−子供部屋−
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)


6月30日            噂A

 

「あ。来た来た、――フランソワーズ、ちょっと!」

レッスン室に入ると、ちょうど対角線上の隅っこのほうに人が集まっていた。
フランソワーズは軽く首を傾げ――みんな練習しなくちゃダメじゃない。とひとこと言ってやろうと歩を進めた。

「みんな何してるの?もうすぐ本番なのに。ちゃんと練習しなく」
「いいから!!見てよ!」

先日と同じようにワンセグを目の前に突きつけられる。

「もう――何なの?」

レッスン室には携帯持込禁止なのに、いったい誰が持ってきたのだろう?
そう思いつつも、仕方なく画面を見る。

『ハリケーン・ジョー、二股!?』『女王とバレリーナ、本命はどっちだ!』

画面の右下のほうに赤い文字で書かれた言葉が眼に入った。
そして、画面中央には――キャサリン女王とジョーのツーショット写真。

「・・・これがどうかしたかしら」

出てきた声は我ながら氷のように冷たかった。

「――え」
一瞬、その場は凍りついたものの――それも、すぐに氷解した。

「どうかしたかしら、なんて気取って言っている場合じゃないでしょ!?二股だよ?どうなのよ、本当だったら、あの生チュー男絶対ただじゃおかないからね!」
そうよそうよと周りからも声が上がる。

「・・・二股なんて。そんなの、ないわ」

ほうっと息を吐き、フランソワーズが答える。
「そんなわけないもの。この写真は――彼女はジョーのチームのスポンサーだから。それで、よ」
「でも・・・仲良いんでしょ?」

ワンセグ画面の中ではワイドショーの芸能レポーターが、ジョーと女王がいかに親密なのかを得々と語っている。

「・・・アンタの形勢不利だって言ってるよ」
「言わせておけばいいわよ、そんなの」
「でも」
「いいの」
「悔しくないの?」
「どうして?」
「どうして、って・・・」

屈託のないフランソワーズに、かける言葉を失う。

「だって、本当に女王とは何でもないもの。――知ってるから、大丈夫」
「そ。そうだよねー。だって、生ちゅーのバラのひとだし」
「そうだよ。『ね?フランソワーズ』って言ってたじゃん」
そうよそうよ、誰が二股なんて言い出したのよ全く・・・とみんな口々に呟き、三々五々バーへ散っていった。

「・・・まったく」

息をつくと、フランソワーズもバーレッスンに就いた。

――ジョーに二股なんて器用な真似ができるわけないじゃない。彼女とはとっくの昔に終わってるのよ。
今は私だけ。・・・そうよね?ジョー。僕のだ、って言ってくれたのは嘘じゃないでしょう?

全く不安になる要素なぞひとつもなかったけれど、そんな「噂」が存在しているだけでもなんだか胸の奥がモヤモヤしてくるのだった。

こんな噂をジョーが知ったら、絶対に傷つくもの。いったい誰よ、こんなこと言い出したのは。
テレビのひとかしら?

直接、苦情の電話でもかけてしまおうか――と考えるのだった。

ジョーを傷つけるひとなんてこの世にいてはダメなのよ。
絶対、許さない。
この私を怒らせたら怖いのよ?

 

***********
ジョー島村を悲しい目に遭わせるひとがいたら、私も絶対に許しませんよ!



6月29日             噂@

 

午後からフランソワーズのレッスンだったので、ふたりはシャワーを浴びたり、朝食を食べたり、あれこれしたり――と慌しく、あっという間に時間は過ぎていった。なにしろ、のんびりしているわけにはいかないのだ。ジョーはジョーで、事務所に行かなければならなかった。

「送っていくよ」

鍵を閉めたあと、ジョーがそう言ったのを聞いてフランソワーズは足を止めた。

「いいわよ。ここからなら近いもの。電車ですぐよ?」
「ダメだよ。電車だろ?」
「そうよ?」
「送っていくよ」

そのままぐいっと手首を掴んでエレベーターに乗り込み、有無を言わせず駐車場まで降りてしまう。

「待ってよ、だって――大丈夫よ?」
「だめ」
「だって、車ないでしょう?」
「――え?」

無いのだった。
駐車スペースは空だった。2台とも。

「――なんで」
「忘れたの?この前、ギルモア邸に乗ってきてそのままにしてたでしょ?」
「・・・それはストレンジャーだよね?」
「ええそう」
「・・・フェラーリがない」
「貸したじゃない。ジェットに」
「ジェット!?」
「ええ。――向こうで乗るからちょうどいい、って」
「向こう?」
「アメリカ」
「アメリカ!?」

そんなの許可するわけがなかった。大体、車をジェットに貸すなんてことがある訳も無く、そもそもジェットは自分の車を売るほど持っているのだから。

「絶対、壊される。もう戻ってこない・・・・」

ブツブツと言うジョーを呆れて見つめ、フランソワーズは彼の手を引いた。

「いいじゃない。どっちにしろ、目立つ車よ。あっという間にね」
「・・・俺の車」
「また買えばいいでしょ?」
「・・・・チューンしたばかりだったのに」

どんなチューンを施したのかは怖くて訊けなかった。

「今度は目立たない車にしたら?国産の軽とか。それだったら私だってひとりで」
「だめだ」
「どうしてよ」
「ひとりで乗るなんて危ない」
「危ない、って・・・」
「俺がいない時に車に乗るなんてダメだ」

――もう。そんな事言ったら、どこにもいけないじゃない。アナタがいないと。

「それより、きみの方は大丈夫?」
「何が?」
「その、・・・記者とか」
「――あぁ、それね。・・・大丈夫よ。」
「ごめん」
「あら。反省してるの」
「・・・少し」
「そうよねぇ。全国放送ならまだしも、国際映像でひとの名前を叫ぶんだもんねー」
「・・・別に悪いことじゃないだろ」
「お兄ちゃんに怒られなかった?」

フランスグランプリの後に二人は会っているはずだった。

「・・・爆笑された」
「爆笑??」
「叫ぶだけじゃ足りねーよ、って」
「何よそれ」
「アピール度が低いって言われた」
「・・・・もー。お兄ちゃんたら、ジョーに何を吹き込んでいるのよ」

しかも、ジョーは全然反省している風には見えないのだった。本気で「次の表彰台ではどうしようかな」と考えているようだった。

「それに、ワイドショーでは『ね?フランソワーズ』のとこばっかりよ?」
「ふぅん」

決めセリフだったはずの『彼女は僕のなんですから』は、幸か不幸かすっかりスルーされているのだ。
今は、『ね?フランソワーズ』の「フランソワーズ」の部分に自分の恋人の名前を入れて言うのが流行ってきており、早くも今年の流行語大賞になるのではないかと言われていた。

「ふーん、って、ひとごとじゃないでしょ?」
「ひどごとだよ。俺の名前じゃないし」
「もー!!」

知らない、っとジョーの手を離し、すたすたと早足で行ってしまう。
ちょうど駅へ向かう分かれ道なのだった。

「――フランソワーズ!帰り、迎えに行くから!」
「名前を呼ばないで!!」

振り返り、イーっとジョーに顔をしかめて見せて、改札に消えた。
ジョーはその姿を見送ってから――特に変装するでもなくごくごく普通に、歩き出した。
F1レーサーで、しかも先日優勝したばかりでニュースにでまくりとはいっても、普通にこの辺を歩いているなんて誰も思わないし、もし思うひとがいても「似てるなー」という認識程度であるということをジョーは知っていた。

 



6月28日          告白H

 

「――そういえば、俺・・・どうしてこんな格好のまま寝てたんだろう?」

そもそもの疑問を思い出し、腕の中のフランソワーズに改めて訊いてみる。

「ね、フランソワーズ?」

フランソワーズはというと、ジョーの胸にもたれかかり目を閉じてしまっていた。
眠いのかもしれなかったし、あるいは――

「・・・フランソワーズ?」

彼女の髪に顔を埋め、小さく問うてみる。

「・・・眠い?寝る?」
「――」

フランソワーズはジョーの胸から体を離そうとし――失敗した。よろけて、再び彼の胸にもたれてしまう。

「フランソワーズ。・・・立ってられない?」
「・・・ん・・・」
小さく口の中で何かを呟いている。
「――ん?なに?」
「・・・ジョーのばか・・・・」
「なんだよそれ」
「だって・・・いつもアナタって実力行使、で・・・」
「で?」

ふ、とフランソワーズが顔を上げた。目の前には、にやにや笑いのジョーがいた。

「・・・ホラ。やっぱりそういう顔してた」

体はジョーの腕に預けたまま、頬を膨らませる。

「いっつも言葉で言ってくれないんだもの。――肝心なコトは全部、そう」

「え。言ってるよ、ちゃんと」

フランソワーズの背中に回した腕に力を入れる。いよいよフランソワーズは立ってられないようで、自分の体重をすっかりジョーに預けてしまっていた。

「だって、・・・・いっつもウヤムヤにするの、ずるい」
「ウヤムヤになんかしてないよ。ちゃんと言ってるのに」
「言ってない」
「言ってるよ。――言葉にしないとわからない?」
「うん」
「――本当に?」

見つめる褐色の瞳が、自分の心の中まで見つめているようでフランソワーズは目を伏せた。

「・・・そんな顔するなんてズルイ」
「ずるくないよ。ズルイのはフランソワーズのほうだろ」
「どうして?」

彼女の問いに、ジョーは微かに頬を染め、

「・・・ホラ。そうしてまた訊くんだろう?――わかってるくせに」
「わかってる、って何が?」
「・・・ズルイのはきみのほうだよ」

フランソワーズを胸のなかに抱きしめ直した。自分と彼女との間に隙間ができないように、ぴったりと。
そうしてから、フランソワーズの耳元に唇を近付け――

「・・・・言わないとわからない?」

腕のなかで身じろぎするフランソワーズを動けないようにきつく抱きしめる。彼女が自分の顔を見上げたりできないように。

「――誰よりも大事だ、って」

が。
自分の言葉に対し、胸の中で小さくくぐもった声で言われたのは、ジョーにとっては青天の霹靂だった。

「・・・それだけ?」

「そ。それだけ、って、フランソワーズ」
「だって、知ってるもの。そんなのずうっと前から」
「・・・だったら、それでいいじゃないか」
「だめ。ちゃんと言って欲しいの」

