「にわか雨」
濡れて歩くのは平気だった。 そういえば傘を忘れてきた――と気がついたのは、しばらく経ってから。 追って欲しいわけじゃない。 見つけて欲しいわけでもない。 ただ、一緒にはいられない。そう思っているだけなのだから。 背後から水の跳ねる音と駆けてくる足音がしたと思ったら、真後ろでぴたりと止まり、 「入れよ」 という、ぶっきらぼうな声と共に傘が差し出された。 そこにいたのは、私よりも濡れている肩と髪を持ったひと。 褐色の瞳が不安げに揺れる。 沈黙。 傘に当たる雨の音。 彼の肩を濡らす雨。 私が向き直ると、彼はそっと息を吐き出した。 「・・・ごめん」 小さなかすれた声と共に。 「・・・走ってきたの?」 傘をさしてるくせに、全然その恩恵に預かっていない。 「探したから。傘、忘れて行っただろ」 そう言うと、彼の唇が真一文字に結ばれた。 「だって、すぐやむのに」 にわか雨なんだから。 「・・・やまないよ」 そう言うと手を伸ばして私の頬に触れた。 「・・・濡れてる」 私は彼の指を軽く払うと歩き始めた。 こんなの、ただのにわか雨なのに。 私は彼を置いてゆく。 ――嫌いなの。そんなジョーなんか。 言って、彼の顔も見ずに部屋を出た。 知っているのは、胸が詰まって、喉にせりあがってくる重いものが辛かったことだけ。 もうこれっきり会えなくても構わない。 そう思っていた。 なのに。 追ってくる足音は聞こえない。 にわか雨のはずなのに本降りになりそうで、私は溜め息をついた。 髪が濡れる。 肩が濡れる。 雨はやまない。 しばらくして、背後から誰かが駆けてくる足音がした。 けれどもその足音はあっさりと私を追い越して行った。 つい期待してしまった自分が情けなくて、私は唇を噛んだ。 私なんていてもいなくても変わらないはずよ。 でも。 追い越していった影は私の遥か前方で足を止め、そうして踵を返しこちらに向かって歩いてきた。 「・・・フランソワーズ」 なんなの、この演出。 そう心で言いつつも、私は一歩も動けなかった。 「ほら。本降りになっただろう?」 知らない。 「・・・傘だけじゃ足りないだろう」 知らないって言ってるでしょう。 「どこで雨宿りするつもりだった?」 雨宿り。――私が、誰か他のひとの部屋に行くとでも? 「・・・酷いわ」 全然、ごめんって顔じゃない。 私が何も言わずにいると、彼も黙った。 「・・・自信過剰」 私はそのまま彼に近付いて・・・広げられた腕の中におさまった。 「風邪ひいたらどうするの。誰が看病すると思ってるの。気を」 気を付けなさい・・・という私の声は雨に消えてしまった。 にわか雨はいつかやんでいた。
今さら取りに戻るのもしゃくだったから、構わずそのまま歩いた。
追って来たって知らない。
きっと私は見つからないだろう。
だっていつもとは違う道を選んで歩いているのだから。
いつもの――駅に向かう道や公園に通じる道では、すぐに見つかってしまう。
だから一人で歩いて行く。
髪が肩が濡れていくけれど、そんなの全く構わなかった。
私はそれを見上げ、そうして肩越しに振り向いた。
その額に流れるのは、雨なのか汗なのかわからない。
「・・・うん」
「濡れてるわ」
「・・・別に良かったのに」
「そうかしら」
「そうだよ。・・・やんでないじゃないか」
「雨よ」
「そうかな」
「すぐやむわ」
「降ってる」
「大丈夫よ。・・・放っておいて」
「嫌だ」
彼に背を向けて。
すぐやむのに。
追いかけてきたって、見つけてくれたって、そんなのただの迷惑なのに。
そんなの、全然、期待していないのに。
なのに。
私が傘を忘れて出たことに気付いたんだ・・・?
そんな小さな事が嬉しいと思えてしまう自分が悔しい。
追ってこないように、わざと投げ捨てるように言葉を放って出てきたのに。
だから、どんな顔をしていたのかなんて知らない。
鼻の奥がつんとして、でもそんな顔を見せるのが嫌で――飛び出した。
傘も追ってはこなかった。
そう――「本当に」追ってこないなんて、・・・。
私は身を硬くした。もしかしたら「また」追いかけてきてくれたのかもしれない。
今度は何て言おう――?
・・・ばかみたい。
いくらジョーだって、何度も何度もそう目の前に魔法のように現れたりなんかするわけがない。
だって私はこんなに可愛げがないんだもの。
きっと彼の知っている女の子の中で、一番可愛くないのだろう。
こんな可愛くない子なんて放っておいたほうが彼だってラクなのだし、何より――私に執着する必要もメリットも何もないのだから。
私たちは「成り行きで」一緒に居るだけで、もしもサイボーグじゃなかったら、出会ってもジョーは私になんか絶対に気付かない。
そうでしょう?ジョー。
ゆっくりと。
そしてその瞳の色がわかるくらい近付いて、初めて名を呼んだ。
こんなの知らない。
こんなの要らない。
他の女の子ならきっと絆される場面なのだろう。
でも、私は違う。
他の女の子と一緒にしないで。
そして再び傘がさしかけられた。
「うん。ごめん」
顔じゃないんだけど、いつもの彼とも違う。
どこか――痛むみたいな。
そうしてゆっくりと腕を広げた。
まるで・・・そう、君が雨宿りするのはここだけだろうと言っているみたいに。
「うん。ごめん」
「・・・ばか」