フランソワーズは向こうの方で戸惑っているジョーを認め、くすりと微笑んだ。

「ジョー!」

呼んでみる。が、こちらを向いたものの、必死の形相で頭を横に振っている。じりじりと後退しながら。

「もうっ・・・ジョーったら」

つかつかとジョーのそばへ行き、腕を抱くようにして連行する。

「離せよっ」
「イヤ」
「僕だって、イヤだ」
「だめ。ついてきたんだから、少しは役に立ってちょうだい」
「役に立つ?」

イヤーな予感がジョーを襲う。

「あの、フランソワーズ」
「さ!ジョー。どっちがいいかしら?」

ジョーが連れて来られたのは、フランソワーズのお気に入りのブランドコーナーだった。
あたり一面にひらひらしたのや華奢なデザインのものが乱舞している。中には見慣れたタイプのデザインもあるような気がするが、ジョーはそれどころではなかった。

「・・・どっち、って・・・」

示されたのは、ショーケースの上に展開された下着の数々。

「ピンクもいいし、赤もかわいいでしょう?でもやっぱり、ジョーは白がいい?」
「・・・・・」

どうして僕に訊くんだ。

という問いは発せられない。「ついて来たから」と言われるのは目に見えているのだ。
さて、困った。
ジョーとしては、何色のどんなのであっても全く構わないのだった。ただ、あんまりシンプルで実用性一点張りのはちょっとイヤだなぁと頭の隅で思う程度。

「豹柄もあるのよ。ほら、どお?」
「それはイヤだな」

豹柄のブラジャーを服の上からあててみていたフランソワーズは、ジョーの即答に目を丸くした。

「・・・あら。意外ね」
「・・・・・・いいだろう、別に」
「だって、興味ないと思ったのに」
「だったらなんで連れてくるんだ」
「今日一日ずうっと一緒に居るって言ったのはジョーよ?」
「・・・そうだけど」

そして会話は振り出しに戻る。

「じゃあ、どれがいいと思う?」
「・・・どれでも、きみが好きなのを買えばいいんじゃない?」

ジョーは周囲の視線を気にしてあたりにちらちらと目を配る。幸い、女性はみんな選ぶのに夢中であり、男性がいてもいなくても大して気にしてはいないようだった。
自分と同じく無理矢理連れて来られたような男性たちが遠巻きにこちらを見ているのと目が合い、がんばれよと激励と同情の視線を返された。

「もうっ。ジョーったら」

くすくす笑うフランソワーズは可愛かったけれど、最初から選ぶのの当てにされてないと知りちょっとむっとした。
だから、フランソワーズの耳元へ身体を屈めてこう言った。

「どれでもいいよ。どうせ、すぐ脱がすんだから」

「っ、ジョーっ!」

フランソワーズが耳まで赤くなって暴れだす前に、ぱっと彼女から身体を離す。

「もうっ!!」

ふふんと口元に笑みを浮かべ、ジョーは「チョコレート売り場を見てくるよ」と言い残し去って行った。

チョコレート売り場。

ピュンマに伝えてもらった「逆チョコ」の話、効果があったのかしら・・・?とフランソワーズは微かに首を傾げ、満足そうに微笑んだ。

 

実はピュンマから「アムール・ド・ショコラ」のカタログを事前に見せてもらっていたジョーは、かといって目当てのチョコが決まっているわけでもなくぶらぶらと「世界のチョコ」を見て回っていた。
――と。
とあるブースで足が止まった。なぜならそこには「FIAT社コラボ」と書いてあったのだ。

・・・FIAT社?

