〈2〉
ネコ男の名前は、ディーンというらしい。
やはり相当寒かったのだろう、毛布を頭からかぶってヒーティングの吹き出し口にひっつきながら、そう名乗った。シャワー浴びれば、と言おうかと思ったのだけれど、あらぬ誤解をされても困るので、余計なことは言わないでおく。「ディーン」は大きなミートボールみたいに丸まって(ブランケットが濃い茶色だったのだ)、温かな空気にうっとりと目を細めていた。毛布の端からはみ出た尻尾の先が、ぴたんぴたんとご機嫌に揺れている。
「お前は何て言うんだ?」
「あんたに名乗る義務があると思う?」
「だったら、ハニーって呼ぶことにする」
「サムだ」
「OK、サム」
にやりと笑った顔は「してやったり」と言わんばかりで、サムとしてはおおいに不本意だ。しかし、そもそも名前も知らない相手を慕って、どこからやって来たのやら。
考えてみればそれは大事なポイントだと思う。サムのほうはディーンに見覚えがない。でもどこかで会っていなければ、サムを追って来ることもできないだろう。最初に訊ねるべきことだったような気もするが、見知らぬ相手に出合い頭にプロポーズされたら、例え相手が同性でなくったって、びっくりして色々すっ飛んでしまうと思う。ましてそいつがネコ耳男ならなおさらだ。
しかし、時計を見ればすでに出発予定を五分ほど過ぎている。今度の事件の犯人は、生前通り几帳面な性質であるらしく、出没時間は極めて正確だ。今を逃すと次のチャンスまでまた二十四時間待機せねばならない。
サムは、すでにうつらうつらし始めている、のんきなネコと仕事を秤にかけた。仕事を優先させるのには一秒も迷わなかった。
「ちょっと僕は出かけてくるから。この部屋でおとなしくしててくれ。ふらふら出歩いたりしないように」
できれば手か足をどこかにつないでおきたいくらいだ。でもまあ、危険な生き物には思えない。人間に近づくために、外面ばかりはよくできている輩も多いから、印象なんて当てにはならない、というのはハンターとしての常識だ。しかしそれとは別に、サムは独特の勘の良さを持っていた。本当にヤバイ相手なのかどうかを見極める術に長けている。どうやら生まれ持っての才能であるらしく、こればかりは凄腕ハンターの父でも敵わない。そうして、その勘が盛大に告げるところによれば、目の前でとろりと目を泳がせているネコ男は、まるっきり完全に安全牌だ。このまま放っておけば、本物のネコのようにヒーターの前で丸くなって眠りこけているに違いない。
しかし、本物のネコとは違って、人語を解するネコ男は、こしこし目をこすって「出かけるって、どこに?」と欠伸交じりに訊いて来た。乱暴な仕草だったので、頬に抜けたまつげが引っ付いている。無駄に長いなあ、とサムはそんなところに目を止めた。
「仕事だよ。『狩り』だ」
「俺も! 俺も行く!」
「あんたみたいなうさんくさい奴連れてけるわけないだろ」
「うさんくさい? 何が?」
「ハロウィンでもないのに、猫の耳をつけた成人男性はうさんくさいんだよ、間違いなく!」
「あー、これかあ」
ディーンの頭の上で、三角形の耳がぴこぴこ揺れた。その光景は可愛らしくないこともなかったが、何せ彼は立派な成人男性だ。──そもそも、彼はここへ来るまで、普通に猫耳を晒して歩いてきたんだろうか。ご機嫌に耳の先を揺らしながら?
いやまさかそんな。
人目を忍ばねばならない立場であることを思い出して、サムはちょっと青くなった。今頃、この付近の住民の間で謎のネココスプレ男のことが噂になってたりしたら……!
「ディ、ディーン……」
「ちょっと待ってくれ」
サムの不安などまるで気付かず、ディーンは両手でネコ耳を覆うようにして、むにょむにょとマッサージを始めた。手のひらでくるくると円を描きながら、「むー」とか「んー」とか言っている。なんだか髪形が決まらない、と人間が鏡の前で悩むときの様子に似ていた。そうして待つこと三十秒。
「よし、できた!」
「何が、……あ、」
短い金色の髪から飛び出していた三角形が、きれいさっぱり消えている。
「その耳、隠せるんだ」
「人間の前に行くときはな。ちょっと窮屈なんだけど」
例えるなら、サイズの小さい帽子を無理矢理被っているような感じ、らしい。
「ええと、ディーン……ここに来るときも、それで? あの、つまり、耳を隠して?」
「? うん。当たり前だろ?」
「そ、そうだよね! 当たり前だよね!」
良かった! 人ネコだけど、一応の常識はあるみたいで、ほんと良かった!
あまりに安心したのと、時間が差し迫っていたのとで、サムはディーンの同行を許すことにした。狩りの現場に部外者を連れて行くことなどめったにないのだが、まあ、自分の身くらいは自分で守れるだろう、という判断もあってのことだ。
まるで足音を立てない軽やかな歩みでサムの後ろをついて来たディーンは、父親ゆずりの古い大型車を見て「ワオ、クール!」とさも嬉しげに黒光りするボディに飛びついたのだった。
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