「フランソワーズに彼氏ができたらしい」

・・・えっ?

僕は耳をそばだてた。表面では何も聞こえていないふりをしながら。

「彼氏?・・・ってジョーじゃなかったっけ」
「ジョーの他に、って意味だよ」
「フタマタかぁ?」
「まさか。つまり、新しい彼氏、ってことさ」
「んん?じゃあジョーは――」

僕はキッチンのドアの前からそうっと離れた。続きは聞きたくなかった。
ぼんやりとリビングに向かい、ぼんやりとリビングのフランス窓から海を眺めた。
目の前に広がるそれは、いつものように蒼く輝っていた。
いつものような、蒼。
フランソワーズの、蒼。
僕の好きな蒼。

ため息をつきかけて、やめる。代わりに大きく深呼吸をした。
僕には、落ち込む権利なんかない。

とうとう、「その日」が来たというだけなのだから。
自分の役割はよく知っている。その役目が終わる時が来ることも知っている。
それがいつなのかはわからなかったけれど、それでも必ず「その日」が来ると知っていた。
そして、とうとう、「その日」がやって来た。それだけの話なのだから。

僕の役割は、彼女が――フランソワーズが、本当の相手に会うまで、彼女を大事に守ること。
綺麗なフランソワーズのままで。
可愛いフランソワーズのままで。
ありのままの彼女を、どこかの誰かの手に渡すまで彼女のそばにいて彼女を守る。
それが僕の役目。

だから、今どんなに近くに居ても、それはかりそめに過ぎなくて――恋人同士に見えたって、本当は違うのだ。
僕は彼女の人生の「ほんのちょっとの間」彼女を守ることができるだけの存在。
ずっとではないのだ。
いつか、誰かに渡すまで、一時的に彼女を任せられているにすぎない。

その役目が終わる時がきた。

「お役御免・・・か」

小さく呟いてみる。もしかしたら、開放感が得られるかもしれないと思って。
けれども、そんなものは無くて、あるのはただ虚無感のみだった。

僕は明日からどうやって生きていけばいいのだろう?

目覚めても、フランソワーズはそばにいない。抱き締めて眠る事も、もうないだろう。
明るく笑いかけてくれても、それは「仲間」として与えられる他の者へと同じ微笑みであって、特別なものではない。

フランソワーズは、他の誰かのものになってしまったのだから。

 

***

***

 

「ただいま」

可愛い声が聞こえて、軽い足音がして――

「あらジョー。・・・どうしたの?」

蒼い瞳が輝く。海の蒼と同じ色で。

「どうって・・・別に」
海を見ていただけさと小さく呟く。

「――ジョー?」

眉間に皺を寄せ、訝しそうに彼を見つめたフランソワーズは、そうっと彼の肘に触れた。
が、ジョーはまるで危険なものに触れたかのように、さっと身を引いた。

「ジョー?何か変よ、あなた」

そう言いながらフランソワーズは歩を進め、今度は彼の腕をがっちりと掴んだ。

「どうしたの?――具合が悪いの?」
「・・・別にどうもしないよ」
「嘘。だってなんだか凄く辛そうよ。顔色も良くないわ」
「そんなことないよ」

ちらりと笑みを浮かべてみる。
ただそれだけのことなのに、今のジョーには酷く難しく、平静を装うのがやっとだった。

「・・・ジョー?」

もちろん、フランソワーズがそんなぎこちない笑みに気付かないわけがない。

「やっぱり変よ。・・・何があったの?」
「何にもないよ」
「そんなわけないでしょう?」
「ないよ。・・・放っておいてくれないか」
「イヤ。様子がおかしいあなたを放っておいたら、とんでもない事になるんだもの」

いつかもそうだった。
単独行動をとり、わざと敵に捕まって。(注:「ジョー、父さんを追え」参照)

「・・・フランソワーズ。もう、いいんだ。僕の事は放っておいてくれ」

だるそうに、絞りだされるように言われる。ぎこちない笑みはそのままに。

「もういい、って――」
「僕の事は、もういいんだ。君は誰か他の」

他のひとの事だけ考えていていいんだ。

そう言うはずだった。
が、どんなに頑張ってもそこから先は言えなかった。

ちゃんと彼女にそう伝えて、自分は大丈夫なのだとわかってもらわなければならない。
そうしないと、優しい彼女は自分を置いては行けないだろう。
自分がいるせいで、本当の相手の元へ行けないなんて事があってはならなかった。
だから、なけなしの気力を振り絞って、続きを言おうと口を開いた。
が。

「・・・他の、ってなに?」
「――え」
「誰か他の、ってどういう意味?」

そんなのは、きみが一番良く知ってるじゃないか。

わかっているくせに聞き返す彼女が憎かった。

どうして最後の最後までそんな――

「イヤよ。いくらジョーだって駄目。彼は私のものなんだから」