「キスだけが知ってる秘密」
〜きみの頬のように柔らかシフォン〜

 

 

「――あ、フランソワーズ。こっちこっち」

店内へ一歩足を踏み入れた途端、大きく手を振るジョーの姿が目に入った。周囲の視線などお構いなし。自分が目立つひとだということに全然気付いていない。自覚症状が欠落している。

小さく息をつくと、待っている彼の元へ歩を進めた。

ここはバレエ教室の正面にあるカフェ「Audrey」。
ケーキもあるし、ランチも食べられるとあって人気のお店である。
特に女性に人気なのは、そのケーキのネーミングだった。ショートケーキひとつをとっても「恋する気持ちはいつでもイチゴ気分」とオトメゴコロをくすぐるウットリするような名前に変わる。
おそらく、男性はそれを言うのがイヤであまり来店しないのかもしれない。――彼を除いては。

自覚症状の欠落した彼は、ロマンチックなケーキのネーミングにも全く動じず、平気でその言葉を口にする。
それはもう、聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい、甘い声で優しく言うのだ。しかも、店内のケーキはほぼ制覇している。私を待っている間に毎回オーダーしていたらしい。
そして、今やすっかり常連となってしまっていた。ウエイターの大地くんとも、その姉の萌子さんとも仲がいい。

彼は私がテーブルに到着するのをいつも両手を広げて待っている。
最初は戸惑ったものの、習慣というのは恐ろしいもので――今では全く何の抵抗もなく彼の腕のなかにおさまる私。

「――ん。今日も綺麗だ」
「それ、今朝聞いたわ」
「今朝よりも綺麗だっていう意味だよ」

そうして頬にちゅっとキスをして、やっと解放してくれる。

それをそばで複雑そうな顔をして見ているのは大地くん。萌子さんに至っては、いつもニヤニヤ嬉しそうにしている。

「今日は何にしますか、フラ」
「大地。勝手に呼ぶなと言ってるだろう?」

明るく言いながらも大地くんを見つめる瞳は笑ってない。

「きみは何回言ったら覚えるのかな」
「す、すみません」
「ほら、フランソワーズ。今日は何にするのかって聞いてるぞ」
「え、あ。・・・ジョーは何にしたの」
「新作」
「じゃあ私も」
「却下。同じものを頼んだって面白くないだろう?」
「えっ、でも・・・私だって新作ケーキ食べたいもの」
「いつも食べさせているじゃないか」
「えっ、食べさせてるって、そ・・・・」

頬が熱くなる。
ジョーのばか。ここでそんなこと言わなくてもいいのに。大地くんに聞こえちゃうわ。

けれども大地くんはきょとんとしたままだった。

ああもう、大地くんっ・・・あなたはどうしていつもそうなのっ・・・。
思わず萌子さんを見ると、笑いを堪えるようにおなかを押さえて奥に引っ込んでしまった。

「――まぁ、いつも風味しか残ってないけどね」

にやにや笑いを浮かべるジョーの顔を見られず、私はもじもじと手元に視線を落とした。

「風味だけっすか?」

ああ、大地くん。どうしてそこで絶妙な質問をするのっ。

「そう。風味だけなんだよ、いつも」
「え、でもそんなに口どけのいいはずが――」

言葉を切るけれども遅かった。

「だろう?だけど、二人でいっぺんに食べると舌の上ですぐ溶けちゃって風味しか残らないんだよなぁ」

ねっ?フランソワーズ?という声には答えず、私はちらりと大地くんに目を遣った。

「――そういうわけだから、新作のケーキをふたつ、お願いね?」
「は、はあ、二つ、ですね」
「ええ。1個じゃすぐなくなっちゃって味がわからないのよ」

口を滑らせたことに気がついたのは、大地くんが逃げるように去ってしばらくしてからだった。

 

 

 


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