妬心 ネタムココロ  〜16歳〜 3
「アキレス……」
荒々しい口付けの余韻に呼吸を乱しながら、オデュッセウスはアキレスを見上げた。
「アキレス……私の昔の話を聞きたいか?」
「何だって?」
反射的に答えを返してから、アキレスは質問の意味を考えた。
唇を合わせて、舌をからめて、熱くなった身体を重ねようというときに、一体何を言いだすのだろう。でも見下ろした顔は、目元を染めてはいるけれども、しごく真面目な表情をしている。
アキレスは嘆息した。
以前にも、こんなことがあった気がする。オデュッセウスと、初めて愛を交わした日に。
海千山千で駆け引きには長けているはずの知将は、しかし、肝心なときの話の内容と、間を選ぶタイミングは最悪だ、と思うのは自分だけなのだろうか?
「あのな、なんであんたはこんなときに……」
「もっと早く話しておくべきだったのかも知れない」
「聞きたくない」
「待て」
にべもなく言って覆いかぶさろうとする恋人を、ぐいぐいと押しのける。
「不安になるのは知らないからだろう? 知ることは不快かもしれないが、不安にはならない」
「不快になるようなことなのか」
もうすでに機嫌を損ねた顔で、アキレスは言った。
「彼の話をしただけで、君は怒り出すじゃないか」
「あたりまえだ! あんな豚、敬う価値などない! それなのに、あんたは……ッ、あんたが………」
怒りのあまりに言葉が続かない。くそ、と悪態をついて、アキレスは顔を伏せた。
「アキレス……私は、君に謝るべきなのかもしれないが、そのための言葉は持っていないんだ。何も後悔してはいないから。あの日の私がいなければ、今の私もここにいられないから」
ギリシアの覇権を狙うミュケナイに従っていなければ──あるいは、イタケ王の価値を知らしめていなければ、今ごろは彼の愛する国も、民も、蹂躙されていたかも知れない。国の名はなくなり、彼らはどこかの国の奴隷として連れ行かれ、己のためでなく、誰かのために働かされる。
仮に、そうはされなかったとしても、今よりもずっと扱いは低く、課される荷は重かっただろう。それも、勝ち目のない戦いで無駄な血をさんざんに流した後のことだ。
そんな未来を想像するだけで、イタケの王は嘖まれずにはいられなかった。
国を守ると言うこと、それはすべてが剣で片づけられるものではなく、時には、始まる前に終わっていることもある。
アキレスはちっとも納得していない顔で、それでも、なんとか理解をしようとしているらしく、眉間を寄せて考え込んだ。
「──愛してたというわけじゃないんだな」
「嫌いではなかった。今もだよ。でも、君の言う愛情とは全然違うものだ」
「何であれが嫌いじゃないんだ」
「何故君は好きじゃないんだ?」
くすくすと笑いながら問い返されて、アキレスは言葉もなかった。あの僭王を好ましく思う理由を探すくらいなら、大海の中で針一本を探し出せと言われたほうがまだ可能性がある。
「だから、私は君に許しは請わない。必要だとは思わないから。今さら、過去を変えることも出来ない。──ついでに言うなら、何もなかったと、君を偽ることもしない」
「オデュッセウス」
「君が手に入れたのはこんな相手だ。それでも──」
いいかい、と笑いながら言おうと思った言葉は、どうにも語尾があやふやになって、ひどく頼りない声になってしまった。
アキレスの返事はそれとは対照的だった。
「昔なんか知らん。今、あんたがここにいればそれでいい」
みじんの逡巡もなくそう言いきる英雄は、もうこの件に関しては結論を出してしまったようだった。これ以上は何を考える気もないらしい。
「いいのかそれで」
「何かよくないか」
問い返されて、オデュッセウスは言葉につまった。アキレスは大真面目だ。
まっすぐに目をのぞき込まれて、視界いっぱいが空色になった。鮮やかな蒼。
「あんたはいっつもそうだ。小難しいことばかり考えてるから、自分のこともわからなくなる。前にも言った。あんたはどうしたいんだ」
「アキレス」
「俺は、あんたを離す気なんか全然ないんだぞ、軍師どの」
自分の気持ちに気付いてから三年、想いが通じてからでもそれから一年。けれど、振り返ればきっと、片手で収まる数しか生きてないころから、ずっと想い慕った相手だというのに。
「あの日、あんたは俺を待っていたと言った。あんたはすぐに口先でひとを振り回すけど、大事なことには嘘はつかないだろう」
「それは──買いかぶられてるととればいいのか?  それとも、信用されてると?」
「信用なんかしてない。……でも、知ってる」
たとえば、そうやって二人の時に話をはぐらかそうとしたり、不必要に饒舌になるのは、たいがい気恥ずかしいのをごまかすためだ、ということとか。
