| FACE 1 |
| 「ブラッド! ブラッド、ちょっと待って……なあっ」 ぐいぐいと腕をひっぱられながら、ショーンは何度も何度もブラッドの名前を呼んだ。 ただ、あまりに大騒ぎをしては誰かに見とがめられるかも知れないから、相手に聞こえるだけの、押えた声だったけれども。 「なあ……」 「うるさい。これ以上わあわあ言うならここで押し倒すぞ」 ぎっ、と冷たい目で睨まれてショーンは口をつぐんだ。 目つきの悪さでいうなら、ちっとも引けをとるとは思わないが、ホテルの廊下でブラッド・ピットに押し倒されたのでは、二度とおもてを歩けなくなる。それはもう、ありとあらゆる意味で。 「なあ、主役が打ち上げを抜け出しちゃまずいだろう」 それでも抑えきれない不安と不満が口をつく。 「もう主役じゃない」 ポケットから流れるような動作でカードキーを取り出したブラッドは、乱暴に自室のドアを開けた。 ショーンを押し込んでおいて、背中で扉を閉める。ロックの音がちいさく響いた。 「撮影は終わったんだからな」 「ブラッド」 勝ち誇ったように笑うブラッドに、ショーンは何とも情けない顔をした。 「なあ、私は逃げたりしないよ。何なら、ここで待っててもいい。でも君は……」 「ああもう、本当にあんたはうるさいな!」 来いよ、とまた腕を引張られて、行き着いたのは扉二つ向こうの寝室。 流麗なデザインの大きなベッドが、つつましやかな存在感で部屋を制していた。華美ではないが、大人が4人並んでもまだ余裕のありそうなそれは、その質量だけで空間を圧倒してしまう。 そのシーツの手触りだとか、スプリングの良さだとか、枕の柔らかさだとかを知らないなんて、いまさら言うつもりはないけれど、何と言うか、こんなに「やる気」の恋人と一緒に見ると、やたらとなまめかしい気がしてどぎまぎする。 いや、今までだってここへ連れ込まれたときは、例外なくやる気だったのだけれども、でもしかし。 しかし。 嬉々としてジャケットを脱ぎ捨てているブラッドをちらりと横目で見た。 今日の彼にはリミッターがない、ような気がする。 「ブラッド……その……」 「何?」 「え? ええっと、何、というか……えーと……」 うろうろとショーンの視線が泳ぐのは、言い訳を探しているときだ。逃げ出すための言い訳でなく、今ここでクランクアップを祝う席を二人して抜け出して、セックスをするための理由付けを。 ブラッドは――ハリウッドの中でも殊更に極上品のハンサムは――、ぎゅうっと眉を寄せて、ショーンの前でひらひらと手を振った。 相手が起きてるのかどうか確認しようとしてるかのように。 「ハイ、ショーン。大丈夫か? あんたは何でそういうところだけ、常識人なんだ?」 「私は常時常識人だよ」 失礼だな、君は、とショーンは渋い顔をした。 「いいだろ、あんだけ大騒ぎになっちゃ、一人や二人や三人や四人、いなくなったって誰も気づきゃしないよ」 パリスとヘレンがいなくなっても、誰も気づかなかったじゃないか、ととぼけた調子でブラッドは言った。 「君がいなくなって気づかない奴なんかいるもんか。私ならともかくも……」 「俺が気づくよ」 ショーンがいなくなったら、俺が気づく、とそれはそれはきれいな笑顔でブラッドは言った。 「う……そ、そう……なのか?」 「オーリも気づくだろう。エリックもね。あんたはみんなに好かれてるから」 じゃ、二人して姿を消してるのがバレバレだってことじゃないか、とショーンは泣きそうになった。 「別に、気づかれたっていいさ」 「よくない!」 「その辺で涼んでたとか何とか、適当に言っておけばいいだろう? それよりショーン、あんたはこっち向く!」 両肩に手を置かれて、くるりと体が90度ほど回る。鼻先4インチほどのところに、ハリウッドスターのどアップがあった。 「ブラ……」 もう毎日のように見ている顔なのに、いきなりこの距離まで迫られると心臓に悪い。 0インチどころか、マイナス数値で触れ合ったことがあっても、だ。 ぺたり、と頬に手のひらが添えられる。もう片方にも。 