「昔のひと」

 

     

「・・・ええっ!!本当ですか!?」

リビングで家の電話回線を使っていたフランソワーズが急に大声を出したので、同じくリビングで新聞を読んでいたジョーは何事かと彼女を注視した。

「・・・はい。はいっ。わかりましたっ。お待ちしております」

電話を切って、なにやらカレンダーに○印を書き込んでいる。

「――フランソワーズ、何かあったの?」
「んー・・・・うふっ」

にこにこ、というよりもにやにや笑いが止まらないフランソワーズ。なんだか妙に嬉しそうだ。

「・・・どうかしたの」

気持ち退き気味のジョー。

「んー・・・どうしようっかなぁ・・・言おうかなー、やめとこうかなー」
「じゃ、やめとけば?」

言って新聞に戻るジョー。

「ジョーの意地悪っ」
「・・・はいはい。――で?何があったの」

新聞のスポーツ欄から目を上げて、改めてフランソワーズを見つめる。

「あのね」
「うん」
「今度の土曜日にユリさんが来るの」
「――ユリ、さん?」

――って。

「あれ?・・・ジョーはもちろん覚えているわよね?・・・ホラ、田辺博士の娘さん、よ」
「う。うん・・・知ってる、ケド」

電話で話すくらいフランソワーズと仲が良かったとは知らなかった。

「でね、今度の土曜日に遊びに来るの。ジョーはもちろん、居るわよね?」

出掛ける、とは言えない雰囲気だった。

「う。ウン・・・居る、ケド」
「でね。その時にアルバムを持ってきてくれる、っていうの」
「・・・アルバム」
「そう。――昔のアナタの写真っ」

――嘘だろ?

愕然として新聞を取り落とした事にも気付かないジョーと、こちらもそんなジョーなど眼中にないフランソワーズ。

「中学生時代のあなたってどんな感じだったのかしら?楽しみだわ」

両手を胸の前で組合せ、目線はあさっての方を向いている。

「え・・・と。フランソワーズ?」
「なぁに?」
「中学時代って、その、僕は」
「不良だったんでしょ?知ってるわよ」

何を今さら、という顔をするフランソワーズ。

「だったら、そんなの見たって何にも面白くないと思う・・・よ?」
「アラ、どうして?」
「どうして、って・・・」

だって、ユリさんが持ってるって事は、荒れてる頃の自分が映っているのに間違いなく、しかもユリさんも一緒に映っているわけで・・・

――それに、ユリさんは。

「・・・ジョー?」

訝しげなフランソワーズの瞳から逃げるように目を逸らす。

――だって、ユリさんは僕の・・・

「お姉さん的存在なのでしょ?」

知ってるわよ。と微笑む。

「ジョーってば。また私がヤキモチ妬いたと思ってるんでしょ?残念でした。ユリさんには妬きません」
「・・・妬いてたくせに」

ポツリと呟いた一言に瞳を煌かせるフランソワーズ。

「アラ。だってあの時はあなたがいけないのよ。私がひとりでずーっとずーっと頑張って、たくさんの人の体の中を透視して、精神的にも疲れていたのに、あなたってばユリさんと遊んでいたんだもの」
「遊んでいたわけじゃないよ」
「でも、仕事してなかったじゃない」

フランソワーズにしてみれば、自分が「サイボーグの仕事」をしていたのに、ユリさんの「歩く練習」に付き合っていたジョーは「遊んでいた」としか思えなかったのだった。彼にとって「大事なひとのリハビリに付き合う」のはとても重要なことだったということを差し引いても。

「だから、あれは」

ユリさんの警護も含んでいたんだけど。

「もういいってば。そんなに一生懸命言わなくても、もう怒ってないわ」

そうかな・・・とそおっと顔色を窺う。

「本当よ?妬いてないし、怒ってない」

じーっとジョーの瞳を見つめる。

「だって、ユリさんはお姉さんなのよね?」

――お姉さんといえば、お姉さんだけど・・・


 

前日の夜。

       

「ユリさんが来るのって明日だっけ?」
「そうよ」
「ふーん・・・明日、雪が降るみたいだけど」
「そうなの?」
「うん」

夕食前のリビングで天気予報を見ていたジョー。その声につられて隣で一緒にテレビを見るフランソワーズ。

「だからユリさんが来るのは延期にした方がいいんじゃないかなぁ」
「アラ、どうして?」
「だって雪が降ったら交通機関が使えなくなるかもしれないだろう?帰れなくなるじゃないか」

