「諦めと期待」


僕は今まで色々な事を諦めてきた。
求めても得られない愛情や、求めても得られない友情、そして信頼。
求めて裏切られ、求めて拒絶され・・・そうしていつか、それに慣れてしまった。と、いうよりも。
それらから身を守る術を学んだ。自分が傷つかなくて済むように。
それは。

全てを諦めること。

求めても決して手に入らないのなら、最初から求めなければいい。
そうすれば、得られなくても辛くない。
最初から「求めて」いないのだから、何も失わない。自分自身も傷つかない。
こんな素晴らしい解決法ってあるだろうか?

だから僕はそれに身を委ね・・・今に至る。

フランソワーズはきっと、僕が「優しい」から、拒絶しないと思っている。
来る者を拒まず、去る者を追わない。
それは僕が優しいからだと信じている。
フランソワーズは、家族や友人の愛情を一身に受けて育った幸せな子供だっただろう。
全てが夢や希望に満ち溢れ・・・裏切りや嫉妬というものとは無縁な世界で育った。
だから、絶対にわからないだろう。僕がどうやってここまで生きてきたのか。
全てを「諦める」ことによって保たれる精神の平衡。そんな世界があるなどと想像もつかないだろう。

僕は優しいわけじゃない。
ただ・・・他人はどうでもいいと思っているだけだ。
同情して優しさをくれるなら、ありがたく貰う。そして、僕に「優しさを与える」という行為に飽きて去って行っても追わない。最初から「一時的な」感情でそうしているとわかっているからだ。
だから、相手に何も期待しない。
期待しなければ、失望することもない。
僕に接触してくるヒトは大抵が同じだった。物珍しさや同情心から一時的に僕を相手にするけれど、それは「相手に優しくできる自分」に酔っているだけで、やがてそれも醒めてくると読み終わった雑誌を捨てるみたいに簡単に突き放す。
だから僕は知っている。所詮、ヒトなんて自分が可愛いだけで相手のことなんて何にも考えてないってことを。相手を心配する?そんなの、自分が安心して精神の安寧を得たいからだけのことじゃないか。
ただそれだけの事。
だから、君が僕を心配するのは実は「心配するという憂鬱な気分を取り除いて精神的に安定したいから」という、身勝手な思いに過ぎないっていうことを僕が知っていると知ったらどう思うだろう?

フランソワーズ。
君だって同じだ。僕が知っている人達と。
僕とは棲む世界が違う。だから、決してわからない。
君は「与える」側の人間で、いったん与えてから奪ってもその痛みがわからない。だって、そもそも全てが無意識なのだから。それが「与える」側の人間。
僕は「貰う」側の人間だから、与えられれば貰う。けれども、それはいつか再び失うことも知っている。
そういうものだとわかっている。だから・・・与えられれば貰うけれども奪われても構わない。傷つかない。
それに慣れているのが「貰う」側の人間。

だから、安心していいよフランソワーズ。
君がいつか僕の元から去っても、僕はなんとも思わないから。君を憎んだり、恨んだりも絶対にしない。
だって知っているから。君がいつか去ることを。
それがいつなのかはわからないけれど・・・僕は平気だよ。だから、安心して。フランソワーズ。

 

***

 

・・・そのはずだったんだ。
僕は慣れているから、大丈夫だと。

だけど、ブラックゴーストのせいで全てが狂ってしまった。

新しくできた「仲間」。
そんなの、今までのようにうわべだけの仲間に過ぎないと思っていた。
でも違った。
なぜ命を懸けて「仲間」を守るんだ?
なぜ「約束」を守るんだ?
なぜ相手の安否を気遣うんだ?
相手のことを一番に考え、自分は後回し。過干渉に思えるほどの心配と安心。そして信頼。
どうせ、それでもいつかは裏切るんだろう?「待ってる」と言ってもいなくなるんだろう?
そう思っていた。
でも違った。
裏切らない。逃げない。いなくならない。
むしろ、相手を逃がすために自分が盾になる。・・・なぜだ?

だから僕は、いつの間にか慣れてしまった。
相手を信頼することを。
求めたら与えられ、そしてそれは絶対に奪われることがないということを。
相手は決して自分の前から去らない。自分を見限らない。背を向けない。
だから僕は、いつの間にか「諦める」ことを忘れてしまった。

・・・それは、いいことだったんだろうか?

