「あら、リンゴ」

「え?」


思わず足を止めていた。
紅玉が安売りされていたのだ。


「紅玉だわ、ジョー」
「え、それって何」
「リンゴの種類よ」
「種類?」

リンゴはリンゴじゃないのかとひとり悩むジョーをよそに、私は紅玉を手にとった。いい香り。

「・・・おやつにアップルパイを作ろうかしら。ジョー、好きだったでしょう?」
「えっ」

リンゴを持ったまま振り返ると、ジョーは妙な表情で私を見ていた。


「・・・好きだけど、どうして知ってるんだい」


えっ?


「言ったことなかったと思うけど」


手からリンゴが滑って転がる。
ジョーはそれを屈んで拾い、カートに入れた。


「幾つ必要?」
「じ・・・十個くらいかしら」


上の空で答える。
ジョーがリンゴを数えながらカートに入れてゆく。


私ったら。なんて迂闊なの。


今の情報は私のなかの「ジョーの好きなものメモ」に書かれていたことだった。
トップシークレット中のトップシークレット。
ジョーが何色を好きで、くだものは何が好きで、何が嫌いで、選ぶ時はだいたいこれ・・・等々のデータだった。
誰にも言ったことはない。でもきっと、片思いの女の子なら誰でも持っているはずの心の中のメモ。

それをうっかり言ってしまうなんて、なんてバカなの。


ジョーはカートを押しながら前を行く。
だから私の頬が赤くてもわからないだろう。

ジョーの好きなもののひとつにアップルパイがあるのは、本当に偶然知ったことだった。
ニュースを見るためにつけていたテレビ。そこでスイーツの特集をやっていたのだ。
ジョーが隣の私に「タルトタタンってなに?」と小さく訊いた。それが何かを答えると、ジョーはちょっと黙って、「僕はアップルパイの方が好きだな」と言ったのだ。「一度もおやつに出ないから食べられないけどね」とも。
そういえば、張々湖の作るおやつは特に偏りはなかったけれども、パイ生地を使ったものはなかったような気がする。だから私は、いつか――ジョーのために作ろうと心にメモしていたのだった。

なのに。

それを本人に知られてしまうなんて!

 

 

***

 

 

会計を終えて、駐車場に向かう間も何故かジョーは上機嫌だった。軽く鼻歌なんてうたっている。
荷物は全部ジョーが持っていた。私が持っているのは車のキーだけ。


「ジョー、大丈夫?」
「平気、平気」


・・・やっぱり機嫌がいい。

車に着いてあれこれ荷物を積んでいる時だった。
屈んで荷物を持ち上げようとしているジョーが不意に言ったのだ。


「そういえば、僕の好きなものなんてよく知っていたね?」


不意打ちだった。
ジョーは荷物を持ち上げると顔を上げた。
だから、私は赤くなった頬を隠す間もなくジョーの前に晒してしまった。


「ふらんそわ・・・」


ジョーの唇が私の名を言いかけた時、彼の瞳が何かを捕らえたように丸くなり、そして私はジョーに突き飛ばされた。嫌というほど車の側面に腰を強打した。


「・・・いたっ・・・・もう、ジョー、いったい」


しかし。
文句を言う相手のひとはそこにいなかった。否、いるにはいたのだけど、何故か――地面に仰向けに倒れていたのだった。

呆然としていたのは数秒だったろうか。

あっという間にわらわらと人が集まってきて、口々に何か言っている。

――あそこの球場から飛んできたんだな

――硬球だぞ、これ――

――動かさない方がいい

――やばいんじゃないのか

――救急車!!

 

「ジョー!!」


私はジョーの傍らで彼の名を呼ぶ。
額に直撃を受けたのか、くっきりと野球ボールの縫い目の痕がついていた。


ジョーは答えない。

意識がない。


私は唇を噛むと、散乱している荷物を適当に車に投げ入れて、ジョーの両脇から腕を差し入れて持ち上げ、彼も一緒に後部座席に放り込んだ。
そして、救急車が着く前にそこを脱出することに成功した。
残した人々の「お嬢さん、力持ちだなぁ」という声を後にして。