ね?だから、天気の良さそうな別の日にしたほうがいいんじゃない?
と、親切な風を装って言ってみる。もちろん、真意は「半永久的に延期にすればいい」なのだった。
けれどもフランソワーズは事も無げに言い放つのである。

「大丈夫よ。そうなったら泊まっていってもらえばいいじゃない」
「――え」
「お部屋だって余ってるんだし。そうすれば遅くなっても心配要らないでしょ?」

最初からそうしておけばよかったわ、と軽やかに言いつつ電話をかけに行くフランソワーズの後姿をただ見つめるしかできないジョーだった。

「――もしもし、ユリさん?――フランソワーズです。明日のことなんですけれど・・・ええ、雪が降るみたいで。良かったら泊まる準備をして来ていただけますか?エエもちろん、大丈夫です。私もジョーも、そのほうが嬉しいし」

僕は嬉しいなんてひとっことも言ってないぞ。

ユリさんはいったい何を話すつもりなんだろう・・・・

ジョーの脳裏には、荒れていた頃の自分を優しく諌めた当時の彼女の姿が甦っていた。
綺麗で優しかったユリ――さん。

 



(ピュンマ様の一人称でお送りしております)

当日の朝。

 

「田辺ユリ?・・・って、誰だっけ?」
「ほら、世界平和会議のミッションでジョーが助けた足を怪我した女のひとだよ」

ジェットの問いに答える。

「・・・ああ!わかった。思い出したぜ。ジョーの昔の女だろう?」
「ばかっ」

慌ててジェットの口を塞ぐ。
周囲の人影をそっと窺うが、フランソワーズの姿は見えなかった。(でも彼女の場合「その気」になればどこにいても全部聴かれてしまうのだけど)
ジェロニモが「大丈夫」と頷いていた。のを見て、ため息が出た。

「頼むよジェット。ただでさえ妙な雰囲気なんだからさ」
「悪い。つい・・・な」

そう。
今日はその田辺ユリさんが遊びに来るのだという。
それをフランソワーズから聞いてからのジョーはずっと落ち着きがなく、いつも以上に挙動不審の変な奴になっていた。

いったいフランソワーズは何を考えているんだろう?
ジョーの「モトカノ」って知っているのだろうか。

いや、待てよ。
ジョーのモトカノって、確か・・・マユミ、だったはずだ。うん。そうだったよな。何しろ一人で砂漠越えをしようとまで覚悟した相手だ。
けど・・・

「ジェット」
「あん?」
「ジョーのモトカノってマユミだよね?」
「ああ」
「ユリさんは違うんじゃないのか?」
「ユリさんっていうのは、ジョーが俺達に会う前の彼女だよ」

・・・なるほど。
つまりユリさんは「ジョーの過去」を知っているひと、ということになるわけだ。

・・・フランソワーズは平気なのかな。

「あのさ」

必要以上に声をひそめる。

「フランソワーズはそれを知っているのかな」
「さーな。俺は興味ない」

欠伸まじりに行って、本当にどうでもいいような顔をしてソファに座り新聞を取り上げる。

「俺はあいつらに関わるのは真っ平だ。第一、ろくな目に遭わねぇ」

ろくな目に遭ったばかりのジェット、お説ごもっとも。

「フランソワーズは、お姉さん的存在だったと思ってる」

ジェロニモが呟く。

「それ以外は何にも考えてない」

・・・だよな。
そうでなかったら、平気で仲良くしたりできるもんか。(イヤ、そうでもないのか?)
何しろ、今日は朝からウキウキとお菓子作りをしたり、いつもより念入りに掃除したり・・・ジョーがひとり、じめっとしているのにも気付いてないようだったし。

「・・・嵐になるかもしれない」

ジェロニモの言葉に、何か言おうと口を開いた僕より先にジェットが「えー。冗談じゃないぜっ」と嘆いた。

「いや、天気の話」

そう言って外を指差す。
確かに、空はどんよりとしていて、今夜は雪が降るという天気予報は当たりそうだった。

 


 

同じく当日。

     

ユリさんが遊びに来る。
どうしてそんな話の流れになったんだろう?

