待ち合わせ
〜ジョー、焦る〜

(2008.3.6〜12)

 

 

3月は別れの季節というけれど・・・。

時間が気になるけれども、腕時計を見るわけにもいかずジョーは途方に暮れていた。

――フランソワーズ、ごめん。

 

***

 

ジョーから「ごめん。少し遅れる」とメールがきたのが5分前。
ジョーの言う「少し」ってどのくらいかしらと思いながら、更衣室で着替えをすませ、バレエ教室のあるビルを出たのがついさっき。
いつもの待ち合わせ場所に向かっている途中、再びメールがきた。

『ごめん。一時間くらいかかるかもしれない』

一時間も?

一時間の遅れというのは尋常ではない。まさか彼の身に何かあったのかと彼の電話番号を呼び出し――かけて、やめた。
本当に「何かの事件に巻き込まれた」のなら、そう言うはずだし、「本当の緊急事態」ならメールをする時間的余裕もないはず。それらを総合すれば、事件でも緊急事態でもなく、ただ単に「遅れる」だけだというのは容易に想像できた。

・・・渋滞してるのかしら?

考えられる無難な答えはそれしか思い浮かばなかった。
こちらに向かっているのなら、彼は運転中であり、運転中にもかかわらずメールを打てるというのは車が止まっているからで・・・
とりあえず「わかったわ。近くのカフェにいます」と返信し、どちらかが遅れるときに使う待ち合わせ場所第2へ向かった。
ジョーからの返信はこなかった。

「・・・あら」

いつものカフェは貸切だった。
近くの高校の卒業式後の懇親会のため今日一日貸切なのだという。
いつもの場所にいなくても大丈夫かしらと思いつつ、けれどもいつまでも店の前で立ち尽くしていても仕方がない。もしジョーがわからなかったら電話がくるはずだし、とひとり納得し、駅ビルに向かった。

 

***

 

話は数時間前に遡る。

ジョーはシーズンイン前のスタッフミーティングに出席していた。
あれこれ意見が錯綜し、終了した時にはフランソワーズを迎えに行くのにぎりぎりの時間だった。
今日はフランソワーズもバレエ教室に行っており、二人揃って外出なのである。どこかで夕ごはんを食べて帰ろうねと出かける時に約束のキスもした。(が、彼の頬に、というのがちょっと不満だった)
腕時計で時間を確認しつつ、早足でガレージに向かう。
その彼の前にひとりの女の子が待っていた。

「あれ?どうしたの?」

彼女はジョーのチームのキャンペーンガールのひとりだった。
ジョーにとってみれば、お世話になっている同じチームの人間だし、それこそ異性という意識もなく「仲間」もしくは「戦友」に近い感覚のひとだった。
なので、深く考えもせずに声をかけていた。

「あの・・・」

対する彼女はうつむきがちで、言葉も消え入りそうに小さい。

「ん?なに?」

ジョーのストレンジャーの前に居たということは、彼を待っていたのに違いない。が、ジョーを認めてもなかなか用件を切り出す様子がみえない。

「――ごめん。ちょっと急いでるんだ」

運転席に向かうジョーに、慌てて顔を上げた。

「待って。お話したいことがあるんです」
「・・・話?」

――困ったな。本当にぎりぎりなんだけど。

けれども、目の前の女の子の切羽詰った必死な様子に、ともかく話だけは聞こうと思うのだった。

「あの、私・・・今日づけで辞めるんです」
「――辞める?」
「はい。身体を壊してしまって・・・」

キャンペーンガールというのは、一見華やかに見えるけれども実は過酷な仕事だった。
ハイヒールで長時間立ちっ放し。気温が高くても低くても同じ露出度の高い服装。
結果、腰や脚を痛めたり、体調不良で辞めていくものも少なくなかった。

「・・・そう。寂しくなるね」

彼女はよく、ジョーのレースの際にひとこと「がんばってください」と言ってくれたものだった。
そう言われて送り出されるのはやはり気分が良かったし、不調の時も乗り越えられた。
それは、異性としてどうこうというものではなく、本当に「戦友」以外の何者でもなかった――の、だけど。

「それで、・・・もう、島村さんにも会えなくなってしまうし」

ジョーのひとことに勇気を得たのか、頬を染め、目には涙を溜めながらもじっとジョーの顔を見つめて続ける。

「最後に、・・・一緒にお茶を飲んでもらえませんか?」
「えっ」

お茶なんて、事務所でしょっちゅう一緒に飲んでいたはずだけど?

