私は。
私は、ジョーのことが好き。
それは前から変わらない。
好きになったのはいつだったんだろう?
それさえも思い出せないくらい、ずーっとずーっと前から、たぶん大好き。
出会えたのは運命の気まぐれに過ぎなかったとしても、私にはとても大きなこと。
全てを失った代わりに神様がくれた宝物。
何よりも、誰よりも大切で・・・彼がいなくなったら、どうなってしまうんだろう?
ブラックゴーストとの闘いで、彼の死を思ったときは・・・たぶん、今ほどの気持ちはなかったかもしれない。
その後、彼が助かって、いつもと同じ日々が戻ってきた。
そして私たちはそれぞれの生活に別れた。ずっと会わなかった。それで平気だった。
だけど今は。
私のそばからジョーがいなくなるなんて考えられない。考えたくない。
そんなことになったら、きっと私は私でなくなってしまう。
・・・だけど。
ジョーは私のことをどう思っているのだろう。
何年経っても、どんなに一緒に居ても、この悲しい問いは消えることがない。
彼に抱き締められていても。
耳元で甘い言葉を囁かれても。
優しい瞳で見つめられても。
なぜなら。
私が彼のそばにいられるのは・・・いてもいいのは、彼と同じ境遇だから。仲間だから。
もし私がサイボーグでなかったら、きっと見向きもされない。
どんなに好きでも、きっと届かなかった。今でも届いているのかどうかはわからないけれど。
ジョーは優しい。
だから、来る者を拒まない。
そして、ジョーはこだわらない。
だから、去る者も追わない。
だから、私と一緒に居てくれるのは彼が優しいからだけで、私を好きなわけじゃない。
だから、私が去っても・・・きっと追ってはくれない。
ただ、「そう」といってその事実を受け止めるだけ。
そうに違いないから、私は時々苦しくなる。
本当にそばにいてもいいの?
私がいてもいいの?
本当は・・・あなたのそばにいるべきひとは他にいるのに、私が邪魔をしているだけじゃないのかしら。
私がここにいなければ、本当の「あなたのためのひと」がここにいられるのに。
***
「フランソワーズ?」
時々、君はひどく悲しい瞳をする。そしてその瞳で僕を見つめる。
何が悲しいの?
何が不安なの?
どうしてそういう瞳をするのか僕にはわからない。
大切に抱き締めていても。
僕の腕の中にいても、どこか寂しげな君を見ると・・・僕はひどく不安になってしまう。
もしかして君は・・・君には、他に誰か大切なひとがいるのではないだろうか。
そして僕以上に想う誰かのことを思い出しているのではないかと勘繰ってしまう。
君が求めている腕は僕ではなくて、本当は別の誰かなのであって・・・。
僕が君に甘えるから、だから優しい君はそれを邪険にできなくて、付き合ってくれているだけに過ぎないのに、それをいいことに僕が長いことそのまま君に甘えてしまっているから、だからただ仕方なく一緒にいてくれているだけなのかもしれない。
本当に好きなひとは他にいるかもしれないのに。
だから本当は・・・僕が君を離してあげられればいいんだよね。
そうすれば、君は自由になって「本当に大切なひと」の元に行ける。
いつか、そうしなければならないのだろうか。
君を本当に大切に思うのなら、いつかこの手を離さなくてはならないのだろうか。
サイボーグにされたという同じ境遇で、仲間だから一緒に居る。
僕が君を好きだから、君はそんな僕を邪険にできなくて、仕方なく相手をしてくれている。
愛情ではなく恋でもなく。そこにあるのはきっとただの憐れみと同情。
・・・それでもいい。
勝手に錯誤している僕は、君からみれば滑稽かもしれないけれどそう思われても構わない。
いつか離さなければいけないこの手を、もう少しこのまま独り占めしていられるのなら。
僕ひとりの勘違いでも・・・それでも、いい。
***
「・・・お前らさー。何やってんの?我慢大会か?」
のんびりと声をかけられて、ふたりはぱっとお互いから離れた。
ここはパリ。ジャン兄の住む部屋。
その兄は外から帰ってきて、リビングのソファに座るふたりをしばらく観察していたのだった。
何故なら、まるで「恋人同士ではないような」微妙な緊張感が漂っていて、いつものふたりとは全く違った空気だったからだ。
なにかあったのか(サイボーグの任務か?)と思い、しばらく声をかけずにいたのだが、どうやらそうではないらしいと判断し、数分の経過ののち声をかけたのだった。
「・・・別になんでもないわよ、お兄ちゃん」
「そうかぁ?」
フランソワーズの様子がおかしい。・・・泣いてる?
思わずぱっとジョーの方を見る。
するとこちらも様子が変だった。泣いてはいないが・・・なんだこれ。おいてきぼりをくらった子供みたいな顔してるな。
どうやらジョーが妹を泣かせたわけではないらしい。
だとしたら、こいつらいったい何をしてたんだ?
