「おまじない」

 

 

やっぱり、ドラマのようなことを現実でやってはいけなかった。
わかっていたのにとフランソワーズはがっくりと項垂れた。
門扉を固く閉ざしたギルモア邸。目の前の建物は漆黒の闇に包まれており、誰かが潜んでいるかもしれないなどとは冗談でも思い浮かばない。
つまり、どこからどうみても無人である。
フランソワーズはため息をつくと踵を返し、待っていてくれたタクシーに乗り込んだ(こんな怪しげな洋館の、しかも人里離れた場所に女性をひとり残していくことはできないと待っていてくれたのだった)。
ジョーのマンションの住所を告げ、シートにもたれた。
まったく。
やはり早々に邸内を探っておくべきだった。日常生活ではあまりちからを使いたくはないのだけれど。

 

年末年始はパリで過ごすつもりだった。
が、気が変わったのは、気まぐれに見ていた航空会社のサイトで日本行きの便に空きを見つけたからだった。
この時期に今更チケットなんて取れるわけがない。旅行代理店がほぼ押さえてしまっているし、キャンセル待ちにしても空港で延々と待つしか手はない状況のはず。
なのに。
何故か一席空いていたのだ。
だから思わず予約してしまった。こういうドラマみたいな偶然は早々無いのだから、突然行ってみんなを驚かせようと。
ドラマのような…つまり、「うふ、来ちゃった」というアレである。
みんなどんな顔をするかしらと想像しながら荷造りし、こうしていま、日本にいるのだ…けれど。
ドラマはやはりドラマであって現実ではなかった。
事前に連絡を入れなければ、どんなに親しくたって迷惑以外のなにものでもない。

それはそうよね…もし、逆だったらやっぱり戸惑うもの。

フランソワーズはタクシーの窓から外を見て、さてジョーもいなかったらどうしたものかと考えた。
合鍵は持っているから、路頭に迷うことはない。が…もしもジョーがひどくプライベートな状況になっていた場合、とてもじゃないが中には入れない。そしてその場合、自分は冷静でいられるかわからないし、状況的に世界で一番惨めな女性にノミネート間違いないだろう。
だから、探ることにした。前もって。
先程のギルモア邸の例もある。
が、もちろん、勝手に来ておいて他人のプライバシーを探る行為は忌避すべきことであり、深い自己嫌悪に陥った。

が…

ジョーのマンションに到着したフランソワーズは、さっきまでとは別の意味のため息をついた。
ここまで来ておいてなんだが、行きたくない。もうジョーの部屋に泊めてもらう以外に選択肢がないのはわかっているが、でも行きたくない。
もしもこれが年始ではなく普通の日だったら帰るだろう。だが、宿は満室だし飛行機だって満席だ。
だから進むしかないのだ。

 

チャイムは鳴らさなかった。そうっとドアを開け、顔をしかめる。
半ばわかっていたことではあるが、かなり強烈だった。


いったい、何をやってるの。


なんとかブーツを脱ぎ、中に進む。まずはリビングを目指す…が、ちらりと見てあまりの惨状に目眩がした。


いったい、何をやってるの?


ここはダメだと諦め、取り敢えず手を洗おうと洗面所に向かい、挫折した。
だったらキッチンにと行く先を変更したが、キッチンは更なる戦場だった。

 

いったい、何をやってるの!?

 

いや、何もやっていないのは明らかだった。言葉のあやである。
なんとか手を洗い、持ってきたペットボトルのお茶を飲んだ。
人心地ついた。

足の踏み場もない多量の靴に侵された玄関。
死屍累々とゾンビのように数十人が眠りを貪っているリビング。
積み上げられたタバコの吸い殻と灰、漂う煙とアルコールの臭い…と、なにかの食べ物の匂い。
散乱する飲み物の空いた瓶や缶。汚れたコップに食器。
洗面所に散乱している使用済みのタオル。
開けっぱなしのバスルームにはいつ張った湯なのかわからない湯船に何故かバスタオルが浸かっていた。
キッチンには汚れた食器や鍋が積み重なり、惣菜が入っていたであろうパックが散乱している。
半開きになっていた冷蔵庫の中はほぼ空っぽである。

