1998年 7月 21日 ”うぉ〜きんぐ れぽうと?”7/19、私は秋葉原に買い物に行った。珍しく電車で。 Win98発売前のせいかえらく混んでいる。
ぷらぷらを歩きながら、安い部品を見つけたので買おうとして財布を出そうと.... ない!!。
「うそっ!」「へっ?」、どこにもない。-_-;)
慌てて、商品を元に戻し、バッグの中を探す、探す。やっぱり無い。昨日は会社の先輩の結婚式の2次会だった。 その時の違うバッグに入れっぱなしだったようだ。 「が〜ん!」、せっかく来たのに。 見るだけ見て行こうと思い、いくつか店を回ったがどうも気が散ってあまり目に入らない。
「帰ろう」と思い。ふと「帰りの電車賃は?」。唯一の財布小銭入れ。 行きはここから190円だして切符を買った。中を見ると140円しかない。帰れない。 あとは1円玉と5円玉で10円分+販売機では使えないオリンピックの100円玉。使えん。
いろいろ考えたが、手がない。知り合いはいないかなと辺りを見渡してもいるはずもない。 初乗り130円では何駅も進めないし。次は150円切符しかない。 警察に借りてもいいのだが、後で返しに行くのがめんどくさい。 うーん。「取りあえず何駅か歩くか。」と思い歩く。
神田駅、金券ショップ発見。「テレホンカードを売れば帰れる。」
バッグの中を探す。あったけど、使い古しのしかない。1つはこの間友達に貸して穴があいてしまったものだ。 貸すんじゃなかった。後は図書カードとかいう奴(こんなもん持ってたっけか?)。 まぁ、どちらも50円ぐらいにはなったかも知れないが何かしゃくだから切符が買えるところまで 線路に沿って歩くことにする。神田から東京駅までの間にこんなガード下があるんだという感じ。人はまばら。
「そういえば、銀行のカードがこのバッグにあったはずだ。」
「なーんだ。これでこの散歩も終わりだな」と思い探すが、無い。
「この間、じゃまだから出してしまったんだ。」「ちっ!」東京駅。皇居も見えるが今はそんな気分じゃない。暑くてちょっと疲れる。
有楽町駅。昨日の2次会はここ。昨日の帰りにで歩いて帰るの?とか冗談で言われていたのだが、 冗談でなくなってしまった。この辺でコースを少し変えようかと地図を見ていると、
ボランティアの人が、「署名をお願いします。」
ちらっと名簿を見ると横に金額が書いてある。
『募金か』それどころではないので断る。すると、(『』は心の中のつぶやき)
「署名はいいですから、募金だけでもお願いします。」
『だから、その金がないんだってば!!。俺にくれって』、また断る。
だが、その人は引き下がらない。
「ちゃんとボランティア協会のものですから」と、証明書を見せる。
「ごめんなさい」、何故か謝ってしまった。
説明しても良かったのだが、仮に持っていたとしても募金したかどうかは分からないし、疲れるので止めた。気を取り直して、コースを日比谷通りに変える。
この頃から、「こりゃあ、HPに書くしかないな」とネタを探りながら歩くようになる。 日比谷公園、結構混んでいる。東京タワーが見えてきた。芝公園、ドラマでよく使われる道が見えるが 今はどうでも良い。増上寺、東京プリンスホテル。 田町まで出てもどうせ140円じゃ足りないから、もうこの辺から最後まで歩いてしまおうかと思い始める。
『たまにはこう言うのもいいだろう。』
国道1号に進路を変える。一気に五反田まで歩くかというところで、急にピザ屋のバイクが目の前で止まり 名前を呼ばれた。高校の時の友達である。 こんな偶然もあるものである。会社の休みの日にバイトしているらしい。 お金を貸そうかと言われたが「ここまで来たら歩くよ」と強がる。しばらく話して、彼はバイトに戻った。 さぁ、断ったからにはもう歩くしかないな。でも10円借りとけば良かったかな。 後で調べたら、実はまだ半分ぐらいしか来ていなかったのであった。この辺からは結構知っている道。とにかく歩く。目標が見えてペースが上がってきた。 東京タワーの反対側。国道1号と歩く。 途中で女の子の軍団がたむろっている。「つづきスタジオ?」たぶん誰かアイドルでもいるのだろう。 あまり詮索する元気がないので、通り過ぎる。