フランソワーズが自分に何を言わせたがっているのか、見当がつかないようでそうでもないのだった。

「それ・・・いま言わなくてもいいだろう?」
「今じゃなかったらいつ言うの?」
「・・・・・・・・・・・・・・世界が終わる時」
「何よ、それ」

とうとうフランソワーズが顔を上げてジョーを見つめた。

「・・・ジョー、顔が赤い」
「うるさいな」
「どうして赤いのかしら」
「知らない」

ふいっと顔を逸らせた彼を見つめ、フランソワーズは大きくため息をついた。

「もう。――そんなに難しいこと?」
「・・・・・・」

冗談で言ったりからかったりして言うことは容易だった。けれど「いま」彼女が求める答えを言ってしまうのには抵抗があった。
「いつか」必ず言うと決めてはいるものの、その「いつか」は――「いま」ではないように思えた。

「私は嫌よ。――世界が終わる時なんて。・・・どちらかの最期の時に聞いても、全然嬉しくない」

最期の時。
そんなの考えたくもなかったけれど、けれども「いつか」必ずやってくる別れの時。
その時に――いちばん最期に聞くのなんてゴメンだった。

「だって。絶対、アナタが――いなくなる時でしょう?そんなの・・・言われた私はどうすればいいの?私もよ、って答えても聞いてくれる時間はあるの?・・・勝手に言って、逝っちゃうなんてズルイ。そんなの、絶対イヤ。許さない」

目に涙を溜めて言い募るフランソワーズに、ジョーは軽く息をついた。

「・・・・泣くなよ」
「だって」
「・・・・愛してるから」
「!?」

そうしてジョーは唇を重ねた。続く言葉は直接彼女のなかに残された。

 

『ほら――いつもこうして伝えているだろう?』

 

*********
だそうです。



6月26日         告白G

 

「アナタって――何?」
「・・・いい。言わない」
「何だよ、気になるじゃないか。――教えろよ」
「イヤ。言わない」
「フランソワーズ」

ジョーは自分の胸にもたれているフランソワーズの両肩をつかんで引き剥がした。そして、額をくっつけてじっと見つめた。
蒼い瞳。

僕はこの蒼い瞳を見ると――

 

「・・・ジョー?」

フランソワーズは思わずジョーの顎に手をかけて彼を押し戻していた。

「ダメよ、もう。・・・いつもこうなんだから」

押し戻されたジョーは軽く眉間にシワを寄せ、納得いかないと彼女を見つめた。

「いつもじゃないよ。なんで避けるの」
「いつもでしょう?」
「違うよ」
「違わない。だって、あの時だって」
「あの時?」
「・・・もうっ。いい。知らないっ」

すり抜けて行こうとするフランソワーズの両肩をつかんだまま、ジョーは少し屈んで彼女の瞳をじっと見つめた。

「あの時ってもしかして・・・あの時?」
「――そうよ」

対するフランソワーズは微かに頬を染めて彼を見つめ返した。

「何よ・・・覚えてるんじゃない」
「・・・」

ジョーは微かに笑って、そうして――

 

――もうっ・・・アナタっていつでもこうなんだから・・・!

 

二人が思い出したのはコチラ→



6月25日          告白F

 

朦朧としていた意識がゆっくりと覚醒してきた。
明るい陽射しが射す部屋。
真っ白いシーツ。
そして。
何かふわふわしたもの。
――と、亜麻色の波。

ジョーはうっすらと目を開けて、自分の腕のなかにあるものをぼんやりと見つめた。

・・・あれ?――フランソワーズ・・・?

ふわふわしていたのは彼女の身体であり、それを抱き枕のように抱いて眠っていたのだった。

ここは――どこだ?

ふんわりと漂うシャンプーの香り。
慣れたその香りに安心して再び目を閉じる。
何時間も眠ったようであり――そうでもないような気もした。が、ともかくぐっすりと眠ったのは確かだった。
もう一度眠ろうとして果たせず、結局目を開けた。
腕のなかでフランソワーズは目を閉じたままである。
しばしその寝顔を見つめてから、部屋のなかを見回してみる。
見慣れた天井、見慣れたカーテン、見慣れた家具。
自分の家だった。

――そうだった。確か昨夜日本に帰ってきて、それで・・・

ゆっくりと記憶を辿る。
疲れ果ててやっとマンションに帰り着いたのは真夜中だった。そして、フランソワーズを見つけて驚いて、それで――そこで記憶は途切れていた。
なぜいまベッドにいるのか全くわからない。
しかも、自分の姿といえば、ネクタイを外してはいるものの帰って来た時の姿そのままだったから。
対するフランソワーズは何故かジョーのパジャマを着こんで眠っている。

・・・なんでだろう?

そうっと彼女の頬に触れてみる。ぷに、とつついてみる。が、全く起きる気配がない。
そのまま鼻筋をなぞり、額にかかる髪を除ける。
眠っている。
ジョーはフランソワーズが起きないようにそうっと身体を起こし、ベッドから降りることに成功した。
そのままリビングに出て、大きく伸びをすると、ソファに投げ捨てるように置いてあった上着を探り、煙草と携帯灰皿を取り出し窓を開けベランダに出た。
柵に腕をかけてもたれながら、ゆっくりと煙草を咥える。
紫煙に包まれても頭はぼんやりしたままで、昨夜の記憶は欠落したままだった。

ともかく、酷く疲れていたことは憶えている。
ギルモア邸に帰るのは無理だったので――何しろ、そこにはフランソワーズがいるのだからほとぼりが冷めるまでは行けるはずもなかった。
が、ここに帰ったら、ギルモア邸にいるはずの彼女に出迎えられた。

――確か、ここからレッスンに通った方が時間が節約できるとか何とか言ってたな。

公演が近いので、ここから通ったほうがいいのだそうだ。

そして、俺の顔を見て――そう、「思い出した」って言っていたような気がする。
「思い出した」
って・・・何を?
そう言ったら急に膨れて口をきかなくなった。
「ジョーのばか、嫌いっ」
そう言われたような気がする。
それから・・・・

それから?

そこから先は本当に思い出せなかった。
フランソワーズを追い掛けてベッドルームに入って――今朝の映像に繋がる。

ううむ。わからない。
大体、思い出したっていうのは何のことなのか。
何か――頼んでいたんだったか。

見るともなしに眼下の風景を見つめ、しばし黙考する。
霞がかかった頭には何も浮かんでこなかった。

――記憶喪失?

 

***

 

「ジョー・・・起きてたの」

欠伸まじりのまだ寝ぼけているようなフランソワーズの声がして、ジョーは背後を振り返った。
まぶしそうに目を細めている。
亜麻色の髪はぐしゃぐしゃで、ついでに着ているパジャマもシワシワになっていた。
パジャマの上しか着ていないので、裾からのぞく白い脚を見ないようにジョーは目を逸らせた。
再び、空を見る。
が、背中にあったかいものがくっついて――それは、そのまま彼の身体を回り込んで腕のなかにおさまった。
熱源の正体は当然の如くフランソワーズだった。
まるで自分の居場所はここだといわんばかりの、当然のような顔をして彼の胸にもたれている。

「・・・煙草くさい」

軽い抗議の声に、ハイハイと呟いて煙草を揉み消した。

「ジョー、早起きね。私はまだ・・・眠いわ」

むにゃむにゃと呟いて、本当に彼の胸にもたれて眠り込んでしまいそうだった。

「フランソワーズ。ちゃんと寝なきゃダメだよ。――ここじゃなくて」
「イヤ」
「今日の午後からレッスンだろう?」
「・・・そうよ。だから・・・」
今のうちにジョーに甘えておかなくちゃダメなの。と、ジョーの胸元で声がする。

「だって、私は・・・ジョーの、なんでしょう?」
「え」
「・・・テレビで観たもん」
「・・・」
「そういうの、・・・公衆の面前で言うもんじゃないわ。私にだけ言ってくれればいいのに」
「うーん・・・けど、まぁ色々とあってね」
「色々、って?」
「色々は色々だよ」
「――けち」
「なんだよ、けちって」
「だって教えてくれない」
「いいんだよ。フランソワーズは知らなくて」
「・・・言うのメンドクサイ?」
「そうじゃないよ。――そうじゃなくて」

色々とわけがあるんだよ。本当に。

「・・・でもいいわ、許してあげる」

くすりと笑い、ジョーの顔を見つめる。

「ちゃんと告白してくれたら、ね」
「告白?何の」
「あなたのキモチ」
「そんなの、」
「ダメよ。だって、――聞いてないもん。何にも。」
「だから、何のこと?」
「電話で話したでしょう?・・・あなたとお付き合いするようになったきっかけの言葉を聞いてないってこと」
「――言った、って言わなかったっけ」
「言われてないから思い出しようがない、って言ったでしょ?」
「言ったよ」
「言ってない。だって」

ひた、とジョーの瞳を見つめる。

「アナタって――」

 

**********
すーみーまーせーんー(T-T)
明日には必ず!!



6月24日        告白E

 

翌朝からテレビは「ハリケーン・ジョー、優勝」でもちきりだった。
ニュースはもちろん、ワイドショーも特集を組むほどの。
フランソワーズはテレビを見つめ、コーヒーカップにため息を落とした。

これじゃあまたこっちには帰ってこられないわよね・・・。

以前、熱愛発覚事件の時もギルモア邸に戻れず、ジョーはしばらく自宅マンションにいたのだった。

あーあ。もう。

コーヒーを飲み干し、レッスンに向かうべくテレビを消そうとして――危うくカップを落としそうになった。
なにしろ、テレビ画面に映っていたのは

『ハリケーン・ジョー、女王と密会』

の文字。
そして続いて映ったのは、ジョーに寄り添うキャサリン女王の姿だった。

――なにこれ。

しばらく画面を注視してから、おもむろに電源を切った。
だから、このあとワイドショーがどんな展開を見せたのかフランソワーズは知る由もなかった。

 

***

 

「あっフランソワーズ!!ちょっとアンタ何やってたのよ!」
着替えてレッスン室に入った途端、囲まれてしまった。

「何って・・・着替えてたんだけど」
「そうじゃなくて!よくそんなのんびりしてられるわね」
「?」
「ホラ、あなたのジョーくん!優勝したから大騒ぎじゃない!」
「そうみたいね」
「そうみたいね、ってひとごとみたいに」
「だって、私が騒いでも仕方ないでしょう。・・・ホラ、ストレッチしなくちゃ」
「待ちなさい、って。――まったくもう・・・その様子じゃテレビなんて見てないでしょ?」
「見たわよ?」
「見たの!?」
「ええ。――モナミ公国の女王と一緒のトコロ」

