眠れない夜のために
注意!
血×カイルです。
オリジナルキャラじゃなくて、映画のサミー(ジョージーの子供)の位置に、子供のブラッドを、ぎゅむ! と無理矢理押し込んだ、力技設定です。
あの子がブラッドでなくてはならない理由は、何ひとつとしてありません。
正真正銘、作者の趣味です。申し訳ありません。
■ For a white night -1

 グローリーが天に召された日は、気の早い六花がちらちらと舞っていた。
 老若男女を問わず、親しまれ、頼りにされていた彼女の葬儀には、多くの人間が集まり、涙と共に彼女の死を悼んだ。
 ブラッドの母親ももちろんその中の一人で、常時勝ち気な彼女が、子どものように泣き崩れて友人の柩にすがっていた。
 慟哭する人々の中、カイルだけが──緩慢に、けれど確実に死に向かう妻の病を受け入れ、彼女を支え、最期まで寄り添った夫──、異なった世界に存在しているかのように、静かにそこに立っていた。
 二人がどれほど愛し合っていたかを知っている者たちは、みな、一様に、カイルに慰めの言葉を惜しまなかった。カイルはいつもの静かな微笑を浮かべ、彼らに感謝を伝え、逆に励ましさえした。
 側にいようか、と遠まわしに訊ねる友人たちをいなして、カイルはまっすぐに背を伸ばし、彼の家へ帰っていった。
 二人が、暮らしていた家へ。
 今はもう、ひとりになった家へ。
 その後姿を不安気に見送りながらも、今はそっとしておこう、と大人たちは、そう判断したようだった。
 大丈夫、カイルは強いから。
 そう、グローリーが選んだ相手ですもの。
 大丈夫、大丈夫、と、繰り返される言葉は、まるでそう言っていれば本当になると信じているかのようで、かえってブラッドを不安にした。
 さあ、と母親にうながされ、いったん家へ帰ったのは、ただ母親を心配させたり、余計な騒ぎを起こされないためだった。おとなしく部屋に入ったふりをして、ブラッドはそっと自宅を抜け出した。母親は自室で改めて泣いているようだったから、それは簡単なことだった。
 北国の夜は早い。もうだいぶ紺色に染まりかけた空を見ながら、ブラッドはカイルの家まで駆けた。 自転車 バイク や車(まだ無免許だったけれど)という手段もあったが、それでは母親に見つかってしまう。
 足元が氷で、スケート靴を履いてれば楽なのに、と思った。


 カイルのうちが見えて来たころには、風景はすっかり夜になっていたし、ブラッドの息はかなり上がっていた。
 黒々とした塊に見えるそれぞれの家屋は、どの窓からもやわらかなオレンジ色の光が漏れていて、逆にそれが暖かな風景になっているというのに、ブラッドの目指す家は、まるきり真っ暗で、巨きな岩のように静まり返っていた。家の主が出かけているはずはないと知っているだけに、その暗さに恐ろしさがつのる。
 ノブに触れてみると、出入り口は開いていた。割といつもである。無用心もいいところだ。率先して狙われるほど裕福ではなくても、たくさんの時計やパーツを盗られればカイルはさぞ悲しむだろうに。
 そっと足音を忍ばせる。どの窓にも灯りはついていない。
 けれど、眠っているのではない。
 真っ暗な中、カイルはどこに。
 探していたひとは、リビングのソファに沈み込んでいた。見えない重荷を背負わされているように、ちいさく肩を丸めている。
 なんとなく、カイルはグラスを手にしているのではないかと思っていた。
 この町に住む人間は、男も女もアルコールが似合ったし、そうすることでみんな、色々な憂さを忘れようとしていたからだ。けれど、常時ビールやジンを飲んでは陽気に笑っていた男は、こんなときに酒の力を借りることもできないで、ひたひたと満ちる孤独と向かい合っていた。ブラッドの気配にはちゃんと気づいているはずなのに、顔をあげようともしない。
 それくらいは、覚悟していた。むしろ、出て行け、と言われるかと思っていたが、部屋の中に踏み込んでも、まだカイルは何も言わなかった。
 もっと近づいてもいいのだろうか。
 こんなときに、かけるべき言葉を、ブラッドは知らない。あと十年。せめて五年。今よりよぶんに生きていれば、何か思いつくこともできたのか。過ぎた嵐の日に、カイルがブラッドに対してそうしてくれたように、すとんと胸におさまってから、じわじわと染み込んでいくような言葉を。
 名前さえ呼べないで、恐る恐るカイルの隣に腰をおろした。
 ちいさく見える肩に手を伸ばすと、カイルはゆるゆると首を振り、やんわりとひどいことを言った。
「……そんな気分じゃない」
「──違うよ」