ひとけのないブースで暇そうにしていた女店員は、さっそくジョーに向かって説明を始めた。
どうやら、車とチョコのコラボであり、昔からチョコレートは定評があったのだという。そして、その製品はチョコレートにミニカーがついているというものだった。

「へえ・・・」

どうぞ手にとって見てくださいと勧められ、顔の高さに掲げて見てみる。

「よくできてるね。まさか、動くの?」

さすがにそれはないようだった。
と。
先ほどからジョーの顔をじいっと見ていた女店員は、「あ!」と小さく叫んで口元を押さえた。そうして深呼吸してから、小声でジョーに話しかけた。

「あの・・・レーサーの島村ジョーさん、ですよね?」
「うん」

ミニカーをためつすがめつしているジョーは生返事ながらもあっさり肯定した。

「やっぱり!」

女店員は車好きであった。

「もしかして・・・逆チョコなんですか?」
「えっ?」

やっと我に返り、女店員を見つめる。が、女店員は目をきらきらさせて言うのだ。

「素敵!!彼女に逆チョコを選ぶ音速の騎士。ハリケーン・ジョー!!」
「・・・あの」
「でもそれだったら、やっぱり車はご自分用にしておいたほうがいいと思いますよ?」
「いや、その」
「ほら。あちらの方に薔薇のかたちのチョコがありますから。素敵ですよ」

示されたのは、ナナメ前のブースだった。確かに女性が群れており人気があるようだった。

数分後。
ジョーはミニカーとチョコがコラボしている箱を片手に持ち、薔薇のチョコを覗きに行った。
商売の巧い女店員は、他のブースを紹介しつつも仕事を忘れてはいなかった。

その後フランソワーズが迎えに来るまで、ジョーは試食を勧められては断りきれず食し、申し訳ないから購入する・・・というのを繰り返し、腕にはチョコの入った紙袋をたくさん提げるはめになった。

 


 

 

「ジョー!」

最上階の催事場。「アムール・ド・ショコラ」と銘打ったバレンタインチョコレートの特集である。
自分の買い物が終わったフランソワーズは、ジョーに電話して彼のいるそこへやって来たところだった。

「・・・何買ったの?」

笑顔で手を振る彼の腕にいくつもかけられた手提げに訝しげな視線を向ける。

「んー?チョコレート」
「それはそうだけど・・・」

それにしても。ちょっと尋常な量ではない。しかも、色々な紙袋ということは全部異なるショップということである。
いったい何店覗いて買ったのだろう?
紙袋を覗き込むフランソワーズに、満面の笑みでジョーが言う。

「ほら。この『焼きチョコクッキー』すっごくうまいんだぞ」
「・・・食べたの?」
「もちろん。あ、それからこっちのチョコレートケーキもちょっと苦くて、でもそこがいい」
「・・・食べたの?」
「もちろん。それから、こっちのは」

フランソワーズは小さく息をついた。食品売り場に慣れていないジョーを2時間もここに居させた自分が悪い。彼がもしも全店のチョコを試食していたとしても責められない。そして、買っていたとしても。おそらくジョーは、試食をして買わずに立ち去るなどという技は持っていないだろうから。

「あら、これ・・・エルメのマカロンじゃない!」

フランソワーズの顔が輝く。

「えっ、どうして?ここに支店があったかしら?」
「いや、ないよ。特別にって言ってたから」
「嬉しいっ。ここのマカロン好きなのよ」
「もちろん。だから買ったのさ」

にっこり笑うジョーの顔を見上げ、そのまま首筋に抱きついた。

「ジョー、大好きっ」
「うん、僕も」

 

 


 

 

その日、ジョーは珍しく先に起きた。
目が覚めて、ぼんやりと部屋を見回し、ああここはギルモア邸ではないんだ――と、思い。
そうして、傍らの柔らかい身体の持ち主に目を遣った。
白い背中と、その周りに散る亜麻色の髪。顔は向こうを向いているので表情はわからない。が、ぐっすり眠っているのは確かだった。ジョーが身体を起こしても身じろぎもしない。

「・・・・」

ベッドに半身を起こす。
どうしてこんなに早く目が覚めてしまったのだろう・・・と思いながら。
そして、何故フランソワーズは起きないのだろう、と。

「・・・ふ」

起こしちゃおうか――と、声をかけようとしたところで、彼女の背中に点在する赤いものに目がいった。
虫刺され?にしては、時期がおかしい。・・・痒くないのかな。
そうしてそっと指で触れてみて思い出した。
これは、虫刺されなんかじゃなくて、自分が・・・

