「で、うまくいったのかい?」 ギルモア邸に戻ってきたふたり。早速ジョーの持って来たチョコレートと自分のチョコレートのどちらが多いのか検分に入ったジェットをよそに、ジョーはさっさと二階へ上がっていった。 「もちろんよ!!」 コートも脱がず、僕の座っているソファへ身を乗り出すようにしてフランソワーズが言う。 「――そう。良かったね」 いわゆる「逆チョコ」をジョーからもらい、更には愛の告白というヤツも一緒にもらってしまう――という彼女の作戦は成功したようだった。だから、僕の「良かったね」のひとことで話は終わるはずだった。普通なら。 「そうなのっ!!しかもね、逆チョコの逆チョコもしたの!」 なんだそれ。 「でも、ピュンマには言わないっ。私とジョーのふたりだけの秘密っ」 どうぞ、そうしてください。 僕が微笑みつつ黙っていると、フランソワーズは不満そうに頬を膨らませた。 「・・・どうして訊いてくれないの」 でも訊いて欲しいっていうのだろうか? 「あ。そうだ。チョコレートケーキ美味しかったよ。ありがとう」 バレンタインデーだからと14日の朝に全員にふるまわれたフランソワーズお手製のチョコレートケーキの礼をまだ言ってなかった。 「ん。ちゃんとあっためて食べた?」 フランソワーズはそうかしら、と言いながら頬を染めた。 「ところでジョーは?」 なかなか二階から降りて来ない。 「ちょっと眠る、って」 って、フランソワーズ!! ちょうどコーヒーを飲みかけていたジェロニモは、フランソワーズの言葉に咳き込んだ。 「あらやだ、ジェロニモったら!大丈夫?」 フランソワーズが腰を浮かせ、彼の背中を優しくさする。 「あ、ああ。大丈夫だ」 いや、原因はきみなんだけど? 僕とジェロニモが無言で見つめているのに気付くと、フランソワーズは不思議そうな顔をして、そして――瞬間、頬を真っ赤に染めた。 「やだっ、違うわよっ、そういう意味じゃないの!そうじゃなくてっ!!」 両手をばたばたと振って立ち上がる。 「だって、ジョーが帰ってきたのが今朝だったんだもの!何も変なコトはしてないわっ!!」 投げるように言って、そのまま二階へ駆け上がって行ってしまった。 風呂から上がったジェットは、リビングに入って来ると周囲を見回した。 「よお。ジョーのヤツは?」 「待てって。あいつひとりじゃないんだからさ」 僕も同感だ。 「でも、機嫌悪そうだったし。きっとケンカだから邪魔しちゃダメだよ」 僕は思わず噴出してしまう。 「どうせ、仲直りするためにケンカしてるだけなんだからさ」 フランソワーズはジョーの部屋にいた。 「――それは答えになってないよ、フランソワーズ」 ため息とともに吐き出す。 「前から言ってるよね?僕がきみを独りぽっちで待たせるのが嫌いだってこと」 フランソワーズは手元を見つめる。 「帰る時間がちゃんとわかってるならいいけど、そうじゃない時はダメだって言ってるよね?」 答えない。 「いつ帰ってくるかも――大体、本当にそこに帰ってくるのかもわからないのに、何時間もたった独りで待ってるきみを想像したくない」 フランソワーズがびくんと顔を上げる。 「だって、平気だもの!待ってるのなんて、ぜんっぜん苦じゃないわ」 見据える目と目。一歩も引かない。 「――前から何度も言っているのに、全然守らない。日本グランプリの時も、その後も!何度も言ったはずだよな?」 ぷいっとフランソワーズが横を向く。こちらも胸の前で腕を組んで。 「会いたいくて待ってるのがそんなに悪い事なの?怒るようなことじゃないと思うんだけど?」 フランソワーズはさっと立ち上がるとつかつかとジョーの面前へ進んだ。 「いい?ちゃんと聞きなさい。私は、あなたを待っていたいの!それがどうしてダメなの?答えて!」 じいっと見つめられ、ジョーは組んでいた腕を解くと、くるりと窓の向こう側を向いた。 