ジョーの心中を読んだのか、更に続ける。
「――そうじゃなくて。あの・・・私、島村さんのことが」

まずい。

迂闊な自分に心の中で舌打ちをする。
この流れはそういうことだと気付くべきだった。もっと早くに。

「あの、僕は」
「知ってます」

ジョーの言葉を遮るように言われる。

「・・・知ってます。島村さんに決まったひとがいるのは。週刊誌も記者会見も見ました。でも」

ジョーが何かを言う隙を作らぬよう、早口で続ける。

「でも、私、せめて最後に一緒にお茶を飲んでいただけたら、それでいいんです。何にも期待してません。その、・・・思い出に、それだけでいいんです。だから」

必死な様子にそっと天を仰ぐ。

――フランソワーズ、ごめん。

「――わかった。いいよ。どこに行く?」
「え・・・」
「僕は君にはかなりお世話になったし。――そうだね、一度ゆっくり話したかったんだ」

それは確かに本心だった。
目の前にいる彼女をどう思っているのかと聞かれれば、好きと即答するだろう。
ただしそれは、異性としての恋愛対象とみているわけではなく、気の置けない仕事仲間という領域ではあったけれども。
それに、彼女がいなくなるというのは確かに残念ではあった。
今まで話せなかった分、お礼も言いたかったし――ともかくジョーは彼女の申し出を受け容れた。
さっき「遅れる」と送信したメールに続いて「一時間ぐらい遅れる」と改めてフランソワーズにメールを送り、そうして連れ立ってカフェに向かった。
この時のジョーの心積もりとしては、一時間くらい話したらちょうどいいだろうというものだったが、一時間後にその考えは甘かったと知らされることとなった。

 

 

 

 

駅ビルで春物コートを見たり、可愛いサンダルを試してみたり。
ウインドウショッピングをしていると、一時間などあっという間だった。

そろそろ連絡がくるかしら。

時間を確認し、再び待ち合わせ場所へ向かった。
けれども、途中で雨が降り出してきてしまった。
朝から気象予報士が今日は午後から降るとテレビを通して教えてくれていたものの、すっかり失念しており、雨具を用意していなかった。そもそも、ジョーがいつもの時間通りに着いていれば、たとえ雨が降っても今頃は車の中にいたのだ。

とりあえず、近くのビルの軒先へ駆け込んだ。
ハンカチで上着の水滴を拭い、ひと心地ついてから携帯を開いた。
着信は――なし。
再び時間を確かめる。ジョーのメールを受け取ってからきっかり一時間が経過していた。

まだ着いてないのかな。

到着していれば電話がくるはずで、それがまだないということは・・・まだ渋滞中なのかしら。とちょっと首を傾げ。けれども、いつも通る道はそんなに渋滞はしないはずだった。ラッシュアワーにもまだ少し早い。
しばらく携帯を見つめ、ため息をつくとバッグにしまった。

雨は強くなるばかりで一向にやむ気配はなかった。近くにコンビニでもあれば傘を買うこともできるのだが、あいにく約500メートル先に一軒あるきりだった。そこまで行く間にかなり濡れてしまうだろう。
ともかく、何もない殺風景なビルのエントランスで雨がやむのを待つしかなかった。

きっとそのうちジョーから連絡がくるから、そのまま迎えに来てもらえばいいし。

右手に提げた紙袋が濡れていないことを確かめ、満足そうに頷くとそっと空を見つめた。

 

***

 