ふたりの着衣の乱れがない事も咄嗟に確認済みだった(いちおうそういうことも考える兄なのだった)。
「なんだかなー。変だぞ。お前もジョーも」
言っても、ふたりとも無言のまま。
・・・やれやれ。いつものアツアツぶりはどこへいった。
「メンドクサイことを考えているんじゃないだろうな?」
「何?メンドクサイことって」
「ほら。よくあるだろ?『私はこのひとのそばにいてもいいの?』とかヒロインが悩むドラマ」
「お兄ちゃん!いくら私でもそんなことなんて・・・」
思ったりなんてしてないわ。と、だんだん声が小さくなり最後のほうは口のなかでもごもご呟く程度。
「んー?なんだ聞こえないぞ」
「・・・・思ったりしてないもん」
「本当かぁ?お前昔っからそういうところあるからな。ちゃーんとジョーに言っとけよ」
言いながら着替えのために自室に入る。
ったく、フランソワーズ。図星かよ。
ネクタイを外しながらため息をつく。
あのふたりは、いわゆる「普通の」出会い方をしたわけじゃないからなぁ・・・。いろいろ考えるところがあるのだろうけれど。だけど、それにしても。
メンドクサイ妹と、これまたヤヤコシイジョー。
こんな最強なドツボカップルってそうそう見ないぞ。あいつら、これで楽しいのか?
***
「いいから、お前たちちょっとそこに座れ」
渋面を作って、対面のソファを指し示す兄。
しぶしぶ並んで座る、私とジョー。いつもは手を繋ぐけれど今日はしない。
それも気に入らないらしく、フンと鼻で言ってから話し出す。
「あのな。何があったのかは知らんが、言いたいことがあったらちゃんと言わなくちゃわからないんだぞ?
ただ見つめ合ってれば全てがわかる・・・なんて事があればラクだがな」
言いたいこと。
それは・・・たくさんあるけれど、果たして本当に「言っても」いいのだろうか?
言ったら全て終わってしまう・・・っていうこともあるのではないかしら?
だから、怖い。
怖いから、言えない。
結局は、私の片思いに過ぎない。って思い知るのはイヤ。
だって、本当はわかってるもの。私が勝手にそう思っているだけなんだってこと。
ジョーはそんな私につきあってくれてるだけ。優しいから一緒にいてくれてるだけ。おそらくずっと。お互いの命が果てるまで。それまでは一緒にいてくれる。だって「仲間」だから。
そんなことを考えていたら、不意に鼻の奥がツンとしてきた。やだ、泣いちゃう。
「・・・フランソワーズ」
兄が呆れたように言う。もう。お兄ちゃんにはすぐにばれてしまう。他の誰よりも、私の「泣く寸前の顔」を知っているから。
だから、結局はべそべそ泣いてしまった。お兄ちゃんのせいよ。
ジョーはそんな私を見つめ、どうしたものかとおろおろしていた。手をのばそうとしては引っ込め、肩を抱き寄せようとしてはやめ。どうしてそんなに愛しいの。ジョーのばか。
「だって・・・お兄ちゃんはわかってると思うんだけど」
そう。ずうっと前に言った事がある。私が勝手に彼を好きなだけで、彼は私を特別扱いなんてしてくれてない。って。だけど私はそれでいいの。って。
「私の片思いなんだもん。・・・ずっと。だから、時々」
悲しくなって辛くなって。と続けようとしたら、物凄くのほほんとした声に遮られた。
「は?」
緊張感の欠片もない声。隣のジョーから発せられた。
「何言ってるのフランソワーズ」
がしっと私の両肩が掴まれる。痛い。手加減してない。忘れてる。
「片思い?誰が誰に?冗談だろ?」
冗談ではない。それより肩が痛い。
「それはこっちの話だ」
「え?」
今度は私の口から出た疑問符。
だって。
びっくりするわよ。何よそれ。こっちの話って何?
「なに?こっちの話って」
「だから」
ぱっと肩を離して目を逸らす。
「・・・片思いなのは僕のほうだってことだよ」
言いにくそうに、怒ったみたいな顔で言うジョー。
「嘘よ。ジョーは優しいからそう言ってくれるのよね?」
何か言いたそうだけど言葉にならずに黙ってしまうジョー。
ほら。やっぱり図星なんだ。
べそべそ泣き続ける私と怒ってるみたいなジョーを見つめ、お兄ちゃんは呆れたままの顔。
「よくもまぁ、そうこじらせることができるよな・・・あのな。フランソワーズ」
兄はちらりとジョーに視線を走らせてから私の顔をまっすぐに見つめた。
「前に訊いた時はお前も一緒にいたが・・・『お前と他に女性がひとり助けを求めていて、でもどちらかひとりしか助ける時間がなかったらどうするか』っていうの、憶えているか?」
もちろん。009は003を後回しにするのよ。そんな当たり前の事を訊いてどうするのかと思ったもの。
「こっちに来る前にな。もう一回同じ事をジョーに訊いたんだよ。そうしたら、答えは前と違っていた」
にやりと笑う兄。隣でちょこっと身じろぎするジョー。
答えが前と違う?
