「お姐さんメカニック」
「――じゃ、このセッティングでいってみよう」 いつものように、古株の女メカニックとドライバーであるジョーの、じゃれあいにも似たミーティング。
***
昼休み。 ぶらぶらと散歩に出ていたメカニックは、ふと――何か揉めているような声を耳にし、そちらへ歩を進めた。 「だから、関係者以外は入れません、って」 メカニックは少し目を細め――彼女が何者なのか思い出した。 「すみません。彼女は私の知り合いなんです」 揉めていた二人が「え?」と同時に彼女を見た。それに向かってにっこり微笑んで。 「連絡しておくのを忘れてしまって・・・すみません」 そう言って、いったん事務所に引っ込み、出てきた時は、通行証を手にしていた。 「あなた――ジョーのカノジョでしょ?」
***
背が高くて、大柄で――綺麗なひと。 それがフランソワーズの、彼女に対する第一印象だった。 「あの・・・」 一体このひとは誰なのだろう?自分の事を知っているようだったが。 「ん。気にしないで。――ったく、ジョーのヤツ。すっかり忘れてるってどういう了見だ」 ジョーのヤツ。 彼のことをそう言う女性を見るのは初めてだった。 なんだかとっても――仲が良さそう。 胸の奥に、もやっとしたものが広がったが、心の中で顔をしかめ、それを振り払った。 違う違う。――なんでもそう結びつけるのって良くないわ。 気を取り直してにっこり笑って言った。 「ありがとうございます。・・・フランソワーズ・アルヌールです。ジョーとは――」 他人にずばりと「恋人」と言われるのは初めてだった。なので、なんだか照れてしまい――頬が熱くなった。 「――ええと。アイツならここを行って曲がったところの先の・・・」 お昼休みなのに・・・と言うフランソワーズの声に、にっこり微笑む。 「大丈夫。タバコを買いに出ようとしてただけだから」 しばし並んで歩きながら。 「アイツとは付き合いが長いんだ」 ジョーが格下のドライバーだった頃。 「ヤンチャでね。トラブルは耐えなかったけど、車に関しては真剣だったなぁ」 ヤンチャ・・・? 意味がわからず、フランソワーズはただ微笑んだ。 「あんな乱暴なヤツが最高峰まで上り詰めるとは・・・まぁ、いつかはって思ってはいたけどね」 軽く肩をすくめて笑う彼女に、ジョーの話をもっと聞きたくなった。 「それが今はこーんなカワイイ恋人がいるなんてね」 カワイイ恋人と言われ、頬が熱くなる。 「あの、どうして私の事・・・」 ジョーに聞いたのだろうか? 「ん。ヤツの財布に写真が入っていたからさ。――ソレを見つけた時のアイツ、まータイヘンだったよ。返せ返せってうるさいし」 ジョーったら。 「――で、今日はどうしたの」 今日は、といってもフランソワーズがここに来るのは初めてだった。 「あの、・・・」 「――あの、さ」 にっこり。 「いくらやめろって言っても駄目だった。――髪に臭いがつくから、やめて欲しかったのにさ」 足が震えている。 このひとは、ジョーの昔からの知り合いで――お付き合いしていたひとなのだろうか? 彼女とジョーの親密度が測れず、フランソワーズは混乱した。
しかし。
「あの」 足を止める。 「なに?」 つられて相手も足を止める。 「――嘘、ですよね?」 発した声は、か細くて情けないくらい震えていた。 「嘘、言ってるんですよね?」 にっこり。 「――なんでそう思うのかな」 目を細める相手にしっかりと向かい合う。 「だって、もしあなたがジョーとお付き合いしてたとしたら、ジョーの――彼のプライベートなことを、他人にそんな風に話してしまうわけないですから」 胸の前で腕を組み、まっすぐ見つめてくる黒い瞳をしっかりと見返す。逸らさない。 「本当に付き合っていたと言ったら?」 フランソワーズをじっと見つめる。 「その、嘘だというのはどっちに対してかな」 フランソワーズの目の前にぴっと指を立てる。 「ひとつ。ジョーと私が昔付き合っていたこと。ふたつ。ジョーは終わったあとに煙草を吸うということ。どっちに対してそう言うのかな」 フランソワーズは息を吸い込むと一気に言った。 「――ポイントはふたつもありません。両方とも同じことです。だから、嘘というのは全部に対してです」
***
しまった。忘れてた!!
