「恋するチョコレート」
ある日ジョーが帰宅すると、テーブルに五センチ四方くらいの正方形の箱が置いてあった。
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このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう
「……って、ホントかしら」
巷で噂の「必ず恋が叶うチョコレート」。雑誌やテレビで取り上げられたことはなく、クチコミで噂が広がった。 「未来永劫……ね」 シニカルな笑みを浮かべ、フランソワーズは傍らの注意書きに目を遣った。
「今の時期にそれは無理よね」 思わず出た独り言に、隣にいた女性が同意したので互いに顔を見合わせて笑ってしまった。 フランソワーズはそう思った。
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うっかり置きっ放しにしていたのが悪いのか。 フランソワーズは「必ず恋が叶うチョコレート」の蓋を開け、さてどうしたものかと考え込んだ。 誰かが食べた それ以外考えられなかった。そして いま邸内にいるのは誰なのか それが問題である。 残るは…… ジョーである。
そこまで考えて、フランソワーズは思わず声を出していた。胸の奥が大きく脈打った。ような気がした。 「え……まさか」
このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう
もちろん、ジョーに食べさせるつもりではあった。そのつもりで買ってきたのだ。 どうせネタだろう、そんな効能なんてないただのチョコレートに決まってる。 だったらなぜこんなチョコレートを買ってきたのかという疑問が残る。 そんな考えも無かったとはいえない。
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箱のなかにはみっつのチョコレート。 残りみっつ。
ということは。 このチョコレートはよっつ全部食べないとダメなのではなかろうか。
まだジョーが食べたとは限らない。 もしかしたら、イワンが食べたのかもしれないし博士かもしれない。 フランソワーズは箱に蓋をするとぎゅっと胸に抱き締め、自室に戻ろうと身を翻した。
「……何してるんだい?」 そう言う彼の目はフランソワーズが抱えている箱に釘付けである。 「べ、別に?」 頬が引きつるのを自覚しつつ、笑顔を作った。いつもの笑顔よりおそらく相当変である。そして今相対しているひとは、そういう「ちょっと変」なのを放っておいてくれない人であった。 「フランソワーズ、どうかした?」 何よそれ! 「いつもと変わらないわよ?」 ジョーの視線が箱に釘付けなので、フランソワーズはそれを背に隠すこともできない。あまりに不自然である。 「それ、何?」 やっぱり食べたのはジョーなのか。 「え。いやあ……」 ジョーがあさっての方を見た。 確信した。 食べたのは、やっぱりジョーだ。
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「だめでしょう、ひとのものを勝手に食べたら!」 何度言ったらわかるの、と柳眉を逆立てるが 「知らなかったんだよ、フランソワーズのだって。それに腹減ってたし」 まるで自慢するように胸を張られ、フランソワーズは脱力した。そういう問題ではないのだ。 「……大事なチョコレートだったのよ」 この時期にわざわざ高そうなチョコレートを買ってくるのがどういうことなのか、ジョーがわからないはずはない。 「そのチョコレート、苦くて不味かったよ?」 店で味見せずに買ったから、フランソワーズはこのチョコレートがどんな味なのか全く知らなかった。ただ、よっつ入っているから全部違う味なんだろうなと漠然と思っていたくらいである。 「あんまり美味しいって言えないから、……誰かにあげるのはやめたほうがいい……かも……」 徐々にジョーの声が小さくなっていき、最後には瞳も前髪の奥に隠れてしまった。 「そう。あげたら嫌われちゃうかしら」 ジョーは甘いチョコレートが好きなのだ。 「だったら、自分用にするわ」 全部食べちゃえと言って、チョコレートを摘む。と、すっと手が伸びてジョーがそれを掠め取った。 「だったら食べてもいいよね?」 ダメ。 チョコレートのせいでジョーが自分をそう思うようになるのは、やっぱりイヤだった。 ジョーはあっけなくそれを口に放り込んだ。 「――ん。さっきと味が違うよフランソワーズ。甘い」 もうどうにでもなれ。 箱のなかにはあとふたつ残っている。 「……いいわよ。全部あげる。お腹すいてるんでしょ?」 ジョーは箱の蓋の内側を指差した。 「……書いてあるから」 そこにはなんと、
このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう
という文句が書いてあった。
フランソワーズの頬が熱くなった。 「あ、ジョー、これはっ……」 違うのそうじゃないの、と言いかけてはっとした。
つまり これ以上チョコレートを食べた結果、未来永劫フランソワーズのことだけ考えるようになったら困る。そういう意味だ。 と、いうことは。
だからフランソワーズは小さく頷くだけにした。 なんだ。
困るだろ。
やば。 と、聞こえたような気がした。 「あの、ジョー?」 嘘ばっかり。この場でどうしてこれしか言えないのだろうか。 「そう――じゃあ、いいわ。残りのふたつ、綺麗にラッピングし直して誰かにあげることにするから」 掴んだ手を離したら、即座に違う時間軸に消えてしまいそうな風情のジョーである。 フランソワーズは深呼吸した。 まだバレンタインデーじゃないけれど。
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結局、残りのふたつもジョーが食べた。 そして鼻血を出した。 どうやら相当のカフェインが入っていたらしい。(と、後日店のホームページにお詫びとして書いてあった) それだとしたら、見事成功したわけね――と、フランソワーズは思った。 隣に眠るジョーの顔を指先でなぞりながら。
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