子供部屋
(新ゼロのふたりの日常です)


12月14日 
電話でケンカ@

 

「ケンカした?何やってんだお前ら」


ジャンは呆れたようにジョーを見た。

ここはパリ郊外のジャンの家。
ジョーは口をつぐんだまま腕のなかの(義理の?)甥を見つめた。
金髪碧眼でアルヌール兄妹にそっくりだ。もうすぐ一歳になる。


「……まぁ、俺はどちらにしてもお前らが来るのは大歓迎だけどな」

で?と目で問う。

「ファンション(注・フランソワーズの愛称)はどこかに寄ってるのか」

ジョーの背後に妹の姿を探す。

「いえ。フランソワーズは……来ません」
「は?」
「僕ひとりです」
「ひとり、って、お前……」

なにしろジョーは何も荷物を持っておらず、ほぼ手ぶらである。
あとから荷物と妹がやってくるのだろうと漠然と考えていたジャンなのだが。

「え。や。まさか」

ジョーはきまり悪そうに目をそらした。


「お前、家出かっ!?」

 

***

 

ジョーが経緯を話す間、フランソワーズの兄ジャンは笑いっぱなしだった。
その笑い声につられてか、ジョーの腕のなかのチビッコもきゃっきゃと笑う。結果、笑い声に挟まれ、ジョーの気分は反比例に暗くなっていった。
ちなみに、ジョーがジャン宅に現れて以来、彼は甥を腕に抱いたままである。ジャンが早々に息子をジョーの腕に移し、彼は居心地が良いのかすっかりご機嫌で離れようとしない。
普段、イワンを抱き慣れているせいだろうか。今やジョーは抱っこの達人のようだった。

「わは。わはは。ファンションに追い出された。傑作だな!」
「……僕は悪くありません」
「うん?そうだな。悪いのはファンションだ」


フランソワーズがキッチンで洗い物をしている時に彼女の携帯電話が鳴り、出て頂戴と言われジョーが対応した。
相手は男性だった。
向こうはてっきりフランソワーズだと思ったのだろう。ジョーが声を発する前にこの間はどうもだの、またご一緒しましょうだのまくし立てた。そしてジョーが「はぁ、どうも」と不吉な低い声で言った途端、慌てて切れた。
疑うなというほうが無理である。


「で、ファンションは何て言ったんだ」
「おともだち……って」
「友達、ねぇ」

ジャンはちょっと天井を見て、うーんと唸った。

「まぁ、確かに信じろっていうほうが難しいな。うん。アイツが悪い」
「しかも、僕が疑うのは自分がそうだからなんでしょうって」

酷いですよとジョーが言うと、ジャンは再び笑いの発作に襲われた。

「わはは、いやあ、やられたな、うん」
「僕は浮気なんてしてないですよ。フランソワーズだけです」
「うん、わかってるわかってる。わはは」

そして、そんなジョーとは一緒にいられない出てってと言われ、いまこうしてジョーはパリにいるのだった。

「いやあ、それにしても」

だからといってその彼女の実家に行こうと思うかなぁ?

ジャンは内心首を捻った。が、彼はジョーが来るのは大歓迎だったので、その疑問はやりすごすことにした。

 


「甥ってなんのこと?」と思った方は
コチラをどうぞ
(昨年のクリスマス時期のふたりです)


12月15日 電話でケンカA

 

「うそ。信じられない。どうしてそっちにいるの!?」


フランソワーズの大音響にジャンは電話を耳から離した。

「なんだ。知らなかったのか?」
「知らないわよ、そんなの」
「けっこう日にち経ってるだろうが」
「だって……いつもの家出だと思ったんだもの」

まさかパリに行くなんて、と呆れた声にジャンは苦笑した。

「そうだよな。――で、どうするんだ」
「どうするって何が?」
「仲直りするんだろ?」
「知らない」
「おいおい」
「だって、ジョーったら酷いのよ」

数日前にジョーから聞いたのと随分違うフランソワーズバージョンを聞かされ、ジャンは苦い顔になった。
いったいどちらがどのくらい脚色しているのかさっぱりわからない。身内だという贔屓目に見れば、妹の味方をしたいところである。が、ジョーとは男同士という絆がある。それにどちらも都合の悪いことは省いているに違いないのだ。まったくメンドクサイなと心の中でため息をついてから、ジャンは口を開いた。

「ともかくこっちに来い。みんなお前に会いたがっているぞ」
「本当?」
「ああ」

ジョーも含んでいるけどな、と心の中で付け加える。
ともかく連れ帰るなりなんなりしてもらわないと、いい加減こちらが落ち着かない。今は息子が相手をしているからいいが、早晩めそめそし出すに決まっている。
まったく。初めて会った時は凛々しい青年だと――ちょっとは――思ったのに。
否、その後だって、フランソワーズの件に関してはいつでもきっぱりすっきり頼りになる雰囲気を醸していたしちゃんと明言だってしてきていたのだ。だからこうして、フランソワーズを任せて安心していたというのに。
そのフランソワーズにちょっとそっぽを向かれただけでこうも変わってしまうのか。