そもそもユリさんとフランソワーズの接点といえば・・・世界平和会議のミッションで知り合っただけで、そう親しくなるほどの時間もなかったはずだった。
しかも、フランソワーズはずっと一人で索敵していなければならず、田辺邸兼研究所にはあまり居なかった。

女同士で何か話したのかな・・・

ぼんやりと思う。

ジョーは怪我を負ったから、その後の事は詳しくは知らない。
みんながどうしていたのか。
フランソワーズはどうしていたのか。そして、ユリさんは。

そういえばメンテナンスルームを出た時もフランソワーズの姿はそこにはなくて、ジョーはかなり寂しい思いをしたのだった。いつもは、ちょっとの怪我でも心配顔の彼女が迎えていてくれたから、その顔を見て温かい気持ちになって、やっと身体の傷だけでなく・・・全てが癒されるのだった。

あの時、フランソワーズに会ったのは夜になってからだった。

それまで何をしていたのかは知らない。
だからもし、彼女とユリさんが親しくなっていたとしても、どの程度なのか、何がきっかけなのかは全然わからなかった。(「島村ジョー」自身が「きっかけ」なのだとは思いもつかないジョーなのである)

そもそも、電話やメールで遣り取りが続いていたとも知らなかった。

――僕はユリさんとはあの時以来会っていないのに。・・・まぁ、別に改めて会う理由もなかったし、積極的に会いたいとも思ってはいなかったけれど。

いや。

半分本当で、半分は嘘である。
ジョーは自分の気持ちをちゃんと見るのが嫌で、考えないようにしている。
ユリさんのことを思い出すことは、荒れていたころの自分を思い出すことで・・・その時、自分が何をしていたのか。どんな思いで過ごしてきたのか。
それは改めて思い出したい記憶ではなく、できるものならこのままずっと気付かずに心の底に留めておきたいのだった。
それに。

フランソワーズに知られるのは嫌だ。

今の自分と過去の自分は・・・たぶん、「違う」。
果たして「過去の自分」をフランソワーズが知って、・・・それでも彼女は自分の事を嫌いにならずにいてくれるだろうか。自信がなかった。
「荒れていた過去の自分」とはいっても、そんなに酷い事をしてきた訳ではない・・・はずだった。
どちらかといえば、行動ではなく思想の面で「全てを諦め」ていたから、周囲のものがどうでもよく、結果的に周りのひとを傷つけ、それ以上に自分も傷ついていた。
そんな自分の「孤独」を見抜いたのがユリさんだった。

――だから、僕にとって彼女は。

会いたいけれど会いたくない。
そんな不安定な微妙な存在。

だから、会ったところで何を話せばいいのかもわからなかった。

自分の気持ちの整理をできないまま、ストレンジャーはユリさんが待っているであろう駅のロータリーに入って行った。



その頃のギルモア邸。

 

ジョーがユリさんを迎えに行ってから、邸内はなんとなく落ち着きがなくなっていた。
別にフランソワーズが何か変わったことをしているとか、そういう訳ではなくて・・・むしろ僕たちの方がどうしたらいいのかわからなくなっていたのだった。

「俺は部屋へ引き上げるよ」

言って、さっさと二階に上がってしまったジェット。
アルベルトは今日は朝から部屋でずっと読書をしているらしい。いつ行っても本を読んでいた。
ジェロニモは・・・

「ジェロニモはここにいるのかい?」
「ああ。ジョーひとりじゃ大変」

にやりと笑って答える。
そうだよな・・・ジョーがモトカノとイマカノの二人を相手にどうするものやら、考えただけで頭が痛くなる。
さすがだな、ジェロニモはフォローに入るのか。

――などという訳がない。

二人の美女に挟まれて悪戦苦闘するジョーの姿を観察したいのに決まっている。
あのとぼけた表情がそれを証明している。
確かに、ジョーの見事な慌てっぷりを観察するというのはかなり誘惑が強く、ここに残ってナリユキを見ていようかなという思いに囚われる。
けれども。
とばっちりを喰う確率も非常に高いのだった。僕はそれを身をもって知っている。
が。

