―4―

 

確かに眼中になかった。
二階に上がって着替えるためにそれぞれ部屋に分かれるはず――が。

「ちょっとジョー」
「何?」
「あなたの部屋はあっちよ」
「だから?」
「早く着替えないと風邪ひいちゃうでしょう」
「うん、だから早く脱がないと」

言いつつ、フランソワーズを押し込むように彼女の部屋に入り込んだ。後ろ手にドアをロックすると、ジョーは底光りのする瞳でじっとフランソワーズを見た。

「まだ話は終わってないよ」
「話って……メールのこと?」
「そう」
「え。言ったじゃない。オトモダチだって」
「――本当に?」
「本当よ。……もうっ、疑り深いのね」

言いながらフランソワーズは携帯を取り出してジョーに渡した。

「幾らでも見ていいわ。なんだったら電話しても構わないし」

しかしジョーは、渡された携帯を一瞥すると興味なさそうにフランソワーズに返した。

「いいの?調べなくて」
「こんなもの、操作しようと思えば幾らだってできる」
「ちょっとジョー!」

酷いわ全然信じてないじゃないというフランソワーズの声に耳を貸さず、ジョーは数歩進むとフランソワーズを抱き締めた。


「……信じてるよ。だけど……」

耳元で囁くその声は心なしか震えているようだった。

「……確認するのが怖いんだ」


ジョーは基本的にフランソワーズを信じている。それはもう妄信に近いくらい、絶対的に信用している。
が、しかし。
それと同時に信用しきれていないのもまた事実であった。

相反する思いが交錯する。

それはジョー自身にもどうにもできないものであった。


過去、ジョーは荒んだ生活を送っていた。
信じた相手に裏切られる。信用されていたのに裏切ったことも多々ある。
そのうち、それらが普通になってしまいなんとも思わなくなった。むしろ、信じるほうが悪いのだ裏切る裏切られるのは当たり前なのだから――と思うようになった。

そうやって生きてきた。

鑑別所を脱走した時だって、一緒に逃げようと結託した友人たちさえ見捨てて逃げた。一人が捕まっても助けに行かずそのまま駆け抜けた。それが普通だと思っていた。

結局は独りなのだ。

そんなジョーだったから、「何があっても絶対に見捨てない仲間」ができたからといってすぐに適応できるものではない。
表面上は、信用してるし信じてくれていいよと言ってみせるし、そう行動できるけれど心の底では、どの仲間もいざとなったらきっと見捨てるのだろう見捨てられるのだろうと思っている。

ジョーは元来優しい人間である。
幼い頃は誰にでも懐いて甘えて育ったものだ。が――あまりにも環境が悪すぎた。
悪い人間が周囲に多すぎたのだ。
例えば、悪い人間といっても仲間には親切だとか温情があるとか、そういうものであろう。が、ジョーの周囲にいた人間たちにはそういうものが欠落していた。あるいは、欠落していたのではなくそれぞれがあまりにも酷い目に遭った結果、もう誰も信用しないと決めたのかもしれない。そう考えれば皆同じ疵を持っている者ばかりということになる。
が、あまりにも同じだったからなのか、互いに弱みを見せず――従って、心を開いて話し合うなどということは皆無であった。だからジョーも次第にそういう人間になっていった。

しかし。

元々はそうではなかった。幼い頃は友人を信じ、周りの大人を信じていた。
そして。
残らず裏切られた。
見張りをしている仲間に警察がきたら教えるからと言われ、――捕まった。見張りをしていたはずの仲間は姿を消していた。後に信じたほうが馬鹿だと罵られた。
だからジョーは決めたのだ。もう誰も信じないと。自分自身以外は全て敵だと思おうと。

そして実際、そうやって生きてきた。

そんな生き方をそう簡単に変えることはできない。

が。

フランソワーズに出会い、彼女と触れ合うことによってそれらは瓦解した。
他の仲間は別として――フランソワーズだけは。彼女だけは、ジョーが本当に信じても大丈夫な相手だった。

だからジョーは信じている。

何があっても彼女は自分を裏切らないし、何があっても信じていてくれる。だから自分はそれに応えようと。
そしてそんな風に彼女に信用されている自分を誇りに思った。それに値する男でいようと心に決めた。

その反面。

万が一にでも彼女を信じきれなくなったら。
彼女が自分を裏切るようなことがあったら。

そうしたら。

その時、自分は――どうすればいい?