ジョー、遅いな。

本当に何かあったのかしら。

雨が降り出してきてから気温が下がり、微かに息が白く見える。
既に30分以上ここで雨がやむのを待っている。家を出る時暖かかったから、ハーフコートだけでマフラーと手袋を置いてきてしまったのが悔やまれる。ブーツを履いていたのがせめてもだが、それでも爪先と指先はすっかり冷え切ってしまっていた。
先刻から何度も携帯を確かめるものの、無情にも着信を示すライトが点滅することはなかった。
こちらから連絡をしかけてはやめる。というのを幾度繰り返したことか。

もしも運転中だったら、電話なんかすればジョーが困る。メールだって・・・運転中だったら見て貰えないから同じことだわ。

だから、ジョーからの連絡を待つしかなかったけれども。

――ちょっとずるしちゃおうかな。いいわよね。非常事態だもの。

普段の生活で「ちから」を使うことは極力しないようにしていた。それが「日常生活」であり、何よりも大切な「普通の日々」だったから。
でも今はそうも言ってられないはず――と、勝手に理由を作ってしまう。
そしてこの先のいつもの待ち合わせ場所を視てみた。
が、やはりジョーの姿もストレンジャーも見えなかった。だったらこちらに向かっているわけだからと来るはずの方向に目を凝らし――渋滞なんてしていないことを発見してしまった。思わず耳も使ってしまう。けれども、聞き慣れたエンジン音も全く聴こえなかった。

・・・こっちに向かっているんじゃなかったの?

自分との約束を忘れたわけではないことは、ちゃんと遅れる旨をメールで知らせてくれたことでわかっている。が、そのメールから既に約2時間が経過していた。その間に彼に何があったのかは知る由もないが、「何か」が起こり――約束そのものをすっかり忘れてしまっているという可能性も捨て切れなかった。
ジョーが約束を忘れる。というのは、実は珍しいことではなかった。
闘いの最中であってさえ、一緒に行動・調査をしていたはずがいつの間にか彼の姿が見えなくなり――そして自分は決して油断していたわけではないけれども敵に捕まってしまい、連れて行かれた先にジョーたちが居た。ということも度々あった。

一度なんて、ルーレット対決を見ててすっかり夢中になって。私がホールドアップされているのを見て、あっ忘れてたという顔をしたんだから。

その時のことを思い出し、ちょっと膨れる。

ひどいわよね。あの時、私はジェットの秘書で(ジェットはどこかの大企業の御曹司という設定だったのよね)ジョーは運転手で・・・二手に分かれて捜査をしているはずが結果的には私ひとりだけが真面目に捜査してたんだから!大体、どうして私を忘れちゃうのよ?

そんなことを思い出していたら、やっぱり彼は約束自体を忘れてしまったのではないかと不安になった。
渋滞している訳でもない。既に2時間経過しているのにこちらに向かっている車のなかにストレンジャーを認めることもできなかった。
何かあったのか。
それとも忘れられているのか。
意を決して携帯を開き、彼の番号を呼び出した。
けれども。
耳に聞こえてきたのは、ジョーの携帯の電源が入っていないというアナウンスだった。

 

 

 

フランソワーズがいない。

約束の時間からかなり遅れていつもの待ち合わせ場所に着いたジョー。
けれども、当然の如くそこに彼女の姿は見えなかった。
確かカフェにいるというメールを貰ったはず。と記憶を手繰って、待ち合わせ場所第2のいつものカフェに向かった。
が、無情にも「閉店」の札がかかっていた。

カフェまでは徒歩数分だったので、ストレンジャーを降りて走ってきたのだった。当然、傘もさしていない。
ただただ雨に打たれながら呆然としていた。

フランソワーズ。
いったい君はどこに・・・

思いかけ、腰のポケットから携帯を取り出す。

――え。嘘だろっ・・・・

携帯の液晶画面は真っ黒だった。ウンともスンとも言わない。何度電源ボタンを押しても反応なし。

マジかよ。

電池切れ。それを理解した途端、ジョーの頭のなかはパニックになった。

だから、フランソワーズから何にも連絡がこなかったのか?