そのまま無表情にバーに向かう彼女と一緒に全員が移動する。

「もー。ちゃんとストレッチしないとポジションがとれないわよ?」
「・・・テレビ見たならどうしてそう平然としてられるのよ!」
「だって別に平気だもの」
「平気!?平気って言った!?いま」
「ええ」
「ほんっとーに平気なの?」
「平気よ?」
だって、モナミ公国の女王でしょ――と呟きかけたフランソワーズは強引に言葉をひったくられた。

「違うってば!!アナタのことよ!!」

「・・・・わたし?」
「そうよ。もうっ・・・いい、ちゃんと見なさい」

傍らから誰が用意したのかワンセグ携帯が差し出される。
その画面には、先程見たジョーと女王の姿があり――

そのあと、唐突にジョーのアップに切り替わった。
多くの報道陣に囲まれている。どうやら空港らしかった。フランスの。
しばらく「優勝」についてのあたりさわりのない話題がふられ、そして――モナミ公国の女王とのツーショット写真の話になった。

『これはおふたりの仲が続いていると考えてよろしいんですよね?』
するとジョーはにっこり笑って
『続いているも何も――何にもありませんから』
と受け流した。
それに対し、インタビュアーも負けてはいない。
『しかし、今季スポンサーになってますし、以前CMも一緒に出演なさってましたよね?その頃からの仲だと伺っておりますが』
暗に、スポンサーになったのは「そういう仲」だからではないのかと匂わせている。
『確かに以前からの知り合いですが、それとこれとは別です』
笑みを湛えたまま静かに答え、更に言い募ろうとするインタビュアーを目で制し、続ける。
『僕には既に決まったひとがいますから。――御存知なかったですか?』
すると、誰かが持っていたのか脇から例の写真週刊誌が差し出された。御丁寧に彼の写真が載っているページが開かれて。
『――ああ、これです。この――彼女が僕の大事なひとです』
途端にざわつく報道陣。が、ジョーは全く動じてない。一斉に放たれた質問にも鷹揚に頷き、そして
『報道するなら正しくお願いします。ここに一緒に映っているのが僕の恋人です』
そうして、そのページを掲げかけ――やめる。
『島村さん、一緒に映しますのでページを指してください』
そう言い放った記者を一瞬、射るように見つめ、
『ダメですよ、それは。彼女を知ったらみんなそちらに行くでしょう?』
続けてにっこりと微笑み、
『教えませんよ。――彼女は僕のなんですから』
一旦、言葉を切りカメラを見つめ――
『ね?フランソワーズ』

そうして画面はスタジオに戻り、ハリケーン・ジョーの恋人宣言とラストの言葉についてのコメント合戦が始まった。

 

呆然。
ただただ呆然としていた。
呆然というのは、呆れるという意味もあり・・・

「ねーっ!!凄いでしょー、恋人宣言しちゃったよジョーくん!」
「しかも何よぉ『ね?フランソワーズ』って!!」
きゃーっと嬌声に包まれるレッスン室。その声を遠くに聞きながら、フランソワーズは心のなかで全員に突っ込みをいれていた。

いやいやいや。違うでしょ、皆さん。問題はソコじゃないでしょ?その前の「彼女は僕の」発言の方がずーっとずーっと問題でしょう?

とはいえ。
彼が「ね?フランソワーズ」と言った瞬間はというと――カメラ目線でじっとこちらを見つめ、優しい笑みとともに甘い声で言われたものであり――それは、カメラのこちら側にいる女性ファンすべてをノックアウトしてもおかしくないものだったのである。

「・・・・」
フランソワーズはただこめかみを押さえるのみだった。

全くもう・・・何を言い出すのよ。ジョーのばか。
もう知らないっ。

 

――でも、好き。

 

*********
・・・あれ?なぜこのような流れに・・・(悩)
ちなみに、女王との写真はトルコグランプリの時のものです。「ジョーのお誕生日」の頃ですね。



6月23日          告白D

 

翌日。
フランソワーズは落ち着かなかった。
傍らに置いた携帯電話を見ないようにしながら、さっきから時計ばっかり何度も見ている。
今日はジョーのレースの本戦だった。時間通りなら、もう結果が出ている頃だ。
が、携帯電話はメールの着信音も通話通知音も奏でる気配はなかった。
負けたなら、落ち込んでいるジョーから電話がくるはずであり、勝ったのなら、そのまま祝賀パーティになだれこむので連絡はこないはずである。いま現在、連絡がないということはつまり――

・・・勝ったのかな。

ちらりと時計を見つめ、無意識に指は携帯電話を撫でている。

――昨夜は大はしゃぎで電話してきたくせに。

けれども、昨夜放送前に結果を喋ったジョーに冷たくしたのも自分だった。だから、もしかしたら――放送前には電話をしてこないという可能性もあった。

だけど、ジョーはそこまで気が回るかしら・・・・?

今までそういう「学習」をしたことはないジョーだった。フランソワーズが知っている範囲では。
何度目かのため息をついた時、携帯から着信音が鳴り響いた。メールではなく――通話だった。

「も、もしもしっ」

コール一回で出る。相手が誰かはわかっていた。

「あ。フランソワーズ?」
「ど。どうだったの?」
「――ん?」
「だから、結果っ・・・」

テンションが上がってつい勢い込んで訊いてしまったが、その瞬間はっと我に返った。もし負けたのなら彼は落ち込んでいるはずであり、明るく結果を訊いても答えられるはずがない。むしろ、逆効果であり・・・

「――おいおい。誰に向かって訊いてるんだい?」

そんなフランソワーズに気付かず、電話の向こうからは妙に偉そうな声が響いてくるのだった。

「誰に、って」
「俺が負けるって思ってたわけかい?――それは許せないな」

・・・俺??

「フランスグランプリを制した俺にそんな口をきけるのはフランソワーズだけだな」
「えっ?」
「聞こえなかった?・・・ポールトゥウィン。勝ったよ」
「!」
「途中で雨が降ったり色々あったけどね。・・・フランソワーズ、聞いてる?」
「・・・・」
「フランソワーズ?」
「・・・・」
「あれ?電波?――、フランソワーズ?もしもし?」
「・・・・」
「聞こえてる?ふら」
「おめでとう・・・」

小さく呟くのがやっとだった。そしてそのあと、盛大に洟をすすり上げた。

「・・・い、行きたかった・・・行けなく、て」
「――いいよ。フランソワーズ」
「だ・・・って」
「いいって。――そんなに泣くなよ」
「だって」

ジョーの声に更に感極まってしまう。気にしていないようで、実は昨夜からずうっと気になっていた。レースの結果が。
気にして気にして――心配して。そこれそ、勝った姿、負けた姿、リタイヤする姿、ピットインする姿、フォーメーションラップの姿・・・色々な彼の姿を脳裏に描いて、それぞれの場合にどう対応するのかもシミュレーションしていたのだった。

「ん。・・・まぁ、いいや。後でちゃんと放送を見てくれれば」
「――何かやったの?」
「まぁ・ね」

思わせぶりなジョーの声に、一瞬涙も引っ込んだ。
まさかまた――国際映像を私用に使ったのではとイヤ〜な記憶が甦る。
以前やらかしたときは後日こってり絞られ、公式に謝罪をしなければならなかった。

「ジョー?」
「大丈夫だよ。心配しなくても変なコトはしてないからさ」
「だいじょうぶ、って」
「ま、見てよ」

 

***

 

数時間後。

フランソワーズはテレビ画面の前で固まっていた。

――何が、大丈夫、よ。何よコレ・・・

満面の笑みで表彰台でカップを掲げたジョーは、あろうことか彼女の名前を叫んだのだった。
――映像のみで音声は慎ましくカットされていたけれども、口の動きでそれとわかるのは容易だった。

まったくもう・・・ばかなんだから。

 

 

********
「告白」は??
・・・いまはそれどころじゃない二人でした。明日に持ち越しです。



6月22日         
告白C

 

その日の夜。
携帯からはしゃいだジョーの声がしたのは、まだF1の予選ラウンドが放送される前のことだった。

思わず顔をしかめ、携帯を30センチほど耳から離す。

「――もお。これから放送なのにー」
「いいからいいから!久々のポールなんだからさっ」

ポールポジションをとったという報告なのだった。

「いっやー、フランソワーズにも見せたかったなー。完璧な走りを」
「・・・これから観ます」
「あ、そうなんだ?そっかー、日本ではこれからなんだ」
くすくす笑いは止まらない。テンションが高すぎるジョーだった。

「インタビューもちゃーんと喋ってるから」
「・・・はいはい」

はあ、とため息をついてから。

「ジョー?――おめでとう」
「えっ」
「現地で見られないのは残念だけど、でも良かった」
「フランソワーズ。おめでとうはまだ早いよ」
「でも」
「いいかい?それは本戦でポールトゥーウィンをとってから言ってくれ」
「ま。――自信家ね」
「まぁね」
「でも・・・じゃあ、期待していいのね?リタイヤなんて許さないから」
「誰に向かって言ってるんだい?」

お互いにくすくす笑い合ってから。

「あ、そうだ。ジョーにちょっと聞きたいことがあるの」
「なに?」
「いま、大丈夫?」
「ああ」
「あのね、今日お友達に聞かれたんだけど・・・私、あなたに告白なんてされてないわよね?」
「――はぁ?」
「その、お付き合いするきっかけとかそういうの」
「・・・言ったと思うけど。――たぶん」
「嘘っ!聞いてないわよ?」
「言ったよ。・・・ただ、きみから返事を聞いてないけどね」
「ええっ?」
「だからいまひとつ自信がないんだけどさ」
「・・・告白の返事・・・。だって告白されてないのに答えようがないじゃない」
「だから。たぶん僕は言ってるはずだ」
「――違うひとに言った記憶じゃない?」
「――フランソワーズ。怒るよ?」
「だって言われてないもの、なーんにも」
「いいや。確か言ったはずだ」
「いつ?」
「・・・・それなんだよな。ずっと考えてたんだけど」
「ずっと!?」