いま、僕の腕の中にいるフランソワーズ。
安心しきって全てを僕に委ねている。その信頼はどこからくるのだろう?
僕が彼女に危害を加えないとどうしてわかるというのだろう?
このまま僕が、少し腕に力を込めたら簡単に君の首は締まり絶命するだろう。
僕がそれをしない、とどうしてわかるというんだろう?
それとも・・・まさかとは思うけれど・・・僕にそうされても構わないと思っているのだろうか。
まさか。
そんなはずはない。有り得ない。
自分の命すら委ねて平然としていられる人間なんているわけがない。

だけど・・・。

フランソワーズ。
もしかしたら、僕は・・・君には「期待」してもいいのかな。
君を「諦め」なくてもいいのかな。
君から貰った、この温かい感情は奪われる事はないと信じてもいいのかな。
それとも・・・いつか失くすと覚悟していた方がやっぱりいいのかな。

いつか失くす。

・・・嫌だ。駄目だ、そんなの。そんなの・・・耐えられるわけがない。
僕が欲しかったのは君だ。ずっとずっと欲しくて欲しくて、でも絶対に叶えられなかったものを君はくれた。
それもあっさりと。
だから僕は・・・もう、「全てを諦める」事が出来なくなってしまった。
君が僕からいなくなるとき。それは僕が崩壊するときに他ならない。
君が去ったら、僕の世界は崩壊する。
全てを「諦める」事で保っていた精神世界だったのに、その「諦める」という手段を手放した今、手に入れたはずの全てが消えてしまったら。
耐えられない。
正気の側にかろうじて立っていられるかもわからない。
身体中から、心の中から、僕の全てから血が流れるだろう。そうして二度と立ち上がれず、ヒトとして生きていけるのかどうかもわからない。もしかしたら、いっそ狂気の世界へ行ってしまったほうが楽かもしれない。
だから、僕は。

フランソワーズ。何があっても君を離さないよ。いい?
それが君の宿命。僕に出会って、あっさりと僕に色々な感情をくれたのは君なのだから。
かといって去ろうともせず、むしろ僕の裡に入り込み・・・そこから逃げようともしない。
だから、もう遅い。
僕は「君を諦める」ことを放棄した。
僕は君に期待する。永遠に、僕に与え続けてくれることを。

・・・逃がさないよ?

 

***

 

大晦日の朝。
妙な夢を見たと思った。
相反するふたつの思いが交差して・・・自分でも、いま見た夢の意味がわからない。

フランソワーズが去っても平気な自分と、彼女を決して逃がさないと妄執している自分。
いったいどっちが本心なのか?

考えてもわからない。

わからないので・・・当の彼女に訊いてみることにした。

「・・・フランソワーズ」
腕の中で眠る彼女を小さく呼ぶ。でも瞼はぴったりと閉じられたままで睫毛一本も動かない。
・・・綺麗だな。
この額も。目元も。眉の形も。鼻の造作も。唇も。全てが綺麗で可愛くて愛おしい。
そっと額にかかる髪をよける。
そして唇を寄せる。
・・・可愛いな。
どうしてこんなに愛しいんだろう。
「・・・フランソワーズ」
起きないかな。
いちばん好きな蒼い瞳を見たいのに。
頬にキス。
起きないかな。
・・・そういえば、なんだっけ、彼女が前に話してくれた童話では・・・唇にキスすると起きるんだったっけ?
と、してみようとしてやめた。
だって僕は王子って柄じゃない。もし童話の王女が彼女だとしても、きっと僕はその権利さえ持たない一兵士に過ぎないんだ。そうして「王子」が彼女にキスをして連れ去ってゆくのを成す術もなく見ているだけで・・・
「・・・ジョー?」
そんな僕の夢想を破る、優しい声。
「・・・おはよう」
「どうしたの?」
蒼い瞳が揺れる。そっと白い手が僕の頬に伸ばされる。
「どうしたって何が?」
「だって・・・泣いてたの?」
「えっ」
嘘だろう?そんなはずはない。
「目が赤いわ。・・・怖い夢でも見た?」
見たといえば見た。見てないといえば見ていない。
「・・・さあ、ね」
そうだ。彼女に訊いてみるんだった。ちょうどいい。
そう思って話そうとした機先を制し、首筋に巻かれる細い腕。
「・・・大丈夫よ」
耳元で言って、優しく僕を抱き締める。
「泣かないで。大丈夫だから。・・・ね?」
私がここにいるから。だから泣かないの。と繰り返す。
「ずうっとずうっと、ここにいるから」
「・・・ずうっと?」
「そう。ずーっと。ジョーがヤダって言っても」
くすくす笑う。その声が耳に心地良くて、僕はそっと目を閉じた。