静夜3
「オデュッセウス様──」
「王よ」
「ああ、あんたの兵が来たぞ、オデュッセウス」
使いの者がどう伝えたのかは知らないが、両手指の数ほどのイタケの兵が、酒と糧食の入ったらしい袋を抱えてやって来た。皆一様に笑顔を浮かべているから、自分たちの主が主催の酒宴が開かれている、とでも聞いたのかも知れない。
「御苦労、イタケの兵よ」
「アキレス殿……!」
イタケの兵士達は、黄金の獅子に膝をついて敬意を表した。多くの兵士達にとって、アキレスは生きた伝説そのものであり、その圧倒的な強さは畏怖と憧憬の対象だった。
アキレスはニヤニヤと笑ってイタケの兵を見下ろした。
「酒は極上か? 安酒ではお前らの王は返せんぞ」
「我が国自慢の赤葡萄酒です。どうぞ我らの王をお返し下さい」
オデュッセウスの兵は、笑いながら、芝居がかった仕種で酒の入った樽を掲げて見せた。ミュルミドン兵がからかうような笑みを浮かべて、彼らの様子を見ている。
エサにされて、初めは眉をひそめていたオデュッセウスも、とうとう笑いだした。
「やれやれ、それは我が軍秘蔵の葡萄酒だぞ! 味もわからぬ獅子になど、もったいない」
「あんたの身代金に相応しいと兵たちが判断したんだ。良かったじゃないか、酸っぱい麦酒があんたには似合いだと思われなくて」
アキレスの言葉に、座がどっと沸いた。
それをきっかけに二つの軍の兵士達は入り乱れて腰を下ろし、杯を交わしあった。イタケ王の身の代たる秘蔵の酒とやらも、アキレスは気前よく兵たちに回してやったから、皆まろやかな酒の味に舌鼓を打った。
肩を叩きあい、笑い崩れるようにして打ち解けている兵士達を見ながら、一体彼らのうち何人が無事にギリシアの土地を踏めるのか、とオデュッセウスは思った。
せめて、その確率を上げるための『木馬』だ。彼らに無駄に砂地を駆けさせ、トロイの城壁を前に倒れさせたくはない。
「オデュッセウス」
「何だ?」
「トロイには俺も連れて行けよ」
木馬の腹に潜んで、イリオスに奇襲をかける。門戸を開き、ギリシア兵を引き入れる。その先発隊に加えろ、とアキレスは言った。
「……策略だと気付かれたら、トロイの城壁をくぐる前に丸焼きにされるかもしれんぞ?」
そんな可能性はまずないと踏んでいるくせに、ギリシアの軍師はわざと不吉な予測を口にした。
「それでもいいさ。この策が駄目だったら、アカイオスは本当に撤退するしかなくなるだろう」
投げやりと言うには静かな口調でアキレスは言った。
「いいのか、それで」
「──いいんじゃないか」
アキレスの声がわずかばかりの笑いを含んでいる。
おそらく、この男にも思うところがあるのだろう。
この地は僅かばかりの間に、アキレスから多くのものを奪い、与えた。
今は爪も牙も収めた獅子が、オデュッセウスの肩に頭を乗せた。閉じられた瞳に去来するのは、自ら剣を教えた従弟の姿か、好敵手だった敵国の王子か、その従妹たるアポロニアの巫女姫か。
ヘクトルの喪が明ければ、最後の戦闘が始まる。
トロイ側に運があれば、戦は始まる前に終り、ギリシアは恥辱にまみれ故郷へ帰るしかない。
ギリシア側が運に恵まれれば、トロイは怨嗟の声と共に完全に滅亡することになるだろう。
運命の賽がどっちに転んだとて、血と炎と悲鳴に満ちた未来が確実に待っているというのに、こうして身体を寄せ合っていると、全ては 英雄譚 サーガ の中の出来事のようだ。

オデュッセウスは肩の上の重みに声をかけた。
「アキレス」
答えはない。
最初から期待しなかったオデュッセウスは、きらきらとかがり火を映して光る金の髪に頬を乗せた。

いつか、自分たちはこの夜を思い出すことがあるのだろうか。
あれは、戦の中にありながら、不思議と静かな、平和な時だったと。

遠く未来にこの戦争を知った者が、思いを馳せることはあるだろうか。
戦の中で、こんな夜を過ごした英雄達がいたのだということを────。



「アキレス……眠ってしまったのか? …………アキレス────?」


END
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2004.07.22


あの疫死人は一体どうやってたのかが気になって。
死人ですよねえ? 生きてたらバレますよねえ? 
戦闘で死んだ兵士か、とも思ったんですが、病気で死んだのと怪我で死んだのじゃあ全然違いますよね。死体が全部怪我人じゃ、怪しすぎますし。
原作のオデュッセウスは時に非人情的とすら言える策をとりますが、どうしても豆ッセウスはそういうことが平気だとは思えない──
と思ってしまう時点で、あのマジックスマイルにやられちゃってるんでしょうか……。
でも、兵士の命を屁とも思わない上官より、大事にしてくれる将にこそ、兵士はついていくものだと思います。
結果として、犠牲が出るのが戦だとしても。
木馬の定員は30〜300名まで、諸説紛々らしいですね。
どれくらい大きかったか知りませんが(そして、過去の人間が小さかったとしても)300人は入らんだろう(笑)。