まだなのかとか先に帰るわねとか、あれこれ・・・電話もしくはメールが何にもないのはおかしい、と頭の片隅では思っていたのだが、彼女のことだから呆れつつも待っているに違いないと決め付けていたのも事実。
自分に連絡もしないで勝手に帰るわけがない。ということには自信があった。

――だってフランソワーズはそういう子だ。

では、いま彼女はいったいどこにいるのか?

居るとすれば・・・駅ビルとか。かな。

以前、彼女と一緒に行った場所を思い浮かべる。そのなかでも駅ビルの登場率は高かった。
服飾品、装飾雑貨を見るのが好きな彼女にとって、それらが網羅されている駅ビルは何時間いても飽きない場所だった。
ジョーは雨のなか、傘をさすということも念頭になく駅ビルへ向かって走り出していた。

 

 

 

駅ビルの中の全てのショップを見て回った。
非常階段も廊下もトイレも休憩所も食堂も――全館をくまなく探した。
3周したのちに、ここにはいないと判断を下し、今度は駅ビルからいつもの待ち合わせ場所までの間にある店という店をあたってみた。花屋、本屋、雑貨屋、文房具店、飲食店等々。一軒一軒覗いて確かめた。
だけど、どこにもいない。
もう一度、今度は駅ビルに向かって――同じ店を一軒一軒あたった。
だけどやっぱりフランソワーズはいなかった。

どこにもいない。

思いついて、彼女のバレエ教室があるビルまで行ってみた。が、共用エントランスは既に閉ざされていた。
彼女のお気に入りの、バレエ教室前のカフェに向かいかけ――そこも当然閉まっているのを確認する。

・・・フランソワーズ。

公衆電話が目に入ったが、ジョーにはそれを使うことができなかった。
フランソワーズの携帯番号、ギルモア邸の番号・・・全ては彼の携帯が記憶していたのだった。
そして今、彼の携帯は死んでいる。

せめて君の番号くらい憶えておけばよかった。

砂を噛むような後悔も今は虚しい。
――びしょ濡れだった。
フランソワーズを探している間、雨に打たれ続けていた。が、途中のコンビニで傘を買おうとさえ思いつかなかった。そんな考えは初めから彼の頭に浮かぶ余地さえない。
何故なら、彼の頭の中は「フランソワーズがいない」という事実だけで占められていたのだから。

ひとりでギルモア邸に帰ったのだろうか?電車に乗って。
それとも、まだどこかで自分を待っていてくれているのだろうか?

・・・フランソワーズ・・・。

うなだれた彼の首筋を流れるのが雨なのか汗なのかわからない。ジョーにとってはどうでもいいことだった。
傘を手に行き交う人々からの好奇の視線も。
彼が島村ジョーではないかと憶測を飛ばす少数の人々も。

ゆっくりと、いつも待ち合わせしている所――ストレンジャーを停めた場所へ戻る。

ともかく、どこの店にもいないのだから・・・もしかしたら、やっぱりいつもの場所に居るのかもしれない。
確か近くに公園があったはず。さっきは慌てていてすっかり失念していたけれど、彼女のことだ、連絡が取れない自分の事を心配して、いつもの場所の近くで待っているのかもしれない。

あまり期待はせずに歩く足取りは重い。

何しろ、当初の待ち合わせ時刻よりも3時間が経過しているのだ。
彼がフランソワーズに「遅れる」と連絡した「1時間」を差し引いても、まだ2時間もある。

・・・長すぎる。

屋外で人を待つには2時間というのは長い。
しかも、待ち人には連絡さえつかないのだ。
なぜ遅れているのか?
なぜその後連絡がこないのか?
そして――どうして連絡がつかないのか?何かが起こったのか?
不安になり、心配しながら待つ2時間は更に長い。