お昼休みになって、支給されたお弁当を半分ほど食べたところで気がついた。 ジョーがいる棟と正面玄関は遠い。
――と。 遠目にもわかる、愛しいひとの姿。
あれ?どうして建物の中に居るんだ? ここは既に正面玄関からはだいぶ入ったところのはずで――連絡をしていなかったフランソワーズがここまで来れるはずがないのだ。
が。
・・・何をしてる? メカニックと対峙しているフランソワーズ。 ――アイツ!! その表情を見て、ジョーは本当に加速装置を使えないのが悔しくなった。 「――フランソワーズ!!」
***
ジョーとお付き合いしていた人が、彼のプライベートなコトをぺらぺらと他人に話すはずがない。 だから、これは嘘。 自分に言い聞かせるように心の中で繰り返す。 このひとはジョーと寝てなんかいない。 とはいえ、何故そんな嘘を自分に言い出したのかもわからなかった。 「あの、どうしてそんなことを――」 「――フランソワーズ!!」 声とともに、さっと抱き締められた。自分とメカニックの彼女との間に入るように。守るように。 「フランソワーズ。大丈夫?」 ジョーは、胸の中にしっかり抱き締めたフランソワーズに小さく訊いた。微かに頷くのを確認してから、改めてメカニックを睨むように見つめる。フランソワーズを彼女から死角になるように自分の体で隠して。 「――何言った?」 低い声でメカニックに問う。 「んー?別に。」 フランソワーズをしっかり抱き締めて離さないジョーをヤレヤレと見つめる。 「そんな顔しなくたって、彼女を獲って食ったりしないよ」 フンと目を逸らすジョーを見つめ、いたずらっぽく微笑む。 「ふふ、いいじゃない。この子、私の嘘八百に騙されなかったわよ?」 噛み付かんばかりのジョーの剣幕に苦笑する。 「まあまあ。いいじゃない。アンタの事、ちゃーんと信じてる芯の強い子よ」 腕の中のフランソワーズが泣いていないことを確かめ、再びメカニックを睨みつける。 「一体、何を言った?」 かあっと赤くなる。 「嘘八百にもほどがあるだろっ!これは打ち上げの席じゃねーんだぞっ」 ジョーの腕に守られているフランソワーズの頭をつんとつつく。 「ごめんね。そういう訳だから、さっきの話はぜーんぶ、嘘。この私がコイツと付き合うわけないし」 何か言い返そうとするジョーを制し、 「ともかく、ジョーを宜しくね。こう見えても結構、いいヤツだからさ」 言葉に詰まるジョーをふふんと見て、じゃあねと背を向ける。 「――あ。・・・ジョー、タバコ持ってない?」 腰のポケットから取り出して放る。 「お前、禁煙してたんじゃなかったか?」 「――時々だよ。吸ってるの」 メカニックの姿が消えてから、ジョーは改めて腕の中のフランソワーズを見つめた。 「・・・フランソワーズ?」 顔を上げた彼女は、頬を赤く染めて瞳を潤ませ――笑顔になろうと頑張っているようだった。 「――私、信じなかったわ」 その瞬間。 「わっ。――フランソワーズ?」 ともすれば、彼女はジョーの昔の恋人で、今もそばにいるんだ・・・と嫉妬しそうになった。 だから。 彼女が言っていることは全部、嘘。 おそらく彼女はジョーと仲が良くて――自分を試しているだけだ。 「――うん。ありがとう」 こくんと頷きながら、それでもなかなか涙は止まらなかった。 「――フランソワーズ」 彼女がこんな風に試されるのは納得がいかなかったけれど、それもこれも自分を心配しての行動だった――というのはわかっていた。例え、99%が悪ふざけの領域だったとしても。 「・・・フランソワーズ」 優しく名を繰り返す。髪を撫でて。 「・・・泣かないで、フランソワーズ」 「・・・しょうがないなぁ」 そう言うと、フランソワーズの頬を両手で挟み上向かせ――そうっと唇を重ねた。
***
***
ジョーが戻ってみると、食べかけだった弁当はすっかり片付けられてしまっていた。 「ホラ。飯が途中だったんだろ」 手元に新しい弁当が放られた。慌てて受け取りながら そこには先程の女メカニックがくわえ煙草で立っていた。 「――仲直りした?」 弁当のフタを開けて、さっそく食べ始める。 「ま、いいじゃないか。波風立たなかったんだから」 ジョーは食べるのに忙しくて答えない。 「――あの子はオマエにもったいないよな。もっと他にいいのがいそうなのにさ」 フン、と鼻を鳴らして去って行こうとする彼女に、フランソワーズから受け取った紙袋を差し出す。 「――コレ。フランソワーズから」 中を覗くと、そこにはプリンが十数個入っていた。ちゃんと保冷剤も入れられて。 「へぇ――」 「凄いな、手作りじゃないか」 ジョーが慌てて手を伸ばすと、彼女はため息をついてひとつ取り出した。 「――ホラ。これだろう?」 見ると、カップに「ジョーの」と書いてあった。 「他のと何が違うんだろうなぁ」 メカニックは嬉しそうに言うジョーを見つめ、ため息をつき――紙袋を持ち直した。 「ジョー。口紅がついてる」 自分の唇を指し、ここだってばと教える。 「・・・・」 ジョーが微かに赤くなって、ぐいっと唇を拭ったところで 「――なんてね。嘘」 明日はフリー走行で明後日が予選。
|