「雨降りの桜」
お花見をしよう。と決めたその日の朝は雨だった。
テレビの情報によると「2月下旬の気候」だそうだ。
ジョーはリビングの窓から空を眺め、ため息をついた。
ともかく寒そうである。
「――花見どころじゃないな」
中止かもしくは延期かなとぼんやり考えた。
延期といっても花が保つのかどうか、甚だ自信が無い。
気温が低いから早々散ってしまうということはないだろうけれども。
楽しみねと笑っていたフランソワーズの顔が浮かぶ。
中止か延期か――やはり、延期。かな。
うん。延期だ延期と口のなかで言いながらリビングを出たところでフランソワーズに出会った。
「おはよう、ジョー」
「おはよう。雨だよ」
「ええ。きっと寒いわね。暖かくして行かないと」
「ああそうだな――えっ?」
「あら、何驚いてるの。……まさか忘れてたの?今日のお花見」
「いや、覚えてるよ。そうじゃなくて、だから雨だよって……」
「雨が降ったらお花見ってしちゃいけないの?」
「いやそんなことはないけど、でも寒いよ?」
「だから暖かくして行きましょう、って」
中止でも延期でもなかった。フランソワーズは行く気満々なのだ。
――さすがだな。
何が「さすが」なのかよくわからなかったが、ジョーにはそれしか言えなかった。
でも声に出して言ってしまうとおそらくフランソワーズも「何がさすがなの?」としつこく訊くだろうから黙っておく。
「ふふ。雨降りのお花見って、初めてよね?どんな風に見えるのかしら」
「どんな、って――」
桜は桜だろう?
「もう。ジョーったらそんな顔しないの。あなたが雨を嫌いなの知ってるけど、でもね。一緒なら大丈夫でしょ?」
「う…ん」
たぶん。
「きっと空いてるわ。宴会するようなひともいないでしょうし。案外、穴場かもしれないわ」
「……楽しそうだね、フランソワーズ」
「ええ。だってジョーと一緒に行くんだもの」
「……」
我ながら簡単な男だなと思った。フランソワーズにそう言われただけで、もうすっかり行く気になっている。
「しかも初めて見るのよ。雨が降っている時の桜」
ふつうは雨が降ったら花見は中止だからな。
「二人とも初めてっていうのがいいのよ」
「……そうなのか」
「そうよ。だって、一緒に思い出すでしょう。いつか」
あの時見た桜は雨のなかだったね、って――
いつどのようなシチュエーションでそう思い返すのだろうか。
この一瞬、ジョーは遠い未来を垣間見た気がした。
おそらく自分はひとりだろう。
そんな気がした。
「ジョー?」
ふと我に返った。
「どうしたの?ぼんやりして」
「うん……別に」
ひとりぼっちの未来。
結局、生き残るのは全身が機械の自分なのだろう。
でもそんなことはフランソワーズに言えなかったから、ジョーは笑顔を作った。
「なんでもないよ。さ、行くなら準備して早く行こう」
「あら、急に楽しみになったの?」
「そんなんじゃないよ」
くすくす笑うフランソワーズ。その声が心地良くて、とってつけたようだったジョーの笑顔は本物に変わっていった。
「上着を取ってくる」
そう言って向けた背にフランソワーズの声がぶつかった。
「ジョー。いつか思い出す時もふたり一緒よ」
見透かされていた。
雨のなかで見る桜はどんな桜なのだろう。
いつかきっと思い出す時のために今日はそれを確かめに行く。
ふたり一緒に。