赤い華と青い華
「あら、電話よ。フランソワーズ」 由緒ある教会の建物にはやや不似合いな、携帯電話の現代的な電子音が突如鳴り響き、控え室でフランソワーズと談笑していた友人達は、『じゃあまた後で』と目配せをし、部屋から出て行った。 「えっ、何ですって?」 思わず眼と耳のスイッチを入れそうになってしまった彼女は、普段の生活では『能力』は使わないと決めたはずなのに…と苦笑してふるふると頭を振り、窓の外に視線を投げる。
小さいけれど歴史ある、厳かな雰囲気を湛えたこの教会で、もうじき若い恋人達の結婚式が行われようとしていた時のことだ。 「ごめんなさい。架線事故で電車がストップしちゃったの。どうしよう…お式で使う大事なもの預かってるのに…」 電話口の友人の声はおろおろとして、殆ど泣き声に近い。 「ううん、いいのよ、そんなこと気にしないで。遅れてもいいから必ず来てね、待ってるわ」 ごめんね、ごめんねと謝り続ける友人をどうにか宥め落ち着かせると、努めて明るい声で電話を切る。 「ジョー…」 溜息と共に、意識せずとも彼の名が口をついて出る。
次の瞬間、足音が近づいて来たかと思うと、ノックもなく騒々しくばたんと扉が開き、フランソワーズは飛び上がらんばかりに驚いた。 「どうしたんだい?」 彼の言葉に振り返ったフランソワーズの、ネイルと同じ淡いピンク色の可憐な唇が、再び彼の名を呼んだ。 「ジョー…」 上質なグレーのチャペルモーニングを身に纏っている彼は、コートの裾をはためかせて急ぎ足で彼女に近づく。 「今、僕のこと呼んだよね?」 「えっ」 フランソワーズが何に驚いているのかなど全く気がついていない様子で、彼は、ぽかんとしている彼女の顔を心配そうに覗き込んだ。 「いや、気のせいだったらいいんだけど。どうも君に呼ばれたような気がして」 そう言いながら彼はベストのボタンを留める。どうやらまだ身支度の途中だったらしく、タイも結ばれていないし、明るい栗色の髪には見事に寝癖がついたままだ。 「あのね、友達が乗ってる電車が架線事故で止まっちゃったの。復旧はいつになるかわからないって…。彼女、サムシング・ニューとサムシング・ブルーを持って来てくれることになってたから、それで…」 「へっ?サムシング、何だって?」 日本人であるジョーには馴染みが薄いかもしれないが、ヨーロッパでは花嫁が結婚式で身につけていると幸せになれると昔から言われている、サムシング・フォー。 サムシング・オールドは、亡き母の形見のネックレス。 だが、その友人が乗った電車が運悪く架線事故に遭ってしまい、どうやら式には間に合いそうにないことを彼女は手短に説明する。 「何だ、そんなことか」 「そ、そんなことって!あたしにとって、サムシング・フォーは…」 半ば呆れた顔をしているジョーに対し、フランソワーズは相変わらず乙女心がわからない人なんだから、と心の中でむくれる。 「僕はまたてっきり、君に何かあったんじゃないかと思って。ああよかったよ、何ともなくて」 そう言って、安心したようにほうと溜息をつく。つまり、彼はフランソワーズのことが心配で、他のことが眼に入らないだけなのだ。 「サムシング・フォー、だっけ?別になくてもいいじゃないか。縁起ものなんだろ?要は気持ちの問題なんだし」 「う、うん…。まあ、そりゃ、なくても…いい、けど…」 もちろん、なくても結婚式は挙げられる。式の進行にも支障はない。 ジョーは、消え入りそうな声で呟いた淡いピンク色の唇を、小刻みに震える伏せられてしまった長い睫毛を、じっと見つめた。 「そんなもの、別になくても…」 そして、死にそうに恥ずかしいが、ここは彼女のためと普段口にしない台詞を耳元で囁く。
「なくてもいいだろう?俺が幸せにしてやるから」
「!!」
驚いて顔を上げた彼女の蒼い瞳に映るものは、甘い言葉とは正反対の仏頂面。眉間にはご丁寧に皺まで寄っているが、頬はしっかりと朱に染まっている。 「あ、やっと笑った」 微笑みを取り戻した彼女を見て、ジョーはようやく満足そうに唇の端を上げる。 「きゃっ!な、何するの!」 突然のことに、当然フランソワーズは抗議の悲鳴を上げた。 「サムシング・ブルーなら、ここにあるじゃないか」 「あっ…」 大きく肌蹴られた白い胸には、小さな青い華が咲いていた。二日前の夜、ジョーがつけた所有の証である刻印が時間を経て赤から青へと変化していたのだ。 「きゃ…」 ちくりと僅かな痛みが走り、唇が離れた時には…青い刻印の横に、真新しい赤い刻印が並んでいた。 「うん。サムシング・ニューは、これでいいね」 瞳を輝かせ、我ながらうまいことを思いついたとでも言いたげな悪戯な笑顔を、フランソワーズはわざと不機嫌そうに嗜める。 「も、もうっ!ジョーの馬鹿!教会でこんなことして、神様の罰が当たっても知らないんだから!」 だが、彼女が本気で怒っていないことなど百も承知のジョーは、余裕だった。
不器用で、日頃から自分の思いを表すことが下手な彼なのに、今の行動といいこの言葉といい、今日は何故こんなにも大胆なのだろう。 「さ、皆がお待ちかねだよ。君のドレス姿、すごく楽しみにしてるんだから早く見せてやってくれないかな。ギルモア博士なんて、こんな日が来るなんて夢のまた夢だったとか言って、式も始まらないのに涙ぐんじゃってさ。ジェットとグレートはもう出来上がっちゃっててうるさいし、ジャン兄さんにはやたらと絡まれるし…はは、参ったよ」 既に扉へ向かっていたジョーが振り向き、先ほど新郎の控え室で起こったであろう出来事を思い出したのか、朗らかに笑いながらフランソワーズに手を差し伸べる。
「行こうか」 「ええ」
彼女は頷き、優しく温かな笑みと共に差し出された大きな手をそっと取った。
形なんか関係ない。だって、自分達の出逢いこそ幸せな形ではなかったもの。 「ありがとう、ジョー」 フランソワーズも微笑みを返しながら、この先永遠とも思われる時間を一緒に過ごす伴侶の手を宝物のようにしっかりと握る。 Fin.
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さよこさん、本当にありがとうございました。
オマケをつけてしまいました
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