結局、こういう事はタイミングというやつが重要なんだろうな・・・と、車の窓に映る自分を見つめ、ジョーは深いため息をついた。
ファン感謝祭及びスポンサーとの会食の帰りである。
黒塗りのタクシーの後部座席で、ジョーはポケットに入っている小さい箱をそっと押さえた。

今朝、行ってきますと言った時に渡せば良かった。

その時は、夜でもいいかと思い直し、後回しにしたのだ。しかし、今は午前零時をとうに過ぎており、バレンタインデーは過ぎ去った。
遅くなるだろうと思ってはいたものの、まさか本当に遅くなるとは思っていなかった。計算が狂った。
14日のうちに帰れるだろうと思っていたのだ。そして、フランソワーズに会って、これを――。

午前4時である。
まさかこんな時間にギルモア邸に帰るわけにもいかなかったから、ジョーは自分の自宅マンションへ向かっていた。
途中でフランソワーズにメールを送った。今日はこちらに泊まる、と。一応、遅くなったらそうすると言って出てきたものの、ずっとメールひとつ打つ時間がなかった。
きっと心配しているだろう。おそらく、もう寝ているだろうけれど、それでも連絡を入れておきたかった。
本当は電話して声を聞きたかったけれど。

 

***

 

玄関のドアを開けて一歩中に入った途端、チョコレートの香りが鼻をつき、ジョーは眉間に皺を寄せた。
先日、フランソワーズと二人で掃除をして以来ここには来ていなかったから、まだ香りが残っているとは知らなかった。
ともかく、あれ以来換気をしていないから当たり前といえば当たり前だなと思いながら、リビングへ向かう。
一段とチョコレートの香りが強くなったが、じきに慣れるさと気にしない。
ネクタイと上着をソファに放り、そのままバスルームに直行した。
しばらくして、腰にタオルを巻いた格好で出てくると、冷蔵庫からミネラルウォーターを一本取り出し飲んだ。

時刻はもうすぐ午前5時である。
今日は特に予定もなかったし、寝てしまおうと決めた。
大きな欠伸をしながらベッドルームへ向かう。既にバレンタインデーのことなぞ頭にない。ジョーにとっては、それほど重要なイベントではないのだ。
とにかく眠りたかった。
冷たい水を飲んだらさすがに少し寒くなってきたので足早に進み、ベッドルームのドアを開けた。とりあえず何か着ないと風邪をひいてしまう。いくら気密性の高い建物とはいえ、冬はやはり寒いのだ。

しかし。
ドアを開けると、そこは熱帯であった。
容赦ない熱波に身体を包まれ、ジョーはいったい何事なのだろうと部屋の中を見回した。
日の出前の、真っ暗な室内。誰もいない部屋で、エアコンだけが元気に稼動していた。

――どうして点いてるんだ。

フランソワーズと一緒にこの部屋を後にしたのだから、戸締り・電気・水周りの点検は完璧のはずだった。何しろ、彼女はエコな人だから待機電力も許しはしないのだ。
釈然としない思いを抱え、熱帯と化した部屋へ歩を進める。ともかく消さなくては。
が、いつもある場所にリモコンが置いていない。
まだ部屋に入って数分しか経っていないのに、早くも身体が熱くなってきた。せっかくシャワーを浴びたのに、また汗をかくなんてと内心舌打ちしながら電気を点けた。

途端に真昼のように明るくなる室内。

「・・・あれ」

そこにジョーは居るはずのないものを見つけた。
自分のベッドは亜麻色の髪の生物に占領されていた。

「・・・フランソワーズ?」

なんでここに居るんだ。

確かに、朝ギルモア邸を出る時に今晩帰るのが遅くなったらマンションに帰るようにするから、とは伝えてあった。が、だったらそっちにいるわと明るく言ったフランソワーズに、どのくらい遅くなるかわからないし、そんなトコロにひとりで居させるのは好きじゃないと断固として主張した。フランソワーズはしぶしぶながらも、わかったわ・・・と納得したはずだったのに。
しかも、ジョーが部屋に入っても、電気を点けても、全く気付かずに眠っている。そして、その寝姿もいつもジョーが見慣れているようなものではなかった。

