「恋するチョコレート」

 

 

 

ある日ジョーが帰宅すると、テーブルに五センチ四方くらいの正方形の箱が置いてあった。
表にチョコレートと書いてあるから、中身はチョコレートなのだろう。
ちょうどお腹が空いていたので、ジョーは箱の蓋を開けてみた。
丸いチョコレートがよっつ入っていたので、ジョーは深く考えずひとつをひょいっと口に入れた。


「なんだこれ、……にがっ」


期待していた甘さは無く、ジョーは箱に蓋をすると何か飲むべくキッチンに向かった。

 


―1―

 

このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう

 

「……って、ホントかしら」


フランソワーズは首を傾げた。

巷で噂の「必ず恋が叶うチョコレート」。雑誌やテレビで取り上げられたことはなく、クチコミで噂が広がった。
どんなチョコレートかといえば、なんの変哲もないトリュフチョコレートである。
それを見た誰もがフランソワーズと同じように首を傾げた。

「未来永劫……ね」

シニカルな笑みを浮かべ、フランソワーズは傍らの注意書きに目を遣った。


ただし、相手がそれとわかって食べると効果は出ない。何も期待せず、邪気のない状態で食べさせること。

 

「今の時期にそれは無理よね」

思わず出た独り言に、隣にいた女性が同意したので互いに顔を見合わせて笑ってしまった。
バレンタインデー前である。当然、それ用にチョコレートを買うのだし、下心ありありの告白のわけだから、邪気のない様子なんて無理に決まっている。
だからきっと、ただのネタなのだろう。

フランソワーズはそう思った。
そして、まあネタなんだしと軽い気持ちでそのチョコレートを買ったのだった。

 


―2―

 

うっかり置きっ放しにしていたのが悪いのか。
そもそも、大事に胸に抱えて帰って来たのに「うっかり」するのが悪いのか。

フランソワーズは「必ず恋が叶うチョコレート」の蓋を開け、さてどうしたものかと考え込んだ。
よっつ入っているはずなのに、いっこ足りない。買った時は確かによっつ入っていたのだ。ちゃんと確認した。
それが今は無い――と、いうことは。

誰かが食べた

それ以外考えられなかった。そして

いま邸内にいるのは誰なのか

それが問題である。
いま邸内にいる。と、思われるのは、まず――博士とイワン。が、どちらも研究室に居るし、万が一このチョコレートを見つけたとしても勝手に食べたりはしないだろう。イワンはまだ赤ちゃんだし、博士は老人だ。そしてチョコレートなどのお菓子を食べることは医師から止められている。もちろん、どちらもこっそり食べることはしてもおかしくない。が、そんな危険を冒すとは思えない。何故なら、絶対フランソワーズにばれるからだ。彼女の持っている特性上、隠し事は無理なのだ。
そして、ばれた場合、最強のサイボーグなど比べ物にならないくらい恐ろしい存在となる。それが003であった。
だからきっと、イワンと博士ではない。と、なると。

残るは……

ジョーである。


「えっ」

そこまで考えて、フランソワーズは思わず声を出していた。胸の奥が大きく脈打った。ような気がした。

「え……まさか」

 

このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう

 

もちろん、ジョーに食べさせるつもりではあった。そのつもりで買ってきたのだ。
が、しかし。
心の準備はまだまだできていなかった。

どうせネタだろう、そんな効能なんてないただのチョコレートに決まってる。
そう信じていても心のどこかで、もしかしたらという思いはあった。
だから、本当にジョーに食べさせたいのか、食べて欲しいのか、自分自身考えあぐねていたのだ。
もしも――食べた結果、効果があったとしても。そんな魔法のような理由から未来永劫思って貰って自分は嬉しいのか。
ひとの気持ちを無理矢理こちらに向けさせて満足するのか。
答えは絶対的に否だった。

だったらなぜこんなチョコレートを買ってきたのかという疑問が残る。
もちろん、面白半分だ。
が。
もしもジョーがちょっとも自分のことなど思っていてくれていないのなら。ただの仲間としか思ってくれていないのなら。
だったら――チョコレートの魔法によって、こちらを向いて貰うのくらい、いいではないか。どうせ彼とは好むと好まざるとにかかわらず、未来永劫一緒にいなければならない運命なのだから。