この辺からちょっとバテて来た。もうすぐ五反田。
「あっ、うちの墓があるな。」
「そう言えば、お彼岸のお参りに行ってないな。」
こりゃあ、呼ばれたのかな?。と言うことで、何故かお墓参りをした。さらに20分ほど歩いて家の近くまで来た。ここで、これまで使わずにとっておいたお金の出番だ。 ポカリスエットを買う。最初の一口がうまい。が、思ったほど激ウマでもなかった。 まだ余力があったかな?。
10数キロの道のり。2時間45分。暑いとはいえ、かなりのんびりペースだった。
何やってんだか...。
(注:すべて実話です。-_-;))
1998年 7月 8日 ”エスケープ(脱出)”
今日から、新しい職場に異動になる。
それまでは私の勤務先は府中のちょっと先。 実は私にはここに通っている間になんとしても実行したいある”野望(夢?)”があった。
それはエスケープ!!。
毎日毎日、京王線に揺られて通っていたのだが、大抵はその終点は京王八王子か高尾山口。 そう、高尾山である。特に意味はないのだが、高尾山なのだ。一度でいいから、天気の良い日に仕事をサボって、高尾山に登ってボーっとしてみたかった。 当然無断欠勤というわけには行かないので、 「風邪引いたみたいなんで、休ませてください。」 とかなんか言ったりして。
この4年間、ずっとそう思っていた。「いつか、きっと」と。 しかし案の定、実行できずにいた。 「これは最後にやるしかないだろう。」 とかも思ったのだが、異動前というのはなんだかんだと細かなやることがあって 結局、実行できなかった。
ただ、ちょっと残念ぐらいには思うが、そんなに悔やむほどのことではない。 「いつでもエスケープ出来るんだぞ。」という逃げ道を作って、 変わり映えのない日常にハリを持たせていた感もあるので 実行することだけが重要なわけではないのだから。 何事にも普段は背水の陣を張ることはないのである。 私はタバコをそんなに大量には吸わないが、止めると言った事はない。 だから、何ヶ月か吸わなくても、いつでも吸えると思っているので何ともない。 それと同じようなことである。ちょっと違うかな?。
時々、ふと思うことがある。
「どこか誰も私を知っている人がいない所に行ってみたい」と。
そんな事も関係しているのだろうか、私の野望のスローガンは”小さな脱出”。今度の通勤電車は田園都市線。
次の野望は「仕事をサボって多摩川で昼寝」なんてのもいいかな。1998年 6月23日 ”至福の時間”
朝起きたら、動けないぐらい体が痛い。旅の疲れのせいだろう。
会社を休むべきか休まざるべきか?。自分の中で葛藤が起きる。
悪魔のささやきか天使の誘惑か?。「こりゃ、無理だよな。」
「やっぱり行こうかな。」
「でも今日はあまり仕事もないし。」
「けど、(休みの許可を取る)電話するのめんどくさいな。」
「珍しくちょっと早く起きたから行った方がいいかな。」
「うー、どうしようか?」「やーめた!!、休み、休み、さぁ寝よう。」
朝、明るくなってきた空をフトンの中から眺めながら、グッスリと二度寝する。
フワフワとした綿の中で寝てるような夢心地のひととき。これが私の至福の時間。
1998年 6月 8日 ”夢のつづき?”
今度は将来の夢とかの”夢”である。
連続で”夢”の話になるが、一応偶然である。私は夢のない子だと、 いつも親から言われていた。将来、何になりたい?と聞かれても、 う〜ん、特にないのである。ある意味、私は子供の頃から冷めていた。 友達は私について、「将来すごい人になるか、 すごい悪者になるか、どっちかだ。」 とか訳の分からないこと言ってたし。
よく子供の言いそうなのは次のようなものか、(今の子はちょっと違うかも?)
