「ディズニープリンス」


―1―


デートだったらディズニーランドに行きたいわと言われ、正直僕は戸惑った。
何しろ、僕の考えていたプランとはまるっきり違うのだ。
僕としては、少し頑張って高級フレンチもしくはイタリアンのお店にドレスアップして行って、そして夜景の見えるバーでカクテルでも飲んで…と、少しオトナなデートをしようとそう考えていたのだ。

思えば、フランソワーズと改めて「デート」したことなんて数えるほどしかなかったし、いわゆる洒落たデートなど皆無だった。だから、雑誌に載っているような、そういう定番のオトナのデートなんていいかなと思ったのだけれど。

ディズニーランドかぁ。

もちろん、オトナのカップルがディズニーランドに行ってはいけないということはない。
むしろ、夜などはカップルの方が多いのだという。

でも、僕は思うのだけど――君の目的はディズニーランドではなくて、ランドのホテルに泊まることだったんじゃないかなあ。

 



―2―


僕は、チェックインしてからというもの、嬉しそうにあちこち見て回っている彼女を眺めていた。
全く、くるくるとよく動く。部屋に入ってからもちっともじっとしていない。既に僕の視界から姿を消して随分経つ。
そしてどこからかきゃあ、こんなトコロにもミッキーが!と悲鳴に似た声だけが聞こえてくる。かと思うと、突然目の前に現れて戦利品と思しきものを見せたりもする。

「ね、可愛いでしょう」
「うん、そうだね」

ミッキーの耳の形をしたシャンプーセット。
それを抱えてフランソワーズは大喜びだった。

が、実は僕にはさっぱり理解できなかったのだ。
大体、ネズミのキャラクターのどこが「かわいい」というのだろう。ネズミだぞ?
その昔、ヨーロッパではペストを大流行させた張本人であり、本来ならば忌避すべき小動物のはずである。…とはいっても、ミッキーの生まれた国はアメリカだから関係ないのか。

そんな事を考えながら、ただソファに座っていた。
昼間、散々見て回って疲れていたし、明日はシーも見るという恋人のために下調べでもしておこうかなと頭の隅で考えながら。

しかし、それよりも実は気になることがあった。

――いいんだろうか。

確か、あらゆるカップルの目あてはそれのはずだ。

ディズニーランドの目玉商品ともいえる夜のパレード。何とフランソワーズはそれを全く失念しているのか、パレードの始まる前に僕の手を引いてさっさとチェックインしてしまったのだ。普通なら、今頃はパレードを観るための場所取りをしているはずではないのだろうか。

忘れているのなら教えなくては。

僕は緩めていたネクタイを締めなおすと立ち上がった。
後で、どうして教えてくれなかったのと泣かれて困るのは僕なのだ。

「フランソワーズ」

とはいえ、彼女はいまどこにいるのだろう。
呼ぶと、クローゼットからひょっこり顔を覗かせた。

どうしてそんなトコロにいるんだ。

「なあに、ジョー」
「きみ、パレードのことを忘れているだろう」
「パレード?」

ああ、やっぱり。

きょとんとした瞳が全てを物語っていた。

 


―3―


「忘れてないわよ?」

「えっ?」

いや、しかし。まるでいま初めて聞いたような顔をしたのはきみじゃないか。それに、ディズニーランドに来たら、まずソレだろう。わざわざそれだけを観るためにアフターシックスに来る客だっているんだから。

「だって部屋から見えるじゃない」
「えっ…そうなの?」
「ええ」

そうなのか?

そもそもディズニーランド自体に興味が無かった僕である。従って、まさかランドホテルの部屋からパレードを観ることができるなんてまるっきり知らなかったのだ。
だったらどうしてみんなこんな便利なシステムを利用しないのだろう。勇んで場所取りをするのがバカみたいではないか。

そんな僕の心を読んだのか、フランソワーズはにっこり笑った。

「でもちょっと小さいし、音も聞こえにくいし、何より迫力は現場で観るのに負けちゃうわね」

ほらやっぱり。
せっかくディズニーランドに来ているんだから、ランド内で観るほうがいいに決まってる。

「だったら」

ランドに行こう。

そう言いかけた僕の口は、しかし言葉を発することができずただぽかんと開いたままだった。

「だって、むこうでこういう格好はできないでしょう?」

そう言ってフランソワーズがクローゼットから姿を現したのだ。
それは、いったいどこであつらえたのか、僕は今まで見たことのないドレスだった。
――ドレスだろう、たぶん。服の種類なんかてんでわからないけれど、例えて言えばそう――昼間見たシンデレラ城のイラストのお姫様みたいな、そんな裾の長い服だったから。しかも胸元は大きく開いている。

「これ、どうしても着てみたかったの」
「え、ど、」
「シンデレラみたいでしょう?」

うまく声が出せない僕の目の前でくるりと一回転。
薄い光沢のある布は照明を浴びてうっすらピンク色に見える。白い肌のフランソワーズに実によく似合っていた。

「ジョーがスーツだから、こうして並ぶと本当にお姫様と王子様みたいじゃない?」
「お」

王子?