半袖のTシャツ――おそらく、ジョーのものだろう。背中に「FIAT」のロゴが入っている――に、ショーツ。で、上掛けは掛けてない。というか、足で跳ね飛ばしたのだろう、ベッドの足元のほうでくしゃくしゃになって固まっている。枕はどこかへ行ったようで見えない。
フランソワーズは思い切り大の字になって眠っていたのだ。何も掛けずに。ついでに言うと、臍を出して。

ベッドサイドにエアコンのリモコンを見つけ、オフにする。

「・・・・」

傍らに立ったまま、ジョーはフランソワーズを見下ろした。
大の字になって寝ているのなんて初めて見る。しかも、寝顔は何だか凄く嬉しそうに微笑んでいるのだ。

もしかして・・・タヌキ寝入り?

――有り得る。彼女なら、ジョーが帰ってきた音を聞いて、寝たふりをするのは簡単なことだ。
屈んで、そうっと頬をつついてみる。

「・・・・」

笑顔が少し変わっただけで、起きない。
観察しても、睫毛や瞼が揺れて開く気配もなく、やはりどう見ても眠っているようだった。

今度は丸出しにしている臍をつついてみる。いつもなら、くすぐったがるはずだった。
が、やはりぴくりとも動かない。
ジョーは、捲くれ上がったシャツの裾を下ろして臍を隠すと上掛けをそうっとその上に掛けた。
やれやれ、寝るなら寝るでどうしてゲストルームで寝ないんだろう・・・と思いつつ、ジョーはそこを離れようとしたのだが。

「んー!暑いっ!」

大声と共に白い脚が上掛けを宙に蹴り上げた。

「暑いぃい」

大の字がごろごろと移動する。が、涼しい場所がなかったようで、フランソワーズは目をつむったままむっくりと身体を起こし、シャツの裾に手をかけた。

「ばっ・・・」

勢い良くシャツを脱ぎ捨てようとしたフランソワーズは、寸でのところでジョーに取り押さえられた。

「ヤダ、暑いぃ」
「フランソワーズ、起きて」

じたばたもがくフランソワーズを容赦なく揺すり、覚醒を促す。
ともかくワケがわからないものの、いきなりストリップショーを開催されるのも困る。

「フランソワーズ!」
「んっ・・・」

ゆっくりと蒼い瞳がこちらを見つめる。が、まだぼんやりしており、焦点が合っていない。

「いったい、どうしてここにいるんだ?」
「あ・・・ジョーだっ」

ジョーの問いには答えず、そのまま満面の笑みで彼の腕に飛び込んだ。

「うふっ・・・お帰りなさいっ」
「あ、ああ。・・・ただいま」

お帰りなさいと言われたので、反射的にただいまと答えながらも、全く状況が把握できずジョーは混乱した。
フランソワーズの身体が熱い。いつもより随分と温まっており、それはジョーを驚かせるのにじゅうぶんだった。

「っ、フランソワーズ!いったいどうし・・・!熱っ?熱があるのかっ?」

慌てて額に手をあてるけれども、別段発熱しているようではなかった。

「どうしたんだっ、何だ一体っ!まさか、オーバーヒートっ・・・た、大変だっ」

フランソワーズを抱き上げ立ち上がり、おろおろと意味もなく周囲を見回す。

「だっ・・・どうしっ・・・、イワンっ、いや、博士っ・・・かそくっ」
「待って!!」

いままさに加速装置を噛もうとしたジョーの首筋に抱きついて止める。

「ただ暑いだけよ!何でもないわ!」
「でもっ」
「平気。大丈夫よ、だからっ・・・」

心配して揺れている褐色の瞳。それをじっと見つめる蒼い瞳。

「・・・でも」
「大丈夫よ。ちょっと暖房が暑かっただけなの」
「・・・暖房」
「そう。温度の設定が間違っていたんだわ、きっと」

この部屋が熱帯になっていたのはそのせいだろう。そして、彼女が何も掛けずに眠っていたのも。

「・・・なんで暖房つけっぱなしで」

エコな人なのに珍しい。

「――だって」

ジョーの問いに、今や完全に覚醒したフランソワーズは不満そうに唇を尖らせた。

「あなたが言ったのよ?だったら暖房をつけて寝ればいい、って」(注:SS「けんか」


 