――フランソワーズ。ごめん。

まさか携帯の電池が切れているとは思わなかった。
もっと早くこっちに来れると思った。
僕の計算違いだった。
・・・・・。

あれこれ言い訳してみるものの、どれも嘘くさく、うわべだけ取り繕っているように思えた。

・・・こっちに来る直前に、仕事仲間の子の送別会に誘われて、それであっという間に時間が経って・・・。
・・・・・・・・。

半分、真実を混ぜてみたが、それではまるで「フランソワーズのことをすっかり忘れていた」と言っているのに他ならないことに気がついた。

違う。
僕は君のことを忘れたりなんてしてなかった。

――ただ、あの場を去れなかっただけだ。

・・・仕事仲間の子に、今日づけで辞めるからどうしても一緒にお茶をしてくれと言われ、断れる状況ではなかった。少し話すだけのはずが、気付いたらあれこれ悩み相談になって、それで・・・・。
・・・・・・。

駄目だ、こんなの。
本当の事を言ったって、どちらにしろフランソワーズは傷つく。自分との約束よりも仕事仲間の子を優先したのかと。
そんなの、3時間も君を放っておいたことの言い訳になんてならない。

・・・だけど。

彼女の話を聞きながらも僕は――君にずっと心の中で謝っていた。ごめん、って。
忘れてなんかいない。
本当だよ?

どうにかストレンジャーに辿り着く。
車は既に闇に溶けていた。
住宅街の一角であるこの場所は、街灯も少ない。通る人は家路を急ぐ仕事帰りのひとばかり。
傍らの公園に目を遣るが――やはり人影はない。
夜の公園はさらに真っ暗で・・・とてもそこにフランソワーズがいるなどとは思えなかった。

・・・フランソワーズ・・・。

力なく車に手をかける。
容赦なく降り続ける雨も全く気にならなかった。

だから、いつの間にか自分の周りだけ雨が降っていないことにもすぐには気付かなかった。

 

 

 

 

――こういう時、映画やドラマなら・・・「お嬢さん、お困りですか」って声をかけられて、傘をさしかけられるんだわ。それから、一緒にお茶を飲んで、食事をして・・・恋やロマンスが始まったりする。
あるいは。
実はもうとっくにジョーはここに着ていて、私が途方に暮れていると「ごめんごめん」って現れるの。
それとも、私が誰かに声をかけられているのを見つけて逆上して、相手をのしちゃう。そして「遅れてごめんね」って優しく私を抱き締める。

なんてね。

そんなこと、実際に起こるわけがないのに。

一向にやまない雨空を見つめ、ぼーっとそんなことを考えたりしていた。

全く。映画やドラマのようなことなんて――それこそ絵空事。そんなシチュエーションなんて有り得ない。
だってほら。
道行く人々はみんな一様に早足で・・・傘をさしかけてくれるようなナイスガイはいそうにない。

軽く息をつくと、今度はもう少し建設的な事を考えてみた。

ともかく、どこかで傘を買わなくちゃ。そして、お茶が飲める所に移動しよう。

冷え切った手をさすり、握ったり開いたりする。
何しろ寒かった。既に指先の感覚もかなり怪しくなってきている。

・・・よし。

ひとつ大きく頷くと、雨の中に踏み出した。大丈夫、さっきより小降りになってるわと自分に言い聞かせて。
そうして、500メートル先にあるコンビニを目指した。

 

***

 

いったい、ジョーはどこで何をしているのか。こちらに向かっているのか。自分はこのまま待っていたほうがいいのか。だとすれば、いったいあとどのくらい待てばジョーに会えるのか。
考えてはみたものの、無駄だった。何しろ、「正解」は得られないのだ。

――帰っちゃおうかな。

時間を確かめ、駅方面を見つめる。

こんなに遅れているんだもの、私が帰ってしまっていてもジョーは怒らないわ。
大体、連絡のつかないジョーが悪いのよ。

コンビニで傘を調達し、近くの自販機で缶コーヒーを買い指を暖めながら。
ゆっくりゆっくり、駅方面に向かう道を歩く。

――もし、本当に「何か事件が」起こっているのなら。
それこそ、ジョーから連絡がなくても他のメンバーから絶対に連絡がくるはずであり、未だにそれが無いということは「事件が起こった」わけではないと判断する。
――仕事関係で遅くなっているのなら。
直接ジョーからその旨の連絡がくるはずで・・・しかし、それもない。ということはこれも違うということだった。