そんな考えも無かったとはいえない。


「……どうしよう……」


フランソワーズはチョコレートをじっと見つめたまま途方に暮れていた。

 



―3―

 

箱のなかにはみっつのチョコレート。
よっつ入っていて、残っているのはみっつ。ひとつ食べられたからだ。誰かに。

残りみっつ。


「あ、」


そうよ、そうだわとフランソワーズは顔を上げた。
このチョコレートの効能は「どれかひとつでも食べたら」などとは書かれていなかった。
しかも、店にはよっつ入りしか売ってなかったのである。

ということは。

このチョコレートはよっつ全部食べないとダメなのではなかろうか。
ひとつ食べたくらいじゃ何も変わらない――のでは、ないだろうか。


「そうよ!そうだわ!」


大丈夫だいじょうぶ……と、ほっと胸を撫で下ろした。
それに。

まだジョーが食べたとは限らない。
確定したわけではない。

もしかしたら、イワンが食べたのかもしれないし博士かもしれない。
だったら――何も問題がないはずである。どちらも互いに恋愛対象ではないのだし。未来永劫、お互いを大事に思っていたってそれは構わない。当然のことに思うし。

フランソワーズは箱に蓋をするとぎゅっと胸に抱き締め、自室に戻ろうと身を翻した。
ともかくこれはここに置いていてはいけない。
それこそ、誰かに――ジョーにみつかったら大変だ。絶対、ひとつくれとうるさい。


「あれ、フランソワーズ?」


ジョーのことを考えたせいなのか、まるで呼ばれたから来ました――という風に、ジョーが現れた。

「……何してるんだい?」

そう言う彼の目はフランソワーズが抱えている箱に釘付けである。

「べ、別に?」

頬が引きつるのを自覚しつつ、笑顔を作った。いつもの笑顔よりおそらく相当変である。そして今相対しているひとは、そういう「ちょっと変」なのを放っておいてくれない人であった。

「フランソワーズ、どうかした?」
「え。何が」
「何かたくらんでいるような顔に見える」

何よそれ!

「いつもと変わらないわよ?」
「うーん……でもいつもは何かたくらんだような顔してないよね」

ジョーの視線が箱に釘付けなので、フランソワーズはそれを背に隠すこともできない。あまりに不自然である。
そして、当然の如くジョーは質問してきた。

「それ、何?」
「別に。なんでもないわ」
「さっきまでここに置いてあったよね」
「……なんで知ってるの」

やっぱり食べたのはジョーなのか。

「え。いやあ……」

ジョーがあさっての方を見た。

確信した。

食べたのは、やっぱりジョーだ。

 


―4―

 

「だめでしょう、ひとのものを勝手に食べたら!」

何度言ったらわかるの、と柳眉を逆立てるが

「知らなかったんだよ、フランソワーズのだって。それに腹減ってたし」
「だからって」
「あ、でも一個しか食べてないよ?」

まるで自慢するように胸を張られ、フランソワーズは脱力した。そういう問題ではないのだ。
が、果たしてジョーに通じるかどうか。

「……大事なチョコレートだったのよ」
「ふうん……」

この時期にわざわざ高そうなチョコレートを買ってくるのがどういうことなのか、ジョーがわからないはずはない。
まさにイベント渦中の日本人なのだから。
ジョーはちょっと頭を掻くと、でもさと言葉を続けた。

「そのチョコレート、苦くて不味かったよ?」
「えっ」

店で味見せずに買ったから、フランソワーズはこのチョコレートがどんな味なのか全く知らなかった。ただ、よっつ入っているから全部違う味なんだろうなと漠然と思っていたくらいである。