一瞬、このひとはフランスで何をしてるんだろうと疑問が渦巻く。
そんなことを考えながら予選アタックをしていたのだろうか?
ある意味「余裕」ともとれるジョーの発言だった。

「うん・・・たぶん、あの時だったかなーって思うんだけどさ」
「あの時って?」
「ホラ。僕が腕を怪我した」
「・・・『僕から離れるな』って言ったとき?」
「ふ」
フランソワーズ、それは。と言い掛けたところを遮られた。

「いいじゃない。あの時のことはちゃんと・・・覚えてるわよ?」
だって、嬉しかったんだもん。

「う。ま、まぁいいや。――ともかく。覚えてるんだったら思い出しておいてくれ。あとで聞くから」
「優勝したあとに?」
「そ。優勝したあとにね」

 

********
「告白」ねぇ・・・。本当にしたのでしょうか?



6月21日          告白B

 

「フランソワーズってタフよねぇ」

練習後の更衣室で唐突に言われた。
公演前のレッスンは厳しく、いつもは喧しい室内も今日は誰もが無言だった。
「私はもうクタクタ。一歩も歩けないよ」
そのまま傍らのベンチシートに座り込んでしまう。
フランソワーズはそんな彼女を横目に着替えを進めた。

「・・・フランソワーズってそんなに華奢なのに、どこにパワーが残っているのかしら」
「そんな事ないわよ。私だって疲れてぐったりよ」
「でも涼しい顔してさくさく着替えてるじゃない」
「疲れてるから早く帰りたいだけ」
「・・・そうかなぁ」
「そうよ」

こういう時、自分は他のみんなとは違うということを嫌でも思い知らされる。
強化された人工の筋肉を持つ自分は、いくら踊っても疲れるということがない。蓄えられた体内エネルギーが切れるまではいくらでも踊り続けることができる。体内に疲労物質が溜まるということもないのだから。

――私は、みんなとは違う。

きついレッスンの後ほど強く思う。
汗を流して、疲労した身体が心地よい――なんてことは、もうずっと昔の遠い記憶になってしまった。

――ジョーもこういう思いをすることがあるのかしら。

レーサーは過酷な職業である。気温、路面温度とも高い状況下で走り続けることが求められる。従って、タフな体力と精神力を持つ者が――勝つ。
決して疲労しない身体を持つ自分たちは、そういう面では有利だった。

でも・・・きっとジョーは、だからといってこんなことで思い悩んだりなんてしないんだわ。きっと。だって彼は気持ちが強いから。――私と違って。

今まで何度も助けてもらった。挫けそうになる自分を励まし支えてくれた。
あの飛行機事故の時も、諦めていた自分を叱り、絶対に仲間の元へ帰るんだと強い気持ちで引っ張ってくれた。
そんな彼の姿を見るたびに――自分はこのひとに出会えて本当に良かったと思うのも常だった。

もし、009が彼ではなく別の誰かだったならば、自分はいまここにはいない。
とうの昔に死んでいるか、もしくは――精神が壊れてしまっていただろう。

もし――彼に出会っていなかったら。

そう考えるたびに息が詰まった。そんなこと、想像するのも怖かった。
あの褐色の瞳に見つめられない人生など考えられない。

――会いたいな。ジョーに。

彼がフランスグランプリのために発ってから日数は経っていない。けれど。

 

「コラ。何泣いてんのよ」

いきなり背中をどつかれた。

「な、泣いてなんか」
いないもん――と言いつつ、慌てて目尻を拭う。

「まったくもー。ジョーくんがいないからって泣く事ないじゃない」
「そうそう。お迎えクンがいない時じゃないとアンタとお茶できないんだからさ」

フランソワーズが考えごとをしながらのろのろ着替えている間に、復活した彼女らはさっさと着替えをすませてしまっていたのだった。

「ホラ、さっさと着替える。いつものところでケーキセットが待ってるぞ」

 

***

 

いつもの喫茶店だった。
そして、気付いた時には魔法のように目の前にケーキセットが鎮座していた。

「――ふぅん・・・・ジョーくんてさ、海外出張が多いんだねぇ」
「でも、いちいち寂しがってたらフランソワーズの身体がもたないよ?」
「・・・・うん・・・」
「ホラ、ケーキでも食べて元気出そ?」
「――ん」

食欲はなかったけれど、それとこれとは別物で、口の中に広がってゆく甘味に少しだけ慰められたような気がした。
とはいっても、いったい何がそう自分を寂しくさせるのか、彼を恋しがらせるのかはわからなかったけれど。
ジョーがレースのために不在になるのは慣れているはずなのに。

「ジョーくんもさ、フランソワーズを連れて行けばいいのにねぇ」
「そうだよ、一緒に行っちゃえばいいのに」
「そんなの無理よ。公演だってあるし」
「そうだけどさー・・・。ホラ、よくあるんでしょ?他の国とか、さ。レースに彼女同伴っていうの」
「そうかもしれな――え!?」

あまりにさらりと言われたため、あやうく普通に流してしまうところだった。

「えっ、ちょっ・・・・ゲホゴホ」
「あらら、大丈夫?」
「だ、大丈夫・・・」
ぜーはー息を整える。

「あのっ・・・」
声に出せず口をぱくぱくさせる。頭の中は真っ白だった。

「バッカねぇ。気付かないわけないでしょーが」
「そうだよー。顔も背格好も同じで名前も一緒とくれば、わからない方がおかしいよ」
「しかも――ホラ!」

手品のように出されたのは例の写真週刊誌だった。

「これ!フランソワーズでしょ?」

指差す先には紛れもない自分の姿があった。――ジョーと手を繋いで歩いている。
一般市民の自分のことが広く知られるはずもないとたかをくくっていたが、ここにいる友人たちのように自分を十分知っている者が見れば一目瞭然なのだった。

「すっごいよねぇ。あのF1レーサーがカレシなんてさ」
「ああもう、妬けるっ」

このバレエ教室に島村ジョーのファンは多い。四輪スポーツに興味がなくても、例の台所洗剤のCMはとても評判が良かったらしく、未だに何度でもテレビで流れる。そしてそれを見て更にファンが増え――の、繰り返しだった。

「――広島まで花持ってきてチューして帰った人とはねぇ」

未だにジョーは「生チューのバラのひと」と呼ばれているのだった。

「いいなぁ〜。いったいどうやって知り合ったのか知りたい」
「バッカねぇ。そんなのフランスグランプリの時に決まってるじゃん」
「――そうなの?」

視線がフランソワーズに集中する。

「ん・・・まぁ、そんなとこ・・・かな」
「へぇー。そうなんだ」
「で?どうやって付き合うことになったの?」
「ヤダ、そんなの何かキザなコト言われたに決まってるって。何しろ生チューのひとなんだから!」

生チューのひと・・・・。

まるでビールのような言われように思わず笑みが洩れてしまう。

ジョーが知ったらどんな顔するかしら?

「ねぇねぇ、どんな風に告白されたの?」
「え?」
「だーかーらー、告白よ。こ・く・は・く」
「そりゃもう情熱的に?」
「いやーん。ねぇねぇ、どんな風に言われたの?」
「どんな風に、って・・・」

思わず眉間にシワが寄る。

「――されてないもの」

一瞬、間。

「――えっ?よく聞こえなかったんですケド?」
「だから。――告白なんてされてないもの」

 

*********
だそうです。



6月20日         告白A

 

レーサーとバレリーナ、か。

本来ならば、出会う事などない二人だった。何一つ接点が無い。
いま、二人を繋いでいるものといえばそれは――サイボーグであるという事だけだった。
もし改造されていなければ、決して出会う事の無かった二人。
そう考えると、運命とは皮肉なものだと実感させられる。

もし、003が彼女ではなかったら。

もし、009が自分ではなかったら。

今頃は、それぞれに別の誰かと向き合っていたかもしれなくて。

――嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だッ

ぶんぶんと首を横に振る。
フランソワーズが自分以外の誰かと向き合っているなど想像しただけでも耐えられなかった。

フランソワーズは俺のだ。

彼女と出会えない人生など考えられない。
だからきっと、もし改造されていなくても――必ずどこかで出会っていたという自信があった。
必ず出会って、そして――恋に落ちる。絶対に。

もし003が違うひとだったならば、自分は今頃敵の手に落ち、ただの戦闘用サイボーグに成り果てていただろう。
自分をこちら側に引き止めるものは何もないのだから。
いま自分がここにいるのは、彼女の存在があればこそだった。
どうでもいいと思っていた自分の人生。それが、フランソワーズと出会ってから意味のあるものに変わっていった。
彼女の存在が全てだった。
それに気付くのにたくさんの時間が必要だったけれど。

 

***

 

告白、かぁ・・・

昼休みに軽くサーキットをランニングしながら、ジョーはぼんやりと考えていた。
空は蒼く晴れ渡っている。
空の蒼。
誰かの瞳と同じ色。

・・・別に改めて言ってない。けど、・・・それで構わないと思うんだけどな。

事実、今はちゃんと付き合っている。不安に襲われることもなく。
否。
不安は常にあった。が、そういう種類の不安ではないのだ。つまり・・・本当に付き合っているとかいないとか、そういうのがあやふやで不安になるといったものではない。

告白、ねぇ・・・

軽くストレッチをしながら思う。

そんなの。直接言ったりなんてしてないはずだ。何しろ俺は今までそんな事を口にしたことは一度もなくて――

事実、過去に「恋人」として付き合った女性にも言ったことはなかった。
だから、いつ友達から恋人に切り替わったのか明瞭な境界線など存在しない。
それはフランソワーズに対しても同じはずだった。

――だよな。フランソワーズにも言ってない・・・と思う。――けど。

腕組みをしてしばし悩む。

だけど・・・言ったかもしれない。フランソワーズにはちゃんと。「好きだよ」って。
だってフランソワーズは、それまで俺が知っていた女の子とは全然違ったんだし。

とはいえ。

でも・・・・あれ?
もし俺が言ったとして、フランソワーズは?何かそれに答えていただろうか?
・・・あれ?

どんなに首を傾げても思い出せないのだった。

・・・もしかして・・・俺はフランソワーズから何も言われてない?
だったら俺たちは――いつからそうなったんだ?いやその、そう、っていうのはそういう意味じゃなくてだな、その・・・お互いの気持ちを知ったのはっていう意味だけど。
――あれ?
いつ――知ったんだ?

