか、ちっとも関心はないようだ。ともかく、生きてさえいればまあいいさ、というその姿勢はある意味とても親らしいが、ソーシャルワーカーあたりが知ればネグレクトだと騒ぐかもしれない。ちなみにサム自身は、それが自分の父親だと思っているのでどうでもいい。むしろ、突然「お前、ガールフレンドはいないのか?」なんて訊ねられたら、シェイプシフターあたりと間違えて銀弾を打ち込みかねない。しかもきっと父が今際の際に残す言葉は、息子の誤解と早計を責める言葉ではなく「その慎重さを忘れるな」である可能性が高い。そんなしょっぱい思い出は必要ないので、父には父のままでいてもらいたいと思う。
「……ここに父さんがいたら、ドアを開けた途端にあんたのこと撃ってたと思うよ」
「そうなのか? なんで?」
「父さんもハンターだからだ。それも筋金入りのね。あやしいモノは、まず撃つ。撃ってから真偽を確かめるのが父さんのやり方だ」
 過激この上ないが、父は父なりに色々思うところがあるのだろう。……単に短気なだけ、という可能性もあるが。
「乱暴だなぁ」
 身の危険を理解していないのか、ネコ男(自称)は、あははと気楽に笑って、「で、その無謀な親父さんは?」と訊ねた。
 ワーキャットにまで無謀呼ばわりされるうちの父親って一体……。
「今は別行動してる」
「何で?」
「一緒にいるとケンカするから」
 ボビーを初め、あちらこちらで仲間とケンカ騒ぎを起こすジョンだけれど、実の息子との親子ゲンカがもっとも激しく根が深い。他人なら絶縁状を叩きつけるところだが、あいにく親子ではそうもいかない。仮に絶交を宣言したところで、繋がった血を無くすことは不可能だ。今はお互い一定距離を保つことで仮初めの平和を保っている。
 とは言え、サムはサムなりに父親のことを案じてもいるし、案じられていることを知ってもいる。座標だけが送られてくるメールだって、トースターもまともに使えない父が懸命に打ったものかと思えば、微笑ましくないこともない。──まあ精一杯好意的に考えれば、だけれど。次に会ったときは、もうすこし穏やかな対応を心がけよう、と思ってはいても、家族ならではの無遠慮さが祟って、同じケンカをくり返してしまう。
 だいぶバカだ。自分も父も。
「──で、やっぱ、親父さんもワーウルフか何かなのか?」
「え? いや、違うけど……って、ワーウルフ!?」
 何でワーウルフ? いやそれより「やっぱり」って何?
「だって、お前ワーウルフかワードッグだろ?」
「違うよ! てかワードッグ? そんなのいるのか!?」
 それはワーウルフとどう違うんだろう。やっぱり、耳と尻尾だけが犬なんだろうか。もうそんな無駄な変身っぷりなら外科手術でとってしまったらどうだろう。
「またまた。ごまかさなくていいって」
 俺は解ってるからさ、と言わんばかりに慈愛に満ちた眼を向けられた。ぽん、と肩まで叩かれて、サムは返す言葉もなく口をぱくぱくさせた。
 ハンターたる自分がどうしてクリーチャーに慈しまれなくてはならないのか。
「違うってば。大体、僕には耳も尻尾もないだろ。何でそんな勘違いしたんだよ」
「いや、だって雰囲気が」
「雰囲気?」
「もうどこからどう見ても完璧犬系だったから」
 ぐ、と親指を突きだしたのは、グッジョブ、のつもりなんだろうか。
「……雰囲気が犬……?」
「おう。そんじょそこらの犬よりずっと犬っぽいからさ、こりゃもうてっきり間違いないと」
「僕はどこからどうみても完璧に人間だ! 大体、あんた人猫なんだろ! 犬系と結婚したってしょうがないじゃないか」
「大丈夫、俺、そういう差別意識は持ってねえから」
 ワーウルフだってワーキャットだって、どうせ人外の生き物じゃねえかよ、とすんごく大ざっぱなくくりでまとめてきた。……もし彼が人間だったら、大層立派なことを言ってるように思われるが、しかし、そんなところで博愛精神を発揮されても困る。
「……じゃあヴァンパイアあたりで相手を見つけたら」
「はあ? 馬鹿言うな、あんな奴等と一緒になるわけないだろ」