 傷ついた顔を見られなかったのは幸いだった。そんなんじゃないんだと言い募ることはせず、ただ懸命にカイルの側にいようとした。
 彼の背負っている時間も哀しみも、ブラッドには想像することしかできない。
 お願いだから、離れろなんて言わないでほしい、とカイルにぴたりと身体を寄せた。抱きしめたいのに、すがりついたようにしかならないのは、体格のせいではなく、自分に色んなものが足りてないからだ、とブラッドは、また、未だ越えられていない年月を恨んだ。それでも、熱源のない部屋の中で冷え切っているカイルの身体が、ちょっとでも温まればいいと思った。

***

 あの日、信じられない混乱とショックの中で、法廷から飛び出したブラッドは、ありとあらゆる人間の前から逃げ出したいという衝動のままに、むちゃくちゃに駆けた。熱を持った頭で、できうれば、今すぐ自分をこの世から消してほしいとすら願った。
 けれど、神さまは、こんなちっぽけな存在におきた、こんな些細な出来事には興味はないらしく、彼は突然の落雷に打たれることも、二つに割れた地面に飲み込まれてしまうこともなかった。
 息の続く限り走り通して、足が上がらなくなったところで、ようやく行き先を考えた。
 自分のうちには帰れない。祖父母の家にも帰りたくない。受け入れてくれる友達も、いない。
 でも、そうだ、彼らは──正しくは彼らの親──は正しかったんだ、と絶望的に笑った。母親はアバズレで、父親はレイプ犯だなんて、何て恵まれた家庭だろう! その上、彼女は大嘘つきだ。顔も知らない父親のことを尋ねたら、軍隊で死んだと言ってたくせに。
 情けなく熱を帯びた目元を力まかせにこすって、疲れた足をひきずるように歩き出した。どこへ行けばいいかもわからない。でも、あてもなく町をぶらついていれば、必ず誰かが探しに来るだろう。訳知り顔の大人に慰めの言葉をかけられるなんて、それこそ絶対に嫌だった。
 そうして、結局、ブラッドは、この間まで一家で世話になっていた、母親の友達の家へと逃げ込んだ。
 彼女──グローリーは、今、病気で入院している、と聞かされていたし、ならば、その夫のカイルもそこにいるだろう、と思ったからだ。
 それに、仮に家にいたとしても、カイルなら、やみくもにブラッドを家へ帰したりはしないはずだ、となんとなくそう思った。
 不思議な夫婦だった。妻は炭鉱に行き、男たちと共に働いている。夫のカイルは家にいて、日常の家事をこなし、あとは時計をいじったり、本を読んだり、静かに時間を過ごしている。
 ブラッドの知っている夫婦とはまるきり役割が逆で、だから、きっとこのひとは変人なんだと決め付けた。腰を痛めるまでは炭鉱で働いていたなんて、母親から聞かされるまでは想像もしなかったし、聞かされた今でも、本当だろうか、とすこしばかり疑っている。
 彼は決して暴力をふるうことはしないひとだった。頭ごなしに決めつけたり、切り捨てたりするような言葉も使わない。
 そういう大人の男を身近に見るのは初めてで、身を硬くして攻撃に構えていなくていいぶん、距離のとり方がわからなかった。
 でも、だけど。
 彼がときどき見せる、太陽のような笑顔はちょっとだけ好きだ、と思っていた。


 案の定カイルは、自宅の作業場で家出人を見つけても驚きもせず、いつもと変わらぬ淡々としたようすでブラッドの相手をした。
 とがりきった気持ちをそのまま口にするブラッドを、すこしも押し付けがましくない言葉でいさめ、いったいどういう意味であるのか、腕時計をひとつプレゼントされた。その真意がわからないのは、カイルがどんな気持ちで時計と向かい合っているかを理解していないからだ。
 ただ、そう、いつだって彼は真剣で、同時に、慈しみをこめて時計をいじっていたことくらいは知っている。
 売り飛ばしてもいい、なんて。
 できるはずがない、と思った。
 カイルに言われて、初めて、ブラッドは母親が自分を手放さなかった意味を考えようとした。
 遊びでできたとでも言うならばともかく、レイプされて、無理矢理身ごもらされた子どもなど、憎みこそすれ、愛情など、感じるはずがないのに。
 そうして考えることで、いっときの、あの身を焦がすような憎しみ──自分自身と、母親への──は、ゆっくりと炎をおさめて、胸の裡に沈んだ。
 カイルは何も言わずに、ブラッドが自分から口を開くのを待っていた。
「……カイル」
「ん?」
「セックスって……そんなにいいの? 他人を傷つけても平気なくらい?」
 誰かの身体と心を、そのひとの未来や家族までを、ずたずたにしてしまっても、罪の意識を何も感じずにいられるくらい?