「んもう、嫌な顔しないの!」

だけど僕は王子じゃないし、なりたくもない。

「…お姫様は嫌い?」
「いや…」

それはもちろん、嫌いではない。が、お姫様全般が嫌いではないというわけではなくて、フランソワーズがお姫様ならという非常に狭義の意味だ。本人がわかっているのかどうか知らないけれど。

「じゃあ、好き?」

ほら困った。
この流れで好きと言ったら、お姫様全般を好きと言ったことになってしまう。
それは断じて違ったから、僕はだんまりを決め込んだ。あれこれ説明するのもちょっと面倒だったし。
するとフランソワーズは僕の腕に絡めていた手を解くと悲しそうにポツリと言った。

「……ごめんなさい。一人ではしゃいじゃって」
「えっ」
「ジョーはパレードを観たかったのね。…着替えるわ」
「え、そ」

そんなことはない。

そもそもパレードなんて人混みに自ら行きたいなど絶対に思わない。もし行くとすれば、それはフランソワーズが喜ぶからであって――こんなしょんぼりした彼女を連れて行きたいわけではない。

ああもう。

着替えるためなのか、とぼとぼクローゼットのある部屋に戻ってゆくフランソワーズに数歩で追いつくと、僕は彼女を抱き締めた。

「似合うよ、凄く。似合いすぎてなんて言ったらいいのかわからなかった」

後で思えば、この時よく舌がもつれずに言えたものだと思う。
そんな決死の思いで言ったのに、フランソワーズの声は沈んだままだった。

「…ホントに?」

うつむいたまま僕の抱擁に答えようとしない。

「本当だよ」
「…じゃあ、好き?」

ええと。

「…ジョーは王子様が嫌いだから、お姫様も本当は好きじゃないんでしょう?」
「そ。そんなことは」

ない。

「嘘よ」
「嘘じゃないよ」
「いいの、無理しなくて。…やっぱり着替えるわ」
「駄目だ」
「いいの。着替えてランドに行きましょう」
「いいよ行かなくて」
「だって」
「行かせない」

えっ?と振り返ったフランソワーズの額にすかさずキス。

「…言ったろ。似合ってる、って」
「でも…」

額と額がくっつく。

「僕はフランソワーズがお姫様なら王子でもなんでもやるさ。でも、その他大勢のお姫様が相手なら知らないよ」
「…私限定なの?」
「うん」
「私がお姫様ならジョーは王子様になってくれるの?」
「うん」

僕はきみだけの王子様さ――なんてことは一生かかったって絶対に言わないけど。
そんなセリフをもし口にするようなことがあったら、その時僕は舌を噛むだろう。

しかし。

「じゃあ、ジョーは私だけの王子様なのね」
「う…」

嬉しそうな恥ずかしそうな声音は反則だろう。
うっかり頷きそうになってしまったから、僕は慌ててフランソワーズの口を塞いだ。

唇で。




―4―


――こうして、王子様とお姫様は幸せになりました。

めでたしめでたし。

 

…という御伽噺の末尾はこういうシチュエーションを意味しているのではないだろうけれど、とはいえ、本当のところはどうなのか僕は知らない。

ただ、僕とフランソワーズの場合は。

 

「…結局、パレードは観れなかったね」

いいのかいと問う僕に

「また来ればいいもの。今日はジョーとずうっと一緒にいたかったの」

そう言ってフランソワーズは僕の胸に顔を埋めた。


パレードの喧騒は遠い。


「…あ。花火」

ランドの一日を締めくくる花火の音。

「花火くらい、観る?」

僕が身体を起こすとフランソワーズはちょっと怒ったように言った。

「駄目。王子様はおやすみ中なんだから。勝手に謁見されては困ります」
「――はいはい」
「こうして私のそばにいなさい」
「…姫の仰せのままに」

弱い王子様だなぁ。尻に敷かれる王子なんていたっけ――と僕が思っているとフランソワーズにキスされた。

「今日は王子様とお姫様になるためのデートなんですからね」

え。

やっぱりディズニーランドで遊ぶというのは付け足しで、本当の目的はランドホテル宿泊?

「一日くらい、王子様でいて頂戴」

――参ったな。

参ったので、僕は反撃することにした。

一日なんかじゃなく、僕は一生ずっとフランソワーズの王子様でいることを証明するために。



―5―


が、翌朝、頭にミッキーの耳をつけられた時はちょっと自信を失った。

果たして一生、きみの王子様なんてやっていけるだろうか――と。