 

「・・・そんな事言ったっけ?」
「言ったわ」

そんな地球に優しくない事を言った覚えはない。何しろこちらは雪国ではないのだ。暖房をつけて寝なかったからといって部屋の中が凍えるくらい寒くなることはない。

「寒くて眠れないの、って言ったらそう言ったじゃない」
「そうだっけ?」
「そうよ。――冷たかったわ。あの時のあなた」

くすん、と鼻を鳴らす。その時のことを思い出したように。

「暖房つけて一人で寝れば?って」
「まさか」

そんな事は言ってないだろう、いくら何でも。

「だから暖房つけて寝てたのよ?」

そういえば、そもそもどうしてここにフランソワーズがいるのだ。
ジョーはフランソワーズに会えて――それがどんな状況下でも――嬉しくて緩んでいた頬を引き締めた。僕は怒っているんだぞと暗に示すように。

「・・・フランソワーズ。僕はこっちには来るなって言ったよね?」
「言ったわ」
「きみはわかったって言ったよね」
「ええ」
「だったらどうして」
「だって」

フランソワーズは険しい表情のジョーににっこりと笑いかけた。

「わかったわ、って言ったけどそうするわとは言ってなかったでしょ?」

人差し指をたてて、顔をちょこっと傾げて。

「・・・屁理屈だ」
「それだって理屈のうちだわ」

むう・・・と黙ったジョーの顎に手をかけて、自分の方へ向かせる。

「ジョーは私がいないほうが良かったの?」

何を言い出すんだ、とジョーが無言で睨みつける。が、フランソワーズは全く動じない。

「バレンタインなのに。それとも、誰か連れて来るつもりだったの?だから、私に来るな、って・・・」
「――怒るよ?」
「もう怒ってるじゃない」
「そうじゃなくて!」

けれども、にこにこしているフランソワーズの顔を見てぐっと黙る。

「そうじゃなくて・・・フランソワーズ」
「どうして来たの、って会いたかったからに決まってるじゃない。・・・もう。いつもそう言わないとわからないの?」
「・・・大の字で寝てたくせに」
「あれはっ・・・!」

かあっと顔を赤くして、フランソワーズがジョーに回していた腕を解き彼の腕から逃れる。

「酷いわ、見てるなんて!」
「僕のせいじゃないよ」
「だって、チョコを食べてたら何だか酔っ払っちゃったんだもの!」
「・・・チョコ?」

フランソワーズを下へ降ろしながら、ジョーの顔が険しくなる。

「チョコって」
「レッスンに行ったら貰ったの。――逆チョコって知ってる?」

ジョーは答えない。

「それで、ジョーを待ってる間にお腹すいちゃって、ついつい――」

ベッドサイドのテーブルへちらりと視線を走らせる。それを追ってジョーも見る。と、そこには既に空き箱となった「逆チョコ」が載っていた。ピンクのリボンや真紅のリボン。焦げ茶色やローズピンクの箱。見たところ、三個といったところか。
その数の少なさがむしろリアルな感じの逆チョコだった。
これって、義理とかじゃなくて本気でフランソワーズのことを・・・?

「――誰にもらったんだい?」

あくまでも、そんなの別にどうでもいいけど話の流れで仕方なく訊くんだよという声音で何気なさを装いジョーは訊く。

「ええと、パートナー役の彼と彼」

その二人はジョーも知っていた。どちらも明らかにフランソワーズのファンだ。崇拝しているかどうかは別として、ともかく好意を持っているのは確かだった。――が、どちらもジョーという存在を知っているので問題ではない。

「・・・それから、A先生」
「A先生!?」

まだ日本にいたのか。

フランソワーズの「ジゼル」の相手役だった男。確かにあれこれお世話になった。しかし、もうフランスへ帰ったのではなかったか。

「送られてきたのよ。フランスではバレンタインって女性が告白するのではないから」
「・・・何が送られてきた」
「チョコレートよ?どこで日本のシステムを知ったのかしらね?」
「・・・食ったのか?」
「ええ。美味しかったわ。懐かしかったし」

