「あばたもえくぼ」
〜お題もの「恋にありがちな20の出来事」より〜
ジョーは優しい。 とても。 誰に対しても分け隔てがない。 その優しさは常に均等に分配されており、博愛と呼ばれるものなのかもしれない。 ジョーの長所は、誰にでも分け隔てなく優しいところ。 そして本人はそれを自覚していない。 全然、わかっていない。 わかっていないから――わかっていないということ自体が彼の短所となってしまう。 長所は角度を変えてみれば短所となりうる。 だから。 ジョーの優しさは――罪。 その罪をわかっていないこともまた、罪なのだ。 *** 「ねぇ、ジョー。最近、この部屋に女のひとが来たでしょう?」 と、いうことは、つまり。 ――ううん、そうでもないのかもしれない。 もしかしたら、私はただの「複数いるジョーの彼女のなかのひとり」にすぎないのかもしれない。 こんなものひとつのために、ジョーを疑ってしまう。そんな自分が悲しい。 そう、ちょっと手が滑ったふりをして。 だってこんな――知らない女の痕跡なんて、ここに残しておきたくない。 絶対に嫌だ。 そうしてジョーはカップから私に視線を向けた。 「気になる?」 口元に何か面白がっているような雰囲気がある。 「別にっ」 私はジョーから視線を逸らせた。 「コーヒーと紅茶、どっちがいいかしら」 私はコーヒーメーカーにセットするべくコーヒーの缶を手に取った。異様に軽かった。 「あらやだ。ジョーったら、補充してなかったのね」 そう――前回来た時にコーヒーが切れているのに気付いて、紅茶にしたのだった。 前回、来た時。 それは今からおよそ一ヶ月前の話。 「コーヒーを飲もうと思わなかったの?」 ということは、ここにあるカップについた口紅の持ち主は自分で紅茶を淹れてジョーと飲んだということになる。 そんなに頻繁に来ている女性なのだろうか。 「――なあに?手伝う気がないなら、あちらでお待ちください」 心臓が止まりそうになる。 「そんな都合のいいことを言ったって駄目よ。そういうセリフは他のひとに言って頂戴」 目の端にカップが映る。 口紅のついたカップ。 「ちゃんと後片付けをしてくれる彼女じゃないと駄目でしょう。証拠がこうして残っているもの」 今日、私がここに来るのを知っていて、わざとそのまま残しておいたっていうの? 今まで信じていたものが崩れていくようだった。 振り返ると、ジョーに向けて笑顔を作った。 ジョーの彼女は私――そう思っていたなんて、あまりにも滑稽で情けない。 「フランソワーズ、待て、って」 ジョーが手首を掴む。 「――ったく、何を誤解しているのか知らないけどさ。いい加減、気付くのが遅すぎると思わないかい?」 *** ジョーはばかだ。 私が知っている人間のなかで、一番のばか。金賞をあげたいくらい。 確かに、後片付けをする時間なんてなかった。だから私はそのままにして出てしまったのだけど。 もう。なんてばかなの。 あまりにばかばかしくて、泣けてくるわ。 「だってばかだもの」 本当に、あまりに少女趣味で笑っちゃうわ。 でも――そんな少女趣味なところも好きだなんて、きっと私もどうかしてる。
ジョーが博愛主義者だなんて意外な感じもするけれど。
一般的に「博愛主義」といえば美点に挙げられるから、これはジョーの長所といってもいいのだろう。
私はごくさりげなく言ってみる。
こんなのたいした事じゃないわ、ただ確認してみただけよ――という風に。
今日、ジョーの部屋に着いた。
お茶を淹れるわねと立ったキッチンにそれはあった。
口紅のついたカップ。
どうして洗ってないのかわからなかったけれど、たぶん、ただ単に面倒だっただけなのだろう。
ジョーももうちょっと相手を選べばいいのに。後片付けをちゃんとしてくれる彼女。そんなひとじゃないと駄目でしょう。こうして――私にばれてしまうのだから。
それとも、私に対する牽制だったりして。
わざと痕跡を残していくという女の業。当然、ジョーはそんなこと思いもしない。そういうことに敏感なひとなら、こうしてこのままカップを置きっ放しにはしていないだろう。
「――うん?来たよ」
リビングからジョーの声が聞こえてくる。
なんの屈託もない、ただ事実をそのまま認めるような。
わかっていないのか、あるいは――女性が部屋に来たという事実を私に隠す必要がないからなのか。
私のほうが――隠されるべき女?
――まさか。
だって私はジョーのチームみんなが知っている存在で、ジョーもそれを隠そうとはしていない。だから、ジョーの彼女は私で、ここにあるカップについた口紅の持ち主はジョーの彼女ではありえない――
こうして彼女面してキッチンに立ったりしているけれど、そんなのジョーにとっては迷惑以外の何者でもないのかもしれない。
口紅のついたカップが憎らしい。
割ってしまおうか。
そんな黒い思いに支配されて、震える指でカップを持ち上げようとした時、ジョーの声がした。
それも真後ろから。
「フランソワーズ。どうかした?」
私はカップから手を退けた。
「えっ?ううん、どうもしないわ」
「――そのカップ」
「えっ?」
「ああそうか。ずっとそのままにしていたから――」
「どっちでもいいよ。フランソワーズの飲みたいほうで」
「そう」
「うん。忘れてた」
「仕方のないひと」
その時からジョーはコーヒーを買っていないということになる。
「うん」
「じゃあ、紅茶を淹れてたの?」
「いや。缶コーヒーを買って」
「飲んでたの?呆れた」
「紅茶を淹れるのってメンドクサイし、僕には適温も適量もわからないからね」
――勝手知ったるキッチン。と、いうこと?
私はなるべくカップを見ないようにして、お湯を沸かす準備をした。
ジョーはなぜかにやにやしている。
「別にここで待っててもいいだろう?」
「邪魔です」
「フランソワーズを見ていたいだけさ」
「他のひと?」
「ええ。その――最近、ここに来たっていうひと」
「後片付けをする時間がなかったんだよ」
「だったらジョーが洗えばよかったでしょう。彼女が帰った後に」
「うーん。そうなんだけどさ。問題はそこなんだよね」
「そこって何よ」
「洗いたくなかったというか」
「洗いたくなかった?」
「うん。そのままにしておきたかったというか」
「そのまま・・・?」
信じられなかった。
だって――やっぱり本当は、「私のほうが隠されるべき彼女」だったなんて。
「・・・フランソワーズ?」
私は一瞬で覚悟を決めた。
「帰るわ」
「え?」
「お邪魔しました」
「え、ちょっと」
私は振り払う気力すらなくて、ただそのまま引き止められるに任せた。
「気付くって何が」
「きみが問題にしていたあのカップ。あれ・・・きみが使ったものなんだけど?」
だって、誰が思う?
一ヶ月前、私を空港に送る前に飲んだ紅茶のカップを、洗わずにそのまま放置していたなんて。
でもまさか、洗わずにいたなんて思ってもいなかった。
しかも洗わなかった理由が、私がいた痕跡を消したくなかったからだなんて。
ジョーのばか。
しかも、ジョーのほうが拗ねているっておかしいでしょう?
さっきからずうっとそっぽを向いている。
「ふん。ひとのことをばかばか言うからだ」
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