あと、考えられるのは・・・

・・・・・。

何も無かった。
大体、最強のサイボーグである彼に「何か困ったこと」なんてそうそう起きない。例えあっても、さっさと解決してしまう。

自分が思いつく限りの回答は出尽くした。
あとは、最悪の事態しか残っていない。
それはつまり、「ジョーが約束それ自体を忘れてしまっている」ということであった。
数時間前まではメールがあったものの、その後は全く連絡がとれない。ということは、その数時間のうちに、彼に自分との約束を忘れさせるほどの何かが起こったのに違いなかった。
ならば、いくら待ってみたところで、ジョーが現れる確率は格段に低い。それはもう、殆どゼロに近い。
果たして、この寒い中、ひたすら待つ意味があるのだろうか?

駅に着いた。
あと数歩進めば改札口だった。

傘をたたんで、バッグからカードを取り出す。

そして改札口に向かって歩き出した。

 

***

 

***

 

私って、バカなのかもしれない。

駅を背にして向かうのは、ジョーとの待ち合わせのいつもの場所。

改札口の前まで来て、そうして――帰るのをやめた。
駅ビル内のコーヒーショップに向かいかけ・・・それもやめた。
どこかで時間を潰そうかとあちこちの店を覗いてみたけれど、結局落ち着かずそれもやめた。

――いいもん。
私、バカだもん。

雨は先刻より激しくなっていた。
駅へ向かう人々を避けながら、ひとり逆方面へ向かう。

・・・だって。もしジョーが来ていて、そこに私がいなかったら絶対心配するもん。
ジョーのことだから、すごーく心配して私を探し回って・・・そうして落ち込むの。どうして僕はフランソワーズを待たせてしまったんだろう、って。こんなに何時間も連絡もしないで、絶対にフランソワーズは怒っているし傷ついてもいるはずだ。って思って、そうして・・・泣いちゃうの。ごめんね、フランソワーズ。って何度も繰り返して。たくさん、たくさん、泣いちゃうの。
だから、私は勝手にどこかに行っちゃだめなの。

我ながら馬鹿だとはわかっていた。何しろ、彼を待つにしても――「本当に」彼が約束を忘れていないのかというと、それは定かではない上に、これから更に何時間待てば彼が来るのかも全くわからないのだから。

――いいの。それでも待つのよ私は。

ふっと口元に笑みが浮かぶ。

だって・・・ジョーに会いたいもん。
ジョーはね、約束を忘れちゃっても、絶対に後で思い出すの。そうして慌てて走ってくるの。いつもそうなの。
そして、その時の必死な顔のジョーも好きなの。
泣いちゃいそうな顔で、「フランソワーズっ」って叫んで、唇を噛み締めて。そうして私を見つけて、良かったここにいたんだね、って言ってちょっと笑うの。でもね。笑っているのに、頬が震えてて・・・絶対に泣くもんかって我慢してみせたりするんだけど――でもやっぱり、泣いちゃうの。
いつもそう。
闘いの時も、今日みたいな時も。
そんな時、私はジョーの頭を抱き締めて、誰にも涙を見えないようにしちゃうの。
ええそうよ。例え「仲間」でも――ジョーの涙も、ジョーの泣き顔も絶対に見せてなんてあげないの。
だって、ジョーの泣くのを見てもいいのは、私だけなんだもん。そう決まっているんだもん。

ジョーの事をね、「かっこいい」って言う女の子はたくさんいる。そして、彼がそういう女の子たちを守っている時は、確かに凄くかっこいい。強くて頼りになるし、そんなひとに大事に守られたら、彼を好きにならないわけがないしずうっと一緒にいたい、って思ってしまう。
でもね。
ジョーはかっこよくなんてないのよ?
何故かというと・・・・