 

***********
さて、いつでしょう?



6月19日      告白@

 

「島村さんて、彼女がいるんですよね?」

いきなり言われ、一瞬ジョーは固まった。

「あれ?だってスクープされて記者会見までしてたじゃないですか。私、見ましたもん。だから別に内緒じゃないですよね?」

じっと見つめてくる視線を避けるようにあさっての方を向きながら

「・・・ああ、そう、だけど」

小さく呟く。
確かに、彼女がいる――とスクープされて記者会見まで行った。だから、いちおう「公認」でもあり「周知の事実」でもあるのだが、それでも真正面からそう訊かれるとどう答えたらいいのか困ってしまうのだった。
しかも、相手が女の子となると余計に。

「歯切れ悪いなぁ。――別に島村さんをどうこうしようって訳じゃないんだから」

キャップを親指で押し上げ、けらけら笑うメカニックにちょっと顔をしかめる。

「今、マジメな話をしてたのに急にヘンな事を言うから」
「ヘンな事、ってヘンじゃないでしょ?――みんな言ってたんですよ。今回はフランスグランプリだからきっと彼女さんも来るんじゃないかって」

島村ジョーの恋人がフランス人ということはばれているのである。

「――来ないよ」
「来ない!?」

メカニックの女の子は目を丸くしてジョーを見つめた。

「何で!――ケンカでもしたんですか」
「してない」
「・・・まさか、ふられた・・・?」

ジョーと彼女の会話の一部始終はずっと周囲のメカニックも聞き耳をたてており、彼女の「ふられた?」という言葉はさざ波のように室内に広がった。
「嘘だろ」「やべーじゃん」「セッティング変えるか?」「くっそー、また壊されるぞコレ」
一瞬の間を置いてから、口々に苦鳴ともとれる声が洩れ、全員がジョーから目を逸らせた。
当の彼女も例外ではなく、頬を引きつらせ
「せ、セッティング・・・変えます、よ、ね?」
静かに後ずさりしながら、マシンの方を向きながら言う。
なぜメカニックが一斉にセッティングを変えると言い出したのか。
それは、過去にソレ絡みの一件があった時のレースに由来する。
「オイ、予備のパーツをありったけ用意しとけ」「タイヤもだ」

ジョーはその喧騒にやれやれとため息をついた。

「・・・あのさ。別にふられてないんだけど」

 

***

 

――全く。
どうして俺がフランソワーズにふられなくちゃならないんだよ。そんな訳ないだろう?

いらいらと食事を進めるジョーを囲み、先程のメカニックたちには安堵の空気が漂っていた。
和やかな昼食の光景であった。
ただひとり、ジョーを除いて。

しかも、俺がふられたからってなんであんなに大騒ぎをするんだ。
そんな事くらいでクラッシュしたり荒い運転になったりなんてしないぞ。

心の中で散々悪態をついてみるものの、実際に声に出しては言えなかった。
何故なら、彼の心の中は事実とは違うものだったから。
その「事実」というのは、今も彼のメカニックの間では語り継がれており、どんなに代替わりしようが新人が入って来ようが、ともかく「メカニック」である限り必ず知っている有名な話だった。
それについては――当事者であるジョーは、自ら語ったことはない。もしかしたら、すっかり忘れているのかもしれない。
というのが、多くのスタッフの考えだった。だから余計に自分たちが忘れてはいけないと躍起になっている。
ジョーにしてみれば、甚だ迷惑な話だった。

「――あ、そうだ。話の続きがあったの忘れてた」

ジョーの対面に座っていた先刻のメカニックの女の子が声をかける。

「どうやってお付き合いするようになったかを聞きたかったんですよ。レーサーとバレリーナとの恋ってなんかかっこいいし。――やっぱり、島村さんの方から・・・?」

聞こえているのかいないのか、ジョーは全く表情を変えずフォークを持つ手も止まることがない。
が、周囲はすっかり手を止め彼が言葉を発するのを待っているのだった。

「そうですよねー。やっぱり男のほうから告白、ですよねっ」

告白。

その言葉を聞いて、ぴくりとジョーの眉が上がった。

――告白?
そんなの・・・・

「――してないよ」

「えええーーーっ?????」
「マジかよ」
「じゃあ、どーやって付き合うことになったんだ?」
「まさか、彼女のほうから・・・?」

口々に囁き合いながら、彼の次の言葉を待つ。

ジョーはうんざりと、今日はいったい何なんだと思いながらフォークを置いた。

「・・・あのさ。別にそんなのなくたって、流れでそうなるっていうことだってあるだろう?」
「ないです!!」

きっぱりと言われる。

「流れでそうなる、なんてそんなの、本当に付き合ってるのかいないのかわからないじゃないですか!!女の子にとってはそりゃもう不安でしょうがないですよ!!・・・まさか、島村さん・・・未だに言ってないとか言わないですよね?」

「い」
「い?」
「い・・・ってるよ。・・・・たぶん」

今は普段から、好き好きフランソワーズと言っているので、告白も何も言ってるも言ってないもないのだった。

「たぶん!?」
「・・・・いや、その」
「ダメですよ!!たぶん、なんて!!」

・・・女の子ってどうしてこういう話になるとテンションが上がるんだろうなぁ・・・。

メンドクサイなぁと思いつつ、さっさとこの話を終わりにするべく口を開く。

「いいんだよ。一緒に住んでるんだから」

「!!!!」
真っ赤になり絶句する彼女を残し、席を立つ。
彼女は新人だから知らなかったが、これは既に殆どのスタッフが知っている事実なのだった。

「――誰にも言うなよ」

屈んで顔を近づけ――微笑んで言い置く。

彼女はこくこくと頷くばかりなのだった。

 

 

***********
島村の笑顔にやられた女子がここにひとり・・・。



6月14日

 

「言ってなかった?――公演があるから、今年は行けない、って」

両肩を掴むジョーの腕を難なく外し、彼の取り落とした衣類を畳み直す。

「・・・公演って」
「来週よ。ジョーのレースのちょっと前くらいかしら。だから、現地に行く時間なんてないの」
「・・・毎年、一緒だったのに」
「ん・・・ごめんね」

しょんぼりと肩を落とすジョーの髪を優しく撫でる。

「私もフランスに行きたかったけれど・・・バレエも大事だし」

それはわかっていた。ジョーも彼女の夢の邪魔をしたくはないのだ。
とはいえ。
「・・・せっかくのフランスグランプリなのに」
「んー。でも、モナコであなたのレースは見られたし」
「・・・モナコとフランスは違うよ」
「そうだけど・・・」
あなたのレース中心に生活してるわけじゃないし。と思う。
もちろん、ジョーの生活リズムに組み込まれるのが嫌なわけではない。が、同じくらい、自分の夢・自分の生活も大事だった。そして、「彼のために」それらを手放さなくてはいけない、という状況には納得がいかなかった。

仕事と彼とどちらが大事?なんて、そんなの嫌だもの。
私はどちらも大事だから、どちらも選ばない。両方手放さないわ。

「この前のカナダで調子が上がってきてるから、フランスでは勝てると思うんだ」

カナダでは2位だった。
コンクリートウォールすれすれの縁石レコードラインを制した。

「だから、今度は勝って――」
それをフランソワーズと一緒に喜びたかった。現地で。

「でも、お兄ちゃんは行く気まんまんだから、・・・男同士であれこれ楽しめる、でしょ?」
「――あれこれ、って何」
「だから、夜通し呑んだりとか、キレイな女の子のいるお店に行ったりとか、・・・私がいたらできないこと、よ」
「・・・キレイな女の子のいるお店」
「そうよ」
「・・・行ってもいいの?」
「いいわよ」
「・・・本当に行くよ?」
「だから、いいわよ、って」
「・・・本当に?」
「ええ」
「行くよ?」
「どうぞ」
「・・・怒ってない?」
「怒ってないわよ?」
「・・・・」

黙り込んでしまったジョーを不審そうに見つめる。
なんだかテンションが下がっているのだった。

「・・・・・・・・・・行かないよ」

しばらくして、ポツリと言われる。

「行ってもいいわよー」

ジョーの荷物を詰めながら歌うように応える。

「ね、ジョー。向こうでちゃんとお洗濯もするのよね?着替え、このくらいでいいと思うんだけどどうかしら」
「知らない」

ぷいっと背を向け部屋を後にしバルコニーに出てしまうジョーを困ったように見つめる。
彼の背中は闇の中に溶けそうで溶けずにぼうっと浮かんでいた。

「・・・もう」

どうしてこう拗ねるのかしら。
フランスに行けないって言っただけなのに。

「・・・ジョー?荷造り終わったけど」

返事はない。

「ジョーってば」

ばたんとスーツケースを閉じてから、バルコニーに出る。
暗い海に向かいこちらに背を向けているひとの傍らに立つ。

「・・・どうしたの?」

答えない。

「・・・ジョー?」

そうっと横から顔を覗き込む。

「・・・・もうっ。ジョーったら。なんて顔してるのよ」
思わず吹き出したフランソワーズに、更に憮然とした表情を作る。
「うるさいな」
「いったいどうしたっていうの?」

「・・・・・・・・・から」
「えっ?」
「・・・・・・・・・・・・聞こえてるくせに」
「聞こえなかったわよ。――なに?」

耳を近づけてくるフランソワーズの頭をうるさそうに押し戻す。
「ぜったい言わないっ」
「お・し・え・て?ジョー」
「ヤダ」
「教えてよぉ」
「忘れた」
「嘘。覚えてるでしょ?」
「知らない。忘れた」

下から見上げてくるフランソワーズの視線を避け、今度は身を翻して部屋に戻って行ってしまう。

「もうっ――待ってよ」
頬を膨らませ、彼を小走りに追いかけ――腕を伸ばして背中から捉まえてしまう。

「・・・・もう一回、聞きたいの。――だめ?」
「だめ」
「どうしても?」

回された彼女の腕を解き、その表情を前髪のなかに隠したまま――

「・・・ジョー?もう一回言ってみて?」

覗き込まれても視線を合わせない。

「言わないと――やきもち妬いてあげないわよ?」
「!!!やっぱり聞こえてたんじゃないかっ!!」

ちゃんと妬いてあげないと不安になる。――本当にメンドクサイひと。

でも、好き。

 

********
コドモ?



6月13日      「100万光年の愛」?

