いつの間にか、公園の桜はすっかり葉桜になっていた。

そんなことにも気付かぬほどに忙しい日々は唐突に終わりを告げ、みんなは三々五々故国へ戻って行った。
私は――明日は帰ろうと思いつつも、気がつくとずるずると日本に居続けてしまっていた。

帰りたくない理由はわかっている。

 

あのひとがいるから。

 

こんなに頻繁に召集されなければ、きっと――いつかは忘れてしまえていたはずなのに。

この桜のように。

満開の時期にも気付かれず、ただひっそりと散って・・・そして緑の葉を繁らせる。
何事もなかったかのように。
毎年同じように咲いて、同じように散って、その繰り返し。
そうやって時を重ねていけば、それは「当たり前のこと」になってゆく。

あのひとと会わないでいるのにも、慣れる。きっと。

会わないでいれば・・・それは「当たり前のこと」になって、そしてきっといつかは忘れてしまう。

 

忘れたい。

 

会うたびに、別れる日が怖くて、離れるのが嫌で。
一緒にいられなくなる日を指折り数えて怯えている。
でも。
あのひとと一緒にいられる時は、有事の時だけであって――こうして平和なのに一緒に居るというのはとても不自然なことだった。
平和な時に、一緒に居る意味なんてないのに。

 

きっと、全ては勘違いなのに。

 

一緒に危険を乗り越えるという境遇にあった男女は結ばれやすい。でもそれは、危険に遭遇した時の緊張感を恋心と取り違えてしまうため――という話を聞いたことがある。心理学では「つり橋効果」というらしい。
つり橋のような不安定かつ危険な状況に一緒に居ると、アドレナリンが放出され一種の興奮状態になる。
それが「恋」だと勘違いしやすい。ということらしい。
それって、まさに私たちのことじゃない?

平穏な状況に戻ってしまえば、アドレナリンの放出は抑えられ、興奮状態からは徐々に冷めていく。
そうすれば・・・魔法は解ける。
「恋」だと勘違いしていたことなんて、すぐに気付く。

だから。

無事に戻ってすぐに「一緒に居よう」ってあのひとに言わせたのは、ただの残留していたアドレナリンのせいで、あのひとの本心ではない。
きっと今頃は後悔してる。
――私が、いつまでも日本に居るから。
本心ではないのに口にしてしまった言葉を私が本気にしてしまったから。

あれは、間違いなんだよ。
あのときはついそう言ってしまったけれど、そうじゃないんだよ。

優しいから、そうは言えずに困っている。
だから私からそう言ってあげないと――さっさとフランスへ戻らないと――いけない。

 

葉桜を見上げ、そして――気持ちを固める。

明日、帰ろう。

帰ったらすぐに荷造りをして、飛行機の手配をして。あのひとに会わないうちに。

 

足元に広がる桜の花びらのじゅうたんを踏みしめながら。
このピンクのじゅうたんが終わったら、そうしたら――

研究所に帰ろう。
あのひとが帰ってくる前に。
そうして、会わずに出発すれば、一日でも早く忘れることができるだろう。