「もちろんピュンマも一緒に居るわよね?今日は別に予定がないって言ってたし。大人数の方が楽しいわ」

早々に捕まってしまったのだった。

「あのさ、フランソワーズ」
「なーに?」

答えながらキッチンの方に向かうから、仕方なくそのあとを追う。

「その・・・ユリさんとは仲がいいんだね」
「ええ。メールもしてるし、電話もするし・・・時々、お食事もしてるわ」

それは知らなかった。

「気が合うんだね」
「そうねぇ・・・」

ちょっと首を傾げ、どのティーセットを使おうかキャビネットを見つめている。

「おねえさん、みたいな感じかしら。お友達というより」

そう言いつつ、取り出したのはヘレンドのセット。うわ。

「フランソワーズ、そのセットじゃないほうがいいと思うよ」
「アラ、どうして?」
「いや、だって」

絶対、ジョーは割る。100%割る。賭けてもいい。

「ホラ、それはグレートのお気に入りだし」
「んー・・・そうねぇ・・・」
「こっちのエルメスにしときなよ」
「でもユリさんのイメージはこっちなんだけど」

イメージでカップの柄を選んでいるのはわかるけど、僕としては――何しろ、後でグレートに怒られるのは何故か僕なんだよな――割っても誰も文句を言わないであろうセットを使って欲しい。

「そうかもしれないけど、でもこっちも素敵だと思うよ?」

何しろ、選んだのはフランソワーズなのだから。

「そう?・・・・じゃあ、そうしようかな」

ちょっと嬉しそうに笑みを浮かべる。
――良かった。
何しろエルメスは、フランソワーズが選んでジョーが買ったものだから・・・何があっても、誰も困らない。
(ここギルモア邸では色々と水面下の取り決めがあるのだ。例えばアルベルトのコーヒーセットなぞ、恐ろしくて、絶対に誰も触らない。)

「今日はね、ユリさんとずーっとお喋りできるから楽しみなの」

そう言って嬉しそうに笑うフランソワーズは、確かに年頃の女の子だった。
ふだん、男ばっかり――それも年上の――相手にしているから、女同士というのは嬉しいだろう。

ジョーがモトカノとイマカノの間で困るだろう・・・というのは、違うのかもしれない。
案外、ジョーはほったらかしで、女二人で盛り上がるのかも。

 


 

     

ユリさんは相変わらず綺麗だった。

ロータリーでジョーの車を見つけ、手を振った彼女を見てそう思った。
自分は既に生身の身体ではないと彼女に知られてしまっているけれど、会えばやはり「過去の記憶」が甦り・・・生身だった頃の自分を思い出す。
それらは全てが「良い思い出」などではなく、できればそのままずっと忘れていたい類のものばかりだった。
一体、どうしてあの頃はあんなに荒れていたのだろうか。

ギルモア邸に向かう車内でも、何を話せばいいのやら全く見当がつかなかった。
なので、黙る。

「・・・元気そうね」
「うん」
「他のみなさんも元気でいる?」
「うん」

これでは会話にならない。
ということに気付き、こちらからも何とか話を振ってみる。

「その・・・博士はどうしている?」
「元気でいるわ」
「・・・そう」

やはり話が続かない。
田辺博士を話題にしたことがいけなかったのだろうか。
ジョーは自身の思いに沈んでいった。

まだ博士には何にも恩返しができていない。
昔の分と・・・世界平和会議の時の分も。
むしろ、自分と知り合いだったというせいで迷惑をかけてしまった。

「・・・ジョー?」
心配そうにユリが見つめている。

いつもはフランソワーズが占めるナビシート。
別の女性が座っているというのはどうにも落ち着かなかった。
何しろジョーにとって、その場所は既にフランソワーズ以外の誰のものでもなかったから。

――ストレンジャーで来るんじゃなかったな。

心の中で舌打ちする。
いくら天候が荒れそうだからといって、何もストレンジャーを出すこともなかったはずだった。
普通の乗用車はたくさんあるというのに。

「なんでもない。――それより、普段からフランソワーズとは良く電話しているみたいだけど」
「ええ。例の件がきっかけで仲良くなったのよ」

いったい何を話してるんだろう?

