Pas de Chat
  〈4〉

 ディーンがサムの許に転がり込んでから三日経った。
 未だにサムのところにいる。
 二時間おきくらいに、仲間のところに帰れ、と言われるがディーンはまるで聞いていない。
 出会った日の翌日、サムはディーンをバスの乗り場に連れて行った。ディーンを仲間のところへ送り返そうとしているのだとわかったから、チケット売場の前で「俺のこと捨てる気なのか、卑怯者!」とひとしきり騒いでやった。売場にいた太った女性に刺さりそうな目を向けられて、サムはあたふたしていたが、結局、冷汗をかきながらバス乗り場を飛びだした。もちろん、ディーンも遅れずについていく。怒り顔半分、困り顔半分のサムに叱られたが、全然気にならない。どうしても俺がイヤなら撃ち殺せよ、と開き直ってやったらそんなことしないってわかってるくせに、と拗ねた声が返ってきた。おおむね歳上ぶっているサムの、そんな様子が珍しくてディーンはあははと明るい声をあげて笑った。たぶん、サムは次の作戦を考えているのだろうが、今のところ、ディーンの意思を無視してどうこう、というつもりはないようだ。
 まったく人がいいな、とディーンはひとり上機嫌に笑った。何も撃ち殺すまでいかなくったって、例えばディーンが眠っている間に置いていけばいいだけの話だ。認めるのも情けないのだが、自分は寝汚いほうで、安全な場所だと少々の物音では目が覚めない。サムを追っている間は眠りも浅かったが、いざ彼の傍まで来るともうダメだった。可能な限りベッドの中でごろごろしていたい。こっちに入ってきてもいいんだぜ、と誘ってみたが、丁重にお断りされ、逆に「いいかげんに起きろ」と布団の中から引きずりだされた。
 サムと違ってディーンは特にすることもないので、それなら朝ごはん買って来て、と追い出された。これでモーテルに帰ったらサムの姿がない、なんて事態はありうるだろうか、と自問して、いやそれはないな、と首を振った。買物を終えて帰って見ると、案の定駐車場にはインパラが堂々と艶めいたボディを休めていた。
 ……やっぱりお人好しだ。
「ただいまー」
「……お帰り」
 意気揚々とした足取りのディーンとは裏腹に、サムはぐったり疲れている。ディーンのせいもあるだろうが、大方は「狩り」の調べ物のせいである。口ではあれこれ言いながらも、サムはディーンの存在を受け入れかけている。最初の夜は、ディーンを警戒して一睡もしていなかったらしい。ディーンの方はベッドに横になった途端爆睡だったので、起きたら何となくげっそりした顔のサムが隣のベッドに座っていて驚いた。具合でも悪いのかと思って訊ねたら、サムは一瞬の沈黙の後、しかたないなあ、というふうに横を向いて笑い出したのだった。
「何買ってきた?」
「チーズバーガー!」
「……これでもう六回目だよ……」
「じゃ、俺が料理して……」
「チーズバーガーでいいです」
 ネズミを食べさせられると思っているのか、サムは諦めたように紙袋を受け取った。鳥や魚も料理できるんだけど、まあいいか。
 飲み物はコーヒーしかなかったので、砂糖やミルクも忘れずにもらって来た。まだこの苦い飲み物になれないディーンはもちろん、サムも甘いのが好きだというから、たくさん。でもサムは図体の割りにはあんまり量は食べなくて、付け合せのポテトなんかはたいがいディーンの腹に入る。その上、野菜も食べろよ、なんてサラダを押し付けてきたりする。俺は基本ネコなんだから野菜なんか食わねえ、あんたのネコ部分なんて耳と尻尾だけじゃないか、と言い争いもした。あとそれからチョコレート。特に、赤や黄色や青、といったカラフルな色のついた小粒のチョコレート、あれ最高。店で大きな袋を見つけてウキウキしながら買って来たのに、歯に悪いだろ、と取り上げられて、ちょっとずつしか食べさせてもらえない。盛大にブーイングすると、あんた、仲間たちの間ではどれだけ甘やかされてたんだ、と呆れられた。
 甘やかされていたかどうかはともかく、大事にされていたとは思う。
「子供、少ねえからな」
 ディーンは自分より年下の人ネコに会ったことがない。元々人間ほど繁殖力が強くない上、仲間の数が減っているので、つがう相手を見つけるのも段々難しくなっている。
「だから、人間とくっつく奴もいるらしいぜ。俺みたいに」
「いや、僕らくっついてないから」