だから。
「『今はアキレスだけだ』と言え」
傲慢に、けれども真摯に若者は言う。
怖い物知らずなのは、生まれ持っての性格か、、経験の足りなさゆえか。
けれど、その潔さを、オデュッセウスは愛していた。
「……そうだね、私も年をとった。ささやかなりとも軍の中に居場所があるし、それなりに発言力も得ている。望まぬ相手にまで、好き勝手な振る舞いをさせる必要はないから」
「──俺にこうされるのは?」
「本気で嫌ならアキレス、私は自分の手も汚さずに、明日、君を葬ってしまえるよ」
柔らかな笑顔のままで、さらりと怖いことを言い、けれどその手は恋人を抱き寄せるために、相手の背中へとまわされた。
頬に、首筋に、鼻の先に落とした口付けをくすぐったそうに受け入れる。
胸の先を飾る桃色の尖りを、舌先でぺろりと舐めあげると、ひ、と小さく息を飲む音がした。唇に含んで、口腔内で転がせば、丸い肩が、脚が、快楽に揺れた。
「ん……っ、あ」
ぁ、と零れるような甘い息を吐いて、オデュッセウスが目を伏せる。滑らかな肌の感触を手のひらで楽しんで、胸、脇腹、腰、と下ろしてきた手で、そろりとペニスにからめた。
「…………っ」
指の先まで温かなアキレスの手に包まれて、オデュッセウスが息を乱した。
普段の素行からは想像しにくいほど、アキレスの愛撫は丁寧で優しい。乳首をなぶる舌はそのままに、アキレスは柔らかく的確な手技で、オデュッセウスの欲望を育て上げた。
上と下と、二ヶ所から同時に煽られた快楽は、急速に腰の裏側へと広がって、反応を生み出していく。
先走りの液がアキレスの指先をぬめらせて、その感触と、音にオデュッセウスは頬を染めた。
「あ……っ、ん………」
アキレス、と背を這う指に力をこめれば、なだめるように、頬に口づけが下りてきた。
オデュッセウスのペニスが完全に屹立したところで、アキレスはいったん、手を離した。腕を伸ばして、枕元を探る。
いつものところにある香油の壷を探り当てて、アキレスは心得顔で笑った。それは、二人が情を交わし始めてからの暗黙の約束事のようなもので、自国の部屋であろうと、 戦場 いくさば の陣屋であろうと、アキレスが側にいるときは、いつでも同じ場所にひそりと隠されている。
それは、アキレスの恋情と独占欲を、二つながらに満足させた。
ふたを開けば、想い人の好む香りがふわりと広がる。そうやって、同じ夜、同じ薫香を共にすることにもずいぶんと慣れた。
「オデュッセウス────」
「………っ………」
耳元で熱を込めて囁けば、腕の中で恋人が、いごこち悪げに身じろぐさまにも。
すべらかな内股をなぞりあげて、ひそやかに息づく蕾にふれる。
堅く閉じたままのそこを、油でぬめる指先で二度三度なぞった。
「……安心したか?」
浅く息を吐きながら、オデュッセウスは揶揄するように言った。
「──信じてないと言った」
「……ん……っ」
滑り込んできた指の感触に、オデュッセウスはちいさく声をあげる。遠慮のないアキレスは、ためらいもなく根元まで埋めて、恋人の前立腺を探った。
前戯で膨らみきったそれを、ぐいぐいと押されて、オデュッセウスの身体が大きくしなる。
「あ……っ、や……、アキレス……っ」
どうしようもない快楽に、腰が揺れるのを止められない。増やされる指もあっさりと受け入れて、オデュッセウスは滑らかな腹をせわしなく上下させながら、より直接的で大きな刺激を待ち望んでいた。
「はあ……っ」
濡れた吐息が漏れるころには、アキレスもとうに興奮しきっていて、そんな恋人の熱の塊を、潤んだくぼみに押し付けられて、オデュッセウスは目を瞑って、来るべき衝撃にそなえた。
「あ……っ、あ、……は……っ」
寄せられた眉間も、ひくつく喉も、苦痛ゆえではないと知っている。
肌がぴたりと合わさるまで収めきってしまうと、アキレスはひとつ、息をついた。ちいさい動きでオデュッセウスを追い詰めると、アキレスのペニスを包み込んだ内壁が、奥へ奥へと誘い込むように蠕動した。
「アキ……レス、……ん、ぁ…………」
「もっと?」
わざと、言葉に出してみる。
オデュッセウスは驚いたように目を開き、それから、顔を逸らして、ほんのかすかにうなずいた。
「……いつも……みたい、に……」
言ったとたんに後悔したような顔で、きつく目を閉じる。
いつも、と言えるほどに、そうして、そのやり方が馴染むほどに、情を交わしてきたのだと、そう改めて思い知る。
それは、すこしばかりの羞恥はあったけれども、決して不快な感情ではなかった。
もっともそれは、オデュッセウスにとっては、であり、アキレスにしてみれば、羞恥などどこ吹く風であったのだけれども。