と思ったジョーの胸の裡を見透かしたかのようにユリがふっと微笑んだ。

「フランソワーズとは色んな事を話すけど・・・一番多いのが、恋愛相談、かな」
「・・・へぇ。そうなんだ」
「だって、彼女の周りにいるのは男の子ばかりでしょ?それに肉親もお兄様だし・・・。バレエ教室のお友達には言えない事もあるみたいだし」

確かに「サイボーグである」とは言えない。

「だから、・・・うーん、お姉さんみたいなものかな?」
「ふぅん」
「気になる?」
「何が」
「恋愛相談の内容」
「・・・別に」
「アラ、そう?」

からかうような声に内心動揺する。

恋愛相談、って一体何なんだよ?――フランソワーズが何を悩むっていうんだ?だったら僕に直接訊けばいいじゃないかっ。

「そうねぇ・・・ジョーにはわからないかもね。オンナゴコロって」

余裕な声に、そんな事はないと否定したいものの、真実わからないのはオンナゴコロだったので何も言えない。

「何年経っても、そういうトコロは変わらないのね・・・ジョーは」

でも、随分と明るくなって・・・瞳の色も優しくなった。

軽くジョーをからかいつつ、感慨に浸るユリだった。

 


 

       

ユリが着いてからは、フランソワーズの視線がジョーに向けられる事はなかった。
玄関に迎えに出て軽く抱き合い、ユリの手を引いてリビングへ連れてゆくフランソワーズ。
そして、ユリの隣に座り、ずーっと仲良く話し込んでいる。
お茶を出すのも忘れているようで、結局、お茶と茶菓子を運んだのはピュンマだった。
ジョーはといえば、彼女たちの向かいのソファに座ったものの、話の輪に入るわけにもゆかず――話している内容もよくわからないのだった――所在なく紅茶を飲み、なんとなく菓子を口にいれ。ただ二人を見ているしかなかった。

「そうだわ、アルバムを持ってきたんだった」

ユリがぱんと手を打って立ち上がる。そしてバッグから大判のアルバムを一冊取り出したのだった。

「あ、それってもしかして――」
「そ。電話で話してた例のものよ」
「わー。楽しみにしてたのっ」
「でしょ?絶対、見たがると思って」
「でもなんだか見たいような見ないほうがいいような変な気分」
「大丈夫よ。・・・まぁ、ちょっとびっくりはするかもしれないけど」

ちら、とジョーを見つめる。
そのユリの視線にびくっとするジョー。

なんだ一体。・・・確か、昔の写真がどうとか、ってフランソワーズが言ってたけど・・・

そーっと首を伸ばしてみるが、あいにく表紙しか見えなかった。
ので、静かに彼女たちの背後に回った。
彼女たちの背後には、なぜか既にピュンマとジェロニモも立っており、開かれたページに見入っていた。

「え?これ・・・」

フランソワーズが思わず指差す。

「これってもしかして・・・・」
「もしかしなくても、ジョーよ」
「えええーっ」

がば、っとアルバムを両手に持ち、じーっと見つめる一枚の写真

「この男の子が、ジョー・・・・」

ふっと視線を前方に飛ばす。が、ジョーは既にそこにはいないのだった。なので、背後に首を回す。
が、そこに居たのはピュンマとジェロニモだった。

「・・・ジョーは?」

二人に訊くと、ジェロニモが無言で部屋の隅を指差した。
そこには、壁に手をついてうなだれているジョーの姿があった。なぜか背中が小さく見える。

「ジョー?」

どうしてそんな隅っこに。
フランソワーズの声に、一瞬びくりと背中が揺れ、そーっとこちらの様子を窺うように振り返った。

「ヤダ。ジョーったら!」

とたんに笑い出すフランソワーズ。

「なんて顔してるのよ」
「・・・うるせーな、ほっとけよ・・・」

低く、小さい声で言ったものの、ある人物はそれを聞き逃しはしなかった。

「ジョー!いま何て言ったの?」

厳しい声の主はユリ。

「そんな汚い言葉を遣うなんて駄目よ!」

きりりとまなじりを上げて凛とした声で言い放つ。
フランソワーズは未だ笑い続けている。
なにしろ、ジョーの顔といえば。
真っ赤になっているくせに、ちょっと拗ねたような唇と泣きそうな潤んだ瞳をしていたから。

だから、ヤだったんだよっユリさんがうちに来るのはっ!

