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「・・・本当に、怖くないのか」

薄暗い灯りの中、栗色の瞳がじっとフランソワーズを見つめている。
よく見えるわけではなかったが、フランソワーズにはそれがわかった。

「怖くなどありません、ジョー」

フランソワーズは一歩ジョーに近付くと、そっと彼の手に自分の手を重ねた。

「先ほども感じたのですが、あなたはとても・・・温かくて、ですからわたくしは心からあなたを信じたのです」

そうしてフランソワーズはにっこりと微笑んだ。
その笑みは、まるでここだけ陽の光が照らしているような、温かく優しい微笑みだった。

「・・・・!」

ジョーはフランソワーズの手首を掴むと怖い顔で言った。

「本当に私が怖くないのか?」
「はい」
「後で怖いと泣いても、私はフランソワーズ、あなたを逃がすことはできそうにない。それでもいいのか」
「なぜ逃げるのです?」
「それは・・・」

栗色の瞳の持ち主の口元が辛そうに歪む。

「私が、あなたを――」

しかし、後を続けず、ジョーは乱暴に腕を離した。

「――お願いだ、フランソワーズ。私から離れてくれ。どこでもいい。この邸のなかのどこかへ行ってくれ。朝になれば、少しはこの気持ちも落ち着く。だから、・・・頼む」
「嫌ですわ」

きっぱりと言うと、フランソワーズは更に一歩、ジョーに近付いた。

「怖がっているのはジョー、あなたの方ではないですか。そんなにわたくしが怖いですか?わたくしが・・・改造された身体だから」
「違う」
「だったら、どうしてそんなに――」

辛そうに歪むジョーの顔をじっと見つめ、右手で彼の頬を包むように触れる。

「――そんなに不安な顔をなさるのです?わたくしはどこにも行きません。ここにいます」
「しかし、フランソワーズ」
「ここにわたくしと一緒にいるのは、助けたあなたの義務ですのよ?いつまた攫われるかわからないのですもの。ちゃんと守ってくださるのが筋ですわ。それとも、あなたは・・・評判通りの無責任な乱暴者で、わたくしを助けたのはただの気まぐれだったとそう思ってよろしいのですか」
「違う、断じて気まぐれなどではない」
「でしたら」
「しかし、それとこれとは」

ジョーは自分の頬を包む手の温かさを感じながら、けれどもそこから早く逃れなければと思っていた。そうでなければ、いずれ自分は目の前のこの娘に自分の思いをぶつけてしまうことになるだろう。
思いを遂げてしまいたい気持ちと、そんなことをして嫌われでもしたら生きていけないという気持ちに苛まれ、ジョーの心は張り裂けそうだった。
歯を食いしばり、やっとの思いでフランソワーズの手を掴み自分の頬から引き剥がした。が、今度はその手を離すことが容易でないことに気付いてしまった。進退窮まり、そのままジョーは自分を律することだけを考えていた。このままなら、何とかなりそうだった。

フランソワーズは、引き剥がされた自分の手を掴むジョーの手が震えていることに気がついていた。
彼の顔は、先刻と同じように辛そうであり、何かを恐れるような不安があり、そしてとても哀しそうだった。
ただの強いひとだと思っていた。自分の力を惜しみなく差し出し、助けてくれる勇気を持ったひと。世間の評判ではただの乱暴者だったが、この、ほんの短い時間を一緒に過ごしただけでそれは事実ではないとわかっていた。
本当は、強くてとても優しくて、そして・・・寂しいひと。ひとりになるのが怖いくせに、自分のそばに誰かがいることに慣れていない。かといって背を向けてしまえばいいかというとそうではない。おそらく、彼はきっと・・・一緒にいて欲しいと素直に口に出せないのだ。それは、今までそう言ってもいい相手が誰ひとりとしていなかったから。ずっとひとりで生きてきたのであろう。自分だけを信じ、自分しか信じられず、ずっと。