「総理大臣!!」(必ずいるんだよな、こういう奴が)
「医者!!」(人の命を預かるなんて、とてもとても)
「東大!!」(アホか)
「プロ野球選手!!」(ガンバって)
「芸能人!!」(俺には向かないな)
「社長!!」(ある意味子供らしくていいかも、いや子供だけでもないか)
上の括弧内の感想は、自分が小学生の頃の気持ちのつもりで書いたものである。 そう、何か子供らしくない。大声でそう言いきれる友達が羨ましくもあった。小学生だったある日、案の定、不安が的中した。 そう、”将来なりたい職業”みたいな題で作文を書けってやつ。 私は困った。無いものは無いのである。嘘を書くのもねぇ。 そして、悩んだ末に書いたのが 「宇宙飛行士」だったと思う。 特に宇宙飛行士になりたいわけではなかった。 っていうか、それって職業?かどうかも疑問である。
それはさておき、その頃の夢は 「生きているうちに一度は宇宙に行ってみたい。」 である。今でも夢と聞かれればそう答えるだろう。 ガンダムを造りたいというのも無くはないが...。 そして、出来ればどこかの☆に降り立って地球を見てみたい。 本当に丸いのか?、青いのか?、 この目で確かめなくては気が済まない。 地球が月の地平線から登るのを見てみたいのである。大学の受験勉強中の時のこと、ふと外の空気が吸いたくなった。 泥棒と間違えられるんじゃないかとちょっとビクビクしながら、 家の近くの4階立てぐらいのビルの屋上に登る。 あたりの家の屋根の向こうに東京タワーが見えた。いくつか高層ビルも見える。 小さな赤いランプが点滅している。上を見上げると冬なので星もそれなりに見えた。 下をのぞくと歩いている人がちっぽけに見える。 そのまま屋上に寝転がって何も考えずにボーっと星を見ていた。 受験なんてどうでも良くなった。そんなことに振り回されているつもりもなかったが ちょっとは不安も感じていた自分がとっても小さく思えた。みんなこういう気分になれば、 つまらない争いとかもなくなるんじゃないかとか高尚なことを思ったりもした。
たった10m程度登っただけでこんな風に感じるのに、
「宇宙まで登ったらどんな風に感じるんだろう?。」
真剣にそう思った。この私ですら、過去の宇宙飛行士の一部の人たちのように世界平和に貢献したいとか 思ったりするなんてことがあるのだろうか?、なんてことも。大学4年の時、学校にポスターが貼ってあった。 NASAかなんかの宇宙飛行士関連の募集、 廊下で立ち止まり見入ってしまった。しかし、何年もかかるし、何の保証もナシ、 英語も嫌いだし、歯並びも悪いのでたぶん無理だろうとあきらめた。 また、就職活動で”宇宙開発事業団”の 資料を取り寄せようと思ったが、そこで働いたって宇宙に行けるわけではないし、種子島だし、 応募ハガキに「切手を貼ってください」と書いてあったので止めた。 ...その程度である。
さて、長々と書いたが何が言いたかったかというと、今日(もう昨日だが)の新聞に広告があった。
「宇宙へ行こう!」、 「2001年宇宙への旅に」に抽選で5名様をご優待!。
ペプシのプレゼントである。少し前にテレビでやっていた米・セグラム社主催の企画で、 スペースクルーザーで大気圏外に出て、2分半ほどで再び大気圏突入というプランである。 参加費 $98,000 ということで自分には関係ないやと思っていたが、プレゼントなら。 ちょっと気になるのは、ペプシの広報活動に協力することはまぁしょうがないとして、 1000万円を越える分は払ってくれないということ。 ドルで払ってくれればいいのに。今のレートだと300万以上足りない。 でも、これは滅多にないチャンス!!、ハガキを送るしかない。 みんな申し込まないでね。 わたしはいつもいろんな状況を頭の中でシミュレーションしているので、 もう、宇宙に行ったときのコメントを考えている。
その前に、ハガキを書かなくては!!。円高を祈りながら...。
1998年 5月31日 ”夢とは?”
