| 霸者がいる。 智将、という。 勇将、という。 百年千年後にも名を残すかもしれない男達がいる。 そして、それだけの偉業を成すのにもっとも必要なのは────普通とは異なる神経なのだ、とパトロクロスは思った。 HOT BLOODED パトロクロスは困惑していた。 トロイの海岸で、従兄を探してたどり着いた、イタケ王の陣屋でのことである。 その日、ギリシア軍は休日だった。 無論、彼らは戦争をしに来ているのだから、休日、というのは休戦、ということである。 戦というのは陣営一つでは出来ないから、休戦、というのは当然相手方も了承済み、ということである。一方的に闘いを放棄したのなら、それは「敗北」と呼ばれる。 何故休戦か。 ──気温のせいである。 ここ一週間ばかり、トロイでは「記録的な猛暑」が続いていた。何でも、十数年ぶりのことだそうだ。 猛暑、という言葉に明確な定義はない、らしい。しかし、ともかく意味はわかる。「猛々しい暑さ」、という意味だ。 あらあらしい、とか、きびしい、とか、ひどい、とか、そういう意味でもある。 そして、この一週間は本当に猛々しく暑かった。 太陽神が、何かに浮かれて張り切っていたか、逆によほど不愉快なできごとでもあったのではないか、と思われるほどの暑さだった。 噂によれば、信心深いことで有名なプリアモス王ですら、アポロンにちょこっとばかり不満をもらしたほどであったという。 初めは両陣営とも「神々は我らの士気を試しておられるのだ!」というようなことを言って、兵士たちを鼓舞していたが、夜になっても一向下がらない気温の中では、そんな世迷言など誰も聞く耳を持たぬ。 戦場へ行っても戦うどころではなく、ただふらふらとさまよいながら「暑いー、暑いー」とうわごとのように呟くことしかできない。 何せ3200年前である。 扇風機もクーラーもない。アイス●ンも熱冷●シートも冷蔵庫もかき氷も冷えたビールもない。ついでにオゾンホールもないのが唯一の救いである。 それでも、一週間、兵士たちは頑張った。 彼らを率いる将たちも頑張った。 戦いによる死傷者よりも熱中症で倒れる兵士の方が増えても頑張った。 頑張って、頑張って、頑張って、頑張って…………キレた。 「やってられるかあああっ!」 と言い出したのはどっちだったか、ともかくそれは疫病のように両国の兵に広がって、彼らは皆、鎧兜を脱ぎ捨てて、剣も盾も槍も放り出してしまった。 地面が熱砂でなければ、どっかりと腰を下ろしてしまっていただろう。 それをとがめるはずの将たちからは、叱咤の声は聞かれなかった。 彼らだって暑いのは同じである。 陽炎すら見えている戦場で、両陣営から使者が立てられ、これでは戦にならぬ、ともかくこの熱波が去るまでは、と半ば投げやりに(使者だって暑さでダレていた)停戦条約が結ばれたのである。 そんなわけで、ギリシア軍はトロイの浜辺で溶けていた。 少しでも日陰になるところ、少しでも風の通るところを見つけては、陸に打ち上げられたマグロのように寝っころがったり、もっと簡潔に涼を求めて海で泳いだりしている。 諸王たちはさすがに一般兵とは違い、何重にも重ねた天幕の中で奴隷に団扇で煽がせたりして涼んでいたが、それを非難する者はいなかった。てっぷりと脂肪の乗った皺腹をさらしたくたばりぞこな──御老体たちが、腰布ひとつで転がっている様など、誰も見たくなかったからである。 もはや周りから見れば、戦争に来たのかバカンスに来たのか、さっぱりわからなくなっているギリシア軍だった。 「エウドロス、アキレスを知らない?」 陣屋の影で涼んでいたらしいエウドロスを見つけて、パトロクロスは問いかけた。 いつも黒っぽい衣服に身を包んだミュルミドンたちも、さすがにこの暑さではたまらないと思ったのだろう、珍しく皆明るい色のキトンや腰衣を身に着けて、何とか暑熱をやり過ごそうとしている。 とはいえ、多少ダレ気味ではあったが、他の隊に比べれば、まだそれなりに規律を保っていた。 こと戦闘に関しては一切の妥協を許さないアキレスの教育の賜物である。 かく言うパトロクロスも、額にうっすらと汗を帯びている程度で、普段とさして変わっているようには見えない。華奢に見えても、さすがは獅子の血族というところか。 「アキレス様ですか? 陣屋にはおられないので?」 「『こんなところにいられるか!』って怒鳴って、どこか行っちゃったよ」 アキレスの陣屋は黒い。 もともと熱吸収率が高いのである。しかも、入り口が一つしかないから、風も通らない。 基本的にはそれで問題ないのだが──陽の高いうちは戦っているのだし、こういった場所は夜には急に冷え込むものなのだから──、この暑さの中、しかも日中となれば内部は蒸し風呂の如くなのだ。 「アポロンの神殿では?」 「行ってみた。足の踏み場もないくらいの人が床に貼りついてたけど、アキレスはいなかったよ」 アポロンの神殿は石造りである。当然熱伝導率は低い。内部は涼しいし、床や壁、柱にくっついていれば、より快適だ。 そのことに気づいた兵士たちが次々に押し寄せて、今、彼の神殿は絨毯の替わりにギリシア兵が敷き詰められているような状態だった。 ──ちょっと不気味な光景である。 仮にアポロン神がその様子を見ていたとしても、多分、喜びはしないであろう。 そんな人間カーペットの中に自分の主がいるとは、エウドロスにも思えなかったので、他に彼の行きそうな先を考えてみる。 といっても、社交的とは言いがたいアキレスのことだ、ギリシア軍内にいるとしたら、行きそうな先は一つ二つしかなかった。 「では、オデュッセウス様のところかもしれません」 ギリシアの諸王の中で、唯一アキレスの友と呼べる相手の名をエウドロスは上げた。 「イタケの王か……そうかも」 パトロクロスの表情がぱっと輝いた。 彼は、従兄を尊敬していたし、彼の武勇に憧れ、いずれは自分もああやってギリシア中に名を知られる戦士になりたいと思っていたが、それとは別のところでオデュッセウスにも憧れていた。 小国イタケの王でありながら、彼はその知勇によって、アガメムノンに重く登用されている。 王族嫌いの従兄が、彼のことだけは認め、褒め言葉らしきことを口にする。 一体彼はどのような人間なのか、ギリシアで知らぬ者はないと名高い彼の知略とは如何様なものなのかを知りたくてうずうずしていたのである。 オデュッセウスがアキレスを誘いにピティアへ来た日、少しばかり話をしたが、トロイに来てしまえば当然相手はそれどころではなく、言葉を交わすどころか彼の姿を目にしない日も多々あった。 「アキレス探し」は、彼を訪ねていく絶好の口実であるように思われた。 もし、時間があるなら少しくらい話を聞かせてもらえるかもしれない。 すでに「従兄がそこにいるかどうか」はどうでも良くなったパトロクロスは、さくさくとオデュッセウスの陣屋へ向かった。 |
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