「そういう人間は、少数のはずなんだけどね。……そうか、ブラッド、君、まだしたことがないのか」
 柔らかな微笑みは、けっして侮蔑ではなかったけれど、未経験というだけで、何となく恥ずかしいことのように思ってしまう年ごろのブラッドが、怒ったように顔を赤くしたのは無理はなかった。
「だって」
「ああ、悪い、バカにしたわけじゃない。そんなにハンサムなのに、と思ってちょっと意外だっただけだ」
 それから、カイルは「何も慌てることじゃないしね」と、おっとり付け加えた。
「すぐにチャンスは来るさ。なんなら明日にでも」
 カイルは、友達にするのと同じしぐさで肩を抱いて、「大丈夫、君くらいかっこよければ、女の子が放っておかないよ」、と秘密を打ち明けるように顔を寄せた。
 身長は、変わらない。カイルの髪や服からは、彼の吸っている煙草の匂いがした。
 どきり、と心臓が大きく鳴った。
 何にだろう、と頭の隅で考えたけれど、それより先に身体が暴走を始める。
 弾みをつけた心拍数は早くなる一方で、こんなに近寄って、カイルにその音が聞こえやしないかと、そんなことが心配になった。
 肩に回された手にそっと視線を向ける。長い指。器用な。小指の爪よりずっと小さな部品を扱うことができる。
 触れる。丁寧に、優しく。
 カレンは早々に彼に懐き、膝の上に乗せてもらっては機嫌よくしていた。頬にキスされて、「くすぐったいの」と笑うくせに「もう一回」と何度もねだり、そのたびにカイルも微笑んで唇を寄せる。結局、カレンが笑い出して止まらなくなるまで、彼は気長く付き合っていた。
 それから、もちろん、グローリーとも。
 キス、を。
 ──どんな、ふうに?
「な、」
 に、とカイルが言う前に、唇で触れた。さっきよりももっと強く、煙草の匂いがする。
 まったく身構えていなかったカイルは、少年の身体を支えそこねて、二人して作業場の固い床に転がった。
「……っ……た……」
 何だ何だ、と起こしかけた上半身に、ブラッドがのしかかってきて、カイルはもう一度、床に背を着くはめになった。
 真正面に、ブラッドの顔がある。
「ブラッド、いったい……」
 自分の置かれた状況を把握する前に、二度目のキスが下りてきた。唇だけでなく、柔らかな舌が入り込んできて、歯や粘膜をなぞっていく。
 何かを確かめるような、懸命で丁寧なしぐさに、突き飛ばして離れることも思いつかなかった。
 抗うでもなく、かと言って応えてくれるわけでもないキスに、とうとうブラッドのほうが先に焦れた。
「何で抵抗しないの」
「……びっくりした」
 きょとん、とした罪のない顔で、カイルは笑った。ブラッドは、傷ついた顔で、カイルのシャツをにぎりしめた。
「冗談だと思ってんの」
「冗談じゃないなら、実験台か? いくらなんでも、手軽すぎやしないか」
 俺は君のお母さんより、まだずっと年上なんだよ、とカイルは苦笑する。その表情は、困ってはいるけれども、嫌がっているふうではなくて、そのことにブラッドは勢いづいた。
「実験台とかじゃなくて……」
 目の前にいる、年上の男を、本気で欲しいと思った。
 熱っぽい息を吐いて、ブラッドは自分の腰を押しつける。
 そこは確かに熱をおびて形を変え始めていて、カイルは今度こそ真剣に驚いた顔をした。
「……驚いた。君は男が好きなのか? あ、でも、ガールフレンドがいたろう?」
「違う、男なんて……たった今まで考えたこともない……でも」
 喉が渇いて、声がかすれた。
 いったいどうしてこんなことになったんだろう、と、頭の奥、わずかに残った冷静な部分が疑問を感じている。ここは見慣れたカイルの作業場で、周りにあるのは、時計やばらばらになったそれらのパーツや、それを元に戻すためのちまちまとした工具ばかり、そんな中で、自分よりもずっと年上の男を、こうして組み伏せているなんて。
 夢ですら、ありえないシチュエーションだ。
 そんな中で、欲しい、という欲求ばかりがリアルに神経を侵していく。ふくれあがる凶暴な衝動に突き動かされるままに、もう一度くちづけた。今度はいっさいの遠慮はなしだ。
 好きなように舌を伸ばして、相手のそれに強くからめる。ひそめた眉が目の端に入って、その表情がとてもセクシーだと思った。