 そこは冷静に訂正しておく。じゃあくっつこうぜ、と服を脱ごうとするので慌てて止めた。実に奔放だ。今朝もさらっとベッドに誘おうとするし。これはワーキャットの特性がそうなっているのか、ディーンという個人の資質によるものなのか。
「大体、僕とくっついたって、繁殖は無理だろ」
 もし、そこがディーンの目的なら、同性の自分の傍にいたって時間の無駄だ。
 だから、今からでも考え直して、女の子を探しに出てくれないだろうか。もうこの際、人間でもいいから。
「まあそうなんだけど。でも子供作るために、好きでもない相手とくっついてもしょうがないって、アッシュが言ってたし」
「アッシュって? 仲間?」
「うん」
 ディーンの言うところでは、アッシュはとても頭がよくて器用な性質らしい。彼は廃材置き場等から色んな機械を拾って来ては、直したり、新しく組立てたりしていたそうだ。
「まず必須としては発電機だろ、冷蔵庫、車もあったんだぜ。まあ相当ボロだけど。ラジオもあった。雑音だらけで、あんまりまともには聞こえなかったけどさ」
 そうした機械類は共有財産だったのだと言う。冷蔵庫はいいけど、中身は何だったのかなあ、と想像しかけてサムはふるふると首を振った。それはきっと考えない方がいい。
「あとインターネット」
「インターネット!?」
 何その文化レベルのバラバラっぷり。
「アッシュが株取引するのに必要だからって」
「株取引……」
 何でネコが株取引。
「あとプログラム組んでは、どこかに売りに行くとか言ってた」
「……へえ」
「俺ら、生活費全部、アッシュに依存してたから」
 ネコ人間たちだって、完全に人間社会と無縁でいられないなら先立つものは必要だ。それを、そのアッシュが株取引したり、プログラムを組んだりして稼いでいるらしい。
 なるほど、と納得しかけてふと気がついた。
 ──それって、僕らハンターよりまともな暮らしなんじゃ……?
 気付いてしまうと空しい事実だ。
「……そのアッシュは、本当にあんたたちの仲間なのか?」
「うん。茶トラの耳がついてたからな、間違いない。ええと、何だっけ、人間界では有名な学校に行ったって……エム……」
 エムティーアイ? と首を傾げている。
 MTI。違う。おそらくそれは。
「MITだ。マサチューセッツ工科大」
「あ、それそれ」
 ネコ人間がMIT! 人生の大半を超常現象と関わって来ながら、未だ驚く出来事があるなんて驚きだ。
「途中で辞めたらしいけど」
「何で? ワーキャットなのがバレたから?」
「いや、確か、誰だかってエライさんとケンカしたからだって言ってた」
 しかも中退か。ずいぶん変り種らしい。人間としても、ワーキャットとしても。いったいどんな奴なんだろう、と想像した。もっともそういうサムだって、大学中退組だ。いつか戻りたいと願っているけれども、日が経つにつれ、その望みは薄くなっていく気がする。いっときは手に入れたと思った普通の生活は、今では夢にも似ているほど遠く思われた。
「……サム?」
「ああ、いや……」
 何でもないよ、と言おうとした矢先、よしよしと頭を撫でられて驚いた。ディーンの手がわさわさとサムの髪をかきまぜる。そんなふうに慈しまれたのは、もうずいぶんと昔のこと、それだって記憶にある回数は片手の数より少ない。サムの父は世間の父親像とは色々な意味でかけ離れたところに存在しているひとで、家族に対する愛情はあっても、それをわかりやすく示して見せるようなことは滅多になかった。
「ディーン」
「お前、変な顔」
 変な顔、と言いながらも、ディーンがサムを案じているのが簡単にわかる。彼自身、哀しかったり落ち込んだりしたとき、周りの人間にこうして慰められたのだろうか。やっていることは他愛もないが、ディーンはいたって真剣だ。部屋の中では出しっぱなしのネコ耳と尻尾がそわそわ揺れている。生きてきた年数こそ上でも、世間ずれしているとは言えないディーンに心配されているのかと思ったらおかしくなった。
 サムが笑うと、ディーンもぱっと顔を輝かせた。わかりやすい。そうして、やっぱりちょっと幼い。でも、気遣ってくれる誰かがいるのは嬉しいと思ったから、素直に礼を言った。
「ありがとう。大丈夫だから」
 半分は本気で、半分はまあ、面子みたいなものだ。ディーンはそこにある偽りを嗅ぎ取るように、すん、とちいさく鼻を鳴らし、もう一度サムの頭のかたちを丁寧になぞってから手を離した。
 なあなあ、ヤろうぜ、と風呂上りに半裸でまとわりつかれるより、よほどサムの心を乱す仕草だった。
 
2014.6.22再録