”夢”とは何だろうか?。
将来の夢とかの夢ではなく、寝ている間に見る夢のことである。最近は昔ほど夢を見ない。(起きたときに覚えていないだけかも知れないが)
私が小さい頃よく見た夢は、この辺りの夢は、何度見たか分からないぐらいよく見た。いつも内容は大体同じ、捕まったことはない。 夢判断とかだと、「逃れられない現実からの逃避」みたいなものか。 何から逃げたかったのか今では分からないけど。 あるいはフロイトとかだと、また別の衝動のようなものの現れか?。 取りあえず、そんなことはここではどうでも良い。
- 「空を泳ぐ夢」:
- 家の近所で屋根ぐらいの高さを平泳ぎで泳いでいる。そのうち誰かが地上で追いかけてくるが 自分は空中にいるので余裕こいているとだんだん高度が下がってきて2mぐらいになってしまう。 必死こいて泳ぐけど、スピードがぜんぜんでない。もうダメだと言う状態になる。
- 「階段を降りる夢」:
- 家の2階で何かから逃げている、階段を飛び降りるように降りて、 なぜかそこにある”どこでもドア”みたいなドアの中に入れば助かる。
- 「マンションから飛び降りる夢」:
- がけの上にある友達の住んでいるマンションの最上階で、 やっぱり何かに追われていて、そこから飛び降りる。下の民家の屋根の上にぶつかると思うと 漫画のようにボヨ〜ンと跳ねて助かるという夢。
なぜ人は夢を見るのか?。それが知りたかった。その疑問を解決する糸口になるような内容のテレビ番組が1年ほど前にやっていた。 それによると、
【夢の役割】だそうだ。
- 悪夢には「人の心を癒す」役割がある。
- 夢は不要な記憶を整理する。重要な情報が記憶に定着される。
- 夢は情報を合成・連想する。
(a)には思い当たる節がある。悩んだり、つらかったりした時に、それに関連した夢を毎日のように 見て慣らされることで痛みが薄らいでいくこともある。
(b)はあまり実感ないが、「いやなことも一晩寝て忘れた」とか言う人はそうなのかも知れない。 あるいは、誰かとデートに行って、どこに行ったかは覚えているが、誰かという部分が抜けてしまって 後で痛い目を見ると言った場合なんかが当てはまるのだろう。 記憶する情報が取捨選択されているのである。
(c)はどうだろうか?。夢の中に全く見たことのない光景や、人が出てくることがある。 起きているときには全く思いもつかなかったことが夢の中で起こる。 たまに、なぜあんな夢を見たのか悩むことがある。 自分の考えの範疇をあきらかに越えているのだ。 こういったことが当てはまるのかも知れない。
あの湯川秀樹も斥力で反発しあうはずの陽子がなぜくっついていられるのか悩んでいたときに、 夢の中での連想がきっかけで中間子の存在を思いついたという話である。 夢侮り難しである。ただし、夢の中でのことは 目で見た、耳で聞いた、手で触ったと言ったような刺激を伴う現実とは違うので すぐに忘れてしまう。よって、夢で見たことを積極的に役立てようとした場合は 目が覚めたら常に夢の内容をメモしておく事が大切である。 これを実践していて成功している人もいるそうだ。ちなみに私はしていない、 朝そんなことをしている暇があるほど早起きじゃないし、メモにして残すとちょっと問題のある 内容もあるだろうから。夢とは一体?。効果は分かってきた気がするが、こんな仕組みが自分の中にも組み込まれているとは。 どれほど科学が発達しても人間は自分自身のことにすら改めて驚かされる。人間をやっているうちは 人間は人間のことを完全に理解することは出来ないのであろう。
蛇足だが、先ほどのテレビ番組の中で以下のような面白いことも紹介されていた。
【夢の中でこれは夢だと気づく方法】
- 夢を見たら「これは夢だと気づきたい」と自分に言い聞かせる。
- 目を閉じて眼球を上下左右に動かしてみる。
- 目覚まし時計などを使わずにできるだけ自然に目覚めるようにする。
- 見た夢を思い出し、メモをして夢を記憶する。
毎日、目覚まし時計で嫌々起きている私にはちょっと実践は無理か...。
1998年 5月25日 ”天の恵み?”