 

「――僕もパリへ行こうかな」

会話が途切れたときに不意に言われ、フランソワーズは目を瞠った。
「・・・えっ?」
「実はフランスでレースがあるんだ」
「・・・ジョー・・・!」

その相手は、両手を広げて彼女が胸に飛び込んでくるのを微笑みを浮かべて待っている。
が、しかし。

「――僕『も』!?」

フランソワーズはその胸に飛び込む代わりに、片方の眉を上げ不審そうに目の前の人物を見つめた。

「・・・なに言ってるの?」
「違うだろ、フランソワーズ。ここは熱い抱擁の場面」

冷たく蒼い双眸にも全くひるまず、にこにこと両手を広げたまま待っている。

「・・・ジョー。あなたね」
「ホラ。抱擁の場面だってば」
「・・・何の映画を見たの?」
「何って」

頬を微かに朱に染めて黙ってしまう。

「――まさか、アレじゃないでしょーね?」
「アレって?」
「・・・『100万光年の愛』・・・だったわよね確か」
「・・・よくわかったね?」

今やうんざりと見つめてくる恋人の様子にも気付かず、微かに頬を染めたまま映画と同じような「抱擁」を求めているのだった。

「だったら――『いくじなしっ』も、してあげましょうか?」

「えっ」
途端に頬を押さえ、後退するジョー。
「い、いいよそれは」
「アラどうして?」
「いやだって、僕はいくじなしじゃないからサ」
「――ふぅん?」
「あ。なんだよその目は」
「映画を見て泣いたのはどこのどちらさま?」
「なっ・・・泣いてなんか」
「いたでしょう?」
「あれはっ・・・・」
小さくもごもごと呟いて黙ってしまう。

「もうっ・・・ばかねぇ」
大きくため息をつくと、フランソワーズは数歩進んで彼の腕の中におさまった。

「――僕だったらあんな風にはならない、って言ってもしょうがないでしょう?・・・映画なんだから」

 

***

 

「で、どうして急にあんなセリフを思い出したの?」

ジョーの部屋で、散乱している衣類やゲーム類を片付けながら訊く。
傍らには、床に置いたスーツケースに荷物をつめることに余念のないジョーがいる。

「それはフランスでレースがあるから」
「・・・そうじゃなくて」

ふうっと息をつくとくるりと背後の彼を振り返る。

「『僕も』って・・・アナタがフランスに行くのは決まっていることでしょ?僕『も』じゃないでしょーよ」
「だってフランソワーズも行くだろう?」
なんたってフランスなんだし。と嬉しそうに続ける。

「――行かないわよ?」
「楽しみだなぁ。ジャン兄にも会えるし。正月以来だもんなぁ・・・・って、えっ!?」
「だから。行かないわよ。私」

ぱらり。
手に持っていた衣類をとりおとす。

「何で?だって毎年、フランスグランプリの時は」
「だって、行けないもの」
「いつもフランソワーズとジャン兄を招待して」
話を聞かず、がしっとフランソワーズの両肩を掴む。

「いつもそうしてたじゃないか!」

ジョーがフランスに発つのは明日だった。

 

 

********
いやー。「フランスグランプリ」なのでつい遊んでしまいました。・・・・が。
アレって「100万光年の愛」でしたっけ?・・・一億光年?10万光年???
何しろアレにはあんまり愛がないのでうろ覚え。(っていうかテキトー)。DVDを見直すのもメンドクサイし。
ジャケットに書いてあるかなーと見てみたけど、そんなのちらっとも書いてないのでした。宣伝文句くらい書いてもいいんじゃないかなーと思いつつ。



6月9日        鼓動

 

「・・・こうしてると安心する・・・」

 

***

 

翌日。
比較的元気に目を覚まし、点滴も外したジョーはフランソワーズの作る「好きなものづくし」の朝食を食べ、あとは――部屋で、カナダグランプリに向かうための荷造りをしていた。
とはいっても、殆どフランソワーズが準備してくれていたので特にすることもないのだった。

バルコニーでぼうっと海を見つめていた。
煙草すっちゃおうかなー。レース期間中だからだめかな。でも一本くらい構わないだろう・・・などなど思いながら。
そんな思いを見透かしたかのように、背後から声がかかった。

「ジョー?だめよ、煙草は」

慌てて振り返る。

「喫ってないよ」
「そーお?・・・いま、煙草を探してなかった?」

大きくて蒼い瞳が彼を探るように見つめる。
その瞳に気圧されながら。

「探してない探してない」
「なんで二回言うの?」
アヤシイ。と言いながら、ジョーのそばに寄る。

「探してないよ」
「・・・ほんとかしら」

軽くため息をつく。
そして。

 

***

 

「・・・フランソワーズ」
「なぁに?――邪魔しないで」
「でも」
「しいっ。黙って。――聞こえないでしょう」
「だけど」
「しっ!」

ジョーは大きく息をはくと、さっきから自分の胸にぴったりと耳を当てたまま動かないフランソワーズの肩をそうっと抱いた。

「・・・あのさ。いつまでそうしてるつもり?」
「黙って」
「・・・・」

声を発するとぴしりと叱られる。なので、じっとしているしかなかった。

「・・・楽しい?」
「うん。楽しいわよ、とっても」

楽しいんだ・・・。
そういえば、フランソワーズは少し前にも同じような事をしていたような、薄い記憶がある。あれは――第2戦か3戦の頃だっただろうか。
あの時は――なんだっけ。何が楽しいって言ってたんだっけ?

「その、・・・何が」
楽しいの、と訊こうとしてすぐに遮られる。
「前に言ったじゃない。忘れちゃったの?」

忘れていた。ので、黙る。

「――もう。ちゃんとひとの話を聞いてよね?――ジョーの心臓の音を聞いていると安心するのよ」
「心臓の音?」
「そう。――ちゃんと、生きてるんだなぁって思って・・・安心するの」
「――心臓なんか」
そうそう止まったりするもんか――と思いかけ、自分たちはちょっと違ったんだったと思い出す。
簡単に止まったりはしないけれど、少しの間なら簡単に止められる心臓。その鼓動さえも調節できる。人工の――造り物の心臓。
もともと持っていた自分の心臓とは違う。
とはいえ、人工物だからといって嫌悪するのとも違う。
なぜなら。
自分の中にある人工物が――人工臓器が、欲しくて欲しくてたまらないひとが、世の中にはたくさんたくさんいるのだから。
望んで得たのではない自分。望んでも得られない誰か。
需要と供給があわなかっただけ。
そう思えるようになるまでに、たくさんの時間が必要だったけれど。

だから。
自分のなかの人工物――人工臓器を、嫌悪することはなくなった。嫌いではない。・・・好きでもなかった。が、受け容れられるように、なった。

「だから・・・」

フランソワーズの言葉は続く。

「・・・こうしてると安心する・・・」

自分の胸のなかにある彼女の肩を、いま一度そうっと抱き締める。

僕は。

こうして君を抱き締めているときが、一番安心するよ。

「・・・何か言った?ジョー」
フランソワーズがふっと顔を上げる。
「言ってないよ」
「・・・そう?」
「うん」

 

********
やっぱり健診系のお話は、なんだか暗くなってしまいます・・・気持ちが。
マジメに語らなくてはいけないからかもしれません。でも、子供部屋でマジメに書くのは疲れるんです。
それに、これ以上書くと他のお話のキモを全て書いてしまいそうなので(いやほんとに危なかった!汗)
メンテナンスのお話はここでいったん終了します。



6月8日        データ

 

再び目を瞑り――途端に襲ってくる眩暈は無視して――いったい、自分はここに何時間くらいいたのだろうかと思い巡らせた。
確か、朝から入って・・・脳内検査もしたとなれば、今は――

「・・・いま、何時」

目を瞑ったまま傍らに居るであろうフランソワーズに問う。

「夜の10時よ」

ということは、少なくとも12時間はここで過ごしたという事になる。
メディカルルームに入ったのが朝9時だったから。

――12時間か。

自分の感覚に時間的な齟齬があった。
それは、たった12時間というものではなく、数日もしくは数週間――、あるいは、数分――のような。
12時間より長くも短くも感じられた。
だから、自分の意識が戻り始めてからどのくらい経ったのかもわからなかった。
心臓が停止していた実質的な時間。呼吸が止まっていた実際の時間。
それらを自覚するのは難しかった。

「――どのくらい」

バイタル管理下にあったのか、と訊こうとして――やめた。
そんな事を彼女が知っているわけがない。
知っているはずがないのだから。

お互いの保守点検の際、メンバーが立ち会わないのは暗黙の了解事項だった。
いかに互いに深く関わりあっていようとも――いや、むしろ、だからこそ。
身体の中身に関して、知る事はしなかった。
自分が「009」である限り、いつどんな相手を敵に回しても。
003が――フランソワーズが、自分の恋人であると知られたら最後、彼女自身が自分の弱点として認識されてしまう。
そうなった場合、彼女の記憶をトレースされ――もし。その時、彼女の中に自分のデータが全て在ったとしたら。
どんな敵であっても、簡単に「009を壊す」事は可能になってしまう。
そんな事が知られたら、常に狙われるのは003になる。009を捕えるよりも簡単だからだ。
いくら自分が彼女を守るといっても限界がある。戦闘中ともなれば、ずっとつきっきりで居られるとは思えない。
そして、それは逆も然りであり、自分の記憶に彼女のデータがあれば――彼女の機能を全て知られてしまうことになる。
そんな事態はおこしたくなかった。
だから、自分達が009と003である限り、お互いのデータを知るということは禁じていた。お互いに。
例え自分が捕えられ、解剖され、細胞のひとつひとつ、身体の破片ひとつひとつ、記憶の全てを研究され尽くしても。
肝心の数値や素材に関する細かいものを知られる訳にはいかなかった。
メンバーのどんなデータでさえも。

だから、最初から何も知らない。

それで良かった。

案の定、自分の唇にそっと指先が置かれた。

「――だめよ。そんなことを訊いたら」
「・・・そうだったね」

一瞬、重い沈黙が室内を満たす。

「――おなか空いた」
「・・もう。さっきからそればっかり」
「だってもう随分何も食べてない」
「・・・困ったひとね。――何か食べたいものある?」
「フランソワーズ」
「そういう話じゃないでしょ?――食べるモノ、よ」
「・・・なんでもいいよ」
「じゃあ、明日の朝はジョーの好きな物ばかりにするわね」
「・・・何が好きかわかる?」
「わかるわよ。まず、卵焼きは外せないでしょ?」
「中には何にも入れないで」
「甘くするのよね?」
「そう」
「それから・・・」