いくらオトナぶっても彼女にかかればジョーはいつまでも「デキの悪い弟」レベルなのだった。

「あ。これって学生服?」

フランソワーズの声に、ユリの視線は再びアルバムに戻る。

「ええ、そうよ。日本では、中学校・高校と制服というのがあるの」
「・・・でもなんだか・・・」
「そうなのよね。だらしなーく着てるでしょ?」

こくこく頷くフランソワーズ。

「本当は似合うくせに、わざとこういう風に着てたのよ」
「どうしてかしら」
「さあ・・・どうしてかしらね、ジョー?」

ユリの声に一瞬何か言ってやろうと思ったのだが、また叱られるような気がして結局黙ったままのジョー。
今は部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいる。

「・・・あんまりユリさんは一緒に写ってないのね?」

しばらくページを繰った後にフランソワーズが不思議そうに聞いた。

「どうして?――恋人同士だったのに」

――え!?

我関せずを決め込んでいたジョーだったが、あまりにもさらりと言われた事実にびっくりした。

なんで?
フランソワーズはそんな事・・・知ってたっけ?

「うーん・・・写真自体が少ないでしょ?ジョーは写真に撮られるのが嫌いで、殆ど盗撮みたいなもんだし」

殆ど、というより全部だった。

「だから一緒に写っているのは、仲間たち全員と撮ったのしかないの」

ツーショットなんてないのよ、とユリは笑った。

「大体ね。恋人同士といっても・・・人前で手をつなぐこともしなかったし、並んで歩くことだってしなかったのよ。コドモ同士のオママゴトみたいなもので。――ね?ジョー」

――オママゴト。な訳ないだろーがっ。

さらりと嘘を言われて、肯定すべきか否定すべきか一瞬考え・・・どちらを言っても窮地に陥りそうな気がして結局黙る。

「そう・・・」
「ええ。ね、こっちの写真見て」
「あ・・・」
「ジョーはね、いつもこんな瞳をしていたのよ」

怖いでしょ?
と苦笑気味に言うユリの声をどこか遠くで聞いているフランソワーズ。

ジョーは・・・確かに出会った頃はこういう瞳をしていたような・・・気がする。

「全然、笑わないし。話すことといえば、世の中を否定したことばかり。・・・ううん。世の中だけでなく、自分自身も否定してたわね」

怒っているような哀しいような・・・瞳。

でも何故か目を離せなかった。

今はこういう顔はしないわ。・・・いつも穏やかで優しくて、強い瞳で。

「今は、こういう顔しないでしょう?」

少し哀しげな声のユリにはっと我に返るフランソワーズ。

「それは、あなたがそばにいるからよ」
「えっ」

思わず頬が熱くなる。

「そうよね、ジョー?」

――俺のことは放っておいてくれ。

ジョーは頭を抱えたまま撃沈していた。


 

あれ?
なんか・・・想像してたのと、違うなぁ・・・

思わずジェロニモと目を合わせる。

だって、フランソワーズの態度が。
ユリさんを目にした途端、まるっきりジョーの事なぞ眼中にないみたいだし。お茶を出すことさえ、忘れている。
まるで・・・そう、長年の友人に会えてはしゃいでる女子学生、ってところかな。
ぴったり並んで座り、そのお喋りは途切れることがない。
むしろジョーが気の毒になった。
会話に入ることもできず、かといってこの場を去ることもできず。

どうするんだろう?
と、思っていたら、どうやらジョーの昔の写真を見ることになったらしい。
思わず、ジェロニモと共にアルバムを覗きに行く。

と、そこには。

何とも可愛らしい坊やが写っていた。
可愛らしい、なんて言ったらジョーに張り倒されそうだから言わないけど。でもさ。
一生懸命突っ張っている風な男の子がそこにはいたんだ。
ただ・・・それが妙に痛々しい。
突っ張ってるだけではなく、寂しいって全身で言っているような・・・。

と、フランソワーズがキョロキョロしてジョーを探している。
で、ジョーはといえば。

さっきまで僕たちの後ろから、そーっと覗いていたくせに今は何故か部屋の隅で小さくなっている。
――まぁ、気持ちはわからなくもないよ。僕だって昔の写真を恋人に見せられたら――なぁ、ジェロニモ。

そしてユリさんというモトカノの前だからか、いつもとは全く違う口調で不良っぽい声音になっているジョー。
あーあ。ばっかだなぁ。ほら、やっぱり。ユリさんに注意されてるし。
――これって漫才じゃないよな?