「・・・一緒にいては駄目ですか」
「えっ」
「ひとりになるのは嫌です。捕まっている時、ずっとひとりぼっちでした。誰かが来るのは、改造のための下見の時だけ。不安で不安で張り裂けそうでした」
「・・・フランソワーズ」
「でも今は、何も怖いものはありません。それはあなたがここにいてくださるからです」
「・・・私が?」
「いつ追手がやって来るかもわからないのです。でも、ジョー。あなたが一緒にいてくださるなら、わたくしは何も怖くないのです」
「しかし」
「お願いです。どこかへ行けなんて言わないで。わたくしはここにいたいのです」
「フランソワーズ」

ジョーは一瞬、間違えそうになった。勝手な甘美な思いに包まれそうになりながら、何とか踏みとどまった。
目の前にいるフランソワーズは、自分に特別な感情を抱いているからそう言ってくれているのではない。今夜はいつ追手が来るともわからない不安定な夜だ。だから、自分を護衛するためにそばにいてくれと言っているのだ。そばにいないといつまた黒い幽霊団がやってくるかもしれないという不安に襲われるから、だから自分の力が必要なのだ。間違えてはいけない。
ぎゅっと目をつむり、そうしてフランソワーズを掴んでいる手を乱暴に引いた。
自分の胸のなかに飛び込んできた亜麻色の髪の香りと柔らかな身体の感触に、胸の奥に痛みが走った。
彼女が欲しい。いますぐ、この場所で。
既に自分は警告している。しかし、それを聞かずここに一緒にいて欲しいと懇願したのは他でもないフランソワーズ自身であった。彼女がどういうつもりであっても、既にジョーはこれ以上、自分の思いを抑えることはできなくなっていた。

「フランソワーズ」

彼女をぎゅうっと胸に抱き締める。

「フランソワーズ」

熱い声で名を呼ばれ、そしてしっかりと胸に抱き締められ、フランソワーズは震えた。けれどもそれは恐怖感などではなかった。
やはり自分は、今日彼を見た時から――否、初めて彼の瞳を見た時から、ジョーに惹かれていたのだと自覚した。
例え、いま彼が自分を抱き締めているのは助けた義務感からだったとしても、この瞬間、フランソワーズは幸せだった。
彼がどう思っていても、自分はいまこのひとと一緒にいたい。そして、誰かと一緒にいることは怖くはないのだと教えてあげたい。

「ジョー」

フランソワーズはジョーの背に腕を回し、彼をぎゅうっと抱き締めた。一瞬、ジョーの身体が驚いたように揺れて彼女の腕から逃れようとするかのように身じろぎした。

「ジョー。怖くないわ。わたくしが一緒にいるのですよ?」
「・・・フランソワーズ」

身体を少しだけ離して、お互いがお互いをじっと見つめた。微かに燈っている光でも、栗色の瞳と蒼い瞳はお互いをちゃんとわかっていた。

「・・・私は・・・、これ以上自分を抑えることができぬ。逃げるなら、いまのうちだ」

掠れた声で苦しそうに言われる。その声と、じっと自分を見つめる瞳のなかに燃えるような男の欲望が見え、フランソワーズは彼の言葉が何を指すのか理解した。

「・・・逃げないわ。ジョー。お願いです。わたくしを怖がらないで」
「怖がってなどいない」
「いいえ。あなたはわたくしが怖い。これ以上近付いたら、わたくしがあなたを置いて逃げると思っているのでしょう?」
「・・・その通りだ。それのどこが違う?きみも本当の私を知ったら、きっと――逃げるだろう」
「いいえ」

フランソワーズはじっとジョーを見つめた。

「逃げないわ」
「しかし、こういうことは・・・」

辛そうに言い淀むジョーを見て、フランソワーズは彼を早く解放してあげたくなった。

「――わたくしだって、学校を出たての無垢な世間知らずの乙女ではないのです。これからどうするのかくらいはわかります」
「フランソワーズ!」
「だからといって、あなたを悪者にはさせません。全て、合意の上だったと」

その瞬間、ジョーの熱い唇がフランソワーズの唇を塞いだ。

「ああ、フランソワーズ。きみが欲しい!」

フランソワーズは言葉の代わりに、彼が求めるまま唇を開いて彼を受け容れた。