お互いの好きな物。
そういうデータなら売るほどあった。が、それはいずれも敵の驚異などになりようがないデータだった。

――お互いの情報、か。

自分の知っている彼女の「情報」。
例えば、どんな色が好きかとか、どんなケーキが好きかとか、どんな服が好きかとか・・・・。

ところが、何も知らなかった。

どんな色が好きか。――そんなの、彼女のカチューシャの色さえ注意を払ったこともないのに。
どんなケーキが好きか。――何度も一緒にケーキを食べているくせに、彼女が好きな定番ものさえ知らなかった。
どんな服が好きか。――そんなもの、彼女に似合うものなら全ていいと思っていたので、そもそも一緒に買い物に行ったとしてもろくに見てなどいなかった。大体、服よりも彼女自身しか見ていないのだから。

――なんだ。俺って使えないなぁ。

きっと「009」の記憶をトレースしても、「003」のデータなど何にもないのに違いない。
そして、あるのは――

どんなに彼女が好きなのか

こんな表情のときが好きだとか、こういう時の仕草が好きだとか、自分を呼ぶ声が好きだとか。
そんな情報ならたくさんあった。そういう記憶しかないくらいに。
けれど。

誰にもやらないぞ。

数々のどんな記憶よりも――失ったら生きていけなかった。

「・・・ジョー?」

黙り込んでしまった彼にそっと声をかける。寝てしまったのだろうかと思いながら。
けれども、彼の眉間にかすかに刻まれている皺が気になった。

「――もう。ばかね、ジョーは」

おそらく、彼が考えている事は。

「ここにいるって言ったでしょ?ずーっといるから、心配しないの。いい?」
「――うん・・・」

もし、記憶が失われても。
きっとすぐに新しい情報がインプットされる。お互いがそばに居る限り。

「だから、もう眠って」
「・・・寝たくない」
「ダメよ。脳を休ませないと」
「無理」
「できるわ」
「無理だ」
「できる」
「寝たくない」
「眠くなる」
「寝ない」
「寝なさい」

・・・・・

 

****************
なんてことでしょう。とんでもないミス発見。がしかし!009の体感している時間的経過と、003がいる現実世界での時間経過とは齟齬があると
いうことであれば、いくつかのミスはなかったことに。・・・ということで、時間軸はずれてます。
起きてからは合ってますけれども。



6月7日          目覚め

 

目の奥がちかちかしていた。

目の奥――と、いうよりも。うまく映像が映らないテレビ画面を見ているような。
そんな気分だった。

それを自覚した途端、すさまじい勢いで殴られたかのような鈍痛に襲われた。

いったん開いた目をぎゅっと閉じる。
そしてもう一度、そうっと開く。――細心の注意を払って。先刻はいきなり目を開けたからそう見えていたのに違いない。
だったら、気をつけていれば今度こそはちゃんとした映像が映るはず。

今度はちかちかしていなかった。
が、世界は歪んでいた。
飴が溶けて変形したような。ぐんにゃりとした世界。ナナメに広がる色彩。いったい元はどんな形だったのかもわからない、色彩の渦。

そして、一瞬遅れて追随してくるのは――激しい眩暈だった。
ぐるぐる回る世界。
自分を包む、様々な色彩の渦。
天井も床も――全てが。何もかもが回る。

再び目を閉じる。
それでも眩暈はおさまらなかった。
目を閉じると、今度は――自分の身体が浮遊しているような感覚に加え、ぐるぐる回っているような異様な不快感に包まれた。

自分はいったい、どこにいる?

ここは――どこだ?

 

***

 

しばし自失していた。

少しずつであるが、弱くなってゆく頭痛。

けれども、自分を包む妙な浮遊感と眩暈は消えてはくれなかった。

ただ、この感覚には――覚えがあった。
いま初めて経験したものではない。
過去に数度・・・いや、数十回経験しているはずだった。

――あれか。

心の中でため息をつくと、改めて目を開いてみる。
やはり、映像はきちんとはうつらなかったものの、幸いなことに世界の歪みは矯正されていた。
ただ、焦点が合っていない。視力も回復していない。従って、自分の視野にあるものはすべてうすぼんやりとした輪郭しかわからなかった。

「―――」

ひとの気配がした。――ような、気がした。

まだ自分の外側へ注意を向けることは難しかった。
いつものような鋭敏な反応も全く期待できない。
なにしろ、頭の向きを変えるだけでも――なんて難しいのだろう。
いや。頭だけじゃない。自分の手は、足は、身体は――今も自分に接続されているのだろうか。

試しに指を動かしてみた。

動かなかった。

――シナプスがうまく連携していない。

どこかの接続がオフになっているか、――博士が電気刺激をきちんと与えていってくれなかったのか。博士がそれを忘れるなんてことは考えにくかったが、それでなければ神経の伝達が速やかに行われていないのはおかしなことだった。

――オフのままか。

ということは、検査の途中で目が覚めてしまったのか。

いずれにしても中途半端だった。
事前に脳内検査を行うとは聞いていなかったから、「そのつもり」でなかったとはいえ・・・検査中に目が覚めてしまうなど最悪としか言いようがなかった。

いま、どのくらいまで終わってるんだろう?

検査があとどのくらい続くのか知りたかった。
自分の意識が戻っていることは既に知られているはず――脳波をみれば一目瞭然であるし、脳の賦活範囲をモニターしているのだから、それが全てレッドになっていれば起きていると――覚醒していることはわかるはずだった。
まだまだ続くのであれば、麻酔が追加されるはずである。

だから、待った。

が、いつまで待っても麻酔が効いてくる気配はなかった。
それよりも、徐々に視野が焦点を結び始め――もやが晴れるように視力も回復してきていた。

――もう検査は終わりだったのか?

だとすれば、この眩暈と頭痛はいったいどうしたことなのか。
いや、それよりも。
指一本動かせない状態で覚醒するなど初めてのことだった。

――嘘だろう?
神経の接続をすっかり忘れて、検査を終えたというのか?

そんな冗談のようなミスを博士がするとは思えなかった。
が、いまの自分の状態を説明するとすればそれしか考えられなかった。

・・・嘘だろう?

 

***

 

ぴり、っと右手の指先に痺れが走った。

初めは、微かな感覚だった。
そして、それを自覚したと同時に右手の中指と人差し指からその痺れは上行し――前腕内側、上腕内側を抜けて頚椎のあたりに収束した。
続いて、親指、薬指と小指。
それぞれ、前腕外側を通り上腕外側、そして同じく頚椎へ。
それは足の爪先でも繰り返された。
同時に胸部と腹部も。

そして。

やっと、大きく息をついた。

深呼吸をして初めて気付いた。今の今まで、自分が呼吸をしていなかったことに。体内の高濃度酸素だけが吸収され、脳血流に乗っていたのだった。

――道理で。

頭のなかに靄がかかったような状態だったわけだった。

納得した。

 

***

 

「――気分はどう?」

微かな声で訊かれた。
最小限に抑えられた声。まだ聴力が不安定なのを知っている声。

「――サイアク」

自分がちゃんと話せているのかどうか。
骨伝導も頼りにならなかった。なぜなら、未だに頭痛が支配していたから。
容赦なく続く鈍痛のせいで、自分の発声すら確認できない始末だった。

「・・・検査は無事に終わったから、心配しないで」

一番気になっていた答えを言ってくれる。

「・・・そう」

苦労して頭の向きを変えようとし――そっと押さえられる。

「まだ動いちゃだめ」

そして、目の前に現れたのは

「・・・ふ」
フランソワーズ。と言いたかったのに続かなかった。そんな長い発声はまだ許されずにいた。

「・・・くそ」

愛しい者の名前を呼ぶことさえできない状態に悪態をつく。

「――大丈夫よ。もう少ししたら・・・動けるわ」

そっと髪を撫でられる感覚。

「・・・脳内検査もしたのよ。だから、」

――やはり。

「――もう。ジョーったら。自分のせいよ?ずっと逃げていたんだもの。しばらくぶりの検査だから、博士だって大変だったんだから。それに」

握られている手にわずかに力がこめられた。

「・・・心配したんだからね」

――ごめん。

 

***

 

通常、事前に「脳内検査をする」旨は伝えられることになっている。
知っている状態で受けるのと、そうでないのとでは覚醒の仕方が格段に違うのだ。
わかっている状態であれば、覚醒し始めたときにもパニックになることはない。徐々に自分の感覚や運動機能が回復してくるのを待つことができる。
しかし、知らない状態で行われた場合――覚醒した時の恐怖は並大抵ではない。
何しろ、全ての機能がオフの状態になっているのだから。
少しずつ起動されてゆく自分の身体。
状況を理解していれば、待てる。が、そうでない場合は。

いつもは誰もがひとりで目覚める。

それで大丈夫だった。

が、今回のジョーの場合は。

検査の間隔が空きすぎていたということもあり、予告されないまま脳内検査まで行われてしまっていたのだった。
かといってジョーが怒る筋合いのものでもない。検査を逃げていた自分が悪いのだから。むしろ、今まで不具合が生じなかっただけでも運が良かった。

それを知ったから、フランソワーズはジョーのそばについていたのだった。

改めてモニターを見つめる。
心電図の波形は自己脈を示しており、呼吸の回数も――自発呼吸のそれだった。

 

***

 

「・・・キモチ悪い」

顔を歪めるジョーを見つめ、くすっと笑う。

「もうちょっとすれば治るわ。――大丈夫」

「――オナカ空いた」

「まだだめよ。少なくても24時間は絶食しないと」
「ヤダ」
「いま食べても吐いちゃうわよ?――点滴しているんだから、大丈夫」

フランソワーズの見つめる先には、点滴のボトルがあり――連結管で次の薬剤もつながれていた。
滴下はFlashであり、あと一時間程度で終わるはずであった。

「吐き気止めも入っているから、治まるわ。すぐ」

「・・・眠くなるからヤなんだよなぁ」

やっと少し長い文章を口にするジョー。
「いいじゃない。検査で疲れているんだもの、眠らないと」
「・・・ここにいる?」
「いるわよ。もちろん」
「・・・いなくならない?」
「ならないわ。――どうしたの?」
「うん・・・」
「何か怖い夢でも、みた?」
「――わからない」