パリで有名な店だという。彼女がそこのチョコレートを好きなのを知っていて送ってきたらしい。

「・・・ふん」

気に入らない。
どうして、貰ったからという単純な理由で食べるんだ。僕はきみから貰ったのしか食べないのに。

「・・・ところで、ジョー。ちょっといいかしら?」

こほんと軽く咳払いをして、フランソワーズが言う。

「なに?」
「あの、・・・・パンツくらい穿いてくれないかしら。落ち着かないわ」
「えっ」

見ると、腰に巻いていたタオルはいつの間にか床に落ちていて・・・

「――ああ。そうだね」

ジョーは我が身を軽く検分すると、にっこり笑ってタンスの引き出しを開けた。

 


 

 

午前6時を過ぎていた。まだ夜は明けない。

二人は、リビングでフランソワーズの淹れたコーヒーを飲んでいた。テーブルの上には、ジョーが持ち帰ったチョコレートが山になっている。

「相変わらず凄いわねぇ。紙袋4つぶんは去年と一緒ね」

ジョーは答えない。

「後で整理しなくちゃね。ジョーもちゃんとカードを読むのよ?」

けれども返事はない。

「ジョー?」

ジョーは白いニットにジーンズという姿。前髪で顔を隠し、静かにコーヒーを飲んでいる。

「・・・眠いの?」

一方のフランソワーズはベビーピンクのワンピース姿。彼女いわく、いちおうバレンタインデーというのを意識したのだそうな。ノースリーブのその上に、白いニットのカーディガンを羽織っている。

「・・・別に」

すっかり不機嫌になってしまったジョー。湯冷めしたのが原因ではないらしい。もちろん、ベッドルームをフランソワーズが占拠していたせいでもない。

「暖房をつけっぱなしにしてたから、怒ってるの?」
「違う」
「チョコを食べたから?」
「別に僕は怒ってないよ」

けれども、低い声で言われるその台詞は「僕は怒っている」と宣言しているも同然だった。

「私がここに来たから?」
「違う」

フランソワーズは並んで座っていたソファから降りると、床に座りジョーの膝に両腕をかけ、そこに頭をもたせかけて彼の顔を覗きこんだ。

「ジョー?」

ジョーはぷいっと身体ごとそっぽを向く。
フランソワーズは、今度はジョーの膝に腕をかけて身体を伸ばし、彼の胸元のあたりから顔を覗きこむ。

「怒りんぼのジョーさん?」
「・・・・・」

フランソワーズと目を合わせないようにしているジョーの鼻をつつく。

「何で怒ってるんでしょうねー?それは、もしかしてコレのせいですか?」

じゃーん。という擬音がついているかのようにフランソワーズは右手をひらめかせ、ソレをジョーの目の前に差し出した。

「っ!ふっ」

コーヒーにむせて咳き込みながら、それでも手を伸ばしソレを取り返そうとする。が、フランソワーズは見切っているかのように華麗にひらひらと彼の腕を避けてゆく。

「返せよっ!!」
「イヤよ」
「それは、僕のっ・・・」
「僕の、なに?」
「いったいどこからっ!」

虚しく空を切る指先。

「ジョーの上着のポケット」
「――あ!」

帰ってきてソファに脱ぎ捨てたままだったそれを探すかのように、自分の座っている左右を見回す。

「遅いわよ。さっきハンガーにかけたの。そうしたらね、半分見えていたから、何かしらーって」
「・・・返せよ」
「そんなに大事なものなの?」
「フン」
「どうしてこれだけポッケに入ってたの?」
「・・・知るか」
「本命からもらったから?」

えっ!?