意味がわからない。だって、以前の答えしか有り得ないのだから。そう決まっているのだから。だって、それが009だから。
「何て言ったと思う?・・・お前と女性と、どちらも後回しになぞしないんだと」
意味がわからない。
「お前を後回しにしたら、後で何を言われるかわからないから怖いんだってさ」
にやにやする兄と、急に立ち上がるジョー。凄い勢いで、反動で私はソファの上でよろけてしまう。
「そんな事言ってませんよっ!!」
「じゃ、なんて言ったんだったっけ?」
にやにや笑いを引っ込めない兄と、小さく「・・・はめられた」と呟くジョー。
「ほら。言ってやれよ。正解を」
ジョーが手を拳にしてぎゅっと握っている。
「・・・あ」
いったん、言葉を切って。そうして一気に言ってしまうジョー。
「後にすると、待っている間にフランソワーズを不安にさせてしまうし、寂しい思いをさせてしまうし、もしかしたら泣いちゃってるかもしれないし・・・!」
「お前、泣いちゃってるかも、は言わなかったじゃないか」
「今、思いました」
「あ、そ」
わかったか?という目で私を見るお兄ちゃん。
ちょっと待って。混乱してて・・・つまり、私を後回しにすると私がその間不安で寂しくなるから、そんな思いをさせてくないから、どちらも後回しにしない・・・?
「でも、そんなの無理だもん」
そうよ。無理よ。だから本当の事じゃなくて、嘘なのよ。お兄ちゃんが相手だから、そう言っただけで・・・。
・・・お兄ちゃんに、嘘をつく?ジョーが?
有り得ない。
「俺も無理だって言ったんだけどね。両方助けられるように頑張るんだと。お前をちゃんと守れるように」
「あ」
そこまでは言ってません・・・と口の中で言うジョー。
ちらりと見上げた横顔は、はんぶん髪で隠れて見えなかったけれど、見えている頬は真っ赤に染まっていた。
「お前、それを聞いて本当に片思いだと思うか?」
だとしたら凄い大ばか者だぞ?俺様の妹は頭の良いいい子だったはずなんだがな。
そんな兄のどうでもいいひとりごとが遠くに聞こえている。
だって、私は。
ジョーを抱き締めていたから。
ごめんね。
片思いなんて言って。私・・・あなたのそばにいてもいいのよね?
そうよね?
それとも・・・私、やっぱりあなたの言葉の意味を間違って受け取ってる?
ジョーは私の髪を優しく撫でてくれた。そして
「・・・つまり、その・・・フランソワーズを後回しにしたら、もしかしたら君、その間にいなくなっちゃうかもしれないだろう?」
うん。だって、私がいなければジョーは二者択一なんてしなくてもいいわけで、危険な場所に戻ってくる必要もないわけで・・・。ジョーを窮地に陥れる原因が私自身なのだとしたら、私は自分の命を捨てるわ。ジョーを守るためなら平気。なんだってできる。
「そんなの嫌なんだよ。必死に戻って、もし君がいなくなってたら僕は気が狂うよ?」
「・・・まさか」
そんな優しい嘘をつかないで。
「ずうっと探すよ?探して探して、世界中を探し回る」
嘘ばっかり。
「・・・信じてよ。フランソワーズ」
だって、信じられない。そんなの。
「せめて僕が生きている間くらいはいなくならないで」
じっと見つめる褐色の瞳がちょっと怖い。
「嘘でもいいから。同情でもいいから。いなくならないで。・・・頼むから」
同情?
私が目で質問すると、ふっとジョーの表情が緩んだ。
「だって、同情だろう?僕と一緒にいるのって」
そんなわけないじゃない。
同情なんて・・・そう、思っていたの?ずっと?
遠くで、ち、と舌打ちの音がした。
「ったく、泣かせちまって・・・お前、自力で何とかしろよ?俺はもう知らん」
やってられん。とぶつぶつ言いながら部屋に行ってしまう兄。
ジョーはというと、泣いてしまった私を持て余し・・・「ごめん」の大量生産をしていた。
だって。いまさら「同情」なんて、何を言ってるの?
ずっとそう思われていたなんて、情けないやら悔しいやらでなかなか涙は止まってくれなかった。
何回「好き」って言ったかわからないくらいなのに。なのに、なにひとつジョーには伝わっていなかった。
「私、ジョーに『好き』っていっぱい言ったのに」
「うん。僕も言ってるのに」
「嘘よ。ジョーは言ってないわ」
「言ってるよ」
「聞いたことないもの」
「・・・そうかな?」
「そうよ」
「んー・・・そう言われると、そうかもしれないな」
そしてぎゅっと私を抱き締めた。彼の胸にぴったりと身体がくっつくように。そしてお互いの距離が刹那の隙間すらないくらいに近づいてから小さく小さく耳元で言った。
「いつも『愛してる』って言ってるから」
・・・嘘よ。聞いたことない・・・ジョーのばか。
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