「あんまり美味しいって言えないから、……誰かにあげるのはやめたほうがいい……かも……」

徐々にジョーの声が小さくなっていき、最後には瞳も前髪の奥に隠れてしまった。

「そう。あげたら嫌われちゃうかしら」
「ウン……たぶん……」

ジョーは甘いチョコレートが好きなのだ。
フランソワーズはあーあと言うと箱をテーブルに置いた。蓋を取る。

「だったら、自分用にするわ」

全部食べちゃえと言って、チョコレートを摘む。と、すっと手が伸びてジョーがそれを掠め取った。

「だったら食べてもいいよね?」
「え?だって、苦くて不味かったんでしょ?」
「ウン。まぁ、そうなんだけど……」
「あ、ちょっと待って」

ダメ。
だってそのチョコレートは。
邪気のない状態で食べたら、未来永劫あなただけを思うようになる――って。

チョコレートのせいでジョーが自分をそう思うようになるのは、やっぱりイヤだった。
だから、ジョーの手からチョコレートを取り戻そうとしたのだけれど。

ジョーはあっけなくそれを口に放り込んだ。

「――ん。さっきと味が違うよフランソワーズ。甘い」
「そう……良かったわ、ね」

もうどうにでもなれ。
大体、今日はまだバレンタインデーじゃないし。なのにどうしてジョーが私からのチョコレートを食べているのよっ。

箱のなかにはあとふたつ残っている。
が、ジョーは手を出そうとしなかった。さすがに遠慮しているのか。

「……いいわよ。全部あげる。お腹すいてるんでしょ?」
「ウン。でも、もういいや」
「あらそう」
「鼻血出たら困るし」
「そう簡単に出ないでしょ」
「ウン。でもさ。……これ以上、困る。かも……」
「あら。やっぱり不味かったの?」
「いや。そうじゃなくて」

ジョーは箱の蓋の内側を指差した。

「……書いてあるから」

そこにはなんと、

 

このチョコレートを食べた者は未来永劫あなたの事しか考えないであろう

 

という文句が書いてあった。


「!!」

フランソワーズの頬が熱くなった。
知らなかった。箱にそんなことが書いてあるなんて。知らずにバレンタインデー当日に渡してしまう女子はきっと多いだろう。その場合、かなり気まずくないだろうか。

「あ、ジョー、これはっ……」

違うのそうじゃないの、と言いかけてはっとした。
そうだ。
ジョーは何て言った?


困る。


そう、言ったのだ。

つまり

これ以上チョコレートを食べた結果、未来永劫フランソワーズのことだけ考えるようになったら困る。そういう意味だ。

と、いうことは。


「あ……」


――そういうことなのだ。


「……わかっただろ?」


何も言えない。

だからフランソワーズは小さく頷くだけにした。

なんだ。
チョコレートの効能云々なんて小さい問題だった。
何も――全く、ジョーには関係のない話だったのだ。自分のことを恋愛対象になんてそもそも見ていない。
なのにチョコレートを買って、なんだかわくわくしてしまった自分が恥ずかしい。こんなチョコレート、捨ててしまえ。


「ただでさえそうなのに……さすがにこれ以上っていうのは、」

困るだろ。


ん?


ただでさえそうなのに?


フランソワーズが顔を上げると、不意打ちだったのか前髪の奥に隠れていたジョーがじっとこちらを見ているのをみつけた。


「あ。」

やば。

と、聞こえたような気がした。
咄嗟にジョーの手首を掴む。

「あの、ジョー?」
「う、ウン?」
「あの、今のって……」
「え。何も言ってないよ?」

嘘ばっかり。この場でどうしてこれしか言えないのだろうか。

「そう――じゃあ、いいわ。残りのふたつ、綺麗にラッピングし直して誰かにあげることにするから」
「え。ダメだよそれはダメだフランソワーズ」
「あらどうして?」
「それは……」
「じゃあ、ジョーが食べて」
「それは困る」
「どうして?」
「……それはっ……」

掴んだ手を離したら、即座に違う時間軸に消えてしまいそうな風情のジョーである。

フランソワーズは深呼吸した。

まだバレンタインデーじゃないけれど。
でも。
ここ日本では、その日愛の告白をするのは女の子のほうって決まっているから。


「誰かにあげるなんて嘘よ。元々ジョーに渡そうと思ってたのよ、このチョコレート」


だって、ずうっと思っていて欲しいから――

 

 

 

結局、残りのふたつもジョーが食べた。

そして鼻血を出した。

どうやら相当のカフェインが入っていたらしい。(と、後日店のホームページにお詫びとして書いてあった)
一種の媚薬効果なのだろうか。

それだとしたら、見事成功したわけね――と、フランソワーズは思った。

隣に眠るジョーの顔を指先でなぞりながら。

 

続きはオトナ部屋

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