Pas de Chat
  〈3〉

「腹減ったー」
「……うん」
 帰って何か食おうぜ、とディーンは胃の辺りを押さえている。くるる、と可愛らしい音がしているから、本当にお腹が空いているのだろう。
「サム? 狩りってのは、さっきので終わりなんだろ?」
「……うん」
「じゃ、メシな!」
「……うん」
「何だよ、元気ないぜ、サミー!」
 元気がないわけではない。むしろ、ものすごく元気だ。空腹なのはこの人ネコと一緒だけれど、体力そのものは有り余っている。ただちょっと呆然としてるって言うか……。
 時計を見れば、日付が変わるまでにはまだ二時間ほど残っている。下手をすれば徹夜覚悟だったというのに、こんなにあっさりと狩りが終わってしまったことに驚かずにはいられない。
 ──結果から言うと、ワーキャットの能力は、狩りにおいて、大変有効だった。今回の舞台は廃墟になった病院で、サム一人だったら、無駄に広い敷地をEMF片手に緊張しながら調べて回らねばならないところだ。だが、ディーンは「夜目が利く、鼻が利く、勘が働く、しかも身軽」と四拍子そろっているのだから、実にハンター向きの人材である。
 建物に脚を踏み入れてほどなく、サム、サム、あの部屋が嫌な感じ、とディーンがサムのシャツを引っ張った。試しにEMFを向けてみれば最大音量で警告音を鳴らし始めた。塗りの禿げたドアを開いた途端、中から悪霊が襲いかかってきたが、サムはむろん、ディーンも充分に警戒していて、ひらりと軽やかに身を躱した。霊は物質を操る力を持っていて、場所が元病院であるだけに、色々危険なものが飛んできたり、弾き飛ばされて壁にぶつかったりもしたが、どれもかすり傷ですんだ。岩塩弾と錆びたメスが飛び交う中、隠し扉を見つけたのもディーンだ。サム、この向こうに何かある、臭い、と蹴破った壁の中には、探していた死体があった。慌ただしく塩とオイルを撒いている間、ディーンが悪霊を引きつけていた。慣れた作業だ。ほんの十数秒。けれどその短い時間が命取りになるのがハンティングである。父とは別に仕事をこなすようになってから、ごく稀にボビーと一緒になることがあるくらいで、サムはほとんど誰とも組んだことはない。
 そうだ、パートナーがいるってこんな感じだったなあ、と燃え上がる遺体を見つめながら、ふとサムは父と二人でいた頃のことを思い出した。ケンカばかりで、心穏やかな記憶、というわけにはいかなかったけれど、背中を見張る眼がある、というのはひどく安心できることだと思った。
 もちろん、だからと言って、この押しかけパートナーを受け入れることにした、とかそういうわけではない。予定通り、明日になったら送り返す。……そうだ、どこへ送り返すべきなのか訊いてみないと、と、思ったあたりでちょうどモーテルについた。二人して部屋に入った途端、ディーンの頭から三角耳が飛びだした。ぎりぎりまで我慢していたらしい。
 ふー、と満足げな息をついている姿は、ゴロゴロと咽喉を鳴らす猫に似ている。これまで格別に自分が動物好きだなんて思ったことはなかったのだが、こうして見るとネコもなかなか可愛らしいような気になってくるのだからおかしなものだ。──でもたぶん、ワーウルフを見ても、こんなふうに和みはしないのだけれど。
 妙な生き物だなあ、と改めて眺めていたら、その視線を感じたらしくディーンがひょい、と振り向いた。にっこり笑った顔は無邪気と言っていいほどで、やっぱり外見よりは中身が幼いように見えた。
「何かメシ作ろうか?」
「……作れんの?」
「あ、お前、馬鹿にすんなよ。これでも俺の手料理は上手いって女の子達には評判だったんだぞ」
 だったら、その女の子たちの誰かと結婚してれば良かったのに。
 そんなサムの心の声には気付かないまま、えーと、どれどれ、といっちょまえの顔で冷蔵庫をのぞき込んだディーンは、「何もねえな」と顔をしかめた。そりゃそうだ。自分一人のために料理するほどサムは家庭的には育っていない。食事なんか基本ダイナーかテイクアウト、最悪栄養補給ゼリーですますことさえある。
「しょうがない、ちょっと材料採ってくる」
「あ、行ってらっしゃ……って、ちょっと待てぇ!」
「んだよ?」
「採ってくる!? 採ってくるって何を!?」
「そうだな、この辺は川もねえし、やっぱネズ……」
「だああ!」
 何でそんなところが猫っぽいんだ! ていうか、今どき一般の猫だって家じゃキャットフード食べてるだろ、普通!