「・・・・」

うっすらと昨夜の記憶が戻ってくる。
なぜか二人とも妙にハイテンションだったことは憶えている。
そこらじゅうにチョコをこぼしながら、ふざけてチョコレートフォンデュを食べて――そのまま風呂に入り、そしてベッドにダイブした。
酔っ払っていたのかもしれない。
しわくちゃのシーツと、そこらじゅうに散らばる衣類。どうやら脱衣所で脱いだわけではないようだった。

「・・・・」

ジョーは顔をしかめると、ともかくシャワーでも浴びようとベッドから降りた。
そうしてバスルームの惨状を見て泣きたくなった。

――なんだこれは。

いちおう湯船に湯を張ったらしい。そして、たぶん浸かったのだろう。――が、入浴後に栓が抜かれておらず、湯は水に変わったまま残っていた。泡立てたままの石鹸、ちゃんと流していない泡があちこちに散らばっている。シャワーはいちおう止めてあるものの、床に放り投げられている。
そして、続く脱衣所はバスタオルが何枚も濡れてくしゃくしゃになって放り出されていた。
衣類も散らばっているし、タオルがしまってあった戸棚の戸も開けっ放し。そこから引き出されたのか、タオルが半分伸びてぶら下がっている。

ともかく、何かおかしなことになってたんだなあ・・・と思いつつ、片付けを始める。
タオル類は片端から洗濯機に放り込み、ともかくシャワーを浴びて、バスルームの中の掃除もする。
何故かタオルにチョコレートらしきものがこびりついており、イヤーな予感にとらわれた。

「――あら、ジョー。ここにいたの。・・・おはよう」

不意にバスルームの戸が開いてフランソワーズが入ってきた。

「・・・あ、おはよう」
「何してるの?」
「・・・掃除」
「ふうん?」

朝からお風呂の掃除なんて、ジョーにそんな趣味があったのかしら――と呟きつつ、フランソワーズは熱いシャワーを浴びる。その飛沫を背中に浴びて、ジョーは肩越しに問いかけた。

「昨夜のこと覚えてる?」
「昨夜?」
「うん。・・・なんか凄いことになってるような気がして、リビングに行けないんだ」

けれども、返ってくるのは水音ばかりでフランソワーズの声はしない。
まさか眠ってるのかと思い振り返ったジョーは、唇を尖らせてなんだか怒っているような彼女を見つけた。
シャワーを浴びながら、しげしげと自分の身体の検分をしている。

「・・・どうしたの」
「あ。ジョー。ちょっと見て!」
「えっ」

見ろと言われたので見たけれど、いったいどこのなにを見せたいのか皆目わからない。

「・・・いつも通り、綺麗だけど?」
「そうじゃなくて。もっとちゃんと見て」
「なに?もしかして誘ってるの」
「ばか。違うわよ」

そうして伸ばされた腕の内側には、先刻彼女の背中に認めたのと同じ赤い痕。

「・・・ああ、なんだ。これがどうかした?」
「どうかした、じゃないわよ!見て!ここも!ここも!こーんなところもっ!」

肌が白いと目立つんだなぁとコメントしたら、睨まれた。

「もうっ。どうしてくれるの」
「どう、って・・・消えるのを待つしかないだろ?」
「どうしてこんなにあちこち」
「さあ?・・・その言葉、そっくりそのまま返すけど?」

ジョーも自分の腕を差し出した。
そこには、フランソワーズの腕にあるのと似たような赤い痕。

「・・・でも、ジョーの方が少ないわ」
「同じだよ」
「いいえ、少ないわ」

・・・それにしても。
どうして昨夜はこんな吸血行為をしたのだろう・・・と、二人は首を傾げた。

 

***

 

バスルームを出た二人を待っていたのは、チョコレートまみれのリビングだった。
甘い香りとワインの香りが交じり合って、何とも異様な状態だった。