過去に誰も信じなければ傷つかないという鎧を手に入れていたはずなのに、今はそれが無い。
フランソワーズに会ってからその鎧は手放して久しい。

だから。

もしも彼女が自分に背を向けた時。いったい、自分はどうなる?

それを考えると怖かった。

誰も信じない、誰からも信用されない、そんな自分に戻るだけだと思っても、一度得た信頼関係は強い。

それが壊れた時。


ジョーの世界も一緒に滅ぶのだろう。


だったら。


フランソワーズも一緒に壊れてしまえばいい。

 


―5―

 

「ジョー?」


ジョーが不穏な心に動かされそうになった時。
抱き締めているフランソワーズがそっとジョーの頭を撫でた。

「――ばかね。ジョーったら」

くすくす笑いがジョーを包む。

「怖いことなんてないでしょう。ジョーに嘘なんてつかないわ」

なだめるように撫でられる髪。
安心するようなフランソワーズの笑い声。

それらに包まれて、ジョーの心にある不穏な思いはゆっくり凍結していった。

「いつも本当のことしか言わないわ。……信じてくれないの?」

甘えるように、でも悲しげに言われ、ジョーははっと顔を上げた。

「信じてるよ!だけど」
「だけど?」
「だけど……」

語尾が揺れると同時に自信なさげに視線も揺れた。
思わず逸らせた顔のその頬をフランソワーズの手が覆い、再び視線をまっすぐに戻した。

まっすぐジョーを射る蒼い瞳。

「もうっ。本当にヤキモチやきなんだから」
「……うるさいな」
「ジョーしかいないって何度言えばわかるの?」
「……わかってるよ」
「そうかしら。さっきわからなくなったでしょ?」

図星である。が、見透かされているのが悔しいから何も言わない。

「酷いわ。こんなに好きなのに」
「…………そうかな」
「そうよ?ジョーはそうでもないの?」
「そんなこと」

ないよ、と小さく言う。

そんな様子にフランソワーズはやれやれと息をついた。
全く、手がかかる。
時に幼い男の子を相手にしているような気分になるのは何故なのだろう。それとも、他の女の子たちも恋人を前にしてこう思うことは度々あるのだろうか。

ちょっと背伸びしてジョーの唇にくちづけると、フランソワーズは改めてジョーを抱き締めた。

「しょうがないわね。許してあげるわ。その代わり、うんと高いお店予約しちゃうから」

許してあげる――と聞こえて、ジョーはあれ?と内心首をかしげた。
そういう流れだっただろうか。元はといえば、フランソワーズにアヤシイ男からメールがきたのが発端であって、彼女に許してもらう道理はないはずである。この状況からみれば、ジョーのほうが言うべきセリフのはずだ。いったいいつどのように立場が逆転したのか、ジョーにはわかっていなかった。

しかし。

腕のなかのフランソワーズが可愛かったし、なんだか機嫌が良さそうだったので――まあいいやと思った。
ジョーにとって、怒っていないフランソワーズがそばにいれば後はどうでもいいのである。

そんな単純な男でもあった。


彼女を信用しきれていない思いは今も根底にある。不穏な思いは凍結こそすれ、溶けてなくなりはしないのだ。
たぶん一生。

フランソワーズがジョーのそんな心のなかを知っているのかわかっているのかどうかは謎である。
彼女が何をどう思いジョーを信じてくれているのかなどわかりようがないのだ。

ただ。

彼女がこうして自分を信じて一緒に居てくれる限りは。

 

一緒にいてもいいのだと――信じているジョーであった。

 


―おまけ―

 

「お店……?……なんのことだっけ?」

ぽかんとしたジョーを見て、フランソワーズの機嫌は一気にマイナスに向かった。

「あ。酷いっ。自分から言ったくせに全部忘れるなんてっ」
「え。僕、何か言ったかな」
「外に食事に行こうって言ったじゃない。何よ、自分からデートに誘っておいて」
「デート?」

そんなの誘ったかなとジョーの眉間に皺が寄ったところで、その眉間にフランソワーズのパンチが炸裂した。

「いって」
「ばかっ」

ジョーのばかもう信じられないっというフランソワーズにただぽかんとするジョー。
互いにびしょびしょの服を着替えもせず、けんかの第二ラウンドは始まった。

 

ギルモア邸の日常は日々こうして過ぎてゆくのだった。


END

 

2013/12/23 拍手ページ掲載(カウンター500.000Hit記念)