思わず見ると、フランソワーズは唇を噛み締めじっとジョーを見つめているのだった。

「ばか、ちがっ」
「どうしてこれだけ大事そうにポケットにしまってあったの?」
「だからそれは」
「今までそんな事なかったのに・・・っ」
「だから、聞け、って!」

ジョーは立ち上がると、フランソワーズの両肩をがっしりと掴んだ。顔を近づける。

「いいか。よーく聞けよ?二度は言わない」

険しい表情のジョーに、フランソワーズも神妙な顔で頷く。

「それは、逆チョコ、だ」

言った途端、ジョーの顔が赤く染まってゆく。それは見事に耳の先まで赤く赤く。

「・・・・・・・・・っ。何とか言えよ」

フランソワーズは応えない。

「そ、・・・・だからそれは、フランソワーズにあげるつもりだっ・・・」

フランソワーズの肩を掴んだ両掌にじっとりと汗がにじんでゆく。

「・・・くそっ、だからっ・・・・」

真っ赤な顔で。フランソワーズの目を直視できず、四方に泳がせて。手には汗。額にも汗。
フランソワーズはにっこり笑った。笑って、そして、背伸びしてジョーの首に腕を回した。

「やっぱり!そうだと思ったわ!!」

・・・・はい?

「絶対そうだと思ったの!だけど、もしかしたらそうじゃないかも、って思って、でもでも、きっとピュンマから聞いてるはずだから、そうに決まってるはず、と思って、」
「・・・ピュンマから聞いた・・・?」
「あ」

フランソワーズがぺろっと舌を出す。肩を竦めて。
それを見てジョーは脱力した。彼女の身体に回していた腕が緩む。大きく息を吐き出して。貧血を起こしそうだった。
考えてみれば、自分は一睡もしていないのだ。大の字になって寝ていた彼女とは違って。
ゆらりと後退しソファに沈んだジョーの隣に、こちらは弾みをつけてぴょんと座ったフランソワーズ。ジョーの前に箱を差し出す。

「・・・なに?」
「ちゃんと渡してちょうだい」
「もう持ってるくせに。・・・それも、自力で見つけて」

急に眠気に襲われ、ぼそぼそと口のなかで呟くジョー。けれどもフランソワーズは元気いっぱいだった。

「でも、逆チョコなんでしょう?ちゃんとジョーからもらいたいもの。愛の告白っ」
「・・・愛?」
「そうよ。逆チョコってそうでしょう?」
「・・・・・・そうなのか」
「ええ」
「じゃあ、・・・・・もう既に三人から愛の告白ってやつを受けたんだな?」
「え?」
「そして食ったんだろ?――チョコレート」
「・・・食べたけど」
「じゃあ、受けたってことだろ。別に僕からのはなくてもいいじゃないか」
「チョコは食べるものでしょ!?受けた受けないって何よ!」
「・・・僕はきみからのチョコしか食べない」
「だから?」
「だから、他のひとの気持ちは受け取らない」
「あらそう。食べたら受けたことになるの。ジョーって意外と乙女ちっくね?」

むっつりと黙り込んだジョーの前髪をかき上げ、その奥の瞳に迫る。

「言ってくれないと、本当は本命からもらった大事なチョコなんだって誤解するわよ?」
いいの?と、蒼い瞳が問う。

「――わかったよ。貸せよ」

フランソワーズが差し出した箱をひったくるように受け取ると、無造作にフランソワーズの鼻先に差し出した。

「・・・愛の告白。受け取れ」

ぶっきらぼうなその声にフランソワーズの頬が膨らむ。

「何よソレ。全然、気持ちが入ってないわ」
「うるさいなぁ」
「うるさいって何よ。あなたの愛情ってそんなものなの?」
「だからどうしてこれがその証明みたいになってるんだよ」
「だって逆チョコだもの」

ああもう、メンドクサイなぁ――と言いながら、それでも律儀に言い直す。

「――・・・・・」

けれども、唇を開いたところで続く言葉が出て来ない。
今更こんな大真面目に愛を語ったところで、どうしろというのだ。
――しかし。
こんな小さなことで彼女が喜ぶなら、言ってみてもいいかなと思いかける。
よし、たまにはちゃんと言ってみようか。

「・・・・あ」

けれども、無情にもジョーの唇は塞がれた。愛を伝える当の相手のフランソワーズに。

 


 

 

「・・・結局、どうでもいいのかよ。僕からの愛の告白ってヤツは」

フランソワーズに唇を奪われ、言う機会を逃したジョーは怒っているのか拗ねているのか助かったと思っているのか自分で自分の気持ちがわからない。
が、隣でリボンを解き箱を開けてチョコレートを検分しているフランソワーズはそんなジョーの様子にお構いなしだった。