 手は、シャツの生地をなぞる。裾から差し入れて、体温で温まった内側を暴く。ジーンズの腰からTシャツを引きだして、直接肌に触れてみた。その行為にか、あるいは寒さになのか、カイルの脇腹がびくりとすくんだのが、手のひら越しに伝わった。
「ブラッド」
 諌める声はまるきり普段通り。そんなのんきな調子で、はやる相手を止められるとでも思っているのだろうか。
「やめなさい」
「いやだ」
「無理だ」
 何がだろう、と思ったけれど、反射的に言い返した。
「無理じゃない」
「無理だ。だって」
 カイルは大真面目に言った。
「ここには機械用のオイルしかないんだ」
「…………え?」
 なんともいえない顔で黙り込んでしまった少年に、年上の男は、咳き込むように吹き出した。
「そんな顔するなよ、ブラッド! 冗談だよ、笑うところだ」
 ブラッドに押さえ込まれていることになど、すこしも頓着したふうもなく、カイルは悪戯が成功した子どものようにくすくすと笑っている。ブラッドは恥ずかしさや、怒りや、その他のさまざまな感情が胸のうちでごちゃごちゃになって、瞳を滲ませた。
 みっともない、と思うのに、涙は引かない。簡単にあふれ出たそれが、ぽとりと頬の上に落ちかかって、カイルは目を見開いた。
 ああ、しまった。
 この子どもが、どんなにか神経を高ぶらせているのか、わかっていたつもりでいたのに。
 たぶん、ブラッドが予想外のことを言い出したせいで、カイルのほうもいくらか混乱しているらしかった。
「……泣き落としはずるいぞ」
「そんな……つもりじゃ……」
 ずるいのは、あんただ、とブラッドは情けない声で言い返した。
 よいしょ、と起き上がったひとを、もう一度押し倒すだけの気力はなかった。
「おいで」
 ブラッドの下から抜け出して、カイルは静かに子どもを呼んだ。もう反抗するのにも逃げ出すのにも疲れ、ブラッドは、どこへ行くのかも聞かずに、ただカイルのスニーカーのかかとだけを見て、後ろを歩いた。見慣れた造作だ。階段を上れば、最初の部屋が、ブラッドに与えられた寝室だった。
 開いたドアから中をのぞく。ベッドカバーまで、まだブラッドが出て行ったときのままだ。
「ここで待ってて」
 灯りもつけない部屋に残されて、ブラッドは乱暴に目許をこすった。
 頭の中に色んなガラクタを詰められて、力任せにシェイクされた気分だ。自分が何をしたいのか、カイルにどうして欲しいのかもわからなくなった。セックスをしたいのかどうかも、ほんとうははっきりしない。
 自分の内側で渦を巻いている、熱くて暗くてどろどろとした何かを吐き出してしまいたいだけだ。
 すん、と鼻をすすって、カイルに謝ろう、と思ったとき、当の本人が帰ってきた。
「お待たせ」
「あ……の」
「最近使ってなかったから、場所を思い出せなかった」
 そんなことを言いながら、ベッドに何かを放り投げた。
 灯りはついてなくとも、廊下からの光がまっすぐそこに届いている。穏やかな黄色い光の中でその品物の正体を認め、ブラッドはばっと赤くなった。
「カ……カイル……」
「だって、君、持ってないだろう? ちょっと前のだけど、使えないってことはないと思う。……こういうのって、消費期限あるのかな? でも一年くらいは大丈夫だよなあ」
 それと潤滑材、これは代用品のハンドクリームだけど問題はないだろう、と平気な顔で続けられて、ブラッドはもう、どうしていいのかわからなくなった。
「ライトはなくてもいいだろ?」
 カイルはブラッドを置き去りにして、どんどんと話を進めていく。
 かちりと音をさせてドアが閉まっても、窓から入る外の光で、お互いの顔の見分けくらいはついた。うす青い光に照らされたカイルの横顔はずいぶんときれいで、ブラッドはまたドキドキと鼓動が激しくなるのを感じた。
 もしかして──もしかしなくても、カイルはブラッドとセックスしてくれるつもりらしかった。
 そんなに簡単でいいのか。何故だ。さっき泣いてしまったからだろうか。
 だったら馬鹿にするなと言いたいところだったけれど、目の前のシチュエーションはあまりに甘やかで、そうと言い出すにはよほどの思い切りが必要だ。
 カイルを抱きたい。怒りや哀しみの他にも、自分の中にこんなに御しがたい衝動があるなんて知らなかった。
「……どうした? 泣いたら萎えたのか?」
