真面目一筋のミッチと有名になりたいトレイ、全く違うタイプの警官二人。
ひょんなことからコンビを組んでTVにレギュラー出演することになった。
番組の名前は「ショウタイム」(トレイの命名)。 ミッチとトレイのコンビによる犯罪捜査の様子を追いかける連続ドキュメンタリだ。 TVの刑事ドラマとは違う、本物の刑事の活躍が売り物の番組だ。
……というのは表向き。
そこはTVの世界、視聴率競争が絡んでくれば、多少の(?)嘘も必要だ(?)。 本物の刑事なら絶対にやらないTVの刑事ドラマっぽい仕草や言葉遣いを要求されるし、警察のオフィスや自宅は勝手に模様替えされ、クルマまで取り替えられる有様。
捜査の現場にはいちいちカメラが追ってくるし、視聴者の質問には答えなくてはならない。
トレイはノリノリだが、ミッチにはなんとも我慢がならない。
一方、ミッチが追いかけていた麻薬密売組織は暗躍を加速させつつあった。
「ショウタイム」コンビの活躍やいかに。
何ヶ所かは笑えるところもあったが、全体的にはイマ一つ。
話の造りが雑だという印象を受けた。
まず、基本的な構成は大して目新しくない。 刑事の凸凹コンビが一緒に事件を追いかける。 その過程で互いに感化し合いながら、コンビとしてまとまっていく。 よく見かけるパターンだ。
この映画の新しいところは、やはりTV番組の存在だろう。 ミッチとトレイの一挙一動はカメラに追いかけられる。 しかも、番組制作側がTV的に派手で嘘っぽい刑事のイメージを押し付けてくる。 トレイはそのイメージにすぐに順応するが、一方のミッチは拒絶反応に苦しむ。 こうして、TV番組が現実と虚構のギャップを際立たせつつ二人の仲をとりもったり足をひっぱったりというところが、この映画のアイディアだと思う。
ところが、こうした基本的な構成も新しいアイディアも、なんだか未消化な感じだった。
まずこの二人が感化しあう過程や、コンビとしてまとまっていく心理描写が、極めて大雑把……と言うよりほとんど省略されている。 観ていて非常に唐突で「いつのまにそうなったの?」と思わずにいられなかった場面がいくつかあって、正直ちょっと白けた。
TV番組が干渉してくるというアイディアも、大して活かされているとは思えない。 シチュエーションを作ったり笑いを取ったりするための小道具に留まっているような印象。 TV番組が二人の関係にどのように影響を与えていくのか? 事件の解決にどのように貢献したのか(あるいは邪魔したのか)? こういった部分の描写が弱いと思う。
現場の地味な現実と、TV番組の派手さにあふれる嘘、この二つの対比も、ミッチが前者から後者へと感化されていく過程が非常に雑にしか描かれていないから、結局どちらも嘘に思えてしまう。
そもそも、地味な現実の描写に関しては、「踊る大捜査線」を観てしまった後ではどうしてもそれと比べずにはいられない。 もちろん「踊る〜」のリアリティにだって嘘は含まれているはずだが、それはもっと上手に塗り固められていたと思う。
それより見劣りするリアリティを持ち出されて虚構と対比されても、結局どちらも虚構にしか見えない。
但し、この点に限って言えば、単にぼくがこの映画を楽しみ損ねたということかも知れない。
下手にミッチを現実側から虚構側へとひっぱるよりは、徹底して現実側の人間として描いたほうが良かったんじゃないだろうか。 逆にトレイは、虚構の中のヒーローであると同時に現実の中ではあくまで異分子。 二人が対立しつつもいざというときにはうまく噛み合ってしまう、というところで意外性が生まれて面白くなるんじゃないかと思うんだがなぁ。
凸凹刑事コンビの活躍を描いた映画。 これと似たような最近の映画と言えば「ラッシュ・アワー」だ。 以前はクリス・タッカーがエディ・マーフィーの二番煎じにしか見えなかったものだが、この映画を観ていると逆にエディ・マーフィーがクリス・タッカーの二番煎じに思えてくる。
エディ・マーフィー演じるトレイが、コンビを組みたい俳優として名前を挙げるのが「ブレイド」などのウェズリー・スナイプス。 そこでクリス・タッカーの名前を挙げないところになんとなくエディ・マーフィーの余裕の無さを感じてしまうのは勘繰り過ぎだろうか。
観たのが11月、公開から一週間程度の時期。 映画館はそう大して大きくはなくて、席数はたぶん80〜100ぐらいだったが、そうは言ってもすし詰めになるくらい客が入っていた。 公開から間も無い頃に観に行ったからだろうか。
2003-01-03