「うお、これうまいな!」
 ダイナーのチーズバーガーをもっふもっふと頬張りながら、ディーンは満面の笑みを浮かべた。牛の肉だけど気に入ったようだ。良かった。色んな意味で。
「ディーン、くれぐれも頼んでおくけど、僕、ネズミ料理は食べないから」
「何だ、好き嫌いはよくねえぞー?」
「好き嫌い以前の問題だ!」
 決して人類すべてがそうだとは言わない、言ってしまうのは多分傲慢だと思う、しかし、少なくとも現代アメリカ人にとっては、常食するものではない。絶対に。ディーンが親切のつもりでこっそり〈食材〉を調達(どこからか、それを想像するのもイヤだ)して来ないよう、サムは重ねて念をおした。猫人間のディーンは納得したわけではなさそうだったが、サムの真剣さは理解したようだ。
「わかった。そうだよな、こんな旨いもんが簡単に食えるんだもんな」
 人間ていいなあ、と他意のない笑顔を見せて、最後の一口をほおばった。付け合せのポテトも気に入ったようだが、ケチャップはイマイチ好みでなかったようだ。赤いのいらない、と皿になすりつけている。炭酸飲料にもなじみがないらしく、コーラを一口含んで、しわしわと唇を震わせているから、サムはうっかり吹き出しそうになった。
「交換しようか」
「……それ何」
 ぱちぱちする奴か、と警戒した表情でサムの紙コップを見つめている。中身はバニララテだ。しかも甘みたっぷり。少なくともコーラよりは抵抗が少ないと思う。ぱちぱちはしないよ、でも熱いかもしれないから気をつけて、と言われてディーンは疑い深そうにそろそろとカップを傾けた。尖らせた唇で慎重に温度を測っている。くしゃっと顔をゆがめたから気に食わなかったのかと思ったが、単に温度が高すぎただけらしい。
 猫舌なのか。当然と言えば当然であるような気もするが。
 ふーふーと一生懸命カップに息を吹きかけているさまは、一見とても微笑ましい。
 いやでもだまされてはならない。これでも彼は人外の生き物なのだ。
「──それで、」
「ん?」
 何、と上を向いた口元にはラテの泡がくっついて、白いヒゲになっていた。
 ──小学生くらいの子といる気分だな。
 紙ナプキンを差し出しながら、サムはディーンとの距離の取り方を計りかねている。たぶん、サムより年上だろう。こうした生き物はたいがい長寿な上に、見た目からは年齢が判断できない。ひょっとすると今年で御歳二百歳、という可能性だって充分にありうる。だが、人間界には慣れていないようだから、どこか人里離れたところで暮らしていたのだろう。
 とは言え、人間の世界のことは右も左もわからない、というふうではないし、「食事を作る」と言いながら冷蔵庫を開けたのだから、あれが食料品を保管するものだ、ということはわかっていたことになる。
「今更だけど、僕はあんたと会った記憶はない。一体どこで僕のことを知って、どこから僕を追ってきたんだ?」
 ようやく、この話ができる。本来なら、初めて顔を会わせた瞬間にでも訊ねておくべき事柄だったのに、ディーンという人ネコは、何故かサムの警戒心を刺激しないらしい。どちらかと言えば、自分は慎重な性質のはずなのに。
「ええと、」
 ディーンはたいそう難しいことを訊かれた、とでも言うように、二度三度首を傾げて記憶を辿っている。……大丈夫かな、このネコ。
「ちょっと前」
「日付は」
「知らねえ。ちょっと前だ」
 ワーキャットはカレンダーを使わないのか。いやきっと違う。このディーンが特別のんきなだけに違いない。
「お前、別のハンターに捕まってた女のヴァンパイアを逃がしてやったろ?」
「……………」
 サムはさっと表情を引き締めた。ディーンが言っているのはレノーラのことだ。人間を襲わないというヴァンパイアたちのリーダー。普通に考えるなら「『ワタシはベジタリアンです』と言い張るライオン」、くらい嘘くさい主張だったけれども、サムは彼女の言葉を信じることにした。結果としてサムの判断は間違っていなかったのだが、あの事件のおかげでやっかいなハンターとやっかいな関わりを持ってしまった。だから忠告してあげたでしょ、と後からエレンに叱られた。
「……なぜそのことを知ってる?」
 でかける前にしたやりとりでは、ディーンはヴァンパイアたちと友好を深める気はなさそうだった。もしかしてゴードン側の知り合いだったりしたら、ますますやっかいなことになる。
 しかし、緊張をはらんだ問いへの答えは実に単純明快だった。
「見てたから」
「……見てた?」
「たまたま」
 レノーラが連れ込まれた廃屋の近くにいたのだという。