「あ……っ!」
突然大きなスラストで、アキレスが腰を動かした。
ひ、と喉の奥で声を噛み、やがて鼻から抜けるような甘い嬌声に変わる。
奥の奥までを開かされて、それでもそれが快感でしかないのが、どうにも業腹な気もするけれど。
「オデュッセウス……オデュッセウス……!」
「……ぁん……っ!」
アキレス、と名前を呼んで、もう後は意味のある言葉にはならなかった。


***


「……気が済んだか……」
見上げる目は、きわめて恨みがましく、けれども、どこまでも濡れて艶っぽい。
伸ばしかけた指を、「叱っ」と猫でも追い払うような声で止められた。
それをする動作もできないほどに、オデュッセウスは使い果たされて、疲労していた。
「触るな、獣め! 人の弱みにつけこんで……!」
「弱みだって? あんたに?」
そんなものをうかうか掴ませる軍師どのか、と、楽しそうにアキレスは笑った。
けれど、その顔には充足感に満ちた表情が浮かんでいて、オデュッセウスをふてくされさせる。
「いいか、触るなよ。もう寝るんだ。明日も戦闘があるのに……」
もう、夜明けはそれほど先のことではない。けれど、すこしでも眠って、体力を取り戻そうと、オデュッセウスは猛々しい恋人に釘を刺した。
「あんたの軍師は腰が立たないようだ、と、俺があの豚王に伝言してやってもいいぞ?」
「──そうしたかったのか?」
情交の後遺症で寝込んでいることと、何よりそれをもたらした相手が自分であるということと──そう告げることで、アガメムノンに対して、オデュッセウスの所有権を主張するような真似をしたいのか、と。
剣呑な空気をはらんで問いただす年上の恋人に、アキレスは「いいや」とあっさり答えた。
「あんたがここにいればいい、と言っただろう。あんな豚王と張り合うつもりなんか、ぜんぜんない」
比べられてたまるか、と言わんばかりの若獅子に、ずいぶんな自信だな、とオデュッセウスは揶揄気味に笑った。
「あたりまえだ。俺の方があいつより若いし、強い。上背もあるし、見目もいいだろう?」
すましてそう言うアキレスを、年上の恋人は「鼻持ちならない奴だ!」と苦笑交じりに評した。
アガメムノンも充分に彫りの深い顔立ちで、けっして醜悪とは言えないのだけれども、まあ、美丈夫と言う言葉をこれ以上的確に体現している者はいまい、と言われるアキレスとでは分が悪いのは確かだった。
「それに、あいつはあんたにイタケしか与えないが、俺はあんたにギリシア全土を手に入れてやれる。──あんたがそう望むなら」
「ギリシアを?」
「不可能だと思うか? あんたの智慧と俺の力があっても?」
アキレスは笑顔を浮かべていたけれども、瞳は笑っていなかった。
ギリシアを、手に入れる。
とんでもなく大きな──野望というよりも、夢物語のような話だ。──それを言い出したのが、アキレスでなければ。
「アキレス、君……」
「──欲しいか? ギリシアが」
「いいや」
イタケの王は即座に首を振った。そんなものは、オデュッセウスの手には余る。
西ギリシアの、小さな島国。それだけが、彼の守るべきものであり、欲しいものだった。
その答えは、予想の範囲内だったようで、「そう言うだろうとは思った」と、さほど残念そうでもなくアキレスは言った。
「その話は、絶対に他人にはするなよ。警戒される」
それでなくとも、すこしも従順ではないアキレスの気性と豪勇、彼を慕う兵士たちの多さを、アガメムノンは危険視している。彼がギリシアの覇権を狙っているなどと──噂話にでも耳に入れば、どんな手を打ってくるか、知れたものではないのだ。
「あんたが興味ないなら、俺にはどうでもいい話だ」
勧めた酒を断られたかのような気軽さでそう言って、アキレスはオデュッセウスを抱きこんだ。
「アキレス……っ」
「何もしない。オデュッセウスは腰が立たない、と俺に報告されたくなければ、おとなしく寝ろ」
「諸悪の根源が、他人面をして言うことか」
憎まれ口をききながらも、オデュッセウスは目を閉じた。頭の下に、アキレスの固い腕がある。
二人の間にこもっているのは、同じ香油の香りだ。
仮に、朝の食事を抜いたとしても、どれほどの時間を眠りに費やせるだろうか。
半分眠りに捕らわれた頭で考えながらも、オデュッセウスは、もう、 暁の女神 エーオース の馬車を厭おうとは思わなかった。


END
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2005.04.17

アキレスはともかくとして、どうしてうちのオデたんは、こんなにアキレスが好きなんだろう……。