ヒストロジカル・ハーレクインロマンス的ゼロナイ
Grande valse brillante

 

 ―1―

 

 

「お前は本当にそれでよいのか?」

この問いは何度目だっただろう?
目の前を行ったり来たりするアルヌール伯爵を見るともなく見遣り、フランソワーズは秘かにため息をついた。

「お兄様。そのようにうろうろ歩き回るとほこりがたちますわ」
「ふん。ほこりが舞うようならば掃除が行き届いていない証拠。直ちにメイドを呼んでくれる」
「まあ。おやめになって、そんなこと」

慌てて兄の腕を取る。

「いったい、どうしてそんなにご立腹なのですか?」

金色の豊かな髪。軽く巻いて肩にたらしてある。あくまでも白く、陶器のように滑らかな肌。つつましくその胸を覆うけれども、その下の膨らみは隠せないドレス。淡いグリーンの光沢を放つ生地に金糸で縁取りがしてある。
アルヌール伯爵は、我が妹の美しさに満足したように頷いた。

「それはお前が一番よくわかっているだろう」

厳しい瞳で射られ、フランソワーズは下を向いた。顔を赤らめるくらいのたしなみは持っている。
アルヌール伯爵はグレイのスーツに白い光沢のあるシャツにきちんとタイを締めていた。髪は妹と同じ金色で、瞳も深い蒼い色であるのも一緒だった。長身で、堂々とした紳士である。いま、その彼の一番の心配事というのは妹のフランソワーズであった。
今季、社交界へのデビューを控え、今が最も大切な時期であるにも関わらず――さっさと勝手に結婚相手を見つけてしまったというのだ。しかも、その相手というのが――

「社交界でしかるべき紳士と出会うべきであるのに、よりにもよってあんな・・・」

怒りに襲われ、先を言うことができない。

「・・・あんな下層階級出身の者と情を通じたなどと、決して許せるものではない」
「出身など関係ありませんわ。彼は立派な紳士です」
「立派な紳士だと?――フン」

妹の腕をそっと外し、つかつかと窓辺へ行き、整えられた美しい庭へ目を向ける。

「彼は立派な紳士ですわ、お兄様。このあたりに泥棒や乱暴狼藉を働くような者がおらず、夜に外を歩いても危険がないというのは全て彼の力によるものなのですよ」
「それが怪しいと言っておるのだ」

握りしめた拳が白くなってゆく。

「そのような者たちをこの短期間で統べることができるというのは、とりも直さず、自身にその要素があるからに違いないのだ。誰が見ても危険極まりない男だ。どうしてそれがわからぬか」
「お兄様は、彼の一部しか見てらっしゃらないのです。彼は危険ではありません。とても優しい方ですわ」

頬を染めて弁護する妹を、やれやれと見つめ、アルヌール伯爵は力を抜いた。

「お前はそう言うが・・・彼の本性を見抜いているとはとても思えぬ。まだ社交界へもデビューしていない乙女なのだから」
「そのような偏見はよくなくってよ、お兄様。わたくしは学校を出たての無垢で何もしらない娘などではありません」
「ほう。だったら何だというのだ」
「世事を知った大人の女性ですわ」
「――世事を知った?・・・なるほど」

途端に我が妹を冷たく見遣る。

「確かに、無垢ではないな。お前の言う立派な紳士とやらに汚されてしまったのだから」
「お兄様!!」

蒼い瞳が煌く。

「わたくしを黒い幽霊団から助けてくださったのは彼なのですよ?こんな――身体にされて悲嘆にくれていたわたくしを、優しく抱き締め情をかけてくださったのです」
「言うな。お前の身体のことは・・・・!」

アルヌール伯爵の顔が辛そうに歪んだ。

「私は、お前を助けることができず、どんなに自分を責めたことか・・・!」
「お兄様!」

フランソワーズは兄の腕をしっかりと抱き締めた。

「わたくしはこうして無事です。更なる改造をされる前にあの方が助けてくださったのですから。・・・あの方は、命の恩人なのです。だから、わたくしは」
「――フランソワーズ。お前は本当にそれでよいのか?」
「はい」
「・・・断っても良いのだぞ。我が伯爵家が路頭に迷うことなどないのだから」

実際、フランソワーズの婚姻に頼らなくとも、アルヌール家にはじゅうぶんな経済的余裕があるのである。
それは、当主であるジャンの投資家としての実力によるものだった。

「・・・お前は彼を」
「愛しています。心から」
「しかし、彼は」
「言わないで、お兄様」

フランソワーズは兄の腕に額をつけた。

「良いのです。彼が、わたくしに触れたという責任感のみで求婚しようとも、わたくしは構わないのです」
「しかし、それではお前の愛は――」
「――あの方がわたくしを妻にしてくださるなら、それで良いのです。・・・ほかには何も望みません」
「だが、それではお前は、愛のない男と知っていながら嫁ぐというのか」
「はい。・・・もしもあの方が何人も愛人を持とうと――わたくしは打ち捨てられた妻という立場に甘んじるとしても、それでも、あの方がわたくしを望んでくださるなら、こんなに嬉しいことはないのです」
「フランソワーズ・・・!」
「愛しているのです。あの方を」

相手が愛してはくれないことを知りながら、彼の申し出を受けたいと切々と訴える妹に、とうとう伯爵は折れた。

「――わかった。・・・好きにすればよい」
「お兄様」
「ただ、・・・持参金はつけてはやれぬ。私はお前の話を聞いても、どうしても奴を許せないのだ」

妹と彼が情を通じたという事実を知った時、妹の名誉のために決闘を申し込もうとさえしたのだ。
が、その当事者の妹が半狂乱になって止めたので――彼の、当主としての、兄としてのプライドは引き裂かれた。
しかし、日を空けずに相手が結婚を申し込んできたので、妹を守るためにはその申し出を受けざるを得なかったのだ。
妹を心無い醜聞から守るために。
ただでさえ、黒い幽霊団に攫われたことで、世間が何といっているのかわかっている。これがもしも、身体を特別な機械と交換されて戻ってきたなどと知れたら、醜聞どころの騒ぎではなかった。
そして、その黒い幽霊団を壊滅せしめたのが、他でもない「彼」であった。

「持参金など、あの方は考えてもおりませんわ。そういう方なのです」
「・・・しかし。本当にお前はそれでよいのか?愛のない結婚をすることになるのだぞ」

フランソワーズはそっと目を伏せた。

「――命を賭して助けていただいたのです。わたくしのこの身体全てはあの方のものなのです」