「女がヴァンパイアなのはわかったからさ、何やってんのかなー、って思って。俺はあいつらのことは好きじゃないけど、あの、……ゴードン? だっけ? あいつのやり口は気に入らないな、と思ってたらお前が来て、彼女を逃がしてやってたから」
「…………それで?」
「うん」
 惚れた、と言葉はストレートだが、こっくりうなずくさまはやっぱりどこか幼い。惚れた、とか結婚する、とか、ちゃんと意味を理解してるんだろうか、と心配になる。
「仲間のところに帰って、好きな相手ができたっつったら、お前も発情期が来たのか、そりゃめでたいって」
 ……めでたくない。全然めでたくない。
 何だか頭が痛くなって来た気がして、サムはこめかみの辺りを撫でさすった。
「──仲間って、ワーキャットの?」
「うん」
 レノーラたちもそうであったように、ある程度の知性や理性を持つ存在が集団を作ることがたまにある。人間と同じで、彼らとて孤独を厭い、身を守るために誰かに傍にいて欲しいと願うからだ。
 だから、ディーンに仲間がいたところでおかしくはないのだけれども。
 ──だったら、誰か止めてくれたっていいじゃないか。
 こんなあぶなっかしいのを放置してひとに押し付けて、と、半ば八つ当たり気味にサムはそう思った。
「仲間内によさそうな子はいなかったの? 女の子たちに人気があったんだろ?」
「よさそうなのはいたけど、みんな相手がいるし……それに、一番歳が近い相手でも六十歳くらい違うし」
 仲間の中にはきれいな女性も面倒見のいい女性もいたが、全員歳が上だった。大体自分たちは人間に比べてずっと長生きだから、半世紀以上世代の差があっても、見た目は全然変わらない。しかし、ディーンがまだ目も開かない子猫だったころからを知られている相手ばかりで、どうにも恋愛感情は抱きにくかった。それは向こうも同じだったろう。それなりに駆け引きめいたやりとりはあったが、それは恋愛遊びですらない、言わば彼女たちの指導・指南みたいなものだ。いつか伴侶にふさわしい相手を見つけたときのために。
 まさかそれが二メートル近い大男だとは、あの頃は誰も想像しなかったが。
「……あー、ディーンは今いくつ?」
「二十六」
「正味?」
「うん」
 自分の分は食べきってしまって、ディーンは遠慮なくサムの皿に手を伸ばしている。ネコのくせに頬袋があるってどうなんだ。
「これまでに、いいな、と思う子はいなかったのか? 仲間じゃなくても、人間とか」
「んー、わかんね。俺子供だったし」
 彼らが、いわゆる「大人」になるまでにおおよそ二十年から三十年くらいかかるのだと言う。人間とさほど違わないようでもあるが、人間は生殖機能自体は、おおむね十数歳で得ることを考えれば、二倍の長さだと言えるかもしれない。つまり、彼らの感覚から言えば、二十六年はまだまだ大人と呼ぶには充分とはいえない長さなのだ。サムから見て、今ひとつ幼さが抜けきっていないように見えたのも、あながち的外れではなかったようだ。
「仲間と離れて暮らしたこともないんだ。今時そういうの、珍しいって。少なくとも、一度や二度くらいは人間にまぎれて生活したことあるからさ。もっとずっとなじんでる奴もいっぱいいる。でも、長くひとところにいるわけにはいかないだろ? 仲間とつるんでるほうが気楽でいい、って言う奴も多いよ」
「……そうだろうね」
 「ひとところにいられない」理由の最たるものであるハンターとしては、それ以外に言える言葉なんか思いつかない。しかし、ディーンとしては特に皮肉や嫌味のつもりではないようだ。
「仲間はともかく、家族には反対されなかった?」
「家族はいない」
「あ……そうなのか」
「俺が子どものころに親は殺されてさ。狩人が来る、って言ってたから、たぶん、お前みたいなハンターだったんだろうな」
 逃げなさい、という両親のひきつった顔ばかりを覚えている。あのとき彼らは覚悟を決めていたのだろう。まだ幼い子どもを逃がすために、自分たちが犠牲になることを。まだ五歳にもならない子供は、彼らの表情の意味を知らなかった。しかし、そこに込められた真剣さを受け止めるだけの聡さは持っていたから、不安に泣きそうになりながらも、言われたとおりに彼らから離れてひたすら駆けた。まっすぐ、仲間の暮らす場所まで駆けられたのは、種族に備わっていた本能だろうか。