僕には、彼らが昔、こんなふうにじゃれあってたんだなーとしか思えないけれど・・・
フランソワーズは全く気付いてない。というか、気付くはずもないようだった。
でも、まぁ。
今のジョーにとって必要なのはフランソワーズしかいないんだし(彼女がジョーの元を去ったらどうなるのかなんて恐ろしくて考えたくもないね)、だからさ、ジョー。
今は耐えるんだ。

 


 

      

夜になって、やっぱり雪が降り始めた。

「ね?お泊りにして良かったでしょ?」

窓にぶつかる雪を見て、フランソワーズは嬉しそうに言って振り返った。
今夜はゲストルームに二人一緒に休むことにしたのだった。ツインベッドになっているので、お互いにパジャマに着替えて思い思いに寛いで。

「本当ね。それにゆっくりお話もできるし」

そう言うユリににっこり微笑み、

「でも・・・このアルバム、本当にいただいてしまっていいの?」

胸に抱き締めているのは最前まで閲覧していたアルバム。ジョーの少年時代が写っている写真がある。

「ええ。それはやっぱり、あなたが持っていたほうがいいと思うの」
「でも・・・」

ユリさん、寂しくない?
と訊いてみたいけれど訊くに訊けない。
逡巡しているフランソワーズを見つめ、ユリは苦笑まじりに言う。

「大丈夫よ。二人で写っているのはちゃんと持っているから」

もちろん嘘である。ジョーがユリとツーショット写真なんて撮らせるわけがない。

「そうなの?じゃあ・・・遠慮なく」

嬉しそうにもう一度ページを繰るフランソワーズを優しく見つめる。

ジョー、あなたの選択は確かよ。フランソワーズは可愛くて素直で・・・そばにいると優しい気持ちになれる。
だから、あなたは彼女を離しては駄目よ。もしそんなことがあったら私はあなたを許さないから。

「あ、そうだ」

アルバムを見つめていたフランソワーズが顔を上げる。

「私ね、ユリさんに渡そうと思っていたものがあるの」
「アラ、なーに?」
「あのね」

テーブルに置いていたバッグから一枚のカードを取り出す。

「これ・・・ジョーのカードなんだけど」
「お仕事中なのね」
「洗剤を買ったらもらえるの。で、私、おんなじのを2枚持っているからこれ・・・よかったら」
「いただけるの?」

こっくり頷くフランソワーズに微笑む。

「ありがとう。そう・・・こういうのもあったのね」
「・・・え?」
「私が持っているのは・・・ええとなんだったかしら・・・ジョーが優勝カップにキスしてるカード」
「シークレットカード?」
「ああ、それそれ。それしか持っていなかったから嬉しいわ」

ユリさん、持ってたんだ。シークレットカードを。

一瞬、ヤキモチを妬きかけ、いやいやユリさんはそんなんじゃないんだから、と打ち消す。

「あの、ユリさん?」
「なーに?」
「他にも持ってる・・・?ジョーのカード」
「ううん。一枚しか種類はないと思っていたから」

それがシークレットカードだったとは。

やっぱり昔の彼女はそういうのを引き当てる運命にあるのかしら。
だったら私は?――だめよフランソワーズ。そんな変なヤキモチ妬いてもしょうがないじゃない。
ジョーの過去にヤキモチを妬いたって、時間を戻せるわけじゃないんだから。

だけど実は今夜、ユリさんと同じ部屋で寝るというのは・・・ちょっぴり不安だったからなのだった。
ジョーがユリさんと夜中にこっそり会ったりなんてしないように。

だってジョーには前科があるもの!

 


 

翌日。

     

「・・・本当に良かったの?送っていかなくて」
「いいんだ」

ギルモア邸を後にするタクシーを並んで見送っている。

「・・・ごめんね、ジョー」
「なにが?」
「私ばっかりユリさんを独り占めしちゃって・・・ジョーだって、もっとユリさんとお話したかったでしょ?」
「全然」

ユリさんと僕とは「昔の知り合い」で、だからといっていま現在積極的に会いたいかと訊かれれば答えは当然NOだった。
会ったからといって、何かが変わる訳でもない。「過去は過去」いまはいまだった。
それに、どうせ僕はコドモ扱いされるだけなんだ。彼女にとって、僕は「いつまでたっても手のかかる弟」でしかなくて・・・。前に彼女にそう言ったら、「ホントね。全く、手がかかったわ」と意味ありげに言われた――ので、それ以来、彼女と面と向かって話すのはなんだか気まずかった。

