「僕のために」

 

 

24日の誕生日は一緒に祝おう――そう言ったのは僕だった。
彼女は公演が近く、パリでレッスンに励んでいた。
僕は開幕戦の準備に入るため、連日打ち合わせの日々が続いていた。日本で。

そんなわけで、僕と彼女は離れてからしばらく会っていなかった。
だから、仕事とはいえイタリアへ行くことになり、僕は内心大喜びだった。
早く仕事をすませてしまえばフランソワーズに会える。
もちろん、フランスとイタリアがとても近いというわけではない。が、それでも日本と比べたら近いのだ。

電話の向こうの彼女は僕の言葉に一瞬黙り、そして――まあ。嬉しいわ、ジョー!本当に?とはしゃいだ声をあげた。だから僕は、ああ彼女もやっぱり僕に会いたいんだと思い安心したのだったけれど、続く彼女の声に気分は一気に下降した。

「――でも、ごめんなさい。先約があるの」
「先約?」
「ええ。レッスンのあと、みんながお祝いしてくれることになってて、それで・・・」
「――そうか」

会えないのか。

「・・・ジョー?」

心配そうな声が響く。心配しなくても僕は大丈夫だよフランソワーズ。
会えないからといって、君が他の誰かと実は個人的に会うつもりなのではないかなんて変なヤキモチをやいたりはしない。
ただ、君に会えないのが残念で――それだけだった。

「ん、でも、レッスンの後だし軽い内輪のものだから、そんなに遅くはならないわ」
「・・・遅くはならない?」
「そうよ。だから、その後・・・」
「フランソワーズ。それって、僕が君を待っていることが前提の話だよね?」
「ええ、そうだけど・・・?」
「どうして僕が待っていると思うんだい?」
「・・・どうして、ってそれは」

彼女は約束した順番を守っているだけだ――とはわかっていても、それでも、僕を優先してくれないことに妙に苛立った。だって、恋人が誕生日を一緒に祝うって言ってるんだぜ?それがどうしてバレエの仲間になんか負けるんだ。信じられない。彼女にとって、僕はそんな存在なのか――

「・・・・・・・・そんなの、ひどいわジョー」
「ひどいって何が」
「だって、・・・・・・・・・待っていてもくれないの?」

私だって会いたいのに。――と、電話越しに小さく聞こえる恋人の声。

「だったら、僕を優先してくれてもいいじゃないか」
「そんなわけにいかないわ。わかってるくせに」
「ふん。本当は誰かと個人的に会うつもりなんじゃないのか。バレエの仲間なんて嘘なんだろう」
「ジョー!!ひどいわ、なんてこと言うの」

そう、僕はひどい奴だ。君が絡むとこんなに簡単に「ひどい奴」にもなれてしまう。

「そんなわけないでしょう?――ジョーのために途中で抜けるなんて無理よ。主役のいない誕生日会なんて変だもの」

僕のために途中で抜ける。

僕のために。

なんて甘美な響きなんだ。

「・・・だったら、ジョーも一緒に来る?そうしたら一緒にいられるし、私もみんなに申し訳ない思いをしなくてすむわ」
「なるほど。それもいいな」
「良かった。じゃあ、あとで場所をファックスするわね」
「ああ。時間も書いておいてくれ」
「わかったわ」

明らかにほっとしたようなフランソワーズの声。もしも彼女がいま僕の考えていることがわかったら、いったい何て言うのだろう?
そう考えると何だか楽しくなってきた。

「・・・ジョー?」
「ん、なに?」
「・・・あの、」

忙しいのに、ありがとう――と小さく言われた。

でもフランソワーズ。そんなに簡単にその言葉を口にしてしまっていいのかい?

「――じゃあ、24日」
「ええ。楽しみだわ」

 

***

 

***

 

それでどうなったのか・・・と、いうと。
もちろん、僕は大人しく彼女のお誕生会にお呼ばれしていた。
貸切のカフェで立食形式のパーティ仕立てだった。
出席者にひととおり飲み物が行き渡り、フランソワーズが誰彼に僕を紹介して回り、それもひと段落したあと。
フランソワーズの前に巨大なケーキが運ばれてきた。照明が落とされ、ケーキの上のろうそくの炎だけが彼女を照らし出す。大きく息をすって、そして吐いて。
一息で吹き消されたろうそくの火。暗闇のなかに拍手が沸き起こる。そして照明がついて中央にいるはずのフランソワーズの姿が浮かぶ――はずだった。

「あれ?フランソワーズは?」

彼女はそこにはいない。
なぜなら、いまカフェの外にいるからだ。

「ジョー!何するの、降ろしてっ」

僕は暴れるフランソワーズを胸に抱き上げたまま無言でカフェの中を見つめた。
ガラス張りの店内は主役の不在に気付いてざわついているようだった。が、誰かがこちらを指差し、いっせいにみんなの目がガラスを隔てた僕達に集まった。

僕はみんなに向かって小さく手を振った。

――フランソワーズはもらってゆくよ。

「ジョー!」

それにしても、さっきからうるさいぞフランソワーズ。そんなに聞き分けのない子は・・・

両手で抱えた彼女の体。それを胸にきつく抱き締め、僕はフランソワーズの顔に顔を近づけた。

「んっ、だめよジョー、こんなところで」
みんなが見てるっ・・・

構わないさ、フランソワーズ。ここは日本じゃない。こんなのみんな――見慣れているだろう?

そうして僕は、フランソワーズの唇に唇を重ねた。
ただのキスなんかじゃなく、ちゃんとした――恋人同士のキス。

足をばたばたさせて暴れていたフランソワーズが大人しくなる。そうっと僕の首に腕を回し、自分から身体を摺り寄せてくる。

・・・フランソワーズ。

誕生日なんて本当はどうでもいいんだ。僕はただ君に会いたくて――誕生日というイベントにかこつけただけだったのだから。

「・・・ジョー」

唇を離すとため息のように僕の名を呼ぶ。僕はきみのその甘い声が好きだ。そしてその甘い声で呼ばれるのが好きだった。

「もう・・・しょうがないひと」
「いいだろう?きみはちゃんと誕生日会には出た。そして、途中で――僕のために抜けた」
「違うでしょ?あなたのために、じゃなくて、あなたのせいで、よ?」
「同じことだろう」
「違います。・・・もう。こんなのずるいわ。ただの人さらいじゃない」
「――ふうん?僕にはあの電話・・・」

さらってくれ、って聞こえたんだけど?

 

 

 

 

 

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