わからなかった。
だけど。

「でも――きっと凄く・・・怖かった」

 

 

********
と、いうわけでした。はい、「予定調和」です。
メンテナンスのお話なのです。まだ続きます。・・・たぶん。



6月6日        崩れる世界B

 

両手が血に染まっていた。

怯えた瞳がまっすぐに僕を射る。

 

**

 

そこは、普通の民家だった。
普通じゃないのは、リビングが赤く血に染まっていること。

僕の知らない男と、君が倒れている。
お互いが相手を庇うように。

君の腕から血が流れていた。

――サイボーグなのに。

血が、流れている。

途切れることなく。

鉄分を帯びた、血液。

本物の。

僕のように、造り物の血ではない。

・・・・。

――いや。僕の血だって、偽者なんかではない。断じて。・・・・たぶん。

自信がなかった。

 

凶器は無かった。

目の前の惨劇を見つめ、僕はただ呆然としていた。

――僕のはずが、ない。僕が、君をどうかするわけがない。

だったら、誰が。

 

怯えた瞳。もう一組の蒼い瞳が僕を見ている。
亜麻色の髪をおさげにした女の子。
僕が手を伸ばすと悲鳴を上げた。

こだまする。

――違う。
僕じゃない。
僕は君に何もしない。

 

**

 

「――やめてっ何をするの」

君の制止の声にはっと我に返る。
君は背中に誰かを庇って、決死の表情で僕に挑む。――と、庇った誰かが低く呻いた。途端に、目の前の僕など最初から居なかったかのようにあっさり無視して、君は背後の人物を振り返る。

「しっかりして、アナタ」

 

アナタ?

 

・・・つまり、君とこの男は・・・。

「大丈夫よ。私がついているわ」
君が泣きながら繰り返す。

そして、再び僕を見つめる蒼い瞳。
「このひとを助けて、お願い!」
僕に乞う。この男の命を助けろと。

「私はどうなってもいい、このひとを!」

 

その瞬間、僕の世界にヒビが入った。

 

**

 

そのひとは・・・――君の、大切なひとなんだね・・・?

呆然とした僕の手から、君が何かをもぎ取る。

――何かを。

それは――ナイフだった。

 

ナイフ?

 

何故僕がそんなものを持っているんだ。

わけがわからずにいる僕に向かい、君はナイフを持ち直すと刃先を僕に向けた。
「こっちに来ないで!!」

――そのナイフは血で濡れていた。

・・・僕がやったのか・・・?

ぼんやりと思う。
――ああ、どこかで見た光景だ。

血で染まったナイフ。
人間の身体の中にナイフが埋まってゆく感覚。

――違う。

僕じゃない。

僕が――そんなつもりじゃ、なかったんだ。

 

「このひとと、この子は私が守る」
泣きながら、君は僕に言い続ける。

 

――ばかだなぁ。僕が君に、危害を加える訳がないじゃないか。

 

**

 

でも。

だけど。

わからない。

 

もし、君を僕から奪っていく男がいたら、僕はその男を・・・・

 

――いや。

僕はそれでも、決してそんな事はしない。
そんな事をしたら、君が泣いてしまう。
僕は君を泣かせたくないんだ。
例え君の涙が、他の誰かのためのものであっても。

君が僕を刺したいなら、そうすればいい。
どうせナイフの刃は通らない。
僕の身体を貫くことはできないのだから。

そんなに泣かないで。
刺していいんだよ?――僕は全然、構わない。
君のためなら、僕は自分の命なんて・・・

君のほうへ一歩踏み出す。

「来ないで!」

君がナイフを構え直す。
その隣には同じ蒼い瞳の女の子。僕のことをじいっと見つめている。何の感情も浮かんでいない。
「近寄らないで!」

・・・そんなに怖がらなくてもいいのに。

僕は、君がそうしたいと望むなら・・・刺されても構わないと思ってるんだよ?

 

**

 

そう思った刹那、

『―――』

頭のなかに声が響いた。

――なんだ?

――なんて言ってる?

 

 

・・・フランソワーズ?

 

 

目の前の君を見つめるが、さっきと何も変化はなかった。
ただ。
その一瞬の隙に

僕に向かってくる、銀色の光。

そして

 

世界は粉々に砕けた。

 

 

*******
ええと。予定調和なので、何がなにやらわからなくても思った通りのお話に収束します。・・・ので、ご安心ください。
ていうか、ゴメンナサイですーーーーーっ



6月5日        崩れる世界A

 

目を開けると天井が見えた。

自分の部屋だった。

妙な夢を見たな・・・。
じっとりと汗ばんだ体。
時計を見ると、朝食の時間はどうに過ぎている。
いつもは君が起こしてくれるのに、おかしいな。
軽く首を傾げつつ、手早く着替えると階下へ降りた。
リビングから人の声がする。
「遅くなってゴメン、フランソワー・・・」
ドアの所で凍りつく。

朝の食卓を囲んでいたのは。

君と、僕の知らない誰かと、小さな子供。
・・・イワン?
いや。
違う。
あれは・・・女の子だ。
ピンク色の布に包まれて、亜麻色の髪がのぞいている。
君と同じ色の髪をもつ子供。
朝の白い光の中で、和やかに微笑み合うふたり。

僕は声もなく立ち尽くした。
声をかけようにも、喉が干上がって声が出せない。

この光景は何だ。
その男は誰だ。

そして、僕は。
僕はここで何をしている?
ここで。
幸せそうな「家族」を見ているだけの、傍観者。

 

フランソワーズ。
呼んでも君は気付かない。
僕の存在に気付かない。

 

足元の床が砂に変わる。

僕は崩折れるように膝をついた。

 

 

*** 

 

 

顔を上げると、既に陽は中天にあった。

・・・いつの間にか、眠ってしまっていたようだった。
足元の砂が熱を帯びている。
だからあんな変な夢を見たのか。
ため息をつく。
駄目だな、僕は。
結局、君がいないとただの役立たずだ。
何をする気もおこらない。

君がいない世界なんて、僕には興味がない。

 

いったい君は、どこに行ったんだ?

 

記憶を探る。
何か言ってなかっただろうか。
博士のお供とか。
イワンと散歩するとか。
バレエのレッスンとか。

 

・・・駄目だ。思い出せない。

思い出すのは、雑踏での君の横顔。

――いや、あれは夢だ。

誰かに肩を抱かれ、微笑んでいる君。

――いや、あれは夢だ。

あれは君じゃない。

 

強引に顔を拭うと立ち上がる。

 

人影が見えた。

こちらに近付いてくる、ふたつの影。
いや、みっつだ。
ひとつはとても小さくて・・・。

亜麻色の髪をおさげにした幼い少女。
その後ろから、寄り添いながら歩いて来たのは。
・・・フランソワーズ。
雑踏で肩を抱いていたのと同じ男の腕に幸せそうに身を委ねて。
お互いに見つめ合い、微笑み合っている。
幼い少女は二人に何かをせがむように抱きつく。
すると男は、少女を抱き上げ微笑んだ。

 

これは、さっき見た夢の続きなのか?

・・・夢、なのか?

 

その証拠に、二人には僕の姿が見えないようだ。
と、安堵したのも束の間。

「こんにちは」

君がにっこりと微笑んだ。
「今日は暑いですね」

・・・僕が、見えるのか?

「・・・・」
絶句していると、一瞬怪訝そうな顔をして小さくペコリと会釈をすると、三人で海岸線を歩き出した。
僕に背を向けて。

・・・僕が、わからないのか?

 

僕は、誰だ。

僕は009だ。

僕は島村ジョーだ。

 

なぜ、わからない?

 

君は僕を忘れたのか?

 

*********
もうちょい続きます。辛い方、すみません・・・・



6月1日        崩れる世界@

 

それは、一瞬の出来事だった。

 

・・・フランソワーズ?

 

君の横顔だったような気がして、思わず足を止めた。
けれども、亜麻色の髪は雑踏に呑まれてしまい、視界から消えた。

――今のは幻?

他人の空似?

僕の見間違い?

否定するそばから、イヤ僕が見間違うわけなんてない、あれは絶対に君だったともうひとりの僕が言う。
そう。
確かに君だった。

僕の知らない誰かに肩を抱かれて微笑んでいた。

 

僕は呆然と立ち尽くす。

周りが真っ白に染まっていく。

僕の世界から色彩が失われてゆく。

 

そして・・・世界は崩壊した。

 

*** 

 

自分の声で目が覚めた。
獣のような叫び。絶望の。
全身が汗に濡れていた。
そして顔も。
手の甲で拭うと、それは汗ではなく涙だった。
起き上がって頭を抱える。
・・・今のはなんだ?
夢、か?
頭を振る。
わからない。
夢にしては妙にリアルだった。
彼女はすれ違った僕に全く気付かず、雑踏に消えた。
君が僕に気付かない。
そんな事があるだろうか。
・・・いや。有り得ない。
だとしたら、やはりただの夢なのか・・・?

わからない。

 

現に今、ここに君はいない。

 

結局、眠れずに真っ暗な邸内を彷徨い、君の姿を探した。
部屋は空だった。ベッドに休んだ形跡も無い。
リビングにもいない。
キッチンにもいない。
地下にもいない。
海岸にもいない。どこにもいない。

君はどこへ行ったのか。

僕の知らない所?

ぎりっと奥歯を噛み締める。

僕の知らない誰かと一緒に。

そうなのか?

 

崩れるように砂浜に膝をつく。

フランソワーズ。

君がいない世界なんて、僕は要らない。

 

***

 

膝を抱えて海を見ていた。
ゆっくりと夜が明けてゆく。

フランソワーズ。
君は今、どこにいる?
・・・もう、戻って来ないのか?

膝の上に顔を伏せる。
僕は・・・。

 

僕達9人のサイボーグは、永遠に「仲間」だ。
何があっても切れる事のない絆。
だから、僕と君との絆も切れない。永遠に。
そう思って安心していた。
僕は君を失う事などありはしないと。
絶対に、無い。と。
信じて、安心していた。
だがそれは、僕の勝手な甘えだったのだろうか?

現に今、君はここにいない。

 

********
メンテナンスのお話を期待されてた方々、すーみーまーせーんー。でも、いちおう続きモノ・・・なんですよ?
しばらくジョー島村は辛い目に遭いそうです。なにしろ「崩れる世界」ですから。