フランソワーズは額に手を当て考えた。

おそらくこれは、ジョーとその愉快な仲間たちなのだろう。彼とF1チームスタッフがとても仲良しで、何かあればつるんでいるのは知っている。だから今回も一緒にカウントダウンパーティーでもしたのだろう。
しかも、見事に野郎ばかりだ。女性をお持ち帰りしたような痕跡は皆無である。ここは安心する点であるはずなのに、何故だか涙を禁じ得ない。

さて。

普通の女性ならこんな狼ばかりの中に踏み込もうなんて危険は冒さないだろう。
しかし、フランソワーズの気持ちとしては、自分は狼のなかの羊というより、猛獣使いのそれに近い。いや、今は活動時間を迎えていないゾンビのなかの生者か。

ともかく、ジョーを探そう。
この部屋の持ち主なのだから、たぶん自分のベッドで寝ているはずと寝室に向かった。

 

「やあ、マイハニー。なにしてるの?」


廊下に出た途端、首に腕が巻き付き後ろを取られた。

「…!」

油断した。
全く気配を感じなかった。
いや、この状況でこの惨状で警戒心を解かない方がおかしいだろう。が、皆酔い潰れているのに一人だけ侵入者に気づくとはさすがゼロゼロナイン。いや…マイハニー?

「幻かなあ。昨夜流れ星にお祈りしたから願いが叶ったのかなあ」

文章にするとわかりやすいが、実際にはかなり呂律が怪しい。しかも、

「ジョー。お酒くさい…」

べろべろに酔っぱらっているジョーだった。上半身はだかでジーンズだけ穿いている。

「そんな格好で寒くないの」
「平気だよん」

陽気に言うと、わあいフランソワーズだぁとはしゃぎながらじゃれついてくる。かなり鬱陶しい。

「静かにしないとみんな起きちゃうわよ」
「へーき平気。爆弾が落ちても起きないね」
「だったらどうしてアナタは」
「うんー?さあ、どうしてでしょう」

フランソワーズを抱き締めながら、彼女の肩越しに顔を覗きこんでくる。

「知らない」
「じゃあ、別の質問」
「なによ」
「どうして日本にいるんだい?」
「え…」

それは。たまたま航空券のチケットが買えたからで…

「偶然よ」
「ふうん?」
「ほんとよ?」

するとジョーから力が抜けた。フランソワーズに全体重がかかる。

「悲しいなあ…そこは嘘でも僕に会いたくなったから来ちゃったわって言うところだろ…」

嘘みたいだがしくしく泣き出したから、フランソワーズは驚いた。まったく、酔っぱらっているジョーはかなりメンドクサイ。
ずるずる床に座り込んでべそべそしているから、そっと前髪をかきあげて額にキスした。

「んもう、ばかね…」

そんなの、わかっているくせに。
大体、用もないのに航空会社のサイトをチェックなんてするわけない。

「そうよ。だって会いたかったんだもの」

途端、ぎゅうっと抱き締められた。
そう、この腕が懐かしくなって恋しくて仕方なかった。

「やっぱり、昨夜のおまじないが効いたんだ」
「おまじない?お星さまにお祈りじゃなくて?」
「それもしたけど、ほらこれ」

ジョーが指し示したのは自分の腹だった。先刻からなんだか気になってはいたものの、敢えて追求しなかったのに。

「フランソワーズに会えるおまじない」

ジョーの腹には、フランソワーズの似顔絵のようなものが描かれており、マイハニーとカタカナで書いてあった。

「……」
「みんなが舞えっていうからさ」

舞う?

なんだか恐ろしいことを聞いたような気がしたが、聞かなかったことにした。
とりあえず、…ジョーも同じ気持ちでいてくれたことだけは伝わった。
が、なんだか今年も大変そうな予感がするフランソワーズだった。

 

(2015/1月・拍手ページ初出)

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