・・・・・・・・・・

・・・・・・・・

・・・・・だめ。教えてあげない。

だってそれは、私だけの秘密だから。かっこ悪いジョーの方が好き、なんて誰にも絶対に教えない。

あの闘いではこうだった、その時ジョーはこう言った、あの時だってジョーはそう言っていた・・・と、ジョーの姿を思い浮かべた。
闘いはもちろん、どれも凄惨で思い出したくはないけれど、それでもジョーと一緒の時は幸せだった。
だから、彼がどんな風にどんな顔をして自分の名前を呼んだのか――を思い出すのは、辛いけれども幸せなのだった。

だから、向かう先にジョーの姿を見つけた時――現実との境界が曖昧で・・・それと認識するのに少しだけ時間が要った。

「・・・・っ」

走り出そうとして思い留まった。ふうっと眉間に皺が寄る。

・・・なんだか様子が変。

・・・どうしてびしょ濡れなの?車の中に傘があるのに・・・

そして。

――もしかして・・・やだ、泣いてる??

 

 

 

傘に当たる雨の音。

さっきまで気付かなかったけれど、結構降っていたんだな・・・

ぼんやり思いかけ。

――傘?

そういえば、自分は傘なんて持っていなかったことを思い出す。顔を上げると、透明のビニール傘がさしかけられていた。その傘を辿ってゆく。柄を持つ白い指先。そして、雨に濡れる亜麻色の髪。

「・・・フランソワーズ」
「どうしたの?びしょ濡れじゃない」

ジョーに傘を持たせ、自分は彼の髪や顔をタオルで拭ってゆく。

「ごめんね、他の着替えと一緒にしてたからちょっと汗くさいかもしれないけど我慢してね?」

そう言いながら、ジョーの肩も拭く。

「いつもタオルは2枚持ち歩いているんだけど、今日はうっかり使ったのと一緒にしちゃってて」
ああもう、ほんとにびしょ濡れじゃない。いったい何してたのよジョー。と、フランソワーズの声が途切れることはない。

「――うん・・・。雨が降ってるの、気がつかなかった」
「ええっ?」

フランソワーズが目を見開き、ジョーを見つめる。

「・・・ごめん。遅くなって」
「――そ」
そんなことないわよ。と言いかけ、ちょっと首を傾げて考える。

そんなことないわよ――なんて、嘘っぽいわ。だって私はたくさん待ったもの。心配もしたし。

「そうよ。遅いわよ、ジョー」

少し膨れてみせる。
「夕ごはん、どこかで食べて行こうねって言ってたのに。こんな格好じゃファミレスくらいしか入れないわ」
「・・・そうだね。ごめん」
「もぉ。いったい、携帯まで切ってどこで何をしてたの?」
「・・・・うん」
「――100字以内で述べよ」
「えっ?」

うなだれていたジョーは、どこか茶化すようなフランソワーズの声に顔を上げた。

「なに?100字以内って」
「あら。日本のテストでそういうのって多いんでしょ?」
「――クイズ番組の見すぎ」
「いいじゃない。100字以内で言うのなんて簡単でしょ?」
「・・・・・メンドクサイ」
「駄目よ。ちゃんと言わなくちゃ許してあげない」
「うー・・・・ん」

軽く腕組みをして、ひとりブツブツ言っているジョーを見つめる。

――ほんと。素直っていうか、ばかっていうか・・・

「えーっと・・・け・い・た・い・の・で・ん・ち・が・き・れ・て・・・12、れ・ん・ら・く・が・で・き・な・か・っ・た・ん・だ。・・・これで25。――あっ、フランソワーズ、句読点も入れるの?」
「そうよ。ちなみに、漢字ならもっと文字数がかせげると思うけど?」
「えっ・・・・ああっそうか!携帯、で、2で・・・電池、で、2。で・・・」
「電池が切れちゃったの?」
「うん。だから連絡ができなくて・・・あ、連絡、で2、出来なかった・・・あ、これはそのままか」
「自分で切ったんじゃないのね?」
「何で。意味がわからない」
「で?それから?」
「あ、うん。えーと・・・仕事仲間の女の子に誘われて・・・13字か。で、ついふらふらと・・・」
「――ふらふら?」
「そう。ふらふらと」
「ちょっと、ジョー!?」

