「猛暑」

 

 

 

今年の夏はいつにも増して暑い。決して気のせいではない。
天気予報では既に猛暑日の連続新記録を達成したと嬉しそうに言っていた。だから絶対に気のせいではない。
その証拠にほら見てみろ。アスファルトで目玉焼きが作れそうだ。まだ作ったことはないが。
じかに道路に卵を落とすという行為に若干の抵抗があるから実行に移せないだけで、やったらきっとできるだろう。
そうだ、だったら道路ではなく例えば車のボンネットならどうだろう。オイルでよく拭いてからならきっと大丈夫なはずだ。よし、明日も猛暑日なら今度こそ実行してみよう。

僕は残暑厳しい外の景色をぼんやり眺めながらそんなどうでもいいことを考えていた。

実際、そうでなければやってられない。
この暑さを遣り過ごすには、この部屋のエアコンが醸し出す冷風では全く足りないのだ。
まったくギルモア邸の空調の利きの悪さには閉口する。

否、きっとそこそこ利いてはいるのだろう。問題なのはおそらく僕自身だ。

そう、まったくもって暑い。熱い。暑い。熱い。

暑いったらない。


「ジョー。湯気が出てるわよ?」
「うるさい、ほっとけ」
「ま。いったいどこで覚えたのかしらそんな言葉」

フランソワーズが大げさに驚いてみせる。口を小さく開けて、更にそれを開いた手のひらで隠すようにして。
ついでに瞳も丸くなっていて、なんていうかその――カワイイ。
が、僕は一瞬で捉えた視界のそれらから自分の目を引き剥がし、再び外を見た。
車はきっと灼熱だろう。帰るとすれば置いていくしかない。

僕はいらいらと足を揺らした。

「ジョー。貧乏揺すりなんて珍しいのね?」
「ふん」
「貧乏になるから気をつけたまえって言ってたのはどこのどなただったかしら」
「うるさい、ほっとけ」
「ま。こわーい」


ああもう、うるさい。

ただでさえ熱いというのに、フランソワーズは更にその熱を高くする。

これはわざとか?

わざとだろう、絶対だ。


「――フランソワーズ」
「なあに?」
「……なんでもない」


ちっくしょう。

くすくす笑うフランソワーズにもいらいらする。

そう、いま僕がこうして熱くて暑くていらいらしているその原因の一端はフランソワーズなのだ。
隣に座って涼しい顔をしているけれど。自分はなんにも関係ありませんって顔をしているけれど。でも絶対そうなのだ。そしてそれを指摘してやろうと何度か口を開いたものの、僕はなかなかそう言うことができずにいた。
一連のそれが面白いのだろう、フランソワーズはさっきからくすくす笑い通しである。


「ジョー。コーヒーのおかわりは?」
「要らない」
「クッキーは?」
「要らない」
「ちゅーは?」
「要らない」


……あれ?


「いま何て言った?」
「何も言ってないわよ?」


……くそっ。


僕はフランソワーズの顔をじっと見た。それこそ、穴が開くくらい。
いつもならフランソワーズが根負けして頬を赤らめ、そんなに見ないでと恥ずかしそうに言う。

が、今日はどうもいけない。

フランソワーズは平然と僕に見つめられるままなのだ。

だめだろう、これは。
僕から先に視線を外すなどあってはならない。

なのに。

ちっくしょう。


僕はフランソワーズがこちらをじっと見返してくるのを感じ、さりげなく視線を炎天下の外に向けた。
窓に反射する白い光。眩しいったらない。海辺に家なんて建てるもんじゃない。海面は鏡のようだ。
僕は少し目を細めたものの、そのまま外を見続けた。
別に好きで見ているわけじゃない。今度はフランソワーズが僕の顔を穴が開くほど注視しているのだ。
迂闊にそちらを見たら僕の負けだろう。そんなわけにはいかないのだ。
が、一分もすると負けてもいいかなと思い始めた。なにしろ今や視界には緑色の点々が明滅しているのだ。
サイボーグなら明反応もさっさと済ませてくれればいいのに精巧な機械というのも実にやっかいだ。


「ふふっ」


なんだ。なにがおかしい。
大体きみはさっきからちょっと変だぞ、自分でわかっているのかどうか知らないが。
何がおかしくてひとの顔をじっと見る。何が楽しくてさっきからくすくす可愛く笑ってる。
言っておくが、僕はまったくもって全然楽しくも嬉しくもないんだぞ。
なにしろ暑いし熱いし、熱いし暑い。


「ジョーったら。彼はからかっただけじゃない。本気じゃないってわかっているくせに」


そう思っているのはきみだけだ。まったくもってきみは何にもわかっちゃいない。


「大体、ジョーのお友達でしょう。戦場カメラマンの彼」


確かに友人だ。だからさっきまでここで三人できみが淹れたコーヒーを飲みながら、奴の話なんか聞いたりしていたんだ。が、それもアイツがきみを口説き始めるまでの事だ。相手にしないと高をくくっていたら、普通に反応するから驚いた。

何が「まぁ嬉しいわ。本当に連れていってくれるの」だ。一緒に食事に行くなどダメに決まってるだろう。

なぜ断らない?

奴のジョークに可愛く笑うのだってダメだ。いくら社交辞令でもだ。実際、奴は本気にして上機嫌で帰っていった。

僕ときたら、この暑さのなか熱くて熱くてとても帰るどころじゃないというのに。


「今度三人で――」
「いやだ、行かない」
「あら、まだ何も言ってないのに」
「うるさい、黙ってろ」
「ま。乱暴ね」
「うるさい、ほっとけ」
「急に不機嫌になっておかしなジョー」


ああもう、本当にうるさい。


「妬いてるんだ、悪いかっ」

 

 

 

あ。

 

 

 

いやこれはそうじゃなくてだな、ええとその――

 

 

だから。

くすくす可愛く笑うな。

 

これは全部、暑さのせいだからな。猛暑日で暑くて熱くて、アスファルトで目玉焼きが作れそうなくらい熱くて暑いから、だから――

 

だから。

 

本音がこぼれても、聞こえなかったことにしてくれ。