「・・・独りで待ってるのは寂しいじゃないか」 風の音に消されそうに小さい声でぼそりと言われる。普通だったら聞き逃してもおかしくはないくらいの音量。 「もし――ずっと帰って来なかったら?そうしたら、ずっと・・・独りで待っていることになるんだぞ。そんなの、・・・・ダメだ。許さない」 けれどもジョーの背中は頑なだった。 「・・・あのね、ジョー」 フランソワーズは組んでいた腕を解くと、そっとジョーの背中に触れた。 「待ってる間、ね。私、ずっとあなたの事ばっかり考えているの。いま何をしてるかしら、笑ってるかしら怒ってるかしら・・・って。それから、帰ってきたらなんて言おう、どんな顔するかしら・・・って」 ジョーは何も言わない。 「待ってる時間が寂しいなんて思ったことない。帰って来ないかもしれないとも思わない。だって、あなたは絶対帰ってくるし、・・・あなたが帰ってくるのが私以外のどこにあるっていうの?」 顔は窓の向こうを向いたまま。けれど、左手がそっと動いてフランソワーズを求める。 「――でも」 フランソワーズの手をぎゅっと握り締め、ジョーが言う。 「寝てた」 肩から頭を離し、ついでに両手を振ってジョーの手から逃れる。 「あれはっ・・・、だって、起きて待ってたら余計に気にするでしょう?」 ゆらり、とこちらを見たジョーは口元に笑みを浮かべていた。声の調子も戻っている。 「大の字で寝てるとは思わなかったけど?」 口元に笑みというより、にやにや笑いを貼り付けて言うジョーに、フランソワーズの頭に血が昇った。 「あれは、わけがあるのっ!!」 頬を上気させて、きらきらした瞳でジョーに訴える。 「ベッドに入ったら寒かったの!あなたがいないと寒いのっ!だから、暖房入れて寝ようって、そうしたら暑すぎて、それで」 必死の表情で言っているフランソワーズに構わず、ジョーは手を伸ばすと彼女の頬に触れた。 「よく聞こえなかったなあ。もう一回言って」 振り解こうと思えば、本気で抗えば、簡単に振り解けるはずの。 「――知らない」 ジョーの胸に頬を摺り寄せ。彼の体温が身体に伝わってくるのが嬉しい。 「お風呂上りに全裸でうろつく露出狂には言いたくありません」 ぎゅ、とフランソワーズを抱く腕に力がこもった。 「全裸じゃねーよっ」 フランソワーズがジョーの胸から顔を起こしてじっと彼を見つめる。 「・・・本気?」 にやり、とジョーが笑う。 「意見が食い違ったので、また今度」
フランソワーズは二階には行かず、まるで上司に結果報告をする部下のように僕のそばへやって来た。
どうだったのか聞いてくれと言わんばかりの期待に満ちた目で見つめるから、僕は苦笑しつつ上記の質問を放ったというわけだ。
対面に座っているジェロニモも秘かにこちらに注意を向けている。
「何を?」
「逆チョコの逆チョコってなに?とか」
「だって、ヤツとの秘密なんだろう?」
「・・・そうだけど」
目を上げると正面のジェロニモと目が合った。おい、どうするよ・・・?と目で問いかけるが、ジェロニモはお前が訊けといわんばかりに目配せをするだけだった。
僕ひとりにお守りを押し付けるのはずるいぞ。たまにはお前がやれよ、と目で言うけれどもジェロニモはさっと目を逸らし相手にしない。・・・憶えておけよ。次回はお前がお守りする番だからな。
数瞬でそんな遣り取りを交わし、それでも僕はまだねばった。大体、ヤツと彼女のその、ふたりだけの秘密、とやらを僕に聞かせてどうしようというのだろう。そんなもの、聞いたって絶対楽しくないぜ。
「ああ。フォンダンショコラって言うんだっけ?うん、ちゃんと中からチョコレートが出てきたよ」
「固まってなかった?」
「大丈夫。去年より腕を上げたね?」
14日の朝、冷蔵庫にチョコレートケーキがあるからと言い置いて、彼女は早くに邸を出たのだった。それっきり、どこで何をしていたのかは知らないけれど――ま、どうせヤツと一緒だったのだろう。
「ふうん?」
「昨夜一睡もしてないから」
「ふうん・・・――」
「もう。気をつけて」
変なコト、って・・・。それこそ一体どんなコトだろう?と、僕はジェロニモと顔を見合わせた。
「うん?上にいるよ」
「次に風呂に入るって言ってたのに、しょーがねえなあ」
風呂が空いたって言ってくるか、と部屋を後にしかけたジェットに慌てて声をかける。
「――なんだ。またフランソワーズと一緒か?」
まったく、仲の良いことで・・・と肩を竦める。
だけど。
「ケンカ?あいつら、ケンカするほど仲が良い、って言ったって限度ってもんがあるだろうよ」
「ま、いいんじゃない?」
もちろん、ここにはいない二人を思い浮かべてしまったためだ。
大体、あの二人のケンカなんて――
彼のベッドの端っこにちょこんと座り、居心地悪そうに組んだ指をもじもじと動かし、時折ちらちらとジョーを見つめ。
一方のジョーはというと、ぼさぼさの前髪の奥に機嫌の悪そうな瞳を隠し、声だけは穏やかにフランソワーズに問うているところだった。
カーテンを引いていないフランス窓に腕を胸の前で組んで寄りかかり、室内のフランソワーズをじっと見つめている。
彼の背後には暗い海が広がっていた。
「――だって」
「嘘だ」
「嘘じゃないわ!」
「帰って来ないかもしれないんだぞ!」
「帰ってくるもの!」
「そんなの、わかるもんかっ」
「わかるの!」
「ああ、そうだろうな。きみの力を使えばなんでもわかるんだよな?」
「ひどっ・・・!酷いわ、ジョー」
「酷いのはきみだろう?」
「そんなの、知らないわ」
「そんな事を言ってるんじゃない。独りで延々待つのはダメだと言ってるんだ」
「あらそう。あなたは私に会いたくなかったと、そういうわけね?」
「違うだろ、そんな事言ってない」
「同じことよ。それとも何?女連れで帰ってくるのに私がいたら邪魔だから?」
「――くだらない」
「ええ、くだらないわ!さっきからあなたの言ってる事全部!」
「・・・待っても待っても帰ってこなかったらどうするんだ」
「帰ってくるって言ったでしょう?それともあなたは帰ってくるつもりがないの?」
「あるよ」
「だったら、それでいいじゃない。私が待つ。あなたは帰ってくる。どこか悪いところがあるかしら?」
今日の昼まではまるで春のように暖かかったのに、夕方から急に冷え込んできた。外は風が吹き荒れ、冷たい空気をかき混ぜている。
けれどもフランソワーズは聞き逃さなかった。耳のスイッチをいれているわけではなかったけれど、ジョーの声なら聞き逃さない。
「――私は平気よ」
「嘘だ」
「本当よ。何度言わせるの?」
「嘘だからだ」
「本当だってば。信じて、ジョー」
「・・・・」
その左手を両手で握り締め、そうっと肩に頭をもたせかける。
「!!」
「別に僕は寝るなとは言ってないけど?」
「へえ・・・どんな?」
「起きて待ってたら嫌がるから、じゃあ寝て待ってよう・・・って思って、それでっ」
「臍出してたけど?」
「もー!だからっ!」
「なっ・・・、聞こえたくせに」
「もう一回言って」
「聞いたくせにっ」
「僕がいないと、何?」
「なっ・・・」
ジョーの手が頬に当てられ、そのまま肩を抱き寄せられ。
されるがままに身を任せ、いとも簡単に彼の腕のなかに捕まった。
「全裸だったわ」
「ちゃんとタオル巻いてたろ?」
「あーあ、私ったら、全裸のひとと話してたなんて全然気付かなかったわ」
「嘘つけ」
「ジョーにそういう癖があったなんて知らなかったわ」
「フン。僕だってきみに臍出して大の字で寝る趣味があったなんて知らなかったよ」
「ばか。嫌い」
「あ、そ。意見が食い違ったな」
「それは残念ね」
「ほんと残念。これから愛の告白をしようと思ったのに」
「もうっ・・・!ジョーのばか!」