腕組みを解いて、指を折って文字数を数えていたジョーの腕に手をかける。

「なによそれっ。ふらふら、って」

至近距離でジョーの瞳を捉える。

「――なんてね。嘘」

対するジョーは、いたずらっぽく微笑み舌を出した。

「そんなわけないだろう?――全くもう。信用してくれ、って何度も言ってるのに」

そう言うと、そうっと腕を回してフランソワーズを抱き締めた。

「――遅れて本当にごめん」

それだけ言って黙る。言い訳はしない。フランソワーズを探している間、色々な「遅れた理由」を捻り出していたものの、結局、何も言わない事に決めたのだった。

言い訳したって、僕が遅れたことは事実。連絡がつかなくなってしまったのも僕のミスだ。
だから・・・誰のせいでも何のせいでもなく、やっぱり僕が全部悪い。

フランソワーズに「ごめん」だけを繰り返す。それ以外をする気は全く無かった。

「――電池が切れちゃったのね?」
「うん」
「それで連絡ができなかったのね?」
「・・・うん。ごめん」

一瞬、フランソワーズが黙る。

ジョーは次にくるべき質問に心理的に身構えた。「そもそもどうして遅れることになったの?」という。
わけを話すのは簡単だったし、その内容に対しフランソワーズがやきもちを妬くなどという事も実は全く心配していなかった。ではなぜ「心理的に身構えたのか」というと・・・
だったら事務所の電話でそう伝えてくれればよかったのに。と責められるのを覚悟した。・・・わけではなく。3月だからしょうがないわね。と、物分り良く納得してくれるかどうか不安になったから。・・・でもなく。
もう少ししたら、自分と彼女は離れなければならなくなる。ということが容易に連想できてしまうからだった。ジョーが「遅れたわけ」を話せば。
3月は別れの季節であり、異動も多い。今まで隣にいたひとが、明日からは別の場所に行ってしまう。つまり、自分が今日経験したような・・・仕事仲間が辞める、というのもよくあることで、そしてその相手とはおそらくもう二度と会う機会はないだろうと思えるようなこともよくあることで。
開幕すれば自分たちも離れなくてはいけないわけで、しばらく会えない日々が続くわけで・・・。

その話は、今ここではしたくなかった。

「――どうして傘もさしてなかったの?」

「――え?」

予想していたのと全く違うことを訊かれ、思わずフランソワーズを自分の胸から離し、まじまじと見つめた。

「駄目でしょ?車にちゃんと置いてあるのに。忘れてたら意味がないわ」

「それから、こんなびしょ濡れのまま雨に打たれてるのも感心しないわ。風邪ひいたら看病するのは私なんですからね?」

「それから・・・この場所から動いちゃってごめんね。せっかく来ても私がいなかったら・・・意味がないもんね」ごめんね。と小さく言い、もしかして私のこと探してた?と重ねて小さく訊いてくる。

「・・・ちょっとだけ」
「ごめんね、あちこちお店を覗いていたら思っていたより時間が経っちゃってて。心配してたでしょう?」
「・・・いや」
「でもね、見て」

ジョーに回していた腕をほどき、先刻からずっと大事に握り締めていた紙袋を振ってみせる。

「これ。見つけたの。博士とジョーが好きな豆大福っ。ちょうど駅ビルに一時的に出店しててね、それで・・・ジョー?」
「なに?」
「・・・泣いてる?」
「泣いてないよ」
「嘘。――泣いてる」
「泣いてないって」

ジョーの頬にそっと手をあてる。そうして自分の方を向かせると、そのまま彼の首を抱き寄せ、自分の肩に引き寄せた。

「――しょうがないわねぇ。会えたんだから、泣かないのよ?」
「泣いてないってば」
「はいはい。・・・ごめんね、心配かけて」

それは僕のセリフだよ。

というジョーの声は雨音に消されてしまった。

 

 

                     続編はコチラから・約一年後になります。