「やった!!」
思わずソファから立ち上がっていた。
既に真夜中に近い時間帯であるということも忘れている。
胸の前で組み合わせた手は震えていた。が、それをいうなら、全身が震えているのだった。興奮しているためか頬も朱に染まっている。
「やったわ」
もう一度言う。今度はしみじみと噛み締めるように。
きついレースだった。初めてのコースということもあり、パッシングポイントがはっきりせず、しかも無理をすればクラッシュする危険性も高かった。実際、クラッシュしたマシンも複数あり、セーフティーカーが入った。何度も順位が変わった。が、4番グリッドでスタートしたジョーは無難にこなし、結果、2位でフィニッシュしたのだった。
危ない場面もあった。クラッシュに巻き込まれるかと思うところもあった。その度にフランソワーズは立ち上がって祈るように画面を見つめていた。
だから今は、一緒に戦った後のような疲労感にも包まれていた。
マシンを降りて、ガッツポーズをとるジョーをじっと見つめる。カメラに向けられる満面の笑み。
「誰よりも早く」帰ってきたのではなかったけれど、フランソワーズには十分だった。過酷なレースだったのだから。
「無事に」帰ってきてくれたのが嬉しかった。
――ジョーの声が聞きたい。
インタビューなどではなく。
とはいえ、それが叶うわけなどないと知っている。いま自分はここにいるのだから。現地ではなく。
――やっぱり、行けばよかった!
ジョーの言う事などきかずに、さっさとシンガポールへ行ってしまえば良かったと後悔する。――とはいえ、おそらく見つかったらこっぴどく叱られただろうけれども。
画面には公式インタビューの模様が流れている。が、聞いてはいなかった。何故なら――
「――もしもし?えっ!?――ジョー?」
思わず、テレビ画面を見つめてしまう。いまそこで喋っているひとからの電話だったのだから。
「えっ?どうして」
「――録画なんだよ」
「ええっ?」
中継だとばかり思っていたのに。
「ええと、確か数分の遅れで放送されるとか言ってたような気がするけど」
覚えてないや、と言われる。
「そんなことはどうでもいいよ。それより――ただいま」
「えっ――あ。・・・お帰りなさい」
「二番目だったけど」
「そんなの」
関係ないわよ・・・と小さく言う。
「それより、どうして電話・・・?」
表彰台に上がった時は、しばらく電話をする時間などないのが常だった。
「――うん。・・・まぁ、ちょっとね」
「?・・・なあに?」
「うん――」
テレビ画面のジョーは、何かかっこいい事を涼しい顔で言っているようだった。
――またファンが増えるわね。だって、かっこいいもの・・・と、ぼんやり思いながら、電話の相手の声に耳を澄ます。
「・・・ジョー?」
「うん。――オヤスミ」
「えっ、ちょっと待って」
「なに?」
「オヤスミを言うためにかけてきたの?」
「ん――それもあるけど」
それだけじゃない――と言外に匂わせる。
「・・・まぁ、いいや」
「えっ?」
「――いい。何でもないよ」
「・・・?」
レース前から集中力を高め、レース中は常に緊張の連続だった。一瞬でも気を抜けば、クラッシュするかもしれない。そんなコースだったのだから。
だから、無事にレースを終えて、結果も出せてほっとして――フランソワーズの声が聞きたくなった。が、それを彼女に言うのは気恥ずかしく、また男としてのプライドが許さなかった。
とはいえ、体力的にも精神的にも疲弊しており――できるものなら、フランソワーズの肩に顔を埋めて眠りたかった。
それきり黙ったジョーに首を傾げつつも、それでも彼の声を聞けたのでフランソワーズは満足だった。
「でも良かった。今ね、ジョーの声が聞きたいなって思ってたの。だから――」
「・・・凄い。一緒だ」
「一緒?」
ぼそりと呟くように言って黙る。もしかしたら、疲れて話すことも苦痛になってきているのかもしれなかった。
「ジョー?大丈夫?」
「ん」
「そろそろ切るわね」
「ん・・・フランソワーズ」
「なあに?」
「・・・声が聞けて良かった」
男のプライドなど、そこらに捨てた。今、自分が欲しいものは、欲しいとちゃんと言わないと手に入らないのだから。
「ほんと・・・一緒ね」
やっぱり現地に居たかったなぁ・・・と思う。
「――やっぱり行けば良かった。だって、いまあなたをぎゅーってしたいもの」
「・・・ふふっ」
その言葉で、ジョーの疲労は少し――ほんの少しだけ、軽くなったような気がした。
ふわんと身体の中に温かいものが広がって。
「――オヤスミ」
電話を切ってからも、フランソワーズの唇には笑みが浮かんだままだった。
先刻までの「レーサー・島村ジョー」は、もういない。
いまそばにいたのは、ただの島村ジョーだったのだから。
いつもの、優しくて強くて、でも甘えん坊で泣き虫な――
レースが終わったら、私の元へ帰ってくる。レーサーから、いつもの彼に戻って。
レーサーから、島村ジョーへ。
009から、島村ジョーへ。
いつでも、還ってくるのはここだった。
「――お帰りなさい」

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