「キスだけが知ってる秘密」
〜きみの頬のように柔らかシフォン〜
「――あ、フランソワーズ。こっちこっち」 店内へ一歩足を踏み入れた途端、大きく手を振るジョーの姿が目に入った。周囲の視線などお構いなし。自分が目立つひとだということに全然気付いていない。自覚症状が欠落している。 小さく息をつくと、待っている彼の元へ歩を進めた。 ここはバレエ教室の正面にあるカフェ「Audrey」。 自覚症状の欠落した彼は、ロマンチックなケーキのネーミングにも全く動じず、平気でその言葉を口にする。 彼は私がテーブルに到着するのをいつも両手を広げて待っている。 「――ん。今日も綺麗だ」 そうして頬にちゅっとキスをして、やっと解放してくれる。 それをそばで複雑そうな顔をして見ているのは大地くん。萌子さんに至っては、いつもニヤニヤ嬉しそうにしている。 「今日は何にしますか、フラ」 明るく言いながらも大地くんを見つめる瞳は笑ってない。 「きみは何回言ったら覚えるのかな」 頬が熱くなる。 けれども大地くんはきょとんとしたままだった。 ああもう、大地くんっ・・・あなたはどうしていつもそうなのっ・・・。 「――まぁ、いつも風味しか残ってないけどね」 にやにや笑いを浮かべるジョーの顔を見られず、私はもじもじと手元に視線を落とした。 「風味だけっすか?」 ああ、大地くん。どうしてそこで絶妙な質問をするのっ。 「そう。風味だけなんだよ、いつも」 言葉を切るけれども遅かった。 「だろう?だけど、二人でいっぺんに食べると舌の上ですぐ溶けちゃって風味しか残らないんだよなぁ」 ねっ?フランソワーズ?という声には答えず、私はちらりと大地くんに目を遣った。 「――そういうわけだから、新作のケーキをふたつ、お願いね?」 口を滑らせたことに気がついたのは、大地くんが逃げるように去ってしばらくしてからだった。
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2008/11/10 up ,2010/7/17 down, 2012/8/26 re-up