 きしょっ、と眉をひそめている。……モンスター界にもいろいろ差別はあるらしい。
 なんだかもうどっぷり疲れて、サムは広い肩をぐったりと落とした。
「つまりあんたは、僕のことをワーウルフか何かと勘違いしてたんだな?」
「えーと、まあ、そう」
「だったらもう僕に用はないよね」
 お引取り下さい、とドアを開いてネコ男の背を押した。
「え、でもさ」
「じゃあね。言っておくけど人間に対して悪さしたら、あんたのこと『狩る』羽目になるから。おとなしくしてろよ」
 まだ何かを言い足りなさそうに口を開きかけたネコをさえぎるようにドアを閉めた。


 次にサムがそのことを思いだしたのは二時間後。何か飲み物を買おうと部屋のドアを開けたときだった。
 ……正確に言うと、「開けようとしたとき」だ。ためらいなく押したドア板は、十センチほど開いたところで、何か大きくて重いものにぶつかった。
「痛っ!」
 ──何か、じゃなくて、人間だったようだ。しかも、その声には超聞き覚えがある。
「……何やってんの」
 帰れと追い出したネコ耳男は、あれからずっとサムの部屋の前に陣取っていたらしい。なので前言は撤回する。人間じゃなくて人間もどき。
「よお」
「帰れって言っただろ?」
「バカだな、それで『はいそうですか』なんて引き下がるくらいなら、最初からここへは来ねえよ」
 出会って二時間で人のことバカ呼ばわりか。失礼なネコだ。
 しかし、うっとうしいんだよ、近寄るな、と追い放てなかったのは、ふてぶてしそうにニヤリと笑って見せるワーキャットが、その表情と裏腹に色のない唇を震わせているのが見えたからだ。よく見れば足元もがくがく震えている。さっきは気付かなかったけど、結構O脚気味だ。顔の造作が完璧なだけに、そうした特徴が微笑ましく見える。
 そういえば今日はこの冬一番の冷え込みになりそうです、と朝のニュースで言っていたのを思い出した。人間にも辛い気温なのだから、ネコにしてみたらもっと辛いのかもしれない。
「せめて他の部屋をとるとかしたら?」
「金がない」
「……じゃあここまでどうやって来たんだ」
「ヒッチハイクと、歩き」
 最初に止まってくれたおっさんは、走り始めてすぐ、ひと気のないわき道に車を止めて俺の服を脱がそうとしたから、顎に一発くれてやってそこに放置してきた、とネコ男は言った。若い女の子を乗せたがる男の中には、そういう不埒な奴らが多いことは知っているが、男だからと言って安心できないのが現代アメリカだ。目の前で震えている男は、たしかにそういう趣味の人間には魅力的に映るかもしれない。
 しかし、嘆かわしい、とため息をついたサムとは裏腹に、当の本人は、怒っている、とか哀しんでいる、というふうではなく、自分の業績を自慢しているだけに見える。見知らぬおっさんにレイプされそうになったってこと、ちゃんとわかってるんだろうか。雰囲気だけは世慣れた男のように見えるが、中身は微妙に子供だ。危なっかしい。
 サムは迷った。こんなこと父親に知れたら、絶対にぶん殴られる。
 お前は一体、自分の安全を何だと思ってるんだ、と冬眠明けのクマみたいに毛を逆立てて怒る父の姿が簡単に想像できたが、レイプされそうになってまで一途にサムを慕ってきたネコ男を、この寒空に放り出すのはあまりに非人間的なように思われた。……朝起きて、ドアの前で死なれてたりしても困るし。サムは子どものころ、「マッチ売りの少女」を読んで大泣きしたことがあるのだ。
 どっちにせよ、今晩は狩りに出る。その間ネコはこの部屋に閉じ込めておけばいいだろう。どこから来たのかは知らないけど、最寄の場所までの長距離バスにでも乗せて帰してやればいい。どうせ支払いは偽造クレジットなんだし。
「わかったよ。とにかく、今は部屋に入れてやる。でも、」
 明日になったら追い出すからね、というサムの言葉より先に、ネコ男はにっこり笑って、お前優しいな、やっぱいい男だ、と嬉しそうにそう言った。
 何かひどくやっかいな事態に巻き込まれた気がして、サムはもう一度がっくりと肩を落とした。
 
2014.6.19再録