 子供の説明は不明瞭であり、泣きながらでもあったから、他の大人たちが事情を理解したときには、すでにすべてが終わっていた。父と母はお互いをかばうように抱き合って倒れていた、と、そう知らされたのはディーン自身が大きくなってからだ。大人たちは仲間うちでもっとも幼い子どもに、血にまみれた遺体を見せるようなことはしなかった。最後の別れをしたときには、すでに両親は花に埋もれ、精一杯美しく見えるようにと心づくしがされていた。不本意な死であっただろうに、二人が穏やかな表情をしていたのは愛する相手と一緒だったからだったのか、と思ったものだ。
「正直、二人のことはあんまり覚えてはいないんだ。でも、みんなが色々話して聞かせてくれた。本当に仲のいい夫婦だったって」
 あんたも、そういう相手を見つけなさいよ、というのは何度も聞かされた台詞だ。
「だから、俺も絶対そういう結婚しようと思って」
 夢と希望に満ちた(ような)キラキラした顔を向けられて、サムは正直どんな表情をすればいいのかわからなかった。
 だって! おかしいだろ、絶対。その話の展開を受けて、どうしてこんなことになるんだ。
「────ディーン、僕はハンターなんだよ」
「……うん? 知ってるぜ?」
 さっき仕事手伝ってやったじゃん、と自慢げにしている。それはそうなんだけど、ポイントはそこじゃなくて。
「ああ、うん、それは実際助かったんだけど、そうじゃなくて……あんたの両親を殺したのもハンターなんだろ? 何でそんなふうに笑ってられる?」
 ハンターが憎くはないのか、とサムは言った。憎くないはずがない。たとえ一〇〇%相手に非があったとしても、身内にしてみれば許しがたい仇敵だ。ましてや、何もしていないのに、ただヒトでないと言うだけでそんな目にあったなら、ハンターどころか人間全てを恨みに思ってもおかしくないはずなのに。
 どう考えても悲劇の主人公であるはずの人ネコディーンは、しかし自身の不幸についてことさら喧伝する気はないようだった。
「ばっかだなあ、サミー、お前が俺の親を殺したわけじゃないだろ」
「そ、そりゃそうだけど。でも同じ……」
「サミーとあいつは違う。全然違う」
 牙を剥きだしにしたヴァンパイアを目の前にして、なお、彼女を信じた。ハンターってのは、俺たちみたいな奴等を見ると、悪いことをしててもしてなくても殺そうとしてくるから、と、絶対に近づいちゃいけない、と、そう教えられて来たし、ディーンもそう信じてきた。ディーンの父と母は、そりゃあ人間ではなかったかもしれないが、誰かを傷つけたり、ましてや殺したり、あるいは騙したり、そんな悪いことは何もしなかった。しなかったと思う。だって、人間達の住むところにさえ滅多に出て行かなかったのだ。
 だから、こんなハンターがいるのかという事実に驚いた。あまりに驚いたから、このでっかい男のことを忘れられなかった。
「これって恋だろ!」
「え、えー……?」
 違う、と思う。……けど。おそるおそる異議を唱えると、案の定「何でお前が決めるんだ」と頬袋を膨らませた。
「決めるわけじゃないけどさ。ちょっと珍しい相手にびっくりしただけなんじゃないかと……」
 驚いて、強く印象を持ってしまったのを恋愛感情と間違えてるだけじゃなかろうか。だってこのネコときたら、サムのことを犬系のモンスターと間違ってたくらいだし。例えるなら、恋に恋する中学生みたいな。いやそれもちょっと違うかも知れないけど。
「いんだよ、俺はお前が気に入ったんだから」
「ハンターなのに?」
「こだわるんだなあ、お前」
 何で? とディーンは普通に不思議そうにしている。
 むろん、ディーンだって〈犯人〉を憎いと思ってはいる。いつか探しだすことが出来れば、必ず報復するつもりだ。自慢じゃないが、ネコ族は基本的に執念深い。しかし、そもそも相手が誰かがわからない。仲間が調べてくれたが、腕の立つハンターだったらしく、痕跡らしい痕跡を見つけることができなかった。おそらく自分が狩った相手に仲間がいることを察したのだろう。臭跡撹乱のためのスプレーまで用意していた。仲間のうち何人かはまともに吸い込んでしまい、しばらく鼻が利かなかった。
「でも、俺は顔を覚えてる。チラっと見ただけだけど、いかつい顔したでっかい男だった」
 ただ、うまく説明することができなかった。あいにくディーンの絵心は皆無で、視覚で訴えることもできやしない。
 けど、いつか必ず見つけるんだ、と、その覚悟はサムにもよくわかる。あまり悲壮感は感じないけれど、だからと言って本気でないわけはないだろう。
 それに。
「ディーンも絵が苦手なんだ」
「も?」
「僕も苦手だ」
 苦笑いするサムに、ディーンは重そうなまつげを二度ほど上下させ、それから「お前もか!」と白い歯を見せて破顔した。
 
2014.6.22再録