「渡せなかったチョコレート」

 

それは、今から数年前のこと。

 

2月。
私はメンテナンスのために冬の日本へやって来ていた。
少し念入りなメンテナンスになるということで、ギルモア研究所のゲストルームに二週間ほど滞在することになった。
慣れない日本。慣れない文化。
けれど、自分の中に言語翻訳機があるから日本の文化に触れることに不便はない。
それは素直にありがたいと思う。テレビでも雑誌でも難なく見られるから退屈せずにすむ。
博士には研究を進める時間も必要だったから、メンテナンスの時間以外は私はひとりで過ごしていた。
その日も、ぼうっとテレビを観ていたように思う。
すると、珍しい光景が目に入った。女の子がこぞってチョコレートを買っているのだ。しかも皆、一様にテンションが高く嬉しそうだ。

――特別に美味しいチョコレートなのかしら。

それならわかる。パリでも、新作のチョコレートが出ると噂になってみんな買いに行くから。
でも、テレビのなかのそれはそういうものとはちょっと違うようだった。
何故なら、女の子が妙なインタビューをされていたのだ。

『本命チョコですか?』
『はい、そうです』
『両思いですか、片思いですか』
『か、片思いなので・・・今年は頑張ろうと思って』
『うまくいくといいですね』

インタビューされている女の子は大切そうにチョコレートの箱を抱き締め、頬を染めて頷いた。

――チョコレートと片思いと何か関係があるのかしら。

そう思って続けてしばらく見ているうちに、なんとなくわかってきた。

日本のバレンタインデーというのは、女の子が男の子にチョコレートを贈る。それが、愛の告白に相当する。そういうことらしい。
フランスではそういうことはなくて、バレンタインデーというのは好きなひとに花を贈ったりするそういう日である。
だから、日本のこういう風習は素直に珍しいと思った。
それに、なんだか――可愛らしい。
女の子たちは、チョコレートを選ぶのにもとても真剣で、なかには自分で作る子もいるという気のいれようだ。
そんな風に思われて、嫌がる男の子なんてきっといないだろう。

そこまで思って、ふと――

――ジョーはどうなのかしら。

そう、思った。
ジョーは日本人だから、当然、チョコレートを贈る風習についても知っているだろう。もしかしたら、貰ったこともあるかもしれない。
――ううん。あるだろう、きっと。それもたくさん。

ジョーにチョコレートを贈る。
それはつまり、ジョーに愛の告白をするということになる。

愛の告白。

ジョーに。

・・・。

私はなんだか急にドキドキしてしまって、慌ててテレビを消した。
いったい何を考えているんだろう。ジョーに愛の告白だなんて。
そんなの突然すぎるし、大体ジョーは私のことなんてなんとも思っていないのだから、驚かせてしまう。
それに私はメンテナンスのために日本にいるのだ。
別に、ジョーに会いに来たわけじゃない。

ふと冷静になった。

そう。
ジョーに会いに来たわけじゃないのだ。
だから、ジョーは日本にいるのに――それも、ギルモア研究所からそれほど遠くはないところに住んでいるらしいのにもかかわらず、会っていない。
博士によると、普段はわりと研究所に姿を見せるけれど、ここのところは忙しいのか来ないという。
他のメンバーのメンテナンスの時は足繁くやって来るということだから、もしかしたら私は避けられているのかもしれない。

そのあたりは、深く考えると落ち込んでしまいそうだったから考えないようにしていた。

009。

島村ジョー。

F1パイロットの彼は、時々テレビで見かけていた。
今はシーズンオフだからずっと日本にいるみたいだけど、本当のところはどうなのか知らない。
別に連絡を取り合っているわけでもないし。それに、そういう間柄でもないし。
ジョーから連絡がくるのは、召集される時だけ。
平和な時に彼と会うなんてことはないのだ。

連絡のないほうが、世界は平和だった。