「ほんとに?」
「本当だよ」
「・・・我慢してない?」
「してる」
「えっ?」

びっくりして目を見開いているフランソワーズを抱き締める。

「だってさ。ずーっと君をユリさんにとられてしまってて・・・僕が平気でいられると思う?」
「だってユリさんはおんなのひとよ?」
「それでも、君は僕のほうをちらっとも見ないしさ。どうせユリさんばっかり見てて、眼中になかったんだろ?」
「え、そんなこと・・・」

実はジョーの存在をすっかり忘れていた。とは口が裂けても言えない。

「ユリさんと何を話してたの」
「そんなの、女同士の秘密よ」
「えーっ」
「教えない。言ったらジョーが傷つくもの」
「・・・・え」

一体何を話していたというのだろう?――まさかユリさん・・・・

「だってジョーの悪口だもん」
「悪口?」
「そ。洗濯物をちゃんと出してくれないし、お手伝いもあんまりしてくれないわよねーって」

してるじゃないか・・・時々だけど。
口の中でもごもご言うジョーに構わず続ける。

「あとはね、ジョーの昔の話。ケンカばっかりしてた、って言ってた」
「・・・ばっかり、ってことはないんだけどなぁ・・・」
「でもね」

少しうつむいて、おでこをジョーの胸にくっつける。

「ジョーがね、大乱闘になった時に、ユリさんを庇って・・・」

『ジョー!?大丈夫?』『心配するなって!まかせろ!』『でも!私もいまそっちに』『来なくていい!絶対に助けるから!』『助けになんか来なくていい!』『大丈夫だから!!信じろ!』

乱闘の中でお互いを心配し合う姿が目に浮かぶ。
ユリさんの話は、そんな思い出話だった。もちろん彼女は「昔の話よ」と軽く言っていたけれど。

「すごくかっこよかったって。あなたに任せて大丈夫なんだ、って安心したって言ってたの」

そうっとジョーに腕を回す。

「・・・私、ジョーにそう言ってもらったことなんてない」

一瞬、間。

「あるだろ?」
「ないわよ」
「ある、ってば」
「ない」
「あったよ」
「なかったもん」

しばしの間。
ジョーはフランソワーズを抱き締めたまま天を見上げて唸った。

「・・・心配するな、って言ったことあるよね?」
「うん」
「まかせろ、も言ったよね?」
「言った」
「絶対に助けるから、っていつも言ってるよね?」
「うん。言ってる」
「大丈夫だから、とも言ってるよね?」
「・・・たぶん」
「じゃあ全部、いつも言ってるじゃないか」

ほらみろ。と言いたげなジョーの顔を見上げる。

「ひとつだけ言ってもらってない」
「え?」
「『信じろ』って・・・」

思わずフランソワーズの顔を見る。
泣きべそ顔で、そして・・・やきもちを妬いている。

「・・・ばかだなぁ」

そっと額にキスをしてから改めて抱き締める。
――そんなの。君に言う必要がないから言わないんだよ。

「フランソワーズは僕を信じてないの?」
「信じてるわ」
「いつも?」
「ええ」
「どんな時も?」
「当たり前でしょ?」
「だったら言う必要ないじゃないか」

はっとして顔を上げるフランソワーズ。頬がかすかに赤くなっている。

「あ・・・そうね」
「そうだよ」
「・・・そっか」
「そう」

ヤダ、私ったら。と小さく呟く。
そうだよ、フランソワーズ。君はちゃんと僕を信じてくれているし、もちろん僕だって君を信じている。
だから言わなくてもいいんだよ。だってそれは「当たり前のこと」なんだから。
お互いを信じているのは大気の中に空気が在るように「当然」の事だから、確認し合わなくてもいいんだよ。

「昨夜はフランソワーズがいなかったから、よく眠れなかったんだぞ」
「嘘ばっかり」
「本当だって」

だって昨夜はピュンマとジェロニモと一緒に夜通しゲームをしてたって聞いたもの。

「フランソワーズ。信じてくれよ」

あ。いま言われた。