「――ともかく、頼むよ」
「……しょうがないわねぇ」

渋々といった感じでフランソワーズが答える。

「でもお兄ちゃん、ジョーが来てほんとは嬉しいんでしょ」
「うん?そりゃそうだ」
「帰って欲しくないんでしょ?」
「まあな」

ジャンとジョーはとっても仲良しで、フランソワーズが一緒にいても兄ジャンにいつもジョーをとられてしまうのだ。
だからやきもちを妬くこともしばしばで、それはどちらに対してのやきもちなのかフランソワーズにもわからなくなるほどだった。おそらく両方なのだろうと思うけれども。

「しかしだな」

ジョーが落ち込んでいるとなると話が違ってくる。いくら仲良しといってもジャンの手には負えないのだ。

「――いや。ともかくお前がいないとアイツはどうにも使いものにならん」

せいぜい、チビッコのお守りが妥当なところだ。どちらがお守りされているのか甚だ疑問が残るけれど。

「で……いちおう、訊いておくが」
「なあに?」
「その。別にジョーに頼まれたわけじゃないぞ。これは兄としてだな」
「前置きはいいから。なあに?」
「うん。そのだな、……お前、ジョーと電話の相手と二股かけてるわけじゃないよな?」
「ハァ?何言ってるの?」
「あ、あは。そ、そうだよな。そんなわけ……」

しかし電話のむこうの相手は不吉に沈黙した。

「も。もしもし?ファンション?おい。どうした」

たっぷり一分は沈黙しただろうか。
電話が切れたのだろうかと兄が訝り始めた頃、地獄の底から声がした。

「――二股だったらどうするの」
「えっ?」
「ジョーに言いつける?」
「あ。いや……」
「ね、もし私がジョーを振って他のひとに乗り換えたらどうするの」
「いや、俺としてはお前が幸せならそれで構わないさ」
「ふうん。そうしたら、お兄ちゃんがジョーと会う理由はなくなるわよ」
「へ?なんで」
「だってもう関係ないじゃない」
「そんなことないさ。友人としてこれからも」
「無理に決まってるでしょう。そんなこと。お兄ちゃんが大丈夫でもジョーが無理よ」
「そんなことないだろう。大人なんだし」
「大人……に、見える?」

そこでジャンはさきほど見た光景を思い出した。フランソワーズに電話しようと思ったきっかけとなった光景である。
それは、自分の息子とジョーが仲良くしているという大変平和な姿であった。もうすぐ一歳という乳児と成人した大人の男性の二人組。普通はそう聞くとどのような光景を思い浮かべるだろうか。男性が乳児を腕に抱いてあやしているとか、たかいたかいをしているとか、何かそんなようなものだろう。
がしかし。
二人の場合は全く違っていた。ジャンも戸口で凝固したくらいである。
それは。
膝を抱えてうなだれているジョーの背中を、乳児が慰めるように抱き締めている図だったのである。もちろん、実際には慰めているように見えて、たっちするのにつかまっていただけなのだろう。がしかし、微動だにしないジョーの背中をやはり乳児がさすってあげているように見えてしまうから不思議である。

「――見えないな。確かに」
「でしょう。もう。安心して。二股なんてしてないし、ジョーを振るなんて有り得ないから」

まったくもう、ジョーったら馬鹿なんだからと怒り出す。

「ともかく、迎えに来てくれよ」
「さあ、どうしようかしら。ひとりで行ったんだから、ひとりで帰ってこれるでしょ」
「いやあ……ま、とりあえず画像を送るからどうするか考えろ」

そう言ってジャンは一方的に通話を切った。そして、あまりの光景に写真に撮ってしまったフランソワーズにとっての「甥と彼氏のツーショット」を送信した。

 

***

 

送られてきた画像を見て、フランソワーズは頭を抱えてしまった。

「まったくもう……なんなのよ、これ」

どうして甥にまで迷惑をかけるのだろうかこのひとは。それを言うなら、既に兄にまで迷惑をかけてしまっている。

「ほんとうにもう」

そういう風に迷惑をかけていいのは、家族に対してだけのはずである。無意識に甘えていい相手。無意識に頼っていい相手。それは、相手は絶対的に自分の味方であると信じているからである。そんな風にジョーが全幅の信頼を置いている相手――が、自分の身内。

「……まったくもう……」

見ている画像の上に涙が落ちた。
幾つも幾つも。

「ジョーのばか」

 

 

***

***

 

 