そうしてブラッドは、病を探そうとする医師か、あるいは指先で形をとらえようとする盲目の人のように、ショーンの顔を丁寧になぞった。 「やっと、あんたの顔が見られる」 ふふ、と笑ったブラッドはものすごく上機嫌だった。 かあっ、とショーンの顔が熱くなる。 「あっ、逃げるな、こら」 「君は……君は、どうしてそういう……っ」 何とか離れようと身をよじりながら、ショーンは恋人をなじった。 「そういうもこういうもないだろ。ずっと我慢してたんだぞ、俺は」 両腕の外から抱きしめて、その自由を奪ってしまうと、ブラッドはショーンの首筋に顔を埋めた。 「あんたが。爪でも立てたら言い訳ができないからって、後ろからしかやらせてくれないから」 「だからっ、そういうことをわざわざ口にするなと言うんだ!」 それは、二人が体を交わすときの約束事だった。 といっても、言い出したのはショーンで、一方的に守らせたのもショーンだったが。 でも、それは当然の処置だとショーンは思う。 何せこの主演俳優は「服で隠れて見えないところ」なんて、どこにもないのだ。 顔を見ながらしたい、とブラッドはさんざん駄々をこねたが、正論がどちらにあるかは自明の理だったので、最終的には押し切られたのである(それは、二人の関係において大変希少な出来事だった)。 で。 「もう撮影が終わったんだからいいんだろう、ショーン」 顔と言わず、髪と言わず、ちゅ、ちゅ、とわざとらしく音を立ててキスを落としながら、ブラッドはニヤニヤと笑って言った。 だって撮影が、と二言目には口にするショーンに、クランクアップしたら覚えとけよ、と返すのが定番のやり取りになるほどの夜を過ごして、ようやく迎えた日を、ブラッドは一分だって無駄にする気はなかった。 「口寂しいなら、最愛の煙草に再会のキスをしてやったらどうだ?」 「シガーよりあんたがいい」 ぐいぐいと体重をかけられて、それでなくても両腕を封じられた不安定な状態にいたショーンは、思惑通りにシーツの海へ沈められた。 もうそのときには、シャツのすそがウエストから引っ張り出されていて、そのすばやさに、鮮やかな手並みを賞賛すらしたくなる。 「くそっ、何で君はそんなに元気なんだ……っ」 「そりゃあんたより若いからだろ」 「40になったくせに……っ」 「何、EDの心配でも?」 青い瞳がきらきら光って、ブラッドの笑いを反射した。 「してない!」 くすくすと震える吐息が胸に当たると思ったら、もうボタンもみんな外れている。 ドレスのファスナーを下ろすのが巧みでもおかしいとは思わないけれど、男の服を脱がすのまで得意なのは何故なのか。 一方的に脱がされるのは気に入らない、とブラッドのシャツに手をかける。 丁寧になめした皮のような皮膚に触れて、ショーンは知らずに深い息をついた。 カメラの前でなく、大勢のためでもなく、ただ一人のために与えられる身体は、肌の色そのままに琥珀の電磁性を持っているかのようだ。 「……君は本当にきれいだな」 ベッドの上に寝かされて、覆いかぶさる男を見上げながらショーンはそんなことを言う。 だいぶ慣れたけれども、変なところで決まって発揮されるこの天然っぷりは、本当に四十路の男のものだろうか。 「そういうのは普通、押し倒してる側の台詞だと思うが」 「そうかな。だって、公平に見て君のほうがきれいだろう」 そんなことを言って花のように笑うのだ。年上のこいびとは。 「――美に公平なんてものはないよ、ショーン。好ましいと思うものは、国によって人によって時代によって違う」 「そうかい? でも、時代を超えて愛されるものは……あ……っ、ブラ……っ……」 なんだか美術論を始めてしまいそうな恋人の首筋に唇を落として、その先を封じた。 腕の中にショーンがいる。今、一番愛しくて美しいと思うもの。 「話は後にしてくれないか。とりあえず──」 "I want to make love with you soon." |
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| 2004.10.09 |