 ベッドを背景にして振り返ったカイルが、にやりといじわるな笑顔を見せて、そう言った。
 そんなふうに笑えるなんて、知らなかった。楽しそうだったり、優しそうだったりする笑顔は何度も見て、知っていたけれど。
「な……えてたけど、あんた見てたら、すぐに戻りそう」
 正直に告げたら、また笑われてしまったが、もう、そんなことに傷ついている余裕はなかった。


 君が思ってるほど、いいものじゃないかもしれない、とカイルは言った。
 やっぱり女の子がいい、と思うかもしれない、とも言った。
 お互いに着ている物を脱いだ後で、そもそも、ほんとに君の、役に立ちそうかい? とまで聞いてきた。
 どれもこれも、ぜんぶ見当外れな心配だったじゃないか、と、夜道を歩きながら、ブラッドは思った。きん、と冷えた夜気は皮膚の表面から温度をうばっていったけれども、甘ったるいようなほろ苦いような、鮮明でいてあやふやな記憶を冷まさせるためには、すこしも役にはたたなかった。
 確かに自分はさっき、カイルを抱いて、けれど、その外側で、抱きしめられていたようでもある。
 自分ですることはあっても、他人に触れられるのは初めてで、予測のつかない快楽に、ブラッドは踏みとどまれずに流された。カイルは、それを恥じ入る暇も与えずに、丁寧に形をなぞり、あの器用な指で、もう一度、ブラッドを煽り立てた。それは、とても簡単な仕事であったようだった。そうして、脚を開いて、経験の足りない子どもを導き、彼の中へと受け入れた。
 カイルが自分で、その後、ブラッドが自分から、請うて触れた場所へ。
 知識としては知っていても、実際に触ってみると、そこは、ありえないほど狭くて、とても無理だと思われた。
 「乱暴にはしないでくれ」とカイルは何度も繰り返したけれど、言われなくても、おそるおそる触れるだけで精一杯だ。
 それでも、クリームの油分に助けられて、第一関節の辺りまでを滑り込ませると、俄然、興味がわいてきた。カイルの中は、狭くて、きつくて、熱くて、そのくせ従順にブラッドの指を受け入れる。
「……あ……、………そ、こ……」
 人差し指を根元まで押し入れたところで、カイルが細い声をあげた。かすれ気味のそれは、たとえようもなくセクシャルで、ブラッドの耳から入って腰骨へと転がり落ちた。
「……ここ?」
 動きを止めて確認をとる。かすかな明かりの中で、カイルがうなずいたのが見えた。
「そこ、を……、強く」
 言われるままに、指先に力を込めた。
「う…………」
 カイルの腰がじりじりと動く。感じているのだ、と思うとブラッドの身体も熱くなった。
 もっと。
「……それから?」
 それから、どうすればいい? あんたは、どうして欲しいんだ。どうしたら、もっと感じてくれる?
 どんなふうに、どうやれば。
 セックスの回数は、どこで数えるのだろう。
 もちろん、厳密に言うなら、身体をつないだ場合のみをそう呼ぶのだろうけれど、それだけでもない、とブラッドは確信を持って、そう思う。
 カイルの唇や、指や、肌に触れるだけで、ドキドキしたし、触れられるだけで興奮した。ひそめられた眉の形や、閉じたまぶたの下で眼球の動くようすや、喉の奥にしまわれたうめき声にすら、はっきりと欲を煽られた。そのときの二人は、完全に分かたれた二つの存在であったけれども、そういったささいな時間までもが、たしかに情事であり、つながっていると感じていた。
 受入れられたと感じる瞬間と、その幸福、安心する気持ち。それは、肉体に与えられる愉悦とは、まったく別のところで、ブラッドを満たしていく。
 カイルは何も言わなかった。どうして、こんなことに付きあってくれたのか、や、ブラッドをどんなふうに思っているのか、や、同性とのセックスを彼はどう思っているのか、という、大事でささいなことについては何も。
 そのかわり、すべてが終わった後で、行為に熟んだ声で、「俺が口を出すことじゃないけど」と前置きをしてから、言った。
「家へ、帰ったほうがいいと思う。きっとジョージーが死ぬほど心配してる」
 話し合うべきだよ、と彼は言った。
 言葉を尽くすだけの価値のあることだからだ。
 できるうちに、とカイルは言った。
 たとえ喧嘩になったとしたところで、相手が生きているならいいじゃないか、と。

***

 
2010.03.19再録