「うわぁ・・・薔薇の形してる。これ、人気があるのよ?・・・凄いわ。どうしてジョーなんかが知ってるの?」
「ジョーなんかって何だよ、なんか、って」
「ほら。薔薇の形してるでしょう?確か薔薇の香りのするチョコで・・・」

細長い箱に縦に一列並んだ4粒の薔薇のチョコ。ひと粒500円はするそれを、躊躇なくフランソワーズはつまんで口に入れた。

「んっ!あまーいっ。うわっ、後から薔薇の香りがするー!」

うっとりと目を細め堪能しているフランソワーズにジョーは苦笑するしかなかった。

「そんなに美味しいんだ?」
「ええ、それはもう!ジョーもひとつ食べる?」
「いや、僕はいいよ」

あと3粒しかないのに、うっかり勧められるままに食べたりしたら後が怖い。

「そう?――じゃあ、あげないっ」

そうして、いとも簡単に二つ目。

「・・・美味しいっ。ね、ジョーもこういうチョコ貰ってないかしら?」

ちらりと目の前のチョコの山を見つめる。

「さあね。探せばあるんじゃない?」
「・・・ん。でも、ジョーが貰ったものだもの。私が食べるわけにはいかないわよね」
「別にいいんじゃない?どうせ僕は食べないんだし」
「うーん・・・・」

考え込みつつ、無意識に手は三つ目を摘む。

「でも、ひとつひとつにジョーへの愛がこもっているのよ?それを私が食べちゃったら・・・ねぇ?」
「別にこもってないんじゃない」
「ううん、きっとこもってるわ!なのに私が食べちゃったらどうするの!」
「どうする、って・・・」

律儀だなあとフランソワーズを見つめる。
女の子だって、チョコを渡すという行為に意味を見出したいだけで、そのチョコの行く末なぞどうでもいいのではないだろうか。

「だって」

フランソワーズは考え込んだジョーの方へ身体ごと向き直る。目が真剣だ。

「これ以上、あなたへの愛が溢れたらどうなると思う!?」
「え」
「ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに!困るわっ」
「困るわ、って・・・・」
「ずうっと抱っこされていたくなっちゃうわ!」
「・・・抱っこされたいんだ?」

こくんと頷くフランソワーズに手を伸ばし、膝の上に抱き上げる。

「で?」
「ぎゅうってされたくなっちゃうかもしれない」
「する?」
「ううん、今はいいの」

あ、そ・・・とジョーは口の中で呟く。ともかく、毎年バレンタインデー前後のフランソワーズは手がかかる。昨年も本命だ本命じゃないで揉めたのだ。少しだけだが。
フランソワーズは四つ目の薔薇チョコに手を伸ばした。

「ね。本当に食べないの?」
「うん。僕はいいよ」
「口の中に薔薇の香りが広がるのよ?」
「へえ、そう」
「・・・ほんとか嘘か知りたくない?」

そう言いながら、最後の1個をフランソワーズは口に入れた。

「食べちゃったら知りようがないだろう?」
「あら、そう思う?」
「・・・・・・・・」

どうやって知るか――に、思い至ったジョーは、本当に今日のフランソワーズは手がかかるなあと内心ため息をついた。
でも。

可愛いから、たまにはこういうおねだりもいいか――

どんなにメンドクサイ事でも、フランソワーズが可愛いなら万事オッケーなジョーなのだ。もちろん、彼女と同じ事を他の女の子がやっても全く興味がないのだけれど。

おねだりに応えるべく唇を近づけると、ふっとフランソワーズが笑った。

「そういえば、ジョーにチョコをあげてなかったわ」
「えっ?それはこの間・・・」

この部屋でチョコレートフォンデュをしたのがそれに相当していたはずだが。

「でも、やっぱりバレンタインデーに渡したいわ」
「もう過ぎたよ?」
「ううん。ちょっと過ぎただけだもの。――逆チョコの更に逆チョコってダメかしら?」

お互いの唇が重なるまで、ほんの数ミリ。

「・・・いいんじゃない?」

 

 

「――うん。確かに甘くて薔薇の香りがするね」
「そうでしょう?」