今日というか、12時を過ぎているのでもう昨日になってしまったが、友人の結婚式があった。 式は最初は厳か、後は和やかでいい式だったと思う。
出かける前に見た新聞の天気予報では午後の降水確率100%だったのだが、 何かじゃまくさかったので傘は持っていかなかった。 式が始まった頃は雨は降っていなかったのだが、案の定、終わる頃にちょうど雨が降り始めた。
式の後、ちょっと喫茶店でお茶してから帰ったのだが、雨は本格的に降り出していた。 友人が折り畳み傘を持っていたので、いやいやながら男二人で相合い傘して歩いていた。
しばらく歩いていると横断歩道でちょうど赤になった。 ついてないなと思いながら信号待ちをしていると、友人が指さして何か言うので そっちの方向を見てみる。信号の押しボタンの所に傘が掛かっている。透明なビニール傘。 広げてみるとちょっと穴があいていたが結構大きくていい感じ。 ゲームの中で何の脈略もなくアイテムがおいてあるように多少不自然な感じがした。 周りを見渡しても誰もいない。ラッキー!!。 天の恵みか?。日頃の行いが良いからな。ただし、もうすっかりびしょ濡れになっていたが...。
1998年 5月10日 ”お買い物”
私は会社の売店で買い物したときによっぽど量の多いとき以外は 袋に入れずに持って帰ることにしている。 特別、資源を大切にしているつもりはないのだが自分の中で 何となくそういう決まりになっている。 他の人はみんな袋に入れている。パンとジュースぐらいしか買ってないのに。 まっ、人に押しつけるつもりも更々ないので気にしない。
私はパン2個、おにぎり1個、ジュース1本のパターンが多い。 時々、これにお菓子とか本とかCDなんぞが加わる。 これを両手で鷲掴みにするのだが、さすがに結構落とすことがある。 でも、みんな一つずつビニールに包まれているから(ちょっと包装が過剰すぎる) 埃を払えば何も問題はない。だから気にしない。 それよりもこれをまたビニールの袋に入れるのがあまりにも無駄な気がして我慢ならない。 取っておいて他に使うのなら良いけど、私の場合は どうせ自分の席に戻ればすぐに捨てるんだし。
そういえば「最近は買い物かごをぶら下げた主婦がいない」 とテレビで言っていた。確かに見ないな。 私的にはいかにもお買い物って感じ で良いと思うんだけど。この間、いつものように売店で昼食を買って手で持って行こうとしたら 隣の人もそうしていた。何かちょっとうれしかった。
1998年 5月 5日 ”休日”
連休である。
変わり映えのしない日常を忘れて、気の向くままに寝て、起きて、 一心不乱にピカピカになるまで洗車をして、おきまりのお散歩コースを走り、 本屋で立ち読みをして、テレビを見て、そして、これを書いている。何も考えずに一日中ぼーっと過ごす。
これが、私の心の休日。1998年 4月 9日 ”目に映っても見えないもの”
学生の頃、通学途中の乗換駅の上りホームは溢れんばかりの人だかり、 当然上り電車はギュウギュウ詰め状態。一方、私のいる下りホームには人はまばらで、 ホーム先端から多摩川と朝日に染まる河原を見るのが数少ない楽しみの一つだった。
天気のいい、空気の澄んだ日には、上りホームの向こう側に富士山が見える。
「あっちの人で富士山に気づいている人はいるのかな?」
こっちのホームの人でさえ気づいている人はいないように見えた。
「ほら、あそこにあんなきれいな富士山が見えるんだぞ!!」
「おまえら、気づいてないだろう?」と、一人ほくそ笑み、
「どんなに忙しいときでも、周りの景色を見るぐらいの余裕を持ち続けていたい。」
何となく、自分にそう言い聞かせていた。社会人になって人並みの忙しさの中にいるが、会社の最寄り駅を出た所から時折見える 富士山を早足で眺める度に、ふとあの頃のことを思い出し、
「まだ、忘れてない。」と、思っていたのだが...。
自宅から最寄り駅までの間から見える桜並木の桜が満開になっていた事に、散り始めた今頃になって気づいた。 毎日、目には映っていたはずなのに...。
「いけない、いけない。」1998年 3月27日 ”何がある?”
”大きな○がある”かぁ。
1998年 3月21日 ”春の予感”
この頃はどうも季節感に乏しい気がする。 確かに暖冬だと思えば大雪が降ったりと言ったような事も関係あるのだろうが どうもそれだけではない。
社会人になってからと言うもの、学生時代に比べるとはるかに休みが短く、 小学生の時の夏休みみたいな特別感ももてない。 入学式とか卒業式と言った行事も縁が無く、 3月までで一区切りで、4月からは新たな気持ちで、 といった日本的な季節感にも乏しい。 気温や湿度の変化だけで季節を感じていると、ここ何年かの多少異常とも言える 気象状況では正しい季節感が保てないのかもしれない。 正しい季節感とは何かは分からないが...。 昔は大して必要性も感じなかった学校行事みたいなものが 自分には重要だったのかも知れない。
と思っているといつもの通勤電車がイヤに空いている事に気づく。 学生が春休みだからだ。この電車がいつものように混みだしたら こんな自分でも気づくだろう。「あぁ、春なんだな」と。