フランソワーズが兄の自宅に着いたのは、それから二日後だった。
迎えに出てきた兄と甥にキスを送り、さてジョーはどこなのと言ったらドアのうしろの陰気な影がジョーだった。

「何やってるのよジョー。帰るわよ」
「いやだ」
「怒ってないから」
「僕は振られるんだ」
「あのね。そういうこと言うから」
「いやだ、何も聞かないぞ」

耳を塞いでわあわあ騒ぐから、面白がって甥もわあわあ騒ぎ出した。

「もう、ジョー。うるさい」
「いやだ帰らない帰らないったら帰らないんだああ」
「もうっ。聞きなさい。いーい?あの電話の相手はね」
「わああああ」
「女の子なんだけど?」
「わあああああ――へっ?」
「声が低いの。ハスキーボイスって知ってるでしょ」
「え。でも。僕が話したら慌てて切れた……」
「だって、私が出ると思ったんだもの。いきなり男の声がしたらそりゃ驚くでしょ」

まるで言い訳のようだが事実である。実際、兄には早々に真相を話したのに言い逃れなのだろうと思ったのか信じてくれなかった。挙句に「ジョーと二股じゃないよな」などと言われる始末。あんまり呆れて、電話なのに一分くらい黙り込んでやったくらいだ。

「後でかけなおして謝っておいたわ。今のはジョーなのって。もう。同棲してるなんて知らなかったなんて言われちゃって大変だったんだから」
「……本当に?」
「本当よ。なんならここでかけてみましょうか?彼女に」

しかしその必要は無かった。
ジョーはフランソワーズを抱き締めると、髪に額にあちこちにキスをした。

「ちょっとジョー、お兄ちゃんの前でっ……」

が、既に兄と甥は姿を消していた。いつまでも仲直りの現場にいるのは野暮である。
そんなわけで、止めるひとは誰もいない今。離れていた時間と気持ちを埋めるようにジョーのキスは続いた。

みかねた義姉がお茶がはいったわよと呼びに来るまで。

 



12月31日

 

「え。今年はフランスで過ごさないのかい?」


今年のお正月は日本で過ごすわというフランソワーズにジョーは驚いて荷造りの手を止めた。
毎年フランスで過ごしてきたから、てっきり今年もそうだと思っていた。
だから今もいそいそと荷造りをしていたのだが。

「だって、この前行ったばかりだし」

誰かさんの家出のせいでね。とフランソワーズが付け加える。

「えー。いいじゃないか、行ったばかりだって」
「イヤよ。いいじゃない。日本で過ごしたって」

いいけど……ううむとジョーが唸る。

「でもみんな国に帰ってるし、誰もいないよ?」
「そうね」

博士はイワンを連れてロシアの友人宅で過ごすのだという。つまり、ギルモア邸はまったくの無人になる。

「いいじゃないか、フランスに行こうよ。兄さんも待ってるし」

邪気のないジョーにフランソワーズは鼻を鳴らした。それがいやなのよとはジョーには言えない。
もちろん、フランスで過ごすのは本当はイヤではない。が、兄が一緒となると話は別だ。
兄は大好きだし兄一家ももちろん好きだ。しかし、兄が一緒に居ると――まず間違いなくジョーをとられてしまうのだ。先日のジョーの家出だってそうだった。迎えに行って、さあ帰りましょうといっても兄と仲良しのジョーはなかなか腰を上げなかった。だから頭にきて、独りで帰るわと本当に家を出たら慌ててジョーが追ってきた。
そんな具合だったから、どうにも帰る気になれないのだった。
自分の兄と恋人が仲良しなのはいいことだとは思う。が、本来その中心にいるはずの自分を飛び越えて仲良くなってしまうのはいったいどういうことだろうか。
あるいは、巷の兄たちはこうして恋人と仲良くなってしまうものなのだろうか。
いつか街頭アンケートをとってみたいフランソワーズである。

ともかくそんなわけだったから、フランスには行きたくないのだった。

「イヤよ。いいじゃない、ここに二人で居ても」
「う。そりゃまあいいけど」
「それともジョーは私と二人っきりじゃイヤなの?」
「えー?」

そんなことないよと笑うジョー。

「だったらいいでしょ?」
「うーん」
「たまには二人っきりのお正月って過ごしてみたいわ」
「……そうか」
「おせち料理も頑張って作るわ」

渋々承諾したジョーに、でもフレンチ風のおせちでもいいかしらと困ったように訊くフランソワーズ。もちろん大丈夫だよと答えるジョー。
いっけん、平和な光景である。
が、ジョーの心のなかには「二人っきりのお正月」が渦巻いていた。

二人っきりのお正月。

この広くて暖房効率の悪いギルモア邸で。


さて、